桜魔ヶ刻 03

018

 華節たち辻斬りの一団は今現在根拠地としている場所へと戻る。目論見通り退魔師を誘き寄せるところまでは上手くいったものの、謎の子どもの登場で撤退を余儀なくされたのが口惜しい。
「強かったな、あいつら」
 悔しがる仲間たちの間で、桃浪は一人上機嫌だった。彼は戦うのが好きだ。戦う相手が強ければ強い程興奮する。
 実は桜魔王とも戦ってみたいのだが、常々そんなことを言っていたら華節に王との顔合わせに置いて行かれてしまった。
「喜んでる場合じゃないよ、桃浪」
 楽しそうな桃浪を忌々しく見遣る、華節は酷く苛立っている。
「一体あの子どもは何なんだ? 何故、桜魔が人間の味方を……!」
 翅を生やした少年姿の桜魔は、かなりの手練れだった。あれが人間側に与するとなれば、彼女にとっても厄介だ。
 伊達に古株の桜魔として長く生きてはいない。僅かな手合わせで、華節はすぐに蚕の力を見抜いた。
 華節以外の仲間たちも皆、不審げな顔をしている。そのぐらい蚕の存在は信じがたいものだった。
 死者の妄執から生まれる桜魔が、人間を庇うなんて――。
「あんたが桜魔王に成り代わるために野望を抱いているように、あっちはあっちで思惑があるのかも知れないぜ」
 だが、桃浪は大して気にしていない。戦う相手が一人増えて、喜んでいるくらいだ。
「桃浪、お前……」
「落ち着けよボス。敵に想定外の相手がいたからって、あんたのやることが変わるのか?」
 あの少年桜魔の素性はわからないが、敵対行動をとった以上、自分たちの仲間でないことは確かなのだ。だから関係ない。敵として倒すだけ。それが桃浪の考えなのだが。
「あの少年……貴様らの差し金ではないだろうな」
 平静な声音が、桃浪と華節の会話に冷や水を浴びせかけた。
「……早花だっけ? 桜魔王陛下の御付の姉ちゃん」
 意外な意見に、桃浪はぱちぱちと目を瞬く。
 自分を桜魔王に売り込むためにその棲家へと押しかけた華節に、桜魔王は自らの側近の二人をつけた。
 早花と夬。どちらも見た目は二十代半ばの男女だ。もちろん高位桜魔である二人の外見は桃浪や華節と同じく、ほとんど人間にしか見えない。
 彼らは華節の行動を監視し、桜魔王に報告するために桃浪の辻斬り作戦についてきた。
「誓って俺らはあんな奴知りませんって。人間の退魔師と一緒にいきなり桜魔が出てきて、こっちも訳わかんねーよ」
 早花に疑いの目をかけられた桃浪は、心外だと大仰に肩を竦める。
「もしくはあの子どもも、魅了師の下僕だったのだろうか」
「そんな風には見えなかった」
 大袈裟な桃浪の身振りは無視して、夬と早花は二人で話を進める。
 一方で華節と彼女の元々の部下たちもこれからのことについて話し合っていた。
「どうします? まだ辻斬りを続けますか?」
 桜魔王の名を再び世に轟かせ人類に畏怖させるために、華節は今回の辻斬りを計画した。
 無力な一般市民を殺すぐらい造作もないが、それには退魔師が邪魔だ。彼らは人間特有の協力体制を築き桜魔の襲撃にも組織的に対応する。そうすると協調性に欠ける桜魔たちは戦術の上で負けてしまう。
 それを防ぐためには、退魔師たちが徒党を組む前に各個撃破で数を減らすしかない。
 まずは街の方々で事件を起こし、人間側の被害を増やす。特に実力のある退魔師を中心に狩ることが今回の華節の目的だった。
 桃浪は強い退魔師と戦えることを楽しみに、その計画に乗った。そして彼の予想よりも更に楽しい相手がやってきたのが今日の一件だ。
 できればこの後もあの少年――桜魔ではなく、退魔師の方だ。彼と戦いを楽しみたかったが。
「俺はまた出るのは構わないぜ。あっちだってこっちの戦力を全部把握したわけじゃないだろ? 試しにもう一度出てみようか?」
「いや……桃浪。今回で辻斬りは終わりにする」
「ほぉ」
 華節の意外な返答に、桃浪はぴくりと眉を動かす。
「あの謎の子どものことを差し引いても、今回手を出してきた退魔師は強かった。対策をせずに勝つのは苦しいだろうね」
「……なるほど」
 彼女が警戒するのは神刃や朱莉ではなく、鵠。魅了者としての朱莉の能力も厄介だが、真に恐れるべきはかつて最強と呼ばれた男。
 華節は鵠の顔を知らなかったが、その身のこなしとあれだけの桜魔の数を見ても動じない態度、彼に対する神刃や朱莉の様子からその実力をほぼ正確に察していた。
 桃浪もそれらの考えはわかったが、だからと言って引くというのは少し弱気すぎではないかと不満を抱いた。華節の考えは守りに寄りすぎている。
 だが、意見自体には一理ある。
 退魔師の少年、魅了者の少女、中途乱入してきた、一人だけ実力の違う男、そして謎の少年桜魔。
 誰も彼もが、一般的な水準以上の戦闘能力を有していた。ああいった強敵と思い切りやりあうのが桃浪の望みだ。
 彼ら一人一人とまともにやりあえるだけの戦闘力があるのは、この中では首領である華節と彼女の拾い子である桃浪だけだろう。
 他の部下たちは見た目こそ完全な人間型だが、実力的にはそれ程でもない。
 かと言って獣型の下位桜魔――雑魚をいくら侍らせたところで、魅了者がいれば数の優位は封じられてしまう。
 地力勝負を仕掛けるとなると、少々心許ない。
 そうした華節と桃浪の危惧を見抜いたように、桜魔王に寄越された側近の一人、夬が声をかけてくる。
「よろしければ、我々も力を貸しますが」
 今回はどちらかと言えば夬と早花は静観に回った。華節や桃浪並に戦えるこの二人が戦力として加われば退魔師の一団にも押し勝てるかもしれない。
 だが。
「ふん。桜魔王本人ならともかく、その側近の手なんか借りる必要はないよ」
 桜魔王に自分たちの力を売り込みに行ったのに、その側近の力を借りるなど本末転倒だと華節は助力を断った。
「そうですか。では」
 夬は相変わらずにやにやと食えない笑みで、早花は生真面目すぎる冷めた表情で彼らを見ている。
「退魔師一行に存在を掴まれたあなた方が彼らにどう対抗するのか――お手並み拝見と行きましょう」
「掴まれた? 一度顔を合わせたぐらいで、あんな連中に何ができる」
「でもボス、人間の伝達網って侮れないぜ。ここに気づかれたら、乗り込んでくるかもしれない」
「馬鹿をお言いでないよ。そんなことがあるもんか」
 人間を見下している華節は、奴らにそんな知恵はないと侮っている。例え来たとしても、その時はその時で迎え撃つ策もあれば実力もこちらにはあると。
 退魔師たちの実力は認めても、それで負けるとは思っていないのが華節だった。本拠地にのこのこやってきた相手を迎え撃つくらいなんのことはないと。
 桃浪はそこまで楽観できなかった。
 あの場面をあっさりと凌いで見せた退魔師たちが、何も考えずに突入してくるとは思えない。
 退魔師一行の中で一人だけ実力の違った白い髪の男、あの男が戦術の要なのだろう。逆に言えば彼がいない状態で少年と魅了者は桃浪たちの攻撃を持ち堪えて見せたのだ。
 謎の少年桜魔の存在もある。彼らが完全に連携して攻め込んできた時、まともに渡り合えるのが華節と桃浪だけという戦力で勝てるのだろうか……?
「桃浪、頼りにしているよ。あたしの部下で一番使えるのはお前だ」
「まーね。いいよ。俺、戦うの好きだし」
 どうせ戦うなら強い相手と戦いたい。だから桜魔王の座を狙う華節にも従っている。彼女が桜魔王を追い落とそうとする時、桃浪も桜魔王と戦える。だが。
 最近の華節は昔とは少しずつ変わってきた。野心は相変わらずあるが、昔のような輝きはない。
 策は下卑た物へ変わり、信用できる実力はなく忠実さだけが取り柄の部下を侍らせ、お山の大将を気取りながら、自分が世界で一番強いと思っている。
 潮時か、と桃浪は思っていた。もう随分長い事。
 今の華節にはもう、桃浪が仕えるだけの、主として首領としての価値はない。そう考える。
 それでも昔、彼女に拾われた頃の恩を考えれば、理由もなく裏切ろうとは思えなかった。
 今日出会った退魔師たちの若い闘志に満ち溢れた顔が浮かんでは消えて行く。
 未来など考えるだけ無駄かもしれない。
 桜の花が盛大に散り逝くために咲くように、桜魔の生もまた、いずれ散り逝くためだけの虚しいものだろうから。

 ◆◆◆◆◆

 神刃は不機嫌さをまき散らしながら街の見回りをしていた。
 不機嫌なので当然情報収集も上手くはいかないのだが、それでも辻斬りが出たばかりなので入ってくる情報があった。
「え……! それは本当ですか?!」
「噂だよ、噂。あくまでも根も葉もない――ただの噂だ」
 意味深に笑う馴染みの情報屋に金を握らせて追加情報を迫る。
 そして聞いた情報を一刻も早く鵠たちに伝えるため、神刃は慌てて「家」に帰った。