桜魔ヶ刻 03

015

「俺が強いかどうかなんて、戦ってみればわかることだろう?」
「それもそうだな。では一戦、手合わせを願いたい」
「お断りだ……と、言っても無駄なんだろうな」
 十にも満たぬ少年姿の桜魔と鵠は戦闘を開始した。
 太刀を抜いて斬りかかるが、子どもは羽根のように軽やかに攻撃を躱す。
 鵠があえて剣を大振りにして隙のようなものを見せると、見逃さず細い足で蹴り込んでくる。
 鵠がそれに合わせて反撃を決めようとすると、咄嗟の行動だろうに危なげなく白刃を避けてみせた。
 目標を空振りした白刃は、打ち捨てられた家の塀を無残に斬り落とすに留まる。
「おお、強いな!」
 子どもは鵠の力に関心を見せるが、そう口にする本人も強い。
 その幼気な見た目からは想像できない強さだ。
「私はな、とある理由によって強い相手を探しているのだ」
 間断ない攻防を交わしながらも、子どもは好き勝手に事情を喋る。鵠は興味はないのだが、だから黙れと言ったところでどうせ相手も聞きはしないだろう。
「お前は相当な使い手だな。退魔師ならば、私の目的のために是非とも協力してもらいたいことがあるのだが」
「誰が桜魔に協力なんぞ」
「いやいや、そちらのためにもなることだぞ、きっと」
 妙な相手だと思った。
 強さの割に敵意がない。
 これが本当に、夜な夜な何人もその手にかけた辻斬りなのだろうか。
 相手はその小柄さを活かして飛び込んでくる。
 素手の攻撃にはけれど十分な妖力が――。
 素手?
「……おい、ちょっと待て!」
 今更それに思い至り、鵠は慌てて尋ねた。
「何故お前は武器を使わない!」
「? と言われても、私は元からこういう戦い方なのだが」
 子どもが不思議そうな顔をする。嘘をついているようには見えない。
 ――体格的には極一般的な成人男性。
 ――そして刀を携えている。
 しまった。桜魔の行動だけを見て、標的の確認を怠った。
「お前はここ最近辺りを騒がしている辻斬りじゃないのか?!」
 子どもはきょとんと眼を瞬く。
「辻斬り? なんだ、それは。私ではないぞ」
「――ッ!」
 まずい。鵠がここでこの子どもと戦っていた間に、本物の辻斬りが別の人間を襲っているかもしれない。
 神刃は短弓と小太刀を提げていた。辻斬りが剣士を優先して狙うのであれば――。
 その時、遠くで覚えのある誰かの霊力が膨れ上がった。

 ◆◆◆◆◆

「なぁ、お前さんたちは強いのかい?」
 二人を獲物として視界に定め、辻斬りの桜魔はにぃと笑った。とても楽しそうに。
 見た目は紅い髪に緑の瞳の、二十代半ばの青年だ。ゆらりと発する妖気さえなければ、ただの見惚れる程の色男である。
「辻斬り?!」
「あらまぁ。鵠さんの方じゃなくてこちらに来るとは」
 これまでの桜魔の行動範囲から次の現場を予測したのだが、見事に外してしまったようだ。神刃は険しい顔で小太刀の柄に手をかけ、朱莉は溜息をつく。
 相手は人と見紛う程に人に近い――間違いなく高位桜魔である。
「なぁ、強いのかい?」
「……ええ。そこそこ腕に自信はあります。ところで、私たちからも一つお聞きしてよろしいでしょうか」
「なんだい?」
 朱莉は一見友好的に見える程ににこにこと話しかける。相手の桜魔もにこにこと笑顔で応じている。
 だが彼らの手には武器が握られ今にも戦闘に入りそうな緊張状態が繰り広げられていた。
「あなたは最近、この街を騒がせている桜魔ですわね?」
「そうだよ、退魔師のお嬢ちゃん」
 相手に偽る気はなく、こちらももう疑いようはない。この目の前の男こそが、鵠が囮になってまで捕まえようとした辻斬りだ。
「頼みがあるんだよ、お二人さん。俺たちの目的のために、どうか死んでくれ」
「奇遇ですわね。私もあなたにそう頼もうと思ってましたの」
 朱莉が言い終わるや否や、神刃は剣を抜いて仕掛けた。
「おっと」
 しかし辻斬りの男は危なげなく躱す。
「せっかちな坊やだ。せめて自己紹介くらいしようぜ」
「これから死にに行く者に名乗る名などない」
「おやおや。冥土の土産って言葉もあるだろう。だからお前らには教えてやるよ。俺の名は桃浪(とうろう)だ」
 桃浪と名乗った桜魔は、神刃と朱莉、二人の退魔師を前にしてもまったく動揺する様子がない。それだけで、相当な使い手だとわかる。
「まずいですわねー」
 まったくそうは思っていない口調で、朱莉が言った。
「この方、恐らく鵠さんと同じぐらい強いですわよ」
「……俺では、相手にならないと?」
 神刃の低い囁きに、朱莉は小さく頷く。残念だが戦う前から実力差は歴然だ。霊力や妖力の強さが総てを決する訳でもないが、これほどの妖力を持つ相手が弱いなどと言うこともまずありえない。
「まぁ、最悪の場合、逃げることも考えて引きながら相手をしましょう。二対一ですし」
 神刃と朱莉は桃浪と交戦を開始する。
 刀を握り斬りかかってくる桃浪の攻撃をいなすためには、小太刀を持っている神刃が前に出るしかない。朱莉は呪符を飛ばして神刃を支援する形になる。
「へぇ、ガキの割になかなかやるじゃん」
 桃浪は神刃の相手をしながらも楽しそうだ。桜魔にも人間の退魔師にもたまにいる、戦闘に過度の高揚を覚える性格のようだ。
「おお、強い強い。これも捌くとはやるね」
「くっ……」
 桃浪は遊んでいる。神刃の攻撃は彼から致命的な一撃を貰わない程度には打ち合えるというだけで、剣技ではまったく彼を倒せる域に届いていない。
 しかしこちらは二人だ。神刃が不利となると、すかさず朱莉が援護に回る。
 彼女の呪符は防御に目眩ましにと、様々役立つ。
 だが援護はあくまでも援護。突破力はない。そしてこの場合神刃に桃浪の剣を断ち切るだけの実力がないと打破は難しい。
「なかなか息の合った攻撃だな。だが……」
 桃浪の前では、神刃と朱莉の即席の連携など、文字通り児戯に等しいのだ。
 桃浪の攻撃で、神刃の小太刀が折れた。刀が脆かった訳ではない。刃に刃を絡める技術で、桃浪が折ったのだ。
「その程度じゃ、俺には届かないぜ」
 一瞬武器を失った神刃に、桃浪がすかさず追撃を仕掛ける。
「――“紅雅”!」
 その刃が届くよりも早く、朱莉が一つの名を叫んだ。
「!」
 刀を持った長い黒髪の青年がどこからか飛び出してきて、神刃を庇う。朱莉は紅雅に命じた。
「あの男の相手をなさい。気を付けて。かなりの手練よ」
「御意」
 紅雅が前に出て、神刃は一度後退する。折れた小太刀を捨てて武器を短弓へと持ち換える。
「おいおい。そこの兄さんは今どっから出てきたんだよ」
 突然の援軍に桃浪が目を丸くしている。
 紅雅は中位桜魔、人に近い姿をしてはいるが、ところどころに桜魔としての特徴を残していてすぐにそうとわかる見た目だ。
 剣士としての腕前は相当のものだが、それでも桃浪と真正面から一対一でやり合うにはきついだろう。
「秘密ですわ」
 朱莉はにっこりと回答を拒絶するが、桃浪は余裕を失わない。
「そんなことされたらさぁ」
「なっ……!」
 今度は神刃たちが彼に驚かされる番だった。桃浪の背後にゆらりゆらりと、次々に人影が現れる。
「こっちも援軍を呼ばないと。なぁ?」
 事件を起こせば解決のために退魔師がやってくる。だが良くて二、三人程度。
 犯人が一人と聞いていれば、それ程の人数を投入しないことを桜魔側も知っていたのだ。
 辻斬りの桜魔を倒すためにやって来た退魔師を、数を揃えて待ち構えた桜魔たちが殺す。
 桃浪の台詞に応えるように現れた影の多くは人の姿。高位桜魔である。
 このための辻斬りだったのかと、朱莉は舌打ちした。