いつか素晴らしき未来で

7.いつか素晴らしき未来で

 エコーディアが呆然としている間に、未来のエコーディアの死体はアルケイドとシャストンがどうにか片付けたらしい。――幸い、なのか、街はずれのこの屋敷には庭がある。
 自分で自分の死体の始末をするというのも居た堪れないものがあり、そもそも少女が自分と同じ体格の大人を担ぐというのに無理がある。エコーディアは居間で大人しくしているよう言われていた。
「終わったぞ」
 シャストンとアルケイドが戻ってきた。しかしエコーディアは二人にかける言葉を見つけられず、それはアルケイドも同様だった。そんな中、シャストンが一人、わざとらしいほどの陽気さを装って声をあげる。
「そう言えばな、あの時空跳躍装置(タイムマシン)の調整が完成したぞ!」
「え? ってことは」
「アルケイドを元の時代にようやく帰してやれるということじゃ。予想外のエネルギー消費の原因がつかめたからのう」
 エコーディアとアルケイドは顔を見合わせた。思えば一緒にいた時間は長くも短くも感じる。だがどちらにしろ今ここで別れるには呆気ない感じがするというのは二人とも同様だった。
 それにこのまま過去に戻せば、アルケイドはいつか処刑されてしまう。
「あの……帰るの?」
 恐る恐るといった様子のエコーディアの問いかけに、アルケイドは彼女の顔をしばらくじっと見つめた後、笑顔で頷いた。
「うん。帰るよ」
 その顔があまりにも穏やかなので、エコーディアは思わず泣きそうになった。彼はその先の人生に、自分に何が起こるのかを知らない。だからそんなことが言えるのだろう。
 エコーディアはそう思っていた。だがその考えは、アルケイドの次の言葉で覆された。
「私は帰る。エレス歴五八七六年七月三十一日の朝へ」
「それって!」
「そう、この日の正午、私は処刑されると聞いた。牢番に服を着替えさせられたところで、私はこの時代に来た」
 エコーディアは愕然とした。あまりにも淡々とアルケイドが言うのが信じられない。
 彼は全部知っていたのだ。自分が処刑されるということも、最初から。
「やはりそうか」
「おじいちゃん、知ってたの?!」
「まさか当日の朝とは知らぬが処刑のことは知っているのではないかと思っておった。前途ある若者がいきなり右も左もわからぬ未来に連れて来られたにしては、アルケイドは終始落ち着いて……落ち着きすぎていたからの」
 祖父の言う通り、思い返せばアルケイドは未来に来ても妙に聞きわけがよく、エコーディアたちの不審な態度を訝ったり責めたりすることがなかった。その大人しさに、エコーディアはもしも自分がこの状況だったらもっとはしゃぐのではないかと、アルケイドの態度を不思議に思ったぐらいだ。だがそれは。
「自分はすぐに死ぬと思ってたから……だから反応が薄かったの?」
「エコーディア、色々なところに連れていってくれたことには感謝している。君のおかげで私は、二度と行くことができないと思っていたサリーナとの思い出の場所にももう一度足を運ぶことができた」
 それだって結局はエコーディアが海に落ちた騒ぎのせいで途中で引きあげてしまったではないか。そんな状況で未来に来て、アルケイドの心を動かすものがそう多くあったとは思えない。
 そして今、彼はまた残されたたった一つのものを、命を失いに過去に帰ろうとしている。
「行っちゃ駄目。アルケイド、だって」
「そういうわけにはいかないよ」
「なんでよ! だって、死ぬために過去に帰るの?! そんなの……」
 エコーディアの目の縁に涙が浮かんでくる。アルケイドはそんな彼女を困ったように小さく微笑みながら見つめて、自分とよく似た癖っ毛の頭に手を置いた。
「……私が過去へ帰ることを決意したのは、君のおかげだよ。エコーディア」
「あたしのせいなの? あたし何かした?」
 すでに半泣き状態で鼻をすすりながら尋ねるエコーディアを、アルケイドは宥めるように撫でる。
「責めているわけじゃない。私が今、こんなにも穏やかな気持ちでいられるのは君のおかげなんだ。本当は少し迷っていた。わざわざ死にに戻らなくても、昔よりずっと穏やかなこの時代で、どこか遠くに逃げてしまえばいいんじゃないかって」
 エコーディアやシャストンの何かを隠したがるような態度から、アルケイドは二人に自分がどんな人生を辿ったのか全て知られているとわかっていた。二人が過去を変えることを望まないことも。
 軍人のアルケイドにとって、非力な老人と少女を出し抜いてこの街から逃げ出すのは簡単だ。まったくそれを考えなかったと言えば嘘になる。
「一応言っておくが、今から別の座標に転送することもできるぞ? 何も牢獄でなくとも、同じ時代の別の場所に送り届けるなどじゃ」
 シャストンがタイムマシンについての説明を添えるが、それでもアルケイドは首を横に振る。彼の気持ちは変わらない。
 後世に残したいものがあるとは、これまでアルケイドは思ったことがなかった。結婚も子どもを持つことも考えず、殺戮兵器の開発者となるくらいなら、何も残さずに消えようと思っていた。けれど。
「エコーディア。君が教えてくれた。例え未来に希望がなくとも、前に進めるのだと」
「! あたし……」
 エコーディアは先程自分が言ったばかりの台詞を思い出した。未来の自分に向かい、諦めたくない、と。
 殺戮兵器の開発を拒否して投獄されたアルケイド。いつかとんでもないものを発明すると言われたエコーディア。生きる道は正反対のように見えるけれど、その根底にあるものは同じだ。自分を押しつぶそうとする大きなものに流されず、最期まで正しいと思うことをすること。
 それが世界に何を残すことがなくても、自分の正しいと思うことを諦めない想いはきっといつか、素晴らしい未来に繋がるから――。
「私は私の戦いを完成させなければならない。そしてエコーディア、君もこれから一生、戦い続けなければならない。これから先、道を間違えないように。――でも、信じていいんだね? 君は戦い続けると」
 自分の技術を世界のために。人を幸せにするために。アルケイドが二百年前に回避した未来が現実にならないように。
 エコーディアは顔を上げた。笑顔をうまく作れないから、悲しみを見せる代わりに御先祖様を睨みつけて強がった。
「あったりまえじゃない! だって、だってあたしは、アルケイド・エンスレイの子孫なんだから……! 自慢の御先祖様の血筋なんだから……!」
「……ありがとう。エコーディア・エンスレイ。君は私の自慢の子孫だよ」
 もはや堪えられずにぼろぼろと大粒の涙を零すエコーディアの額に、アルケイドは親愛のキスを送った。
 エコーディアを信じているからこそ、アルケイドは過去へと帰る。二十八歳で何も残さず処刑される自分の人生は、無駄ではないのだと今なら強がりではなく信じられるから。
「迷いながら、悔みながら、それでも私の歩んだ道の先に君がいる。ならば私はこの世界にとっての過去、私の人生を完成させるために帰ろう。その道の先が君へと続くように」
「アルケイド……」
「シャストン、頼みます」
「……ああ」
 アルケイドはタイムマシンの傍へと歩いていく。電気を流しこむと鮮やかに光が模様を描く、薄い板の上に乗り込んだ。
 強くて優しい御先祖様は、シャストンとも言葉を交わすと、振り返り笑顔でエコーディアに手を振った。
「ありがとう! アルケイド……大好き!」
 あたしの自慢の御先祖様。
 エコーディアの叫んだ声が聞こえたのかどうか――。
 室内を再び白い煙が覆いそれが払われると、その場所には見慣れた祖父と孫娘の姿だけが残されていた。

 ◆◆◆◆◆

「行ってしまったな……」
「……うん」
 静まり返る室内で、祖父と孫は力ない声で沈黙を破る。胸が張り裂けるとはこういう気持ちを言うのだとエコーディアは感じた。想いと言葉が体の中で暴れ回り溢れそうになる。
「あたしたちの御先祖様は、とても素晴らしい人だったね」
「そうじゃな」
 これまでずっと二人で暮らしてきた家の中が、急に広くなったように二人は感じていた。それはエコーディアの両親が亡くなった時ともまた違う寂しさだ。
 アルケイドは行ってしまった。歴史は変わらないとか変えてはいけないとか、そういった言葉では収めようのない気持ちが室内に満ちる。
「……」
 しばらくしてエコーディアはぽつりと言った。
「おじいちゃん」
「なんじゃ、エコー」
「あたしもタイムマシン作る」
 シャストンが目を丸くした。いきなり何を言い出すのかと、孫娘を凝視する。
「それでね、いつか必ず、アルケイドを助けに行くの」
「エコーディア」
「だって、だって、あんな人が殺されるなんておかしいよ。間違ってるよ。歴史を変えるのはいけないことかも知れないけれど……でも……!」
 哀しみを怒りに、そしてやる気に転じて、エコーディアは言葉を紡ぐ。
 シャストンのタイムマシンはまだまだ欠陥品だ。アルケイドを元の時代に帰すことまではできても、いつでも完全に使えるとは限らない。ならば自分がそれを完成させようとエコーディアは思った。そして必ずアルケイドに会いに行くのだ。
「あたしがエンスレイとして誇りに思うのはアルケイドが処刑されて史実に残ったことじゃない。その史実の裏に、あたしが尊敬するアルケイドの姿があったから。そのあたしが御先祖様ばりの才能で素晴らしい科学者になって御先祖様を助けに行くなら、それは許されることなんじゃない? だってそれは、アルケイドがアルケイドだから今のあたしがいるってことだもの!」
 語るうちに明るさを取り戻したエコーディアの瞳は、明日への希望を取り戻している。
 シャストンの不完全なタイムマシンでこの時代にやってきたアルケイドを保護しても、それはただの偶然でしかない。そこには正しさも何もなく、単に運が良い人間が生きて、運が悪ければ死ぬという不条理な事実しかない。しかしアルケイドの人柄を想い、だからこそ彼を救いたいとエコーディアが努力するならば?
 いつか全てに絶望して自殺するという自分の未来を知ったことは、エコーディアにとっては震えるほどに恐ろしい。けれどそれでも、立ち止まることはしない。アルケイドと約束したのだ。戦い続けると。
「それにね……あたし、思うんだ。死んじゃった未来のあたしも、本当は信じたかったんじゃないかな。未来は変えられるって」
 生まれて来たことを、自分の存在そのものを呪いながら死んだ未来のエコーディア。この先の人生でエコーディアが何を作り絶望することになったのかを彼女自身は全部知っていたようなことを言っていたのに、それを今のエコーディアに伝えることはなかった。
 きっと彼女も信じたかったのだ。彼女の時とほんの少し状況を変えることで、違う未来が訪れることもあると。
「だがエコーや、発明を行うには慎重にならなければいかんぞ。そうでなければ、お前にその気がなくともお前の技術を悪用されることがあるかもしれない」
「あ、そっか」
 数日前とは立場が逆転して、今度はシャストンが手段と目的が入れ替わって先走りすぎそうなエコーディアを諌める。未来から来たエコーディアは何かを発明して絶望を知ったのだ。その何かがタイムマシンでないとも限らない。これまでのエコーディアはあくまでも技術者であって発明家ではなかったのだから。
「そうだよね。慎重にならないとね。慎重に……でも、決して諦めないで」
 生きている限り戦い続ける。誰よりも己を見つめる目に力を入れて。例えこの先に何があっても。
 エコーディアは諦めない。自分はアルケイド・エンスレイの子孫だから。
「だから……待っててよね。アルケイド」
 胸の前で祈るように手を組み、口元にはそのポーズとは裏腹に不敵な笑みを浮かべエコーディアは呟いた。
 いつか素晴らしい未来で、きっとあなたに会いに行く。