010
「それで、門前払いをくらったわけですか」
「ああ」
「はい」
朱莉が戻り、全員が『家』に揃った。早速情報交換と行きたいが、鵠と神刃の成果は定かではない。
「まぁ、現在桜魔が現れている場所がわかっただけで十分ではないですか? その夫婦の理解を得られずとも、『大本』を倒せば末端の『兵隊』を潰せるでしょうし」
「大本?」
「兵隊?」
あの後、半狂乱の屋敷の住人に追い出された鵠と神刃の成果はそこで終わった。結局他の噂には辿り着けなかったのだ。しかし朱莉は、別の伝手でもう少し情報を仕入れてきたらしい。
「はい。私が聞いた話に寄れば、今回の『蘇る死者』事件は、一匹の桜魔によるものらしいのです」
「死者が帰ってきたという話は一件や二件じゃないが」
「操っている親玉がいるそうなんです。ですからその親玉を叩けば兵隊も消滅します」
朱莉の話をまとめるとこういうことだった。
三か月前の襲撃で多くの被害者が出た。大多数はすでに細々と隠れ暮らす日常を取り戻しているが、一部にはまだ襲撃の被害を受け止めきれない者たちもいた。
今日鵠と神刃が訪れた屋敷の夫婦など最たるものだ。喪った子どもの面影を求めて悲しみ続けていた。
そこに、この一月程で、死者が帰って来るという噂が流れ始めた。
ある日突然、亡くした筈の家族が生前の姿そのままで戻ってくるのだという。
噂はひっそりと、しかし確実に広まっていった。死者を取り戻したくて、墓地で名を呼び探し回る者の姿さえあったと聞く。
「けれどそれは」
「桜魔の罠か」
「ええ」
元来桜魔は桜の魔力と瘴気、そして死霊の怨念から成る存在だ。
生者のように肉体を持って生きながら、彼らの存在そのものは死に近い。
ここまで聞いて鵠は話の行方に見当がついた。
「もしかして、肉体に憑りついて動かしている……?」
「その通りです」
襲撃で死した者の亡骸を利用して、桜魔は人々の懐に入り込んでいるのだ。醜悪なやり口に三人の表情が重くなった。
神刃は朱莉に尋ねる。
「――それで、蘇った死者は、結局その後、何をするんです?」
「特に何も。例えば子どもの姿をした桜魔なら、無邪気に遊ぶだけ。けれど一緒にいる家族は日に日にやつれていくそうです」
「生気を吸っているわけか」
「でしょう」
他の桜魔たちのように人間と見れば襲い掛かってくるわけではないらしい。だが完全に人に害をなさぬ訳ではない。
「……だが、蘇る死者を求める者が減らないということは、その件で新たな死者は出ていないということか」
「そのようですね」
死んだ家族が帰って来たのと入れ替わりに死んだとなれば、さすがにそう言った噂になるだろう。ただでさえ襲撃の後で桜魔関連の情報に敏感になっているはずの人々の間でそう言う話が回っていないということは、まだこの件で桜魔に殺された者はいないということになる。
「さて、ここまでが基本情報。ここからが肝心な話です」
朱莉が表情を引き締める。
「桜魔の『兵隊』には、糸がついているそうです。からくりの操り糸が」
「つまり末端から辿ることで親玉の居場所を知ることができるってわけか」
「ええ」
退魔師としての経験は年嵩の鵠に長がある。朱莉の言葉に察しよく頷いて、鵠は先を促した。
「だとしたら」
「あなた方の調査も無駄ではないようです。その屋敷の桜魔を探って、大本の親玉を見つけ出しましょう」
◆◆◆◆◆
鵠たちは屋敷の監視を始めた。あの家の住人には理解を得られなかったが、だからと言って彼らが被害に遭うのを見過ごすわけにも行かない。
区画の外れに建つ屋敷なので、周辺から監視できそうな場所はいくらでもある。彼らは屋敷の玄関と裏手の庭、二つの場所からの監視を決めた。
玄関先は神刃が、裏手は鵠と朱莉の二人が見張っている。
何か起こる可能性が高いのは昼間に子ども姿の桜魔が遊んでいた庭の方だろう。そこからであれば家の内部の様子も少しだけ窺える。そう考えて玄関は神刃一人に任せ、裏を二人が担当することにしたのだ。
「静かなもんですねぇ」
「そうだな」
人々は息を潜めている。
屋敷に動きはない。僅かな虫の声すら届かない。しんと夜の闇だけが存在を主張する。
「……なぁ、お嬢」
「なんですか? 鵠様」
「あんたは一体何者だ?」
朱莉は不思議な少女だ。鵠は最初から違和感を覚えていた。神刃がいないこの機にと思い切って尋ねてみる。
「その気配。神刃との関係。俺に簡単には見せられないという能力」
「どれも説明すると長くなりますので、機を見て順番に……と、行きたいところですが、実は鵠様の疑問の一つ目と二つ目は関係していますの」
「あんたの素性が、神刃と関係するってのか?」
「そうです。ちなみに私の能力に関しては単に珍しいので説明が必要というだけで、あなた様ならすでに御存知かもしれません。……でも今は、先に神刃様との関係について軽くお話ししましょうか」
仲が悪いと言い切ったのに、何故彼女は神刃と共にいるのだろうか。
鵠には不思議でならない。口では因縁があると言いながら、朱莉も神刃もお互いを心から憎んでいる感じではないのだ。
「私が神刃様と出会った頃、すでに彼は桜魔王討伐に向けて動き出していました。と言っても、今以上に何ができたわけでもないんですけれどね」
二年前のことです、と朱莉は言った。
大して歳が変わらぬように見えるが、これでも朱莉は神刃より二歳年上だという。現在は朱莉が十七歳、神刃が十五歳。
二年前なら、朱莉は十五歳。神刃に至ってはまだ十三歳だ。
「私はとある依頼を通じて神刃様と出会いました。正直に言って、第一印象は良くありませんでしたね。私たちはある意見の相違から対立関係にありましたので」
「対立関係?」
朱莉はそれに関しては、今は話したくないと言った様子で首を横に振る。
「ただ、最終的には神刃様のこの桜魔ヶ刻時代を終わらせたいという願いを私も知るところとなりました。神刃様自身は気に入りませんが、桜魔に怯えるこの時代を終わらせたいという願いには共感するものもあります。だから、手伝うことにしたのです」
かなり端折った説明だ。後半だけならそれこそ鵠と神刃の間でさえそう説明できてしまう。
神刃は桜魔王を倒し平和を取り戻すという願いに対し、愚直な程に一途だ。だからこそ手を貸してやりたくなる。
「大雑把にまとめるとこんなところですわね」
「……」
朱莉と神刃の関係は、何らかの蟠りを抱えている。それでも彼女が神刃の目的に協力してやろうと考えていることもまた、確かなようだ。
「あなたが神刃様に協力してくださって、これで私も一安心というものです」
そして彼女は言った。
「神刃様にとって――本当の味方はあなた様だけでしょうから」
いつの間にか大仰なまでに話が進んでいないか。確かに桜魔王討伐に協力するとは決めたが、そんな神刃の人生全てを背負うような決断をした覚えはない。
何より神刃自身が、彼の本音を全て鵠に明かしてはいない。
それなのに朱莉の言い方は、まるで鵠が永続的に彼の味方をするかのようだ。
別に裏切るつもりがあるわけではないが、そんな妄信されても困る。鵠だとて間違っても自分ができた大人などと思ったことはない。
「待て、俺はそんな大層な――」
「鵠さん!」
しかし、鵠がそれを朱莉に伝えるだけの時間は与えられなかった。朱莉が表情を引き締める。
「来たか!」
鵠もさっと意識を目前の桜魔に関することに切り替えた。
闇の中で、桜魔の人形が動き出している。
◆◆◆◆◆
「どうしたの? ぼうや」
夫婦は子どもに手を引かれて庭へと降りた。
真夜中だ。どうしてこんな時間に。
手を引く子どもの腕は氷のように冷たい。その冷たさにぞくりとする。
死体が見つからなかったから、生きているという希望を捨てたくはなかった。
やっと帰ってきたのだ。もう二度と失いたくない。
けれど今日の子どもは様子が違った。
庭先に降りる。夜の気配をいつもと違うように感じる。
暗闇で影が動いた。
化け物が口を開く。ぼうやは化け物ににこりと笑って近づいた。
お宅のお子さんは桜魔です、などと言って、昼間突然不躾に尋ねてきた男のことを思い返す。
あの時は何を馬鹿なと男を追い返したのだ。けれど、これは、今目の前にいるものは――。
二人は悲鳴を上げた。