桜魔ヶ刻 04

第1章 天を望む鳥は夜明けに飛び立つ

4.紅い花、白い虫

019

 情報収集から戻った神刃を交えて、鵠たちは一室で額を突き合わせていた。
「……とりあえず、今は辻斬り事件の解決を目的として動こう。あいつらを追うぞ」
 考えても答の出ない蚕のことはひとまず置いて、これ以上辻斬りの被害で人死にが出ることがないよう、事件の解決を目指すことにした。
 あれは桜魔側の策略だった。目的は恐らく辻斬りを倒しに来た退魔師を殺すことだったのだろう。
 数年前から朱櫻国王が大陸中の退魔師に呼びかけているだけあって、ここ最近かの国にはそれなりの戦力が整ってきた。高位桜魔たちはそれを警戒し、少数や徒党を組まず単身で行動している退魔師を狙って襲撃をかけることが多くなったと言う。
 人間という生き物の弱味と強味。一人一人は弱くとも、集団で事に当たればとてつもない力を発揮することがあるということを、彼らは知っているのだ。
 ただ一人の強靭な王を戴く桜魔とは違う。そして桜魔側はその桜魔王すらも、配下をきっちりとまとめてはおらず、ほとんど好きにさせているらしい。
 もしも彼らが王の完全な統制の下に襲撃を仕掛けてきたら、果たして人類はもっと早く滅んでいただろうか。
 鵠は一瞬考えたそれを、すぐに自分で否定した。
 その時には人間側も桜魔の集団に立ち向かうために集合し、様々な思惑を持つ者たちも共通の敵の前に一致団結して桜魔に立ち向かうだけだろう。
 人と桜魔の緩やかな絶望を育む膠着状態が長く続いたのは、結局のところ、人間側に音頭を取る存在がいなかったことが大きい。
 だがその均衡が崩れ始めている。花栄国の隣国、朱櫻の国王は退魔師を集め、桜魔王に立ち向かうための戦力を必要としている――。
「一応花栄国の退魔師協会に報告は入れました。辻斬りは徒党を組んだ桜魔で、退魔師の殺害を目的に行動していると」
 隣国のことは隣国のこと、今の鵠たちは、花栄国で起きた事件の解決を目指す。
 辻斬り退治に鵠たち以外の退魔師が動くとしても、朱莉の忠告によりそれなりの戦力を揃えてからということになる。
 ここに集った面々は一般の退魔師と比べればかなり突出した戦力の持ち主だ。普通の退魔師ではあれだけの高位桜魔に同程度の人数で立ち向かうことはできまい。
 特に鵠はかつて最強の退魔師と呼ばれた男。
 しかし、それ故にこの状況で退魔師協会と合流するのは些か面倒だった。鵠は一人で拳を振るうのは得意でも、大集団をまとめることなどできはしない。
 長年暮らしておいてなんだが、鵠と花栄国の退魔師協会は相性が悪いのだ。
 並の退魔師に頼られるのも頼るのも鵠は苦手だ。せめて向こうにも頭一つ抜けたまとめ役がいれば良いのだが、それらしい存在の話を聞いたことはない。
 心当たりくらいはあるのだが。
 数の優位をとるのは大事だが、単に数だけ揃えても意味がない。連携のできない相手でお互いの足を引っ張るようなら、互いにいない方がマシだろう。
 だからもはや、この面子でやるしかない。
「ここ数日が勝負だな」
「「「……」」」
 うんうんと頷きながら、何故かごく自然に作戦会議に混ざっている蚕。
 一同は色々と思う所のある無言で彼を見つめた。しばらくしてげんなりした鵠が口を開く。
「お前もやるってのか?」
「お試しだと言っただろう? 遠慮なく戦力としてこき使ってくれ」
 蚕は自信ありげに自らの胸を叩いた。
 桜魔王以外の桜魔を倒すことにも、蚕はまったく抵抗がないらしい。仲間意識の薄い桜魔らしいと言えばらしいのだが。
「あの……俺、街で噂を仕入れてきました」
「どうだった」
 蚕のことはとりあえず無視して、神刃が集めた情報の話を始めた。今はここでにこにこと話し合いに参加している無害な桜魔よりも、多くの犠牲者を出した辻斬りの方に早急に対処せねばならない。
「どうやら辻斬りによって殺された被害者には、共通点があるようです」
「共通点?」
「ええ。ある人物にとって邪魔な人間ばかりだったとか」
「!」
 鵠は顔を顰める。
「まさか……」
「街では、ある人物が桜魔と手を組んで邪魔者を消しているのではという憶測が出回っていました」
 殺された相手の評判もあまりよくないらしく、一人二人が死んだところでは街人も気にしなかったという。
 しかしそれが立て続けに何人もとなれば、人は自然とその被害者たちの共通点に気づこうというものだ。
 それ程、死んだ被害者と接点のある人物、彼らを動かせる人物の共通点は露骨だったらしい。
「桜魔を利用しているのか、それとも利用しているつもりで唆されたのか……」
「あの様子を見ると後者の気がするな。彼ら程の高位桜魔が易々と人間に利用されることはあるまい」
 蚕がまたしても口を挟む。だがその意見には鵠たちも同意だ。
 桜魔に対する知識の少ない只人は、高位桜魔の人間らしい外見や知性ある口調に往々にして騙されたり利用されたりすることがある。
「……愚かな話だな」
 鵠は深く溜息をついた。
 自分たちのような退魔師が桜魔の被害を防ぐために駆けずり回る一方で、人は自ら桜魔に近づき危険と罪に足を踏み入れるのだ。
 人がこのような生き物だからこそ、桜魔ヶ刻という時代が生まれたというのに。
「放っておいてもいずれ足元を掬われる気はしますが」
 朱莉も同じ気持ちらしく、呆れたような表情でそう口にする。けれど神刃は二人に真っ向から異を唱えた。
「だからって、それまでに出る被害を放ってはおけません!」
 その言葉には鵠たちも頷く。そうだ。確かにこれ以上被害を放っておくわけには行かない。
 今は腹黒い連中の潰し合いで済んでいるようだが、桜魔の狙いが他のことにある以上、いつその目論見に巻き込まれて更に被害が拡大するとも限らないのだ。
「神刃、お前は当然その『ある人物』の名まで調べてきたんだろうな」
「はい。情報屋から買いました」
 神刃が告げる人物の名を聞き、その人物の屋敷の位置も知った鵠たちは、そこへ突入するための具体的な作戦を立てることとなった。

 ◆◆◆◆◆

 街は茜色の闇に包まれている。すれ違う者の顔も見えぬ黄昏時。
 とある商人の住む屋敷の見張りに、一人の女が声をかける。
「もし……」
「何用だ。ここをどなたの屋敷と心得る」
 女と言うよりも、笠から覗く白い肌と滑らかな輪郭は、まだ若い少女のようだ。
「私はあなた方の主に飼われている者の一人。こう言えば通じます?」
「……ッ!」
 桜魔を屋敷に引き込み、連日辻斬りをさせている商人の部下は、その一言に顔色を変えた。
 少女の肩口に巻きついた布――と見せかけた大蛇が鎌首をもたげて、ちろちろと舌を見せる。
「わ、わかった。いつもの部屋でいいんだな」
「ええ」
「しかし、何故一人でこんな時間に……」
「あら、野暮なことをお聞きになるのねぇ……本当に知りたいんですの?」
 反射的な見張りの問いに、少女は口元を着物の袖で隠し、くすくすと笑う。
 紫紺の髪に緋色の瞳。人形のように整った造作に妖しい色香を伴った笑みを刷く姿が、なんとも美しく恐ろしい。
「い、いや! 結構だ!」
 男は恐怖して思わずその場で二、三歩後退った。
 人間であればそれが巨漢のならず者であろうと臆することなく槍を向ける見張りも、さすがに桜魔には敵わない。
 妖力を操り人外の膂力を持つ桜魔に対抗できるのは、霊力によってその身を強化し様々な術を操って戦闘できる退魔師だけだ。
「まぁ……残念。何も知らぬ者を甚振るのもそろそろ飽きてきましたのに……」
 少女が意味深な台詞を口に乗せれば、事情を半端にしか知らない見張りはわかりやすく怯えてくれる。
「迎えの奴を今呼んだ。あとはそっちで勝手にしろ」
「はぁい」
 無事に門を潜り抜けた少女――朱莉は、そう言って屋敷へと入り込んだ。