008
神刃の説得に心を動かされた鵠は、彼と共に桜魔王を倒すことを誓った。
そこで鵠と神刃は、花栄国の首都に近い都市の一つに、一軒の民家を借りた。
本気で協力体制を築くなら日常の訓練から桜魔退治の依頼まで、常に共に行動できるよう一緒に暮らした方いいだろうという話の流れになったのだ。
旅の退魔師たちが何人かで徒党を組むのと同じようなことだ。無策でいきなり桜魔王に突っ込むわけには行かない以上、拠点はあった方がいい。
共に暮らし始めて身の回りを一通り整えた数日後。その日、珍しく朝起きて来ない神刃を、鵠は起こしにやってきた。
襖を開くと、暗い部屋の中に横たわる人影。
布団にはいつも通りの神刃と、隣に髪の長い見知らぬ少女。
ふー、と鵠はこれみよがしに溜息を吐き出した。
人の気配に気づいたのか、神刃がくぐもった声を上げながら目を覚ます。
「ん……」
「神刃」
「んみゅ……くぐいさん?」
半分以上眠気まなこの神刃に、鵠は冷静に告げた。
「お前も若い。それは否定しないが、そういうことは、できる限り俺……と言うか、同居人にバレないようやるのが礼儀というものだ」
「一体何の話……って、おわぁ!」
はっきりと覚醒した神刃が隣に横たわっている少女を見て奇声を上げる。
「ちょ、朱莉(しゅり)様?! いつの間に! と言うかなんでこんなところにいるんですか!」
「んー、騒がしいですわよ神刃様……こんな真夜中に……」
「もう朝です――!! って、そうじゃなくて! ああ、鵠さん?! 待ってください! 違うんです! 誤解なんです!」
「あら? あの方あなたの恋人だったんですの? これは失礼なことをしてしまったかしら」
すでに背中を見せている鵠に対して必死で弁明する様子の神刃に、少女は呑気ながら、神刃にとっては不穏な言葉をかける。
「そっちの誤解じゃない! というかその判断もおかしいでしょう?! 朱莉様、これ以上話をややこしくしないでください――!!」
少年の叫びが早朝の屋敷にこだました。
救世の道は前途多難。想像よりも遥か遠いようである。
◆◆◆◆◆
「それでは改めまして御挨拶を。私、神刃様の知人で退魔師の嶺朱莉(れいしゅり)と申します。最強の退魔師として御高名な鵠様にお目にかかれるとは恐悦至極」
なんとか誤解を解き、仕切り直して応接間。鵠の正面に神刃と問題の少女が並んで座る。
「……天望鵠だ」
朱莉が苗字を名乗ったので、鵠も人前では滅多に口にしないそれを名乗った。朱莉は気にした様子もなくにこにことしている。
だが、そのにこやかで親しげな様子はただの仮面だ。鵠は対面してすぐにそれに気づいた。
――この少女は只者ではない。
普通の人間とは気配が違う。退魔師としての実力も恐らく神刃より上だろう。
二人がお互いに「様」付けで呼び合っていることも、どうにも因縁を感じさせる。呼び方は丁寧だが、態度と言うか扱いは雑だ。
鵠自身、久方ぶりに他人との付き合いというものを再開し、自分がどのような態度をとればいいか計りかねている部分がある。同年代や異性ならまだしも、相手は自分より十も幼い少年である。
そして神刃とはまた別の意味で、この朱莉という少女は扱いづらく感じる。
「もったいぶった言い回しは好かない。用件があるなら、単刀直入に頼む」
「では、御言葉に甘えまして――桜魔王討伐に手を貸して下さるそうですね」
ピン、と空気が張り詰めた。
「そうだ」
「ありがとうございます。私は神刃様の同盟者です。これまで表向きは彼が、水面下では私が動いて参りましたが、鵠様の御協力が得られるとなると心強い」
「……」
鵠は沈黙する。
神刃は苦い顔をしている。聞かずとも朱莉の扱いに手を焼いている様子が伝わってくるようだ。
一体、この二人はどういう関係なのか。
同じ年頃の男女だというのに、どうやら恋人同士ではないらしい。ではただの友人かと思えば、それも何か違う気がする。髪と目の色は似ているが、姉弟や家族というわけでもないと言う。
「これまでの神刃の様子だと他に仲間がいるようではなかったが……」
「主に私の事情です。それに私と神刃様は目的こそ同じくしていますが、はっきり言って仲が悪いので真の意味で仲間とは言えません。せいぜい利益関係での同盟がいいところですね。ですから神刃様にとって初めての仲間はあなたなのです」
「……」
鵠は再び沈黙した。
本当に一体、この二人はどういう関係なのか。
神刃自身が鵠に嘘を吐いたり隠し事をすることは少ないが、特に必要を感じなかったので黙っていたということはこの分ではまだまだありそうだ。
「……朱莉様の他にも、俺には何人か協力者がいます」
「……まぁ、当然だろう。むしろお前みたいなガキが孤軍奮闘で桜魔を倒そうとしていたら無謀過ぎる」
「協力者に関する話は、おいおい語っていくことにしましょう。多分今聞いても余計に話がややこしくなると思いますので」
複雑な事情があることは理解できる。鵠を仲間に引き入れることに必死だった様子からも、戦力増強が必要なのは事実だろう。
しかし、それらを割り引いて考えても目の前の少女はどこかが、何かがおかしいと鵠の感覚に訴えるものがあるのだ。それが神刃が彼女の存在を鵠に隠していた理由なのかもしれない。
「まずはお互いの実力をしっかり把握するためにも、協力して桜魔退治を幾度かしませんか?」
「……そうだな」
普通の人間――否、「普通」などというわかりやすい人間は存在しないか。誰にだって事情がある。どんなに平穏無事に日常を送っている人間だって。
それでも鵠が今、神刃や朱莉のことを知るには、実際に共に戦ってみることが一番だろう。
三人は全員退魔師。なんだかんだ言っても、戦うことが最も早く相手を理解する手段なのである。
平和にゆっくり相手を知っていく時間などと言うものはない。こうしている間にも、大陸は蔓延る桜魔の脅威に晒されているのだ。
「俺もここ数年、戦ってはいたが本気で腕を上げようと鍛えてはいなかった。修行がてらいくつか依頼をこなすのがいいだろう」
神刃が驚いた顔になる。
「鍛えてなかったって……鵠さん、あの強さでですか?!」
「当たり前だ。あの程度の退魔師が最強なんて呼ばれてたら、大陸はとっくに滅んでる」
鵠は半ばムキになって言い放った。
ここ数年、修行をサボっていたことをバラした気まずさも、それでも強さを褒められた照れくささもある。
「ふふふ。心強いことですわね。では、戦いながら最強当時の勘を取り戻していただくことにしましょう」
ころころと笑った朱莉は、続けて何やら不穏な話を口にした。
「ちょうど良い事件もあることですし」
「ちょうど良い? 最近は街人たちの口に昇るような大規模襲撃もなかったと思うが」
「はい。けれど内容が内容なので、できれば早期の解決を目指したいと思うのです。その分報酬は期待しないで頂きたいんですが……」
「つまり、あんたはその噂にそれだけ先の危険性を見ているということか」
朱莉はわからないが、鵠だけではなく神刃も退魔師業で日銭を稼いでいるはずだ。その彼らを前にして、報酬がなくてもやらなければいけないと彼女は言う。
ならばその噂は恐らく、まだ退魔師への依頼として顕在化した問題ではないのだ。それでいて、朱莉はその件を放置しておけばいずれ厄介になると危惧したことになる。
彼女は報酬のための依頼ではなく、いずれ降りかかる危機を避けるために先手を打つ判断をしたのだ。朱莉が余程のお人好しでもない限り、どうにも面倒なことになりそうな案件である。
「お二方は、こんな噂を知りませんか?」
誰もが桜魔の襲撃で家族や親しい者を亡くすのがもはや当然のようになっている時代で、最も人々の心を揺さぶる誘惑を彼女は口にした。
「――“死者が、帰って来る”」