epilogue 歴史の裏側
時間だ、と男は言った。
その言葉を聞くのが二度目だと、彼は気付いた。
戻ってきた。あの夢のように鮮やかな未来から、彼にとっての現実へと。
「これにでも着替えておけ。人生最後の晴れ舞台だぜ」
数カ月ぶりに水を浴び、言葉と共に渡された服を着る。思い返せばこれらの作業を終えてから未来に渡ったような気がするのだが、これが時間移動のズレというものなのか。少しだけ前の時間に戻されたようだ。
もっとも、借り物とはいえ囚人服を与えられてそれを失くした姿ですごすごと牢内に戻るのは気まずいことこの上ないので、これが一番良いタイミングだったということなのだろう。
再び嵌められた手錠は重い。だが一度目にそれをかけられた時より辛くなかった。武骨な拘束具をまるでアクセサリーでも身に着けるかのように受け入れる。牢番はやけに血色の良い囚人の様子に訝りを見せたが、どうせ数時間後には死ぬ運命だと知っているからだろう。深く追求しては来なかった。
そしてアルケイド・エンスレイはまっすぐに顔を上げる。
恐れるものなど何もない。今なら強がりではなく、そう信じられる。
しかし、結局彼はその足で処刑場の土を踏むことはなかった。
「さぁ、行くぞ――うわっ!」
既視感を誘う光景。以前も聞いたような牢番の叫び。
足元が光ったと思ったら、まるで雷が落ちたかのような轟音が体の芯に響いてきた。ここまでは前回と同じだ。しかしそこから先が違った。
「うわっ! 暗いっ! ちょ、なにこれどこ?!」
騒がしくも元気な少女の声には聞き覚えがある。ありすぎだ。それはつい数分前まで顔を合わせていた、彼の子孫であり未来に生きるはずの少女の声だったのだから。
「……エコーディア?!」
「アルケイド!! 良かった!! 成功したのね!!」
先程別れた時よりもほんの少しだけ大人びた様子の少女が、光の失せた地面に立っている。
「な、なんだ貴様?! いきなりどこから現れた?!」
仰天し銃を取り出そうとする牢番に対する少女の反応は素早かった。懐から取り出したスタンガンを、彼女とも思えない素早さで躊躇いなく牢番の体に押し当てる!
声もなく崩れ落ちる男の反対側で、何故かエコーディアまでへなへなとその場に崩れ落ちた。
「こ、怖かった! 撃たれるかと思ったよう!!」
「エコーディア、君、まさか――」
「ああ! こうしちゃいられないわ! アルケイド!!」
有無を言わさず、質問する暇さえ与えず、少女は立ち上がると彼に手を差し伸べながら強い口調で言い切った。
「あたしはこれまで頑張って生きてきた。だからあなたも、生きるの!!」
薄らと涙さえ浮かぶ緑の瞳を前に、アルケイドはふと微笑んだ。
その表情に安堵したエコーディアがぱっと笑顔を浮かべた瞬間に、彼女の腰に取り付けられていたホルスターから銃を奪い、構える。
「え?」
呆然と目を瞠るエコーディアが事態を理解する前に、彼は鳴り響く警報に駆けつけてきた刑務官たちを奪った銃で撃った。
応戦する間もなく、ばたばたと倒れ伏していく制服姿の男たち。放心状態のエコーディアが反射のように口を開く。
「い、一応その銃は麻酔銃だから」
だから誰も殺していない。先程の牢番にしたところで、スタンガンでは火傷くらいはするだろうが、死ぬことはないだろう。
「わかってるよ、エコーディア。実はこうなる予感はしていた」
アルケイドにとっては未来から現代に戻ってそれこそ数十分しか経過していないが、エコーディアたちの世界では何年が経った後のことなのだろう。彼女はそれこそ死に物狂いの努力を重ねて、今日この日にやって来れるよう、祖父の発明したタイムマシンを改良したに違いない。
こうなることを期待していたわけではない。死を受け入れる覚悟はあった。それが未来を繋ぐものになるのなら、と。
けれどどこかで予感していた。自らの絶望的な死の運命に抗うと口にした子孫の少女が、いくら歴史の上ではすでに過ぎ去ったこととはいえこのまま大人しく彼の死を看過するようなことがあるかと。
生きることは戦いだ。与えられた運命に抗う限り彼らは他でもない己自身と戦い続けなければならない。歴史の改変という罪の裏側、アルケイドの脳裏には自分がここで逃亡し生き延びることが未来にどんな影響を及ぼすかいくつもの可能性が巡った。
それでも。
「――ありがとう、助けに来てくれて」
彼は彼女の手を取り、その指し示す方向に足を向ける。エコーディアは嬉しそうに笑って、脱出経路を説明し始めた。
――やがて歴史書には、戦争協力を拒否して投獄・処刑された一人の青年の名が刻まれる。
捕らえたはずの囚人に逃げられたなどという不名誉な事実を、その当時の国家は記すことはなかった。しかし歴史に記された彼の死は、後に機械都市の名を持つ自治都市を独立させるほどに大きな影響を及ぼす。
どんな絶望を前にしても、人はそこから学び、自らの意志で立ち上がる。
その行動の果てに、きっと素晴らしい未来があると信じて。
了.