桜魔ヶ刻 03

014

「辻斬り?」
「はい。かなり大きな事件になっています」
 桜魔王討伐に向けて着々と準備を行う鵠たちは、ひとまずお互いの手札を知り実戦に慣れていくために、共同で桜魔退治の依頼を受けていた。
 そんな中、またしても朱莉が街で拾ってきた噂である。
 片付けられた居間で長閑に茶菓子などつまみながら、彼らは毎度の如く血腥い話を続ける。
「辻斬りって……それが、桜魔の仕業なんですか?」
 神刃が怪訝な顔で朱莉に聞き返した。
 街中の通行人などを無差別に刀で斬り殺す。これだけ聞けば、桜魔の襲撃と言うより人間の犯罪と考えられるのだが。
「ええ。事件の数が多いので目撃者がいるんです。まぁこれも噂と言えば噂ですけれども、確かに『刀を持った桜魔が斬り殺した』そうです」
「それは……」
 口をつけないまま湯呑を卓に戻し、神刃が嫌そうな顔をする。
「ふむ……武器を持っているということは、相手は人間の姿に近いってことか」
 その傍らでみたらし団子を平然と頬張る鵠は、朱莉の話からざっと桜魔に関する推測を進めて行った。
「そのようですわね。肝心の人相までは伝わっていませんが、体格的には極一般的な成人男性のようだと」
「そして刀を携えている……か。厄介だな」
「ええ」
 三人はそれぞれ頭の中で、大雑把に桜魔の分類を思い浮かべた。
 桜魔と一口に言ってもその姿かたちも能力も様々だ。それでも大体は強さに応じて下位、中位、高位に分類され、力が強くなる程人間の姿に近くなると言う。
「その桜魔が中位か高位かはわからんが、人間の姿に近いということは、桜魔が街中に平然と紛れ込めるということだ」
「前回の『蘇る死者』の着ぐるみ方式とは違うんですか?」
 人間の姿に近い桜魔は強い力を持つ。それは事実だが、人間の姿を真似たり人間を操るだけであれば、能力的に下位の桜魔にも可能だ。
 前回鵠たちが対峙した桜魔は、死者の皮を桜魔の兵隊が着ぐるみのように被って人間に成りすますものだった。退魔師には妖気で即座にばれるお粗末な仕掛けだが、普通の人間を欺くには十分過ぎる。
「可能性がないこともないが、刀を使うということならその桜魔自身の姿が人間に近いんだろうと、俺は考える。『斬り殺した』と言われているのだろう?」
 桜魔の姿は、人間に近ければ近い程能力が高い。
 その能力の高さは、武器を扱うという点でも顕著だ。原始的に爪や歯で襲い掛かってくる獣のような下位桜魔に比べたら、刀を使いこなす程人間に近い桜魔は厄介だ。
 辻斬りの被害者が斬り殺されたと断定されているのなら、恐らくそれは犠牲者の死体に残った傷痕からの判断だろうと鵠は推測する。
 刀を持った桜魔に殺されただけなら、『桜魔に襲われた』で済む。だが、その辻斬りは人を『斬り殺す』のだ。
「すでに場所はわかっているのか?」
「出没地点はある程度判明しています。すぐに出ますか?」
 今回は前回の聞き込みのように、悠長なことは言っていられない。
 もしも相手が彼らの推測通り刀を扱う高位桜魔なら、一般人が自力で逃げるどころか、下手な退魔師でも返り討ちにされる程の手練れだ。
 朱莉はまだその実力を鵠に見せきってはいないらしいが、少なくとも並の退魔師よりはよほど強い神刃でも危険だ。
 安全確実にその辻斬りを倒す方法は一つしかない。
「俺が囮になる」
「鵠さん! 危険です!」
「危険だからやるんだろうが」
「だったら俺が――」
「阿呆。人間型の桜魔に今のお前なんぞの実力で敵うもんか」
 神刃がぐっと押し黙る。
 桜魔王を討伐し、大陸の平和を取り戻す目的のある神刃はその意識故に、並の退魔師よりは格段に強い。
 けれど鵠は天性の才能とたゆまぬ鍛錬を以ってかつて「最強の退魔師」とまで呼ばれた男だ。それでなくとも十歳年上の鵠に比べれば、十五歳の神刃はまだまだひよっ子である。
「まぁ、私なら術の特性上神刃様よりまだマシだったりもしますけれど、今回は内容的にも鵠様が直接行った方が早いと思いますよ」
 放っておけばまだ二言三言は反論しそうな神刃の顔を見ながら、朱莉は気になる一言を付け加えてきた。
「その辻斬りはこう声をかけてくるそうです。『なぁ、お前は強いのか?』と」

 ◆◆◆◆◆

 結局朱莉の付け加えた言葉が決め手となり、鵠が辻斬りをおびき寄せる囮作戦は暗黙の了解のうちに決定された。
 神刃も朱莉も決して弱くはないが、三人の中で誰が一番強いかと問われればそれは間違いなく鵠である。
 朱莉の情報を頼りに、三人は辻斬りの現れた地域へ早速足を向けた。
「じゃ、俺はこの辺を適当にうろついてみるから、お前らは街中に帰れ」
「へ」
 来たと思ったらあっさり帰れと言われ、神刃は目を点にする。
「って鵠さん?! まさか一人でやるつもりなんですか?!」
「……今回は、さすがにお前らでも相手が悪すぎる。神刃、お前だって人間とほとんど変わらないような高位桜魔とは戦ったことないだろう?」
「それは……」
「侮るな、神刃。高位の桜魔はお前がいつも戦っている獣型とは次元が違う」
「……それこそ桜魔王は、人と変わらぬ容姿をしていると言いますわね」
 相変わらずどこで集めて来るのか、朱莉は桜魔関連の噂話に異様に耳聡い。桜人とはそんなところまで桜魔に近くなるものだろうか。
「それも噂だがな。だが、桜魔王だけでなく、その側近級でも完全に人と変わらない見た目をしているらしい」
 実力は圧倒的で、しかし見た目は人間と変わらない。
 つまり、相手が気配を隠して接触してきた場合、詐欺師に騙されるように退魔師が桜魔に騙される可能性があるのだ。油断できない。
「鵠さんは、ひょっとして……」
「ああ。高位桜魔とやりあったことがある。俺が一時期最強と言われていたのも、その辺りからだ」
 桜魔王とその側近が人と変わらない見た目をしているという情報も、鵠はその時に手に入れた。
 鵠が倒した高位桜魔曰く、今の桜魔王は積極的に配下である桜魔たちの音頭を取ることはほとんどしないらしい。
 けれど王に顔を売れば同胞の中でも権力を握れると考える桜魔は後を絶たないらしく、自らの力に自負を持つ高位桜魔たちはこぞって桜魔王に取り入りたがるのだそうだ。
 自分が鵠に――人間の退魔師に殺されるなどと夢にも思わなかったらしいその高位桜魔は、べらべらとよく喋ってくれたものだ。
 その桜魔の自惚れが強かったのか鵠の実力が単純に上だったのか? 確かなのは、高位桜魔を一人倒した鵠の名が即座に最強の退魔師として祀り上げられる程、高位桜魔は次元の違う強さを持つということだ。
「それに、もし万が一俺の方に来なかった場合、町民が襲われていたら救出する必要がある。お前たちは警戒地区のぎりぎりに残ってそういった支援を頼む」
「……はい」
 そもそも退魔師とは桜魔に襲われている人々を救うために桜魔と戦う存在だ。辻斬りが鵠の方に寄って来なかった場合は、神刃たちが先に見つけて鵠を呼ぶ必要がある。
 この土地はすでに辻斬りの噂が出回り、行き来する人間はほとんどいないらしい。それでも立ち入り禁止令が敷かれているわけでもなし、誰かが迷いこまないとも限らない。
 何とか言い分を飲んだ神刃と朱莉を見送り、鵠はいつもは持ち歩かない刀にこれ見よがしに手をやりながら歩き出す。
 ――が、それも長くは続かない。
 先程から彼の警戒網にぴりぴりと引っかかる気配がある。
 一度はここまでついてきた神刃たちを、わざわざすぐに追い返したのはこのためだ。
「出て来い。俺と遊びたいんだろう?」
 神刃も朱莉もそれなりの腕を持つ退魔師、本来なら鵠一人が歩き回る不自然さを誤魔化すためにも、二人を連れていても良かった。
 しかし、相手がその二人に存在を気づかれず尾行してくるような手練れであるならば別だ。
 そんな達人との危険な戦闘に神刃たちを巻き込む訳にはいかない。
「遊ぶ? ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
 だが、出てきた相手の姿に鵠は眉根を寄せた。なんだ、この違和感は。
 目の前の相手は外見から受ける印象とその気配に感じる強さが不相応だ。
 見た目は十にも満たない、白金の髪と瞳を持つ愛らしい子どもの姿をした桜魔は口を開く。
「なぁ、ちょっと聞きたいのだが、いいか?」
「……なんだ、坊主」
 鵠が刀の柄に手をかけても動じる素振りを見せず、子どもは堂々と彼に聞いた。
「お前は強いのか? 退魔師よ」

 ◆◆◆◆◆

 神刃は不満げな顔で道を歩いていた。横を歩く朱莉が、拗ねる弟を宥めるように言い聞かせる。
「ま、今回は大人しくしていましょうよ、神刃様」
「朱莉様、ですが……」
「鵠様の仰ることは尤もです。私たちも一応人間の姿に近い桜魔の強さは知っているでしょう?」
 ここまで一度連れてきておきながら即座に帰れと命令する、常の鵠らしからぬ理不尽さに多少引っかかるものは確かにある。しかし朱莉は彼の判断にも一理あると思ったので、今回はその言い分に納得することにした。
「……『彼』は、どうしているんです?」
 神刃が、ちらりと朱莉の足下――彼女の影を見遣る。
 朱莉の能力に関しては、説明が面倒との理由でまだ鵠には紹介していない。
「大人しくしていますよ。過去を思い起こして複雑な気分だそうですけど」
 高位とは言い難いが、人間の姿に近い桜魔なら一応朱莉と神刃もその存在を知ってはいるのだ。
 ただ、今回鵠が警戒しているのは、それよりも更に高位の話である。
 ようやく人の姿をとれる程度の中位桜魔ではなく、もはや人と完全に変わらぬ見た目をした高位桜魔――。
「桜魔であると名乗らねば桜魔であることに気づけない程人に近い容姿であれば、相当の強さのはずです」
「高位の桜魔と戦うことは、人間の退魔師同士で戦闘するのと変わらなくなってくるとは聞きますが……」
 姿かたちや戦闘方法はもちろん、本当に優れた桜魔は、退魔師が人と桜魔を見分ける術である、妖気や気配までも人に近しく偽装できると言う。
 理屈は少し違うが、朱莉も似たようなものである。元々普通の人間の退魔師であった朱莉は、人間の世界で生きていくために自分の気配を人間であった時のものに近づけている。
 だから退魔師と高位桜魔との戦闘は、もはやほとんど人間の退魔師同士の戦いと変わらなくなってくるのだ。人が道具を使いこなすように、人の姿をした桜魔も己の能力を補整する道具を用いて来ると言う。
 辻斬りが刀を使うという話を聞き、鵠が警戒を露わにしたのもそのためだろう。
「空いた時間に私とあなたで組み手でもやってみます? 少しはマシかもしれませんよ?」
「俺が朱莉様に吹っ飛ばされている未来しか見えないんですけど……」
 桜人になった朱莉と退魔師とはいえ普通の人間である神刃を比べたら、朱莉の方が腕力が強いのである。
「まぁ、鵠様なら大丈夫でしょう? 一応『狼煙』もありますし、大掛かりな罠ならそれはそれで結構。私たちは後から救援に駆けつければいいのです」
「……」
 朱莉はきっぱりと言い切った。神刃だって鵠の実力自体は信じている。ただあっさりと戦力外にされた己の力足らずが悔しいだけで、本気で鵠のやり方に反発している訳ではない。
 だからこの話もここで終わりだ。話題も尽きて、神刃は黙り込む。
 目の前の角を曲がれば後は一本道、もう少しで街の中心部に戻れる、そこで二人は人に声をかけられた。
「もしもし、そこ行くお嬢さんお坊ちゃん」
「……」
「あ、はい。なんでしょうか」
 神刃は普通に返事をしたが、朱莉は口を噤んで相手をよく観察した。
 この辺りはまだ辻斬りの出現範囲の内だ。
 こんな時間にこんな場所で一人、この男は何をしている? 何をするつもりだ?
「ちょっとお尋ねしたいことがあるんだが」
「下がってください、神刃様」
 朱莉はいつでも術を発動させられるよう臨戦態勢をとり、神刃の前に進み出る。
「まさか」
 彼女の尋常ならざる警戒と相手の姿に、神刃もようやく異変に気付いた。
 相手の男はただの人間に見える。人間にしか見えない。
 だが慎重に気配を探ればすぐに違いに気づく。
 男は何もない空間から――太刀を抜いた。
「!?」
「なぁ、お前さんたちは強いのかい?」
 二人を獲物として視界に定め、辻斬りの桜魔はにぃと笑った。