4.大人になりたい子どもたち
「おじーちゃーん」
「おかえ――どうしたんじゃ二人とも?!」
ずぶ濡れの泥だらけで帰ってきた孫娘と先祖の姿に、シャストンは度肝を抜かれた。エコーディアとアルケイドは力ない表情で老人の横を素通りし、まずは浴室へと向かう。
「溺れた。溺れたけどそれ以上に風が……」
「泳がずともタオルを持っていくべきだった」
「あたしの自信作の端末もボロボロだし」
アルケイドがエコーディアを救った時、海の中で光を反射したのは、彼女が携帯していた機械類だった。しかしそれらは水に濡れたことで、半分以上壊れてしまっている。耐水性に問題があったようだ。
「溺れた?! 海を見に行くだけではなかったのか? 何があったんじゃ」
「おじいちゃん、ごめん、あたしたちお風呂に入るから……」
海で溺れたこともさることながら、エコーディアとアルケイドにとって真の苦難は帰り道だった。海岸から都市部までは店も民家もなく、それらが見つかる頃には町はずれのシャストンの館までエアバイクで走る方が早かったのだ。濡れた上に砂だらけになった体を洗う場所がなかったのは寒い上に悲しかった。体がべたべたして磯臭い。あの海は水質も悪いので、これから念入りに全身を洗って消毒する必要がある。
ボタンを押すだけで済むとはいえ、シャストンが風呂をすでに沸かしていてくれたのがエコーディアたちにはありがたかった。
風呂から上がり温かいお茶の用意された食卓につきようやく人心地がついたところで、二人はシャストンに今日あった出来事を話し始めた。
「……そんなことになっとったとは……。まずは礼を言おう、アルケイド。孫の命を救ってくれてありがとう」
「いや、そんな……当然のことだから」
シャストンに改まって頭を下げられると、アルケイドも動揺した。シャストンたちにとっては先祖と言えど、まだ青年であるアルケイドが自分よりずっと目上のシャストンに頭を下げられるのはこそばゆいらしい。
「しかしエコーや、お前を突き落としたのがメリアだったというのは本当か?」
メリアはシャストンの娘にしてエコーディアの母の名前だ。シャストンは孫娘の発言を疑うわけではなかったが、それでもやはり信じられないという顔をしていた。
「うん……。あんまり覚えてないけど」
ココアの入ったカップを抱えてエコーディアが首を振るとシャストンは、今度はアルケイドの反応を伺った。
「アルケイドはどう思う?」
「私も一瞬しか顔を見ていないし、エコーディアの母親の顔を知らないから何とも言えない。ただ、相手は若い女だった。エコーディアの母親というにはちょっと若すぎるような」
「でも、あたしが小さかった頃のお母さんはあんな感じで」
「ふーむ……」
シャストンが、言いにくそうに切り出した。
「それがもしも本当にメリアだとしたら……過去からやってきたのかもしれん」
「過去?」
「まさか、私と同じか?」
エコーディアとアルケイドは顔を見合わせた。シャストンはタイムマシンの置いてある研究室の方を眺めながら口を開く。
「わしは時空跳躍装置(タイムマシン)でわしとエコーの二人を別時間軸に運ぼうとしてそれだけのエネルギーを入れておいた。だが実際はアルケイド一人がやってきたところでエネルギーがすっからかんとなってしまった」
もう一人分の時空を越えるエネルギーは一体どこに消えたのか?
「そう言えばアルケイドを帰すのにもエネルギーが足りないとか言ってたね。でもおじいちゃん、それって移動した年数とかの差じゃないの?」
アルケイドは二百年前の人間だ。彼一人時間移動させるだけでも膨大なエネルギーが必要だったのではないか?
「何を言うエコー、わしが最初に実験で何年未来に移動しようと思っとったと思うんじゃ」
「それって何年……あ、いや。やっぱ言わなくていいです」
またもや祖父が実はとんでもないことをしようとしていたことが明らかになりエコーディアは顔を引きつらせた。ずれかけた話をアルケイドが元の流れに戻す。
「つまり、余っていたもう一人分のエネルギーを使って、誰か別の人間が別の時間軸からやってきていてもおかしくはない、と?」
「そういうことじゃ」
実際にアルケイドという先例がここにいる以上、タイムマシンで母がこの時代にやってきていたとしてもおかしくはないという仮説が成り立ってしまった。
「でも……なんで? それならどうしてお母さんはあんなことしたんだろう?」
「お母さんは君が泳げないことを知ってる?」
「ううん。あたしが海が苦手になったのはお母さんが死んだ後だもん。でも」
でも、あんな高い場所から人を海に突き落としてまったくの無事だと考える人間はまずいないだろう。あれは――エコーディアを殺す気で突き落としたのだ。
ぶるり、とエコーディアが体を震わせた。気づいた二人は、もう休むよう彼女に促す。
「無事だったとはいえ海に落ちて、しかも吹きっ晒しの風の中を走って帰ってきたんだ。もう寝た方がいいよ」
「アルケイドはぴんぴんしてるじゃない」
「私はこれでも軍人だ。鍛え方が違うんだよ」
「そうじゃぞエコー。ただでさえお前は体力がないんじゃ」
二人がかりで説得されては敵わない。エコーディアは渋々ベッドに入ることとなった。
「でも、本当に何だったんだろう……」
体力を回復させることが優先とはわかっていても、疑問は居心地悪く胸の中に巣食い続けた。
◆◆◆◆◆
アルケイドはシャストンの許可を得て、エンスレイ家のアルバムを見ていた。この時代では紙ではなく「アルバム」という名称の専用映像再生機器が存在する。
「これがエコーディアの母親?」
「そうじゃ。わしの娘のメリアじゃ」
アルケイドは写真の中で赤ん坊の頃のエコーディアを腕に抱いた若い女の姿を眺めたが、それがあの時海でエコーディアを突き飛ばした女と同じ人物かどうかは断定できなかった。
「エコーディアは大丈夫だろうか。私の前ではそう落ち込んだ様子を見せなかったけれど……」
もしもあれが本当にエコーディアの母だとしたらエコーディアとしてはたまったものではないだろう。それに、何故母親が実の娘を殺そうとするのかわからない。アルケイド自身タイムスリップで未来に来たという言葉をすぐには理解できず放心状態だったのに、同じく過去の人間が未来に来てそんなことを考える余裕があるものだろうか。
「平気ではなかろうが……落ち込んでいたとしても、それを誰かに見せる子ではないからのう。昔幼すぎて両親の死が理解できなかった頃はごねたものじゃが、それを理解するようになってからは我儘の一つも言わなくなった。こんな爺と二人暮らしで寂しかろうに」
「……」
「エコーは自分を責めておるんじゃ。あの子は天才と呼んでもよかろうが、それが傷となることもある。娘夫婦が実験で失敗したのは制御プログラムの方じゃったからな。今の自分が手伝っておれば防げた程度の失敗。そんな風に思っているんじゃよ」
「そんなこと……未来の人間は、過去に手を加えることなどできないのだから仕方ないだろう」
人間は所詮三次元の生物だ。時間の流れは過去から未来への一方通行という形でしか理解できない。
「だが、今ここにお前さんがいる。アルケイド」
「!」
未来と過去は一時交錯しようとも、本当に何も変わらない?
アルケイドはシャストンの皺に埋もれた顔を見ながら口を開いた。
「シャストン、あなたはもしかして……エコーディアに一目両親の姿を見せようとしてタイムマシンを作ったのでは?」
アルケイドの目にはシャストンが無闇に過去に手を加えようとするほど考えなしには見えない。だとしたら彼は、何故あの装置を作ったのだろう。そこに込められた願いとは。
問いかけにシャストンは何も返さなかった。だが困ったように下げられた白い眉と口元の笑みが答だろう。
「お前さんには迷惑をかけとるな……。わしらの御先祖様よ。いきなり右も左もわからぬ未来に連れて来られて、あんたも大変じゃろうに」
シャストンの言葉にアルケイドは首を横に振った。心配されるほど、アルケイドはこの状況を悲観してもいないし、シャストンを恨んでもいない。――どうせ元の時代で生きていてもろくなことはないのだから。
「……お前さん、この時代に来てもさほど驚く様子がないのう。アルケイド、もしかして……」
エコーディアのことも気になるが、シャストンはアルケイドの様子も気にしていた。彼は見た目は十代の少年で通じそうなほど若く見えるが、その物腰はとうに成人を迎えた大人の男のものだと思える。それにこの不自然なほどの落ち着き。
「私は十分楽しんでいるよ。この時代を」
「だといいんじゃが。すまぬな。わしの発明のせいで迷惑をかけた」
「気にしないでほしい。悪用さえされなければ素晴らしい技術だと思うんだ。それに」
アルケイドは目を伏せた。
「未来に来ることができて、私は良かった。まさか自分に子孫と呼べる存在ができているなんて、思ったこともなかったから。あなたは立派な人のようだし、エコーディアも妹のようで可愛い」
ふふ、と彼は束の間本当に幸せそうに笑った。だがその儚い笑みの裏側に、消えない翳りがあることもシャストンは見てとった。
「……伝記によれば、お前さんは家族に恵まれなかったとか」
「そんなことまで伝わっているのか。そう。私には酒乱で子どもに手を上げる父と、その父を見限り、子供を置いて男と逃げた母しかいなかった。私は十二で家を出て、それ以来色々な場所を転々としてきた。あなたたちが聞けば目を回すような悪さも充分にした」
幸せではないだろう想い出を、アルケイドは懐かしそうに語る。
「自分もあんな風に子どもを殴る親になるならば、家族なんて持つべきじゃないと思っていたよ。その思いは自動照準を完成させた辺りからどんどん強くなっていった」
いくら天才ともてはやされても、作れるのは人殺しの道具だけ。多くを救う技術よりも、多くを殺すための力ばかり求められた。自分の作った銃のせいで間違って民間人の子どもを撃ち殺したという兵士の悲痛な罵りを受けて、幾度後悔したか知れない。
「生きているだけで多くの悲しみを生み出すのならば、私は生きていない方がいいのかとも考えた。こんな自分の血を残すことを考えられなくて、最後までサリーナを身請けしてやらなかった」
可哀想なサリーナ。娼婦である彼女にとって、愛した男に正妻として身請けされるのがどれだけ焦がれた夢か知っていて、アルケイドは応えなかった。
「だけど、この時代に来て、あなた方に会って。私はあの時あの場所に、いてよかったんだなと思えた――感謝しているよ」
微笑んで目を閉じたアルケイドに、シャストンは痛ましいものを見るような目を向ける。
「ん?」
「どうした?」
手元のアルバムを再びめくりはじめたアルケイドが声をあげる。
「今、エコーディアの写真が。背中の傷ってこれか」
ボタンを押して画面上でめくり続けたアルバムはすでに去年の日付に入っている。水着姿で友人たちと写真に写るエコーディアの姿に、アルケイドの目は引き寄せられた。
「ああ、昔海に落ちた時の。話したんじゃな。それがどうかしたのか?」
「いや、結構この歳にしてはいい胸をしていると」
「……一応言っておくが、わしの孫で、あくまでもお前さんの子孫じゃからな」
急にエロオヤジのような話題を出した青年に、孫娘を想う祖父は剣呑な眼差しを向けた。だが御先祖様は何か気になることがあるようで、アルバムの過去データを検索し始める。
「待てよ、さっきの写真を見た時何か……」
エコーディアの写真と、十年前の母親の写真とを見比べる。エコーディアは母親似だ。しかし何か、違和感がある。
「と、いうことは……」
アルケイドの中に、ある推測が生まれた。