桜魔ヶ刻 02

011

 子ども姿の桜魔が本性を現す。悲鳴を聞きつけて、三人はすぐに屋敷の庭先に駆け付けた。
 しかし武器を手に取って構えたのは鵠と神刃の二人だけで、朱莉は一人ひらひらと手を振って彼らを見送る体勢に入った。
「お二方とも頑張ってくださいませ~」
「ってお嬢! あんたはどうした?!」
「私の能力はここでは少し目立ち過ぎますので、今回は静観させていただきます」
「……」
 静観というよりただの傍観じゃないのか? とはいえ今回の桜魔は、鵠と神刃がいてその上更に朱莉の手助けを必要とするような強敵にも思えなかった。鵠はそのまま戦闘態勢に入る。
 庭先にはずらりと赤い子どもたちがならんでいる。
 鵠は顔を顰め、神刃も眉間にしわを寄せた。
 屋敷の夫婦の死んだ子どもに扮していた桜魔は今その「皮」を脱ぎ捨て、桜魔としての本性を現している。
 着ぐるみのように被っていた人の皮を脱ぎ捨てた桜魔は血に似たどろどろとした液体を表皮から垂れ流す肉の塊だ。
 それが、鵠と神刃の姿を目にしてニィと笑う。
「神刃! 屋敷の人間を!」
「はい!」
 鵠は自分が前に出て、神刃には援護を頼む。この状況では若夫婦や使用人と言った人間を守る者も必要だ。
「一、二、三……全部で九体のようですわね」
 朱莉が血塗られた人形の数を数える。子どもの姿をした傀儡の兵隊たちは、皆、似たような薄気味悪い表情で笑う。
「一匹残しておいた方がいいか?」
「いえ、大丈夫です。全て倒してしまっても、もう私の能力で本体を追えます」
 朱莉の能力はまだわからないが、情報収集といい敵の追跡といい、随分と多芸なようだ。
 それなら遠慮はいらないとばかりに、鵠は桜魔を倒すことに集中する。
 さすがにあれを直接殴ることは遠慮したいと、携えてきた刀を引き抜く。
 人形が襲いかかってきた。
 思ったよりも俊敏で、こちらに斬りかかろうとする爪のような形状の武器は鋭い。
 だが所詮は雑魚。鵠の敵ではない。
 飛び掛かってきた二匹をあっさりと斬り捨て、自分から群れの中に踏み込む。
 桜魔の方も鵠の強さを理解したらしく、残り七匹が連携してくる。だがそれも鵠相手ではあまりにも稚拙な行動だった。
 一匹、また一匹と屠られていく。
 赤子程の子どもの首がごろりと転がり、血と肉が崩れ落ちて桜の花弁へと変わり夜風に流されていく。
 総てを屠り終えた時、そこにはもう最後の屍以外全てが消えていた。
 最初の桜魔が着ていた子どもの皮の「着ぐるみ」だけが無残に地に打ち捨てられている。
「強い……」
 神刃の口から感嘆の息が漏れる。
 傀儡を使役する桜魔はそれ程強くないことが多いが、九対一で力も速さも一歩も劣らず叩きのめした鵠の強さはやはり別格だ。
 神刃ならばもう少し手間取っただろう。一匹を処理する間に他の人形の攻撃を地味にちくちく食らい続けたはずだ。
 しかし鵠は、桜魔の攻撃を全て躱した。後ろに目がついているのかと思う体捌きで、危なげなく全ての攻撃を躱して一撃で急所を切り裂き続けた。
 鵠は平然としている。
 朱莉は最後の確認のためか、しゃがみ込んで桜魔の痕跡を探るようだった。この人形を倒しただけでは「蘇る死者」の噂は消えない。人形を操っていた本体の桜魔を倒さないと。
 しかしその時、悲鳴が上がった。
「いやぁああああ!!」
 若夫婦の奥方が、半狂乱で叫ぶ。
「どうして! どうしてよぉ!」
「落ち着け!」
「やっと、やっとあの子が帰ってきたっていうのに! なんてことをしてくれるの!」
 婦人に詰め寄られた鵠は、冷めた目で彼女を見つめた。
 こんな理不尽な責めには慣れている。
 鵠たちが桜魔を倒さねばこの屋敷の人間は全員間違いなく死んでいたはずだが、そんなことはどうでもいいのだろう。死者に縋る程正気を失った人間とはそういうものだ。
「あの子を返して! 返してよ!」
 震える拳で胸を叩かれて、そろそろ引きはがすべきかと鵠が腕をあげかけたその時だ。
「いい加減にしてください」
 ぴしゃりと氷のような声を投げかけたのは神刃だった。
「ちゃんと、現実を認識してください。あなた方のお子さんは、もう死んだんです!」
「神刃」
 これまで鵠が見たことのない表情で、神刃は屋敷の夫婦に怒りをぶつける。
「子どもの死から目を逸らして、桜魔なんかにつけこまれて……あなた方がそんなんじゃ、どちらにしろ死んだ子は救われない!」
「神刃!」
 さすがにこれ以上はまずいと鵠は制止の叫びを上げるが、神刃の舌も止まらない。
「子どもはあなた方に幻想を見せるための道具じゃない! 両親がちゃんと死を弔ってあげなくてどうするんですか!」
「あ、ああ……」
 神刃の強い言葉に衝撃を受けたか、ついに婦人が泣き崩れる。
「おまえ……」
 夫が駆けつけて彼女を抱き寄せた。
「戻るぞ、神刃」
「鵠さん」
「俺たちはあいつの本体を追わねばならん」
 まだ戦いは終わっていない。
「邪魔したな」
 踵を返す鵠の背に、妻を抱きかかえたままの夫の声がかけられる。
「礼は言いますまい、退魔師の方々」
「気にするな。と、言っても無理だろうが、こちらにも事情がある。命を救ってやったんだからそれで勘弁しろ」
 礼を言われたいわけでも、感謝をされたいわけでもない。そもそも鵠たちが勝手にやったことで、これは不法侵入だ。今はもう法に則る機関さえまともに機能していないが、世が世なら犯罪と言われても仕方ない。
「命を救えばなんでもしていいということなら、我々の意志はどうなるのです」
 妻のようにはっきりとした物言いではないが、夫の方も鵠たちの行動に不満があるようだ。
「あの子が戻ってくるのなら、我々は、自分の命など……」
 鵠は溜息をつきながら振り返る。
「だから危険な桜魔を放置しろってのか? 自分の子が帰ってこないなら、お前らは他人の子がその桜魔に食われる可能性も見過ごせと言うんだな」
「……」
「桜魔に関わることでなければ好きにしろ。だがこれは、退魔師の領域だ」
 他人の人生や価値観に文句を言っても仕方がない。
 破滅的な思考になるのも無理はない悲惨な時代だ。
 彼らが勝手にするように、こちらも勝手にするだけだ。
「鵠様」
 いつもと同じ笑顔の朱莉が指をすっと上げる。
 いつもと同じはずなのに、どこか寂しそうな顔だと思うのは鵠がそう思っているからなのか。
「桜魔の本体はあちらです」
「そうか」
 朱莉の能力で突き止めた先では、今度はこの桜魔の本体と戦わねばならない。そこでまた鵠たちは何匹もの傀儡を切り払うのだ。かつて人であったものから剥ぎ取られた皮ごと。
 この家に帰って来たのはあくまで桜魔の兵隊であって、殺された子どもの皮を被っただけのただの人形だった。
 それを息子が帰ってきたと受け入れてしまうのであれば、神刃の言うとおり、死んだ子ども本人の救いはどうなるのか。
 桜魔は桜魔、死者は死者。死んだ人間は蘇らない。だから人は、人を殺す桜魔を憎むべきなのだ。
 庭先で崩れ落ちた夫婦二人を最後にちらりと一瞥した鵠を、朱莉が促す。
「行きましょう。我々の戦いへ」