桜魔ヶ刻 02

009

「まずは、基本の情報収集と行くか」
 鵠たち三人は、朱莉が持ってきた噂“蘇る死者”の詳細を知るために街に出た。
 彼らが拠点として選んだのは、花栄国の首都ではない大き目の都市の一つだ。ここから首都へも退魔師の身体能力なら半日足らずで行ける距離だが、さすがに国王の御膝元は避けた。
 桜魔王の討伐を目指すとはいえ、今からそう目立つ訳には行かない。力を蓄え、確実に倒せるとなった時に打って出る。
 そのためには普通の退魔師として桜魔との戦闘で鍛錬を積む必要もあるだろう。今回のこともその一環である。
 昼の街中は桜魔の注意を引かないようどこか抑えた気配ながらも、やはり人の多い場所だけあって活気があった。
 最近は大きな襲撃がないため、この近辺は比較的平和な空気だということもある。
 三人揃って動き回るのは少し面倒だと鵠が考えたところで、朱莉の方から別行動を申し出た。
「私はちょっと別の手段で情報を集めてきますので、街の人たちへの聞き込みはお二人にお任せします」
「別の手段?」
 朱莉は意味深に笑うだけで去っていく。大した打ち合わせもなしにそう言うということは、彼女は余程特殊な伝手でも持っているのだろうか。ただの聞き込みや情報屋から話を聞く程度のやり方とは思えない。
「朱莉様はあれでいいんです。今説明すると長くなりますし、あの方の能力をご紹介するなら人目のない夜の方がいいと思います」
「そんなに珍しい力なのか」
「ええ」
「……わかった。なら細かい話は後回しだ。俺たちも情報収集に出よう」
「はい」
 ひとまず朱莉のことは置いておいて、鵠と神刃は連れだって行動することにした。
 一通り街をぶらついて異変がないか確認した後、二人は一軒の定食屋に入る。
「朱莉様の情報によると、噂が出回ってるのはこの地区だそうです」
 店の中は適度に混んでいてざわついていた。自然な会話を装いながら話し出す。
「……確かこの辺は、三か月くらい前に襲撃を受けて壊滅的な被害を受けた地域だったな」
「……ええ」
 これまで歩いてきた街中やこの定食屋の素朴な店内を行き過ぎる人々の顔は、一見何ら変わりない日常を取り戻したように見える。
 けれどそうではないことを改めて知り、神刃が顔を曇らせた。
「その頃は確か、たまたまこの地区に手練れの退魔師がおらず桜魔の侵攻を抑えきれなかったと」
「王都の退魔師協会の不手際だなんだとも言われているが、桜魔に上手を行かれたな」
「俺も、あの時はかなり遠く離れた街にいました」
 一人の人間にできることには限りがある。ましてや、その場にいなかった者に何が出来ると言うのか。だが被害にあった人間にとっては運が悪いでは済まない。
 その辺りはもはや考えないようにしろと自分にも神刃にも言い聞かせながら、鵠は今目の前の事件に集中しろと話を進める。
「それにしても被害がでかかったな」
「……退魔師協会の方でも今後同じことが起こらないよう対策を練っているらしいんですが……あの」
「なんだ?」
「鵠さんは、何かこの件に関してご意見はありますか? 俺はその、退魔師の数を増やすくらいしか思いつかないんですけど」
 できるなら教えを乞いたいという顔の神刃に、鵠は説明してやる。
「退魔師の数を増やすのは大前提だが、それだけじゃ駄目だ」
「どうしてですか?」
「三か月前の侵攻時、街に退魔師が少なかった。それは何故だと思う?」
「え?」
「質問を変えようか。あの時、俺は街にいなかった。お前は何故街を空けていた?」
「それは、他の地域での依頼を受けに――って、まさか……」
「そのまさかだ。この街の退魔師の数が足りなくなったのは、他の地域の桜魔退治に退魔師をとられたからだ」
「それを見計らったように……いえ、見計らって桜魔が侵攻してきたんですね? じゃあ、最初から計画的な……」
「だろうな。これが、桜魔王――統率者のいる集団の厄介なところだ」
 これまで個々で散発的に襲ってきていた桜魔が徒党を組み、頭を使って人間側の対策を切り崩しにくる。
「恐らく人間型の桜魔があらかじめ情報収集をしていたんだろう。手練れを遠方に分散させるように、わざとあちこちで被害を起こしたんだ」
 他に手練れの退魔師が残っていれば良かったのだが、数が足りなくなった。逆に街に戦力を集中していれば、見捨てられた辺境を襲撃するという作戦だろう。
「まんまと釣られたわけだ。俺も、お前も」
「……!」
「そして俺たちが倒さなきゃいけない相手は、そういう奴らなんだ。雑魚を殴って終わりじゃない。相手の出方を読む必要がある」
「だから、情報収集や作戦が大事なんですね」
「ああ」
 その後は口にしにくいが、二人とも同じことを考えている。
 作戦や情報も大事だが、それ以上に協力者を募る必要があると。やはり、戦力の増強は必要だ。最初から完全な防備を敷くにも、相手の作戦に対応するにも、とにかく人手がいる。
 だがそれは特殊な事情を抱えた人間にとっては諸刃の剣でもある。
「鵠さん、あの――」
「しっ」
 神刃が意を決して口を開こうとしたところで、鵠が周囲の話声に気づいて口を閉じるよう促した。
 ちょうど鵠の真後ろの席で、男が二人話し始めたのだ。
「聞いたか? あの噂?」
「噂? ああ、確か……死人が帰って来るとかいう……ただの噂だろ?」
「それが、そうでもないらしい……」
 鵠と神刃は注文の品に手を付ける振りをして聞き耳を澄ます。
「はずれにある屋敷の夫婦、三か月前に子どもを亡くしていただろう」
「ああ」
「……帰ってきたんだとよ」
 男の声が一層潜まる。鵠たちも周囲のざわめきの中からその声を拾うよう、より一層集中した。
「なんだって?」
「しっ」
「だって、ありえないだろうが」
「そうとも言えねぇ。あすこは柵から家の中が見られるだろう? 庭で子どもを遊ばせるのが見えたんだってさ」
「……人違いじゃないか? 親戚が来てたとか余所からもらったとか、色々あるだろ」
「俺もそうは思うが……」
 ぼそぼそと男たちの話は続く。しかし二人の注文の料理が来ると、話題は彼らの仕事上の愚痴に移ってしまった。
 これ以上聞いていても無駄だろうと判断し、鵠が軽く手を振って自分も料理に箸をつけ始める。
「鵠さん……」
「はずれの屋敷というと、あれか」
 鵠はすぐに頭の中に街の地図を描く。一通り歩いてみた甲斐があると言うものだ。すぐにその場所はわかった。
「とりあえず、これを食い終ったら行ってみるか」

 ◆◆◆◆◆

 聞いた噂の通り、区画のはずれにある屋敷へ行ってみると、庭で子どもが毬を突いて遊んでいた。
 縁側から母親らしき人物がそれをにこにこと見守っている。
 塀の隙間からこっそりとその様子を見た神刃は、眉を顰めて鵠の方を見遣る。
「鵠さん、あの子……」
「ああ、桜魔だな」
 直にこの目で見た二人にとっては、もう間違いない。あの子どもは桜魔だ。
 見た目はかなり人間に近い。あるいはこの角度からそれらしい特徴がわからないだけかもしれない。しかし、放つ妖力は誤魔化しようがなかった。
「でも、人に危害を加えようとしているようには見えませんね。もしかして、本当にあの家の子で親元に帰りたかったとか……」
「神刃」
 穏やかな風景に心乱されそうになる神刃に、鵠はあえて冷たい声を出して釘を刺す。
「間違えるなよ。桜魔は決して、幽霊でも生前の人間の人格をそのまま遺した存在でもない」
 あれは魔なのだ。間違いなく人に仇なす。ただ家族のところに帰りたかった可哀想な死者などではない。
「……そうですね」
 神刃も頷き、自分に言い聞かせるように呟いた。
「桜魔は全て、殺さないと」

 鵠は屋敷を尋ねた。呼び鈴を鳴らせば、応対に顔を出したのは先程縁側で子どもの桜魔を見つめていた女性である。
「どなたかしら?」
「退魔師の鵠と申します――」