桜魔ヶ刻 03

017

 蚕と名乗った桜魔は言う。
 自分の目的は、桜魔王を倒すことだと。
「……そこまではいい。事情は人……じゃないが、桜魔それぞれだからな。問題はその先だ」
 鵠たち三人は、ひとまず蚕を家に連れ帰ってきた。
 自分たちの根拠地を教えてしまうのはどうかと思ったのだが、だからと言って適当な場所も思いつかない。宿をとるには金がかかる。こんな得体の知れない相手を下手に人の多い場所にも連れ込みたくない。
 結局、今の根拠地と定めた家に帰ってくるしかなかったのだ。
 そしてとにかく話し合いの場を設ける。
 この子ども姿の桜魔――蚕はあろうことか、鵠たち退魔師の仲間になりたいと言ったのだ。
「反対です」
「ちょっと考えてしまいますわね」
 神刃は即答、朱莉は苦笑しながらそう答えた。鵠自身も、そう言われてほいほい桜魔を受け入れる気にはならない。
 いくら目の前にいる子どもが、他の桜魔とは毛色の違う変わり種だと言っても。
「そもそもお前は、何故自分たちの王を倒したいんだ」
「わからん」
「……おい」
 鵠の当然の疑問にも、返ってくるのは心許ない答だ。
「いや、本当にわからんのだ。私の中には桜魔王を倒すという目的だけがあって、その目的に付随するはずの理由や感情は存在しない。いや……あったのかもしれないが、失われている」
「……記憶喪失か何かか?」
 鵠は尋ねるが、蚕は首を横に振る。
「恐らく違う」
 蚕は自分の状況を語った。
 気が付いたら森で一人立っていて、桜魔王を倒す目的だけを抱えていたことを。
「桜魔は人間のように母親から生まれてくる者は少ない。魔力と瘴気の結びつきによって『発生』する者が大半だからな。私の心残り――桜魔としての目的はどうやら桜魔王を倒す事のようなのだ」
 だから、それが「何故」なのかまでは蚕自身にもわからない。
「桜魔に目的など聞いても無意味だからな。それがわかれば、そこに何かの意味や価値を見いだせれば、わざわざ人間を襲う必要もない」
「お前は、人間を襲ったことはないんだな?」
 鵠は念のため確認するが蚕は迷わず頷いた。とても嘘をついているとは思えない堂々とした態度だ。
「でも、今日鵠さんと戦ってませんでした?」
「それは……まぁ、そうだが。危害を加えようとしたわけではなく、実力を確かめたかっただけなので見逃してくれ」
 鵠と蚕の戦闘は、蚕の言い方が紛らわしかったとはいえ、鵠自身が戦ってみれば強さはわかると言って挑発した形になるかもしれない。
「私は人間を襲ったり、殺したりしたことはない。この私として生まれる前のことまでは責任を持てないが、少なくとも私自身の覚えているかぎりではやっていない。襲う必要もないしな」
 そして蚕は、鵠と出会った時から口にしてきたことを、今また再び繰り返し告げた。
「私の目的は桜魔王を倒すことだ。だからお前たち退魔師に力を貸してほしい。お前たちが本気で桜魔王を倒す気ならば、仲間に入れてくれ」
 鵠は溜息をつきながら神刃と朱莉の方を眺める。
「……どうする?」
「私は別に――」
「反対です」
 どちらでもいいと言う朱莉の言葉を遮って、神刃が強い拒絶の意を示した。
 表情は険しく顔色は悪い。
「――桜魔を仲間にするなんて、ありえません」
「神刃」
 鵠は名を呼ぶだけ呼んで、それ以上何も言うことができなかった。
 朱莉は表情を消して二人を見つめている。
 拒絶を受けた蚕本人だけが一番安定しているという妙な状況だった。
「駄目です。鵠さん、それは。俺たちは、退魔師です。桜魔を殺して平和を勝ち取らなければいけない」
 言葉こそ拙いが、神刃の本気は鵠にも伝わってきた。普段の戦いぶりからすれば鵠の方が桜魔に対し非道なくらいなのだが、こういった肝心な場面では神刃の桜魔嫌いが顔を覗かせて譲らない。
「だが……桜魔王はともかく、他の桜魔たちまで俺たちで全て始末するというわけにもいかないだろう」
 たった数人の退魔師集団で大陸中の全ての桜魔を屠ることなど不可能だ。だが桜魔王という旗印を喪えば、桜魔側が統率力を失くし瓦解するかもしれない。そうすれば雑魚は他の退魔師でも狩れる。だからこそ鵠は何より桜魔王討伐を優先している。
 だが、神刃は。
「俺は」
 強い声音。けれど掠れて、どこか虚ろだ。
 その言葉は蚕を拒絶し傷つける以上に、神刃自身を追い詰めるかのように聞こえた。
「全ての桜魔を憎みます。桜魔がこの世から完全に消えない限り、平和を取り戻すことなんてできません」
「……神刃様」
 自らが桜人となり、配下に無数の桜魔を抱えた朱莉は神刃の発言が辛くないのだろうか。鵠は危惧したが、一瞬で杞憂となった。
 朱莉はむしろ、青褪めた顔で拒絶を口にした神刃を憐れむかのような表情で見つめている。
「ふむ。なるほど。お前の意見はわかった。そちらはどうでも良さそうだが」
「ええ、まぁ別に。あなたはかなり高位桜魔のようですから私の支配下にはできませんけれど、紅雅や他の子たちがいるのに今更桜魔は駄目なんて言えませんよ」
 蚕に対して頷いた朱莉は、しかし、と神刃の方を目線で示す。
「――ただ、この連盟の首脳は私ではありませんの。鵠様、神刃様。この二人を納得させなければ、私が何を言っても無駄です」
「そうか。……では」
 蚕は続いて鵠に目を向ける。意見を求められた鵠は、偽らざる本音を口にした。
「……正直に言って、俺も桜魔を積極的に仲間に迎え入れる気はない。お嬢に関してはただの人間の頃から神刃と顔見知りという事情があるらしいから納得したが」
 人としての心を優先したからこそ桜人になったという朱莉と違い、蚕は過去を持たず本能的な目的に従う完全な桜魔だ。
「だが……」
 その一方で鵠は、蚕に敵意がないことを何故か受け入れてしまっている。
 ただそれを自分自身でも上手く言えないために、神刃をここで説得できるだけの発言力もなかった。
 本当に彼が人間に害をなさないという確たる証拠がなければ、受け入れるわけにはいかないだろう。
「お前が本気で桜魔王を倒す気があるなら、戦力として迎え入れる手もあるにはある。――だが、そもそもお前を信用できると判断する術が今の俺たちにはない」
「ふむ。それもそうだな。確かにこの状況や私自身の発言の不審さを考えれば、言葉だけでお前たちを説得することは難しい」
 しかし蚕はめげなかった。
「では、いっそ、様子見期間を設けると言うのはどうだ?」
「様子見?」
「お試し期間と思ってもらってもいいぞ。私が桜魔王討伐に役に立ちそうならそのまま仲間に加えてくれ。もしも私が桜魔として、人類にとって有害な存在だと判断したなら」
 告げる声はどこまでも透明で、濁りの一つも見つけ出せない。
「その時はお前たちの手で、私を殺せばいい」
「!」
 鵠も朱莉も驚いたが、蚕の提案に一番動揺が激しかったのは神刃だ。
「どうする? 神刃」
「まぁ、三人がかりでなら殺せないことはないでしょうけど」
 蚕を激しく拒絶しているのは神刃だけ。結論は彼に委ねられている。
「この提案を受け入れることも一つの手だと思うぞ。もし本当にこいつが何かした場合、俺たちですぐに対応できる。並の退魔師にはきつい相手だろ?」
「そう……ですね。わかりました。そういうことなら……」
 結局のところ、蚕が桜魔としての本性を現し、人間を襲おうとしたら誰かが止める必要がある。そのためにも近くに置いて監視するのは有効な手だという理論が、神刃を動かしたようだった。
 好きにすればいい、と神刃は言う。
「だが俺は、お前を認めない」
「認めさせてみせるさ」
 気負う訳でもなく、極当然のように蚕はそう返した。
「……辻斬りに関して、街に聞き込みに行きます」
「ああ、気をつけろよ」

 ◆◆◆◆◆

 街へ出かける神刃を見送り、鵠はぽつりと切り出した。
「退魔師が桜魔嫌いなのは当然なんだが、神刃のあれには何か根の深いものを感じるな」
「ええ。その通り根が深いので」
 朱莉はさらりと肯定する。彼女は神刃の事情を知っていて、鵠の疑問や懸念も理解した上でそう返答するのだ。
 先の事件の後、この少女に言われたことを鵠は思い返す。
 ――あの人をお願いしますね。この先どんなことがあろうとも、最後まで心から神刃様の味方になってあげられるのは、きっとあなただけです。
 何故神刃の味方が少ない前提で話をするのか。
 何故、朱莉自身は神刃にそこまでしてやれないのか。
 鵠の中には様々な疑問がある。
 だが、火陵という養い親を喪って傷ついているだろう神刃に、直接言葉をかけるのは躊躇われた。
 少年時代は鵠自身も相当無茶をしたものだし、それを諌めてくれたのは他でもない火陵であるだけに。
 鵠がろくな事情を聞かずに桜人である朱莉のことを受け入れた理由もそれだった。
 自分は若人を諭せるような正しい生き方をしてきていない。
「思春期ってのは難しいな。迂闊に踏み込めば傷に触れてしまいそうで」
「鵠さんは大人ですからねぇ。大人って大変ですわね」
「お嬢……」
「だから私は、“子ども”であるうちに“大人”になることを諦めてしまったんです」
 そして多分、神刃もそうなのだ。
 妥協や諦観に流される大人になる前に、桜魔との戦いに決着をつけたがっている。
 自ら戦って傷ついてまでして世界を変えなくても、自分一人がそこそこ平穏に生き延びられればそれでいい。
 それは、つい数週間前までの鵠自身の姿だった。鵠は大人だと朱莉は言うが、それは決して良い意味だけではないだろう。
 ……本当に良い大人なら、子どもの熱意をただの戯言だと切り捨てない。その情熱を理解したまま、更に発展させることができるはずだ。
 だが今の鵠には難しい。たった一人の少年の説得さえ。
 神刃の無謀なまでの行動力や信念といったものを、鵠はある程度評価しているだけにそれを否定するようなことは言いづらい。
 そんな鵠の懊悩を察してか、朱莉は今度は蚕に目を向ける。
「あなたがもっと嫌な人だったら話は単純だったんですけどね」
「ははははは。それは、褒め言葉と受け取っていいのかな?」
 蚕は笑う。何も腹に抱えることなどないと言うように。
 憎悪や羨望、侮蔑と言った、桜魔が人間に向ける感情を持たない桜魔らしくない桜魔。彼が一体何を考えているのか、やはり彼らにはわからない。
「ま、ひとまず様子見としてここに置いてくれ。お前たちは戦い続けるのだろう。戦うのなら状況は逐一変わっていく。留まり続けることなどできない。その変化の中で私に対する評価を下すこともあるだろう」
 蚕は幼い見た目にそぐわぬ大人びた発言をして、その発言にそぐわぬ無邪気な子どもの笑みを浮かべた。
「……変わった方ですね」
「そうだな」
 鵠と朱莉は溜息を交わした。