いつか素晴らしき未来で

5.人殺しの腕

「気をつけるんじゃぞー」
 翌日は博物館を見学に行くことになった。
 アルケイドの希望は軍事施設を自分のいた頃と比較したいという、平和ボケ真っ盛りのエコーディアには仰天物の話だったので、シャストンが代替案を出したのだ。マグル・アルケッセの中心部には大戦の頃の記録を残した資料館と名のつく場所がいくつかある。
 海に落ちたエコーディアも無事に風邪を引くことなく回復し、シャストンの作ったタイムマシンはまだ調整が終わっていない。エコーディアを海に突き落とした女性の事は気になるが、あれが本当に母であったかどうか確証はない。たまたますれ違った赤の他人の通り魔的な犯行かもしれないのだ。となれば家で大人しくしているのも勿体なく思えて、エコーディアは再びアルケイドと出かけた。
 昨日家に帰ってからは大人しくエンスレイ家のアルバムを見ていたアルケイドだが、家に長くこもればネットや何かで自分の末路を知ってしまう可能性も大きい。そのため出かけても不自然でないような理由作りに、シャストンがアルケイドの事情に触れない観光名所を調べあげたのだ。
 今日もエコーディアとアルケイドはエアバイクに二人乗りし、都市中心部の博物館へと向かった。アルケイドがどんな反応をするのか密かに気になっていたエコーディアだが、資料を読み、写真を見、当時の銃器の模型などに触れながら館内を歩くアルケイドの様子はいたって平静だったことに安堵した。
 半日かけて二つほど博物館を巡り、エアバイクで帰り道を辿りながらエコーディアは後ろに乗っているアルケイドへと尋ねた。
「ねぇ、アルケイドは自分を軍人だっていうけど、あたしはずっと御先祖様は科学者だって聞いて育ったよ。本当はどっちなの」
「軍属科学者。最初は普通の軍人だったんだけれど、勤めていた部署が技術部の隣で、何かあるたびに雑用とかさせられているうちに機械の扱いを覚えることになったんだ。それで技術部に転属」
「そうなの?」
「うん。でも転属になった最初の頃は失敗ばかりしてた。十桁の計算ができる機械を作って仲間に披露したら、そんなもの恐竜が化石になる前からあるだろ、なんて怒られたりね」
「ははは……今、エンスレイの血を凄く感じたわ……」
 シャストンのあれは彼個人の性質(ボケ)だと思っていたら、まさか二百年来の遺伝だったとは。
「今日の博物館で、何か興味を引くことってあったの?」
「いや、特には。当時の予想より被害が少なかったと思ったくらいで」
 大戦の被害はエコーディアのようにその時代を知らない者からすれば悲惨なものだが、アルケイドに言わせればあれでまだまだ軽い方らしい。その理由の一端は大量破壊兵器の開発を拒否して処刑されたアルケイドの存在とその生き様に王国の大半の科学者たちが倣ったからなのだが、当の彼はそれを知らない。
「そう……なんだ」
 話を振ってみたもののなんとも会話を続けがたく、エコーディアはそう相槌を返したきり話題に詰まった。
 いっそこのままアルケイドがこの時代に残ればいいのに。そんなことすら考えてしまう。
「エコーディア」
 不意に背後のアルケイドが硬い声で囁いた。
「尾行られてる」
「え?」
「振りかえるな。このまま走り続けてくれ」
「う、うん……」
 何とか返事をしたものの、エコーディアの胸に一気に不安が広がった。尾行? まさか、昨日の相手だろうか。海で自分を突き落としたのは偶然でも通り魔的な犯行でもなく、間違いなくエコーディア・エンスレイを殺すためだったと?
「あの黒に赤いラインのエアバイクだ。乗っている奴の顔はヘルメットでわからないけど……大丈夫。私がいる」
 安心させるようにアルケイドが囁いた。彼はそのまま、次に通るルートを指示した。
「一度駅前に出て。人込みで撒こう」
「でも、誰かを巻きこんじゃうんじゃ」
「この場所で何も仕掛けてこないなら、もっと人通りの多い場所で仕掛けてくるはずがない。それで撒ければいいんだけど」
 アルケイドの指示通りにエコーディアはエアバイクを走らせ、駅前へと向かった。わざと複雑な道順を辿り、相手にルートを掴ませないようにする。バイクでしか通れないようなぎりぎり細い道に、通行人の影で死角になるタイミングで飛び込んだ。それでも背後の黒いバイクは離れない。
「駄目! まだついて来るよ!」
 緊張でエコーディアの動きが鈍くなる。エアバイクの運転は旧時代の自転車のように慣れれば忘れることはない簡単なものだが、それでも事故がないわけではない。時速数十キロ単位でスピードが出るのだから、場合によっては死ぬこともある。
「もっとスピード出せないか?」
「これ以上出したら事故るよ! あたしにそんな高度な運転技術あるわけないじゃん!」
 エコーディアだとて自分の運転技術に自信があれば時速二〇〇キロくらい出してさっさと逃げたいところだが、彼女の運転技術では時速六〇キロ程度が限界だ。そもそもマグル・アルケッセの公道の法定速度は三〇キロなのだから、この時点ですでにスピード違反である。
 キン! と近くで硬質なものを弾く音がした。
「撃ってきた!」
「嘘ォ!」
 相手は本気で彼女たちを殺しにかかってきているのか、ついに銃を持ち出してきたらしい。多種多様な型があるので銃の種類を特定することはできないが、どれにしろ、当たれば死ぬ。今の時代、自動照準のついていない銃などありえないのだ。
「狭い道で助かったな。これだけ遮蔽物が多い曲がりくねった道なら自動照準がついていても当たりはしない」
「そ、そういうものなの? でも!」
 だがいつまでもこのカーチェイスを続けるわけには行かない。エコーディア自身すでに汗で手が滑りそうなのだ。
「とりあえず限界までスピードを出せるような広い道に向かって」
「広いって、そしたら撃たれちゃうよ!」
「大丈夫、私を信じて。一度広い道に出て、そこで一端スピードを上げるんだ。あとは追って指示する」
「わ、わかった!」
 アルケイドの指示通り、エコーディアは一端、先日海に出るために通った何もない道の方へと向かった。そこで時速を一気に一二〇キロまで上げて追っ手から離れる。距離をとったところで一端時速を落として高度を上げるようにアルケイドが指示。そして彼は言う。
「運転変わるよ」
「へ? ってきゃぁああああ!」
 エコーディアにとっては信じられないことに、アルケイドは彼女の腰を片手で抱いて空中で自分とエコーディアの位置を入れ替えた。エコーディアとしては何がどうなったのかもわからない早業だ。自分の手が一瞬完全に空中に浮かんでいたことだけは覚えている。
「心臓止まるかと思ったよぉおおおおお!」
更にこの作業は空中で行われたため、一瞬二人してエアバイクから落ちるかと思うくらい不安定な体勢になった。
「こうでもしないと追っ手を撒けないからな」
「と言うか、アルケイド運転できるの?!」
「君がやっているのをあれだけ見てればわかる。昔のバイクの方が難しいくらいだ。ところでこれ、地面にタイヤつけて走れるかい?」
「け、軽量タイヤを一応出して地面を走行できるけど。飛行機の離着陸みたいな要領で」
 エアバイクは基本的に空気で進むが、昔ながらのタイヤも備えている。材質はゴムとは少し違うひたすら軽い素材ではあるが。
「好都合だ。じゃあエコーディア、しっかり捕まっていて。もしくは今のうちに防弾チョッキを」
「バイクの上でどうやって着るのよ!」
平気で無茶な要求をするアルケイドにエコーディアは半分悲鳴で返す。
 入れ替わりのために一度スピードを落としたので、追っ手がまたすぐ近くに迫って来ている。アルケイドは地上走行用のタイヤを出すと途中でUターンし、来た道を戻るように走り出した。
 他に誰もいない人気のない道を、追っ手に正面から突っ込むように。
「ええ――ッ?!」
 エコーディアの驚きも意に介さずスピードを上げて追っ手に突っ込むかのようにエアバイクを走らせていたアルケイドは、その目前で前輪を持ち上げてジャンプした。追っ手の頭上を飛び越える。
「嘘ォ!」
 この日二度目のその叫びを味方にもたらされたエコーディアは、振り返った瞬間追っ手の姿を目に止めてぎょっとした。あちらも素早くUターンして戻って来る。まだ距離はあるが、諦める様子はない。しかも相手は銃を持っているのだ。
「く、この位置取りはまずかったか。早く街に……!」
 先程まではエコーディアが運転をしていたために、追っ手の目から見れば彼女の後ろに座るアルケイドが障害物となっていた。しかし今は、追っ手からエコーディアの無防備な背中が見えている状態だ。相手が二人まとめて殺す気なら関係ないかもしれないが、このままではエコーディアが狙い撃ちになってしまう。速度を上げるが、振りきれない!
「エコーディア! 銃を持ってないか?!」
 アルケイドに言われてエコーディアは護身用の拳銃の存在を思い出した。普段からそんなものを携帯する習慣はないが、今日は念のためにとシャストンが持たせてくれたのだ。だが本当にそれを使う時が来るとは思わなかった。
「で、でも」
「この距離なら死にはしない! でも威嚇くらいにはなる! あともう少し、街に入るまで一発でいいから撃て!」
 アルケイドの必死な声に打たれ、エコーディアは恐怖を覚えながらも懐から取り出した銃を撃った。こんな無茶をしてまで、彼が生かしたいのはエコーディアなのだ。自分の手を汚したくはないなどとは言えない。相手がもしかしたら自分の母かも知れずとも。
「!」
 震える手で、しかも不安定な体勢で片手でエコーディアの撃った弾はそれでも自動照準のおかげで相手のヘルメットをかすった。衝撃に追っ手がバイクを止める。
「いいぞ。もう街中だ」
 シャストンの家に真っ直ぐ向かうルートではなく、人通りと建物の多い路地にアルケイドは入り込んだ。エコーディアのナビを聞きながら、あえてエアバイク・ラインを使わずに走る。
 威嚇射撃で無事に追っ手を撒いて、用心しながら家に辿り着く頃には、エコーディアは緊張のあまり死にそうな顔色をしていた。
「大丈夫か?」
 祖父の顔を見るなり腰を抜かしたエコーディアに、アルケイドが手を貸して立ち上がらせる。事情を聞いたシャストンは念のためにとセキュリティシステムを強化しに行った。
「よく撃てたな。偉いよ」
 自分が銃を撃ったということに、その経験がない者は酷く衝撃を受ける。軍人としてそれを知っていたアルケイドはエコーディアをそう言って慰めた。
「偉いのは、アルケイドだよ……ありがとう」
「私はそんな――」
「だって、ほら見て。これ」
 エコーディアがアルケイドに示した銃。それについている自動照準と呼ばれるシステム。吸い寄せられるようにその部分に目を落としたアルケイドは、見慣れた部品を目にする。外装は進歩しすぎてもはや玩具のようなデザインと化したこの時代の拳銃だが、使われている自動照準の基礎は確かに彼が作ったもの。
「……私が作ったシステム?」
「うん、そう。だからあたしを助けてくれたのはアルケイドなんだよ。今も、昔も。アルケイド自身が、これを作ったことで後悔していても。だから――ありがとう」
 エコーディア自身としては相手をあの場で殺すことがなくて良かったと思うが、かすった程度でも当てることがなければ向こうに撃たれていたかもしれないと思えば、こんなものなくて良かったとは言えない。
 アルケイドが呆けたような表情でエコーディアを見ている。
「ありがとう……アルケイド。いろいろと」
「あ、ああ」
 彼がぎこちないながらもエコーディアに笑みを返したその時だった。
「侵入者じゃ!」
 シャストンの仕掛けたセキュリティが作動し警報が鳴った。鳴りやまないその音に、耳が痛くなりそうな緊張がどっと襲ってくる。
「まさか……」
「さっきの相手だろう」
 三人はとりあえず家の奥へ奥へと駆けこんだ。その方がセキュリティレベルが上だからだ。最奥はタイムマシンのあるシャストンの研究室で、そこに辿り着くと途中の部屋と部屋の間に設置された防火シャッターを何枚も下ろす。
 こういった家の作りはマグル・アルケッセではごく一般的なセキュリティだ。しかし相手は更に上手で、シャッター一枚ごとに異なる制御プログラムにハッキングを仕掛けて通り抜けてくる。
「駄目! 全部くぐり抜けられてる!」
 エコーディアが端末からその場でシステムの変更をかけるのだが相手の方が彼女より上手らしく、全てすり抜けられてしまう。この分野に関しては人並み以上の自信を持っていたエコーディアにとってはそれだけで衝撃だ。
「嘘……この街で、あたし以上にプログラム制御に長けた技術者がいるなんて!」
 信じられない。エコーディアはこの科学技術の最先端の街でさえ、プログラム制御に関しては誰にも負けたことはないのに。
 侵入者は壁一枚向こうまでに迫る。
 アルケイドはエコーディアに声をかけその懐に入れられていた銃を借りた。エコーディアとシャストンを入口から死角になる壁際に寄せ、自分は扉のすぐ横に張り付いた。
 息詰まるような緊張と共に、部屋の扉が開けられる。と、同時にアルケイドが仕掛けた。相手の腕を掴むと、そのまま床に組み伏せて頭に銃を突きつける。
 茶髪の癖っ毛。ほっそりとした体つき。昨日の昼間、海で見た女。
「あーあ……」
 その唇から苦笑じみた声が漏れ、女は顔をあげる。
「やっぱりこうなっちゃうんだよね……。知ってたのに。過去は変えられないって」
 過去? 
 どういうことだろうか。彼女が過去からやってきたエコーディアの母ならば、その台詞はおかしい。ここは彼女にとっての未来に当たるのだから。
 女の視線がシャストンにすがりつくエコーディアを捕らえた。アルケイドが女から視線を放さないまま口を開く。
「昔の写真を見ていて気づいたことがあるんだ。エコーディア、君とそのお母さんは顔はそっくりだけれど、体型が違うね。君の方がひきこもりで体力がない分、ガリガリに細い。胸はあるけど」
「余計なお世話よ! てか今何の関係があるの?!」
 突然の話題についていけないエコーディアを無視して、アルケイドは女の服に手をかけた。手早く上着を脱がせ、シャツを肌蹴させて隙間から背中を晒す。
 そこには一筋の傷があった。
「え?」
 エコーディアは混乱した。母にそんなところに傷があったという話は聞いたことがない。その傷があるのは。それは。
「この女性は未来の君だ。そうだろう“エコーディア”」