桜魔ヶ刻 03

016

「こっちも援軍を呼ばないと。なぁ?」
 桃浪の言葉に、朱莉と神刃は眉間に皺を寄せた。
 辻斬りは罠で、桃浪たちの一味は辻斬りを止めに来た退魔師を殺すことが、本命の目的だったのだ。こちらの囮作戦には引っかからなかったのに、まんまと釣られたことになる。
「人数で勝られると厄介ですわ」
「数を揃えるのは基本だからなぁ」
 本当は一対一でやりたいんだけど、とまた戦闘狂らしい適当なことを言い、桃浪は剣を一振りして構えなおす。
 桃浪が呼んだ援軍は五人と言ったところか。どれも人型の高位桜魔だ。
 一方こちらは神刃・朱莉に紅雅を加えても三人。
 鵠がすぐに駆けつけてくれるとも限らない。状況は圧倒的に不利だった。
 ただしそれは普通の退魔師の話。
「ではこちらも数を増やしましょうか」
「何?」
 朱莉が言い放つと、彼女の足元でその影が水のように揺らめき渦を巻いた。
 次の瞬間、飛沫を立てるその影の中から、無数の桜魔が飛び出してくる。
「これは!」
 高位桜魔たちも驚き目を瞠った。
「“魅了者”か! うっわ。珍しい!」
 ――魅了者。
 朱莉の能力は、桜魔を自分の支配下に置けると言う力だ。
 ただし勿論全ての桜魔を支配できるわけではない。妖力が強ければ強い程、相手の抵抗も強くなる。
 朱莉の配下はほとんどが獣型の低位から中位までの桜魔だった。
 その中で唯一人型をしているのが、先程登場した中位桜魔・紅雅である。
 しかしその紅雅でさえ、今目の前に居並ぶ高位桜魔たちに比べれば格段に腕が落ちる。
 それでもここは物量で押すしかないと、朱莉は配下の桜魔たちを次々に敵に向かってけしかけた。
 その間、神刃は神刃で桃浪との戦いを続けていた。
 小太刀を失ったので短弓が主な武器となるが、退魔師として霊力をそのまま矢に変換しているので矢が尽きる心配は少ない。
 桃浪は矢をひょいひょい軽く避けている。見事な身のこなしにより、神刃もだんだんとその拍子が掴めてきた。
 そこで勝負を仕掛ける。すでに放った霊力の矢の進路を、神刃は中途で思い切り曲げた。
「!」
 術師の思念に従う霊力の矢だからこそできる芸当だ。
 やっとまともに攻撃があたり、神刃の矢は桃浪の腕の肉を派手に血を散らしながら持っていく。
 結構な深手を受けたはずの桃浪だが、緑の眼はまさしく獣のごとく爛々と輝いていた。
「面白ぇ……!」
 どくどくと流れる血が次第に桜の花弁に変わることさえ気に留めず、桃浪は神刃をぎらぎらとした瞳で見据える。
「気に入ったぜ坊や! さっきのあれ、中々良い攻撃だった!」
 そう言って彼は、一層楽しげに攻撃を仕掛けてきた。
「ぐっ!」
 神刃は短弓を盾代わりにしてなんとか桃浪の太刀を受け止める。攻撃は荒いが一撃は重い。
「桃浪!」
 仲間らしき桜魔の一人が桃浪を叱咤した。歳の行った女性姿の桜魔だ。
「遊んでんじゃないよ!」
「……はいはい。ったく、つまんねぇな」
 明らかに不満げな様子ながら、桃浪は一応はその言葉に従う様子を見せる。
 桜魔たちの様子から、この集団の長はどうやら今桃浪に命令した女桜魔らしいと神刃と朱莉は見当をつけた。
 桃浪とあと二人程の桜魔が、女桜魔に従っている。
 一人だけ指示も受けずどこかこの状況を冷静に傍観するかのような態度の若い女がいるのだが、どういった立ち位置なのかはまだわからない。
「私たちの目的は決まっている。さっさとその餓鬼どもを始末して、もっと強い退魔師を誘き出すんだよ」
 朱莉の魅了者の力に動揺していた桜魔たちは、女の一言に統率を取り戻す。朱莉が従える配下は本来なら彼ら高位桜魔の相手にもならない中位や下位の桜魔ばかり。落ち着きを取り戻されては厄介だ。
 激しい攻撃が来ることを神刃と朱莉は警戒した。だが。
「おっと」
 桃浪が咄嗟に避けた部分の街路を太刀が穿つ。
「神刃! お嬢!」
「鵠さん!」
 争乱の気配を察知した鵠が、ようやくこちらに駆けつけてくれたのだ。
「二人とも怪我はないな!」
「はい!」
「無事ですわ。無事ですけれど……」
 朱莉が後半、言いにくそうに語尾を濁す。それは鵠と共に現れたもう一人の存在が理由だった。
「なんだ貴様は?!」
 鵠の他にもう一人、淡い金髪の少年が弾丸のように飛び込んで、先程桃浪に声をかけた女を吹っ飛ばしたのだ。
「こっちが敵で良いのだよな? 能力と年齢的にこの女が頭のようだが」
 彼は桜魔だらけのこの空間を上から眺め、きょろきょろと見回している。
「おや? これはまた凄い大群だな! っと……あれ? だがこれは……」
 状況がわからないのは少年だけでなく、救援に駆けつけた鵠もだった。
 辺り一帯が、朱莉の魅了者としての能力で呼び出された配下に埋め尽くされているのだ。先程鵠は神刃に斬りかかろうとしていた桃浪に刀を投げつけたが、そうでなければ誤解によって同士討ちが発生してもおかしくない状況である。
「お前ら、この状況はどういうことだ」
「私の能力ですわよ、鵠様。私は魅了者なんです。獣型の下位桜魔たちとこの紅雅は、私のしもべです」
 神刃と朱莉を守るように展開している下位桜魔たちと刀を構える紅雅を見て、鵠はほぉと感嘆の息を吐く。
「……じゃあ他の奴らは全員辻斬りの仲間ってことか。それはそれで凄い状況だな。よく持ち堪えた」
「それより、あの子は一体何者なんです?」
 鵠が朱莉の能力について説明を受けているように、神刃たちも鵠に聞きたいことがある。
 鵠と一緒にこの場に飛び込んできた、金髪の子どもに関することだ。
「俺にもよくわからん……」
 だが鵠の答は大変心許なかった。神刃と朱莉は怪訝な顔になる。
「あの子も、桜魔ですよね……?」
「俺の知らない間に人類が背中に翅を背負うよう進化していなければな」
 鵠が先程まで対峙していた子どもは、何故か一時休戦を申し出て鵠についてきた。
 どちらにしろ神刃たちと合流した方がいいという判断の下ついてくるのを容認したのだが、思った以上に役立っている。
 移動すると決まった途端に蝶や蛾に似た翅を背に生やした子どもは、神刃たちを襲った辻斬りの一団へ次々に攻撃を仕掛けていた。その一挙一動に躊躇いや遠慮は微塵もない。
「桜魔?! 何故桜魔が人間の退魔師と?!」
 子どもの登場と行動には神刃たちだけでなく桜魔側も驚いて、色々と問い質す様子だ。
「私にはどうやらやらねばならないことがあるらしくてな、その目的のためには強い退魔師と行動を共にするのが近道なんだ」
 しかし鵠と顔を合わせた時からこの調子の子どもは、同族を前にしても同じようにその説明で通すつもりのようだった。
「ふざけたことを……!」
 辻斬りの一団を取り仕切る中年の女桜魔は子どもに反撃する。しかし、子どもは相当な手練れだった。
 桜魔同士の高度な戦闘が、退魔師たちを置き去りに繰り広げられる。
「華節。どうするんだ? このままやりあうのか?」
 鵠と子どもが合流したことで、形勢が一気に変化した。朱莉の物量作戦も効いて来て、だんだんと辻斬り側が押されていく。
「くっ……仕方ないね」
 華節と呼ばれた女桜魔は、不利を悟ると悔しげな表情で部下たちに指示を飛ばした。
「お前たち、撤収だよ!」
 高位桜魔たちが撤退していく。とはいえ退魔師側もここで追撃をする程の余裕はなく、ただそれを見送ることしかできなかった。
「桃浪! 何をしてるんだい!」
「はいはい。今行きますって」
 最後まで残った最初の男、桃浪は神刃に目を向ける。
「さっきは楽しかったぜ坊や。また今度、邪魔が入らない状況でやろうな」
 いや、遠慮したいんだけど。そんな神刃の心情もどうでもいいと言わんばかりに、桃浪は自分ばかり機嫌よく引き上げていく。
「……なんだ神刃。お前、俺がいないところで一体何をやっていたんだ?」
「鵠さん……それは俺の台詞でもあります」
 この場の均衡を壊した白金髪の子どもの存在を指摘すれば、鵠も面倒そうに髪をかく。
「あー、実はな……」
 しかし子どもは鵠からの紹介を待つでもなく、自分から元気よく名乗った。
「私の名前は蚕(さん)だ! よろしくな!」
「よろしく?」
「うむ!」
 そして彼は、そのままの流れで盛大に爆弾を落とす。
「私の目的は桜魔王を倒すことなんだ。お前たち、退魔師の仲間に入れてくれ!」
「「はあ?!」」