012
別の場所で傀儡を操っていた桜魔を倒し、花栄国を一時期騒がせた「蘇る死者」事件は収束した。
もう死者が帰ることはない。死者が帰ってきて喜んでいた者たちは一時期狂わんばかりに嘆いたというが……。
「それでも、きっと徐々に立ち直っていくでしょう」
「そうか」
人はそんなに弱くない。
弱さにしがみつく理由を作っては駄目だ。
「で、お嬢」
鵠は朱莉に話しかける。
「何故俺たちはわざわざこんな小洒落た茶屋で二人きりで話さねばならないんだ……?」
普段使う定食屋ではない。内装といい品目といい如何にも若い娘が好みそうな甘味処で、鵠は朱莉と向かい合っていた。
「あら、お気に召しませんでした? せっかく神刃様から鵠様は甘味がお好きだと聞き出して選んだ店なのですけれど」
確かにここの練りきりは絶品だ。味だけでなく見た目でも楽しませてくれる菓子など物資不足のこの世の中でケチをつけては罰があたるだろう。
だがしかし。
「鵠様も、色々聞きたいことがあったのではありません?」
「……」
楊枝を不満げに噛みながら、鵠は朱莉を睨み付ける。
「話せと言うのは簡単だが、今俺が聞けば、あんたは誤魔化すのだろう」
「おや、何故ですの?」
「神刃がそれを望んでいないからだ」
桜魔になって子どもが帰ってきたと言う夫婦に神刃が投げた冷たい言葉。
あれは彼自身の両親という存在への蟠りを示しているのではないか?
――鵠は、神刃について何も知らない。
「神刃の養い親は退魔師の火陵という男だ。俺はてっきり、神刃の奴は本当の両親を知らないんだと思っていたが……」
「へぇ。あなたは、神刃様の義父について御存知なのですか。私はそちらに関しては存じませんでした。私が知っているのは……」
鵠だけでなく、朱莉も語尾を濁す。しかし鵠と違って、彼女は言葉の続きを探しているようだった。
「鵠様が考えたこと、半分は当たっています。神刃様は自分の御両親の名や、彼らがどういう立場であったかなど、そういう知識は持っているんです。けれど両親に育てられたわけではないので、その人柄について本当の意味では知りません。そういう意味では、あの人は自分の両親について知らないとも言える」
「複雑そうだな」
「ええ。私の知る限り、一番複雑な生い立ちの人間ですね」
「あんたは?」
「私ですか? 私の生い立ちはとても普通ですよ。自分で言うのもなんですが、とても恵まれた人生を送って来ました。それでも今こうなっているのは、私自身が選んだ結果です」
鵠は声を潜めて尋ねた。
「あんたは……桜魔だな」
ざっと風が吹き、店の中に何処からか桜の花びらを吹き込む。
とても美しく不吉な花を。
「それもまた半分は外れ、半分は正解ですね」
優雅な仕草で湯呑を傾け、彼女は告げる。
「私は桜人(おうじん)。人間が生きながらに桜魔の組成を取り込むことで変化する妖です」
「桜人だと……?」
鵠の知識の中にその言葉は一応あった。だが現物は初めて見る。
桜人は人間が自ら望むことで妖となった存在だという。桜魔のように心まで死者の妄執から生まれるのではなく、人間が自分の意志を持ったまま妖に変化する。
「私が桜人に変化したのは二年前です。そこから体が成長していません。不老不死の身となりました。私はそれを望んで桜人になったのです」
「あんたと神刃は二歳差だったな……なるほど、同じくらいの年齢に見えたのはこちらの勘違いじゃなかった訳か」
二年前に桜人になって以来身体的に成長していないなら、朱莉の外見は十五歳ということになる。現在十五歳の神刃と同じくらいの年齢に見えるわけだ。
「まぁ、あの頃は色々とありました。私と神刃様の仲が悪いのもそのせいです。けれど今は色々あって、あの人に協力しています。私だって自分の目的のためには、早くこの大陸に平和を取り戻したいですもの」
「目的?」
「……まぁ、その話はいずれ。他愛のない話ですよ。あまりにも他愛なくて……鵠様でしたら、お笑いになるかも知れませんね。そんなことのために人間であることを捨てたのかと」
朱莉の切ない表情に、鵠はその理由にある程度のあたりをつけた。
彼女は恋をしているのだ。けれどその相手は恐らく一筋縄ではいかぬ相手なのだろう。それと大陸の平和と神刃がどう関わるのかは、生憎とまだわからないが……。
「……別に、俺はあんたの人生には興味などない。妖に変じたとはいえあんたは正気を保って人間に利するよう行動しているし、文句をつける筋合もないだろう」
「そうですわね。誰にも文句は言わせません。神刃様にも、誰にも」
神刃もなかなか頑固だと思ったが、朱莉も相当だ。
「私は神刃様に対し、ある『恨み』を持っています。けれどまた、それがある故にあの人がこの桜魔ヶ刻時代を終わらせることも信じられる」
「複雑な関係だな」
「そうでもありませんよ」
神刃の生い立ちの話とは違い、朱莉と神刃の関係は事情を話してしまえばとても簡単なものだと言い切る。
「鵠さん」
そして彼女は鵠に頼んだ。
「あの人をお願いしますね。この先どんなことがあろうとも、最後まで心から神刃様の味方になってあげられるのは、きっとあなただけです」
朱莉は、自分はそうではないのだと言外に告げる。
「……確約はできない」
だが鵠にもわからない。
自分がそれほど神刃の心の内側に入り込んでいるとは到底思えなかった。
「ふふふ。まぁ、簡単に請け負う男よりは信用できますわね」
「お嬢……」
そうして時間は過ぎていくのだ。
◆◆◆◆◆
「蘇る死者の噂?」
「ええ」
少年は自室で報告を受けていた。
濃紺と紫の布と黒檀の多く使われたどこか暗い印象を与える広い一室。しかし一度窓を開き眼前に広がる朱色の桜を引きこめば、夜空を焦がす炎のようなその花弁が暗い色の調度によく映える。
「それで、どうしたのですか? 桜魔の仕業でしたら、すぐに退魔師の派遣を――」
「いえ、もう終わったそうです」
「終わった?」
主君である少年に、部下の男はなんともざっくばらんな口振りで説明した。下手に畏まられるよりは気安くわかりやすいので、少年はその態度を咎めもしない。
「っていうか元々花栄国での話なんですけどね。ちなみに朱莉様からの情報です」
「朱莉様、と言うことは……」
「ええ。神刃様も関わっているんでしょう」
「……」
顔見知りの退魔師の名を聞かされて、彼女がいる以上当然関わってくるもう一人の名も確かめた少年は、沈黙を以て更に先を促す。
「神刃様は桜魔王討伐のために他の退魔師と手を組んだそうですよ」
「他の?」
「はい。花栄国内……いえ、ここを含めた近隣諸国においてかつて最強と呼ばれた鵠と言う名の退魔師と」
「鵠? それは鳥の名前ですか? だとしたら例の……」
「ええ。本人が知っているかどうかはともかく、天望の血筋に連なる者であることは間違いないでしょうね」
花栄国には退魔師の名家が存在する。子どもたちに代々鳥の名をつける習わしのその家の名は天望。
鵠と言う名の人物を少年は知らなかったが、天望の退魔師だとすればその実力は確かなはず。
「彩軌」
「はいはい、なんです? 陛下」
少年は男の名を呼んだ。彩軌は道化のようにおどけた態度で、深々と頭を下げて見せる。
「あの方たちを、こちらに呼び戻しても良いと思いますか?」
陛下と呼ばれた紫紺の髪に橙色の瞳の少年――蒼司王は、彩軌を心細そうに見つめる。
「陛下のお好きになさったらいいんじゃないですかね」
見つめられた男はにこにこと感情を掴ませない顔で笑ったまま、気楽に言った。
「でもそんなことしなくても、すぐに彼らはやってくるでしょう。ここに。全ての闘争と怨讐の始まりの地に。あなたは玉座でその時を待てばいい」
桜魔ヶ刻はこの朱櫻国、緋閃王の愚かな行為から始まった。
ならばそれを終わらせるのもまた、朱櫻の血を引く者の務めであろう。
「朱櫻国王、蒼司陛下――」
少年は目を伏せる。
その瞳には、拭いきれない時代の憂いが、今も深く宿っているのだった。