桜魔ヶ刻 01

004

 実の兄妹であった両親の、赦されざる恋の果てに生まれた禁忌の子。
 その真実を知ってから、鵠は人と距離を置くようになった。
 村人たちは幼かった彼を責めるようなことはなかった。桜魔との悲惨な戦いの中で両親を失った子どもの性格が変わるのは当たり前だ。それに鵠自身が退魔師として生きていくようになったことで、自然と生活も変わったために村人と顔を合わせる機会や時間帯がこれまでと変わったことも大きかった。
 気が付けば、一人で生きていくようになっていた。
 完全に独りきりというわけではない。道端で知り合いに会えば挨拶もするし、たまに家に戻れば隣人に差し入れをもらうこともある。けれどそれも、鵠が優秀な退魔師だからという理由に負うところが大きい。
 生半な桜魔などでは太刀打ちできない程に凄腕の退魔師。父と、母の血の為せる業。
 一応の拠点はあるものの鵠は依頼に応じて国内のどこにでも赴いた。正式に協会に登録した退魔師ではないから、それだけ多くの依頼を受けなければ食っていけない時期があったということもある。けれどそれ以上に、一つどころに引きこもって毎日同じ景色を見るのに耐えられなかったのだ。
 今でこそ多少落ち着いているものの、一時期はそれこそ狂ったように何でもかんでも依頼を受けて、桜魔を狩り続けていた。あらゆる衝動を殺意に変換し、目についた敵は片っ端から殺していった。そのせいで一度危ない目に遭い、命を落としかけたこともある。
 桜魔は両親の仇だ。でも本当は、理由などいらなかったのかもしれない。ただ、目についたものの中で一番破壊しやすい、破壊することに抵抗のないものがそれだっただけで。
 いつの間にか、花栄国内で「最強の退魔師」と呼ばれるようになっていた。
 だがそれは血塗られた称号である。
 そのように呼ばれるようになったのは、ここ数年の話。子どもの頃、退魔師になりたての時期に一度無茶をして死にかけて、一人の男に助けられてからのことだ。鵠はこれまでのがむしゃらなやり方を反省し、注意深く、真剣に、自分自身の才能を活かすようにして戦うようになった。それからの鵠の退魔師としての実力は劇的に進化した。
 これまでは力押しで自身も幾度となく傷を負いながら倒した相手にも、かすり傷一つ作らせることなく勝てるようになった。父や母の戦いの様子を思いだしその無駄のない動きを思い浮かべ、自身の技をそれに近づけていく。
 鵠と言う人間の中には父母から受け継いだ退魔師としての素養があり、かつて味わった命の危機がそれを刺激し開花させた。母の死の場面にも似た、凄絶な一人の男の戦い。
 かつて少年だった鵠は、なまじ優れた素養を持っている分驕り高ぶるのも早かった。まだまだひよっこと呼ばれる分際で大きな仕事に手を出し、そのせいで死にかけた。
 その頃の鵠は、徒党を組んだ桜魔の手強さなど知らなかったのだ。両手で足りる程度の数の桜魔ならば相手にしたことがある。有象無象の雑魚に勝つのは容易い。そう考え、こちらも名を上げてきた退魔師を相手取るのに数を集め策を練り連携して襲い掛かってくる桜魔の集団を殲滅する仕事を、軽い気持ちで引き受けた。
 結果は惨敗。半分程度を何とか殺したところで、じわじわと蓄積した負担が足枷となり動けなくなったところを狙い打ちされた。
 このまま死ぬのかと初めて味わう恐怖に慄いたところに、その人は現れた。
 血を失いすぎてくらくらとする視界を塞ぐ背中。歴戦の戦士というには若干頼りなく、けれど子どもだった鵠自身とは比べ物にならないくらい頼もしく見える。
 水晶色の、靡くと言うほどの長さもないすっきりと短い髪。敵を射抜く黄金の瞳。
 最期の日の母と同じくまるで舞うように桜魔たちを斬り伏せ、しかし母と違ってその人は堂々と生還した。
 一部の隙も迷いも焦りも見せることなく敵を倒し、落ち着いた表情で鵠の傷の具合を診る。
 助け、られた。
 庇われて、守られた。
 命を救われた。
 それが酷く悔しくて――ほんの少しだけ嬉しくて。
 その男は流れ者の退魔師だった。当時は現在と桜魔の被害については変わりないが、今よりその状況に人々が慣れていないため情報網は整備されていなかった。人々の口に噂として昇りながら、けれど誰も正体を知らないという謎の退魔師。
 すでに生ける伝説であったその青年が、幼かった鵠の命を助けてくれた。
 あまりにも鮮烈で、そして夢のような記憶だ。青年は言葉少なで、鵠を助けたことに関して謝礼を要求するようなこともなければ、若輩とはいえ退魔師として軽率な行動をした鵠を責めることもしなかった。
 彼はただ、金色の瞳で悲しげに鵠を見つめただけだった。彼にはきっとすべてわかっていたのだ。
 あの頃の鵠は、心のどこかで死に場所を探していた。
 父のように母のように、桜魔と戦いその中で死ねるのであればそれで構わないと考えていたのだ。
 どうせ自分は禁忌の子だ。血族が生きていると知っても、決して名乗り出ることは許されない。正式な戸籍がないから退魔師協会に登録すらできないし、もはや無人の家に帰りを待つ人は誰もいない。
 その投げ遣りな気持ちを、鵠の命の恩人はきっと見抜いていたのだろう。鵠はそう考えている。
 言葉もなく傷の手当をしてくれた白い手。数々の桜魔を斬り伏せた修羅の手は、けれど手当のために鵠に触れる時は酷く優しい。伏せた水晶色の睫毛の下から覗く金の眼差し。
 あの人もどこか悲しそうだった。
 さして言葉を交わしたわけでもないけれど、鵠は何故かそう思った。荒事に従事する者とは思えないほど線の細い美しい青年は、恐らく望んで退魔師になったのではないのだろう。恐らく鵠と同じように、それしか生きる術を知らなかったから退魔師になったのだろう青年。
 そして労わるように鵠の頭を最後に一撫でしたその人の衣の裾を握りしめた、彼の子どもらしき小さな少年が――。
「!」
 そこまで記憶が思い至った時、鵠は気だるげに横たわっていた寝台から飛び起きた。
 どうして忘れていたのか。今まで思い出しもしなかったのか。
「あいつ……」
 呆然と床の木目に目を落としながら、鵠は我知らず震える口元を片手で覆った。
 水晶色の髪に金目の退魔師の「息子」だと勝手に思い込んでいたから、今更その造作をわざわざ思い返すこともしなかったのだ。普通、子は親に似るものだから。けれどあの時の二人は違ったのだ。
 宵闇の濃紫の色した髪に、燃える朱金の瞳。
 かつて鵠の命を救ってくれた退魔師、彼が連れていた子どもこそが――神刃。鵠に桜魔王と戦うよう要請を続ける、あの少年だったのだ。

 ◆◆◆◆◆

 悪いが、その話には乗れない。
 そう言って何度、協力を断られただろう。
 今日もまた、話をした退魔師の一人に振られて、神刃は一人山道を歩きながら溜息をついた。
 神刃がこれまでに桜魔王を倒す協力を求めて話をした退魔師は鵠一人ではない。各地で名うての退魔師と噂される人物には全て斡旋所や情報屋を通して目通りを願い、自分と一緒に桜魔王を倒してくれるよう協力を請うた。
 しかし今のところ結果は惨敗だ。神刃の言葉をある者は夢物語だと斬り捨て、ある者は身の程知らずと笑い飛ばした。ある者は英雄願望のある子どもの戯言だと嫌悪を示し、ある者はいずれ痛い目を見ると忠告した。
 誰も神刃の言葉を聞いて、桜魔王を倒すことを真剣に考えてくれる者はいなかった。
 その姿かたちですら定かではないが、各地の桜魔を取りまとめるという桜魔の王。彼を倒せば桜魔たちは少なくとも今のようには大陸中を跋扈できまい。
 しかし人々はもはやその脅威に立ち向かおうとすらせず、ただ緩慢な滅びへの一途を辿っている。人類はいまや滅亡の危機とやらに瀕し、それでも誰も、何もしようとはしない。
 桜魔王は大陸の西に居を構え、その勢力は近年じわじわと増していっている。二十五年前の桜魔王の登場、そして十五年前の、大陸全土を覆った戦乱。それらは緋色の大陸を徐々に闇色に食い潰し、かつて絢爛な栄華を誇った国々はもはや斜陽に翳るばかりだ。
 最初はその存在すら限られた者しか知らなかった桜魔王。彼は十五年前の戦乱時に諸国が混乱した隙をついて、配下の桜魔たちを取りまとめ人々を襲った。重要な街道や通信網が途絶し、生活機構が破壊されることによって、人々は初めて真剣に桜魔への脅威を覚えた。それまでは桜魔という存在は、恐ろしいが気を付けてさえいれば自分が被害に遭うこともない野犬の群れのようなものだったのだ。
 今では桜魔は、人類と対等――それ以上に強大な敵として存在している。
 人に似た姿、思考。けれど彼らはあくまでも人ではなく「魔」なのだ。情けも利潤絡みの駆け引きも存在せず、本能でもって人類を害しにかかる。そのような種と共存できるはずもない。人と桜魔は、どちらかがどちらかを滅ぼしつくすまで戦いを止めることはできない。
 けれどそこまでわかっているのに、誰も桜魔王を倒そうなどという者はいない。
 それぞれの国々の元首たちは軍隊を持っているが、桜魔という妖魔相手にその力は児戯にも等しかった。
 桜魔を倒せるのは、通称「退魔師」と呼ばれる、異能者だけ。
 しかし手を結ぶべき退魔師たちは、それを取りまとめる者がいないために個々でばらばらに活動している。こんな状態で桜魔王を倒せるはずもない。
 それならば国王が直々に退魔師に桜魔王を倒すよう命を下せばいいのではないかと考えるが、そううまくもいかなかった。何故ならばこれほどまでに桜魔が跋扈する時代でなければ退魔師などという異能者は、何の力もない普通の人々からの迫害を受ける立場にあったからだ。
 人は自分と異なる存在を本能的に恐れ、忌み嫌う。天望家のように昔から退魔師の名家として存在するような血統は稀な方で、大概の退魔師は普通の両親から生まれ、その力故に疎外され迫害される。
 だから退魔師の多くは捻くれ者だ。もともと武芸に秀でた者が後に退魔能力に覚醒した場合は別だが、異能の強さ故に早くから退魔師以外の生き物にはなれぬとして生きてきた生粋の退魔師などは、特にその傾向が強い。
 改めて考えてみれば、鵠もその気がある、と神刃は思った。
 鵠。この近辺の街で有名な、かつては最強の戦士の名を欲しいままにした退魔師。今神刃が最も熱心に協力を要請している退魔師が彼だ。
 けれど彼の詳しい素性を誰も知らない。
 もっとも、そんな人間はこのご時世には掃いて捨てるほどいる。退魔師の仕事は引き受けてもそれで有力な人間と繋がりを持とうとすることはなく、人との関わりを避けるように行動する鵠の生き方が、特に珍しいわけではない。
 それでも神刃は、あの鵠という青年に関心を向けずにはいられなかった。
 彼ならば、否、彼こそが、桜魔王を倒すべき存在だ。神刃はそう信じている。他の退魔師の時のように、一度断られたぐらいでは引き下がることはできない。
 桜魔王を倒し、この世界に平穏を取り戻すことは、彼にしかできない。
 その想いは、亡き人の面影を生者に求める自らの愚かしさから生まれるのだとわかっていても。
 神刃は決して、鵠を諦めることができない。
 再び彼と話をしようと思い、山道を辿った。
 前回の邂逅の際、鵠も多少は神刃に興味を持ってくれたようだった。いつも短い、決して友好的ではない言葉ばかり交わす間柄とはいえ、顔を合わせてからそれなりに経っている。もう少し彼と話をして、彼という人間を理解すれば、いつかは首を縦に振ってくれるかもしれない。
 先日、わらび餅を頼んだ茶屋で話をしたことを思い返し、神刃は山桜の傍に佇む一軒の店を目指す。あの店が鵠の気に入りならば、また彼が立ち寄ることがあるかもしれないと思ったのだ。
 だが――。
「あ……」
 そこには店と呼ばれるものなど、すでになくなっていた。
 焦げ臭いにおいはすでに風にまかれ、ただただ乾いた風に煤が運ばれていく。
 燃え尽きた峠の店。人の命の気配はなく、事故や山火事というには見事に人家だけが焼けている。
 崩れ落ちた木造の廃墟の傍で、山桜だけが今日も変わらずに静かに咲いていた。
 神刃は無言で唇を閉ざす。
 あの時食べたわらび餅はおいしかった。そう一言、あの時主人に伝えておけばよかった。もう今はそれを伝えることもできない。
 桜魔は妖術を使う。家を一軒燃やすのなんて簡単だ。街中であればすぐに火消したちが動くだろうが、このような山の中では助けを求める場所もない。人気のない家をあえて桜魔が襲う必要はないから、店主の老人はきっと――。
 身体の脇に下ろした拳を神刃は深く握りこむ。
 早く、早く桜魔王を倒さなければ。少年は、その決意を新たにした。