021
朱莉の配下の能力の一つに、「影渡り」という術がある。
魅了者たる朱莉が配下の桜魔を自らの影に潜ませているのと同じ原理だ。術者の影に潜む桜魔の性質を利用して、影から影へ物体を移動させる。
鵠と神刃、そして蚕も今回はその術を朱莉にかけてもらって、彼女の影に潜み一緒に乗り込んできた。話も全て影の中で聞かせてもらった。
だから鵠は、真っ先に華節へと飛び掛かる。
辻斬り集団の桜魔たちの中で、この女が首領であり実力も一番上だと判断したからだ。
「ちっ!」
辻斬り対策で今回も刀を握った鵠は華節に斬りかかる。華節自身も刀を使う桜魔らしく、自らの得物で即座に鵠に応戦する。
衝突する霊力と妖力、その影響で桜魔の巣となっていた部屋の幻影が跡形もなく吹っ飛ぶ。
「ここは……」
なるほど、屋敷の一室はただの入り口でそこから桜魔たちが作り上げた空間に繋がっているのか。鵠は簡単に辺りに目を走らせて周囲を確認すると、斬りかかってきた華節の一撃を防ぐ。
「若造が。お前如きが、私に勝てるとでも思っているのかい?」
「ああ、当然!」
華節は強気な口を叩くだけあって、相当な剣の使い手だった。
太刀筋は桃浪のものに似ている。辻斬りの実行犯は恐らくこの二人なのだろう。
見た目ももはや完全に人間にしか見えない高位桜魔は、人間と同じように鍛錬によって剣の腕を上げている。
これが本職ではない鵠にとっては、確かに強敵だ。
仕掛けた技はほぼ全て受け流され、向こうの連撃は防ぐので精一杯だ。
だが、かつて最強と呼ばれ、今もその名を他に譲ることのない退魔師を舐めてもらっては困る。
剣の腕は確かに華節に劣るかもしれない。腕力に関しても、霊力で強化される退魔師に対し、桜魔は妖力によってまさしく人外の膂力を得ている。
それでも鵠は、その程度の優位性で相手に逆転される程度の退魔師ではない。
相手が急所を狙ってきた一撃を、盾の役目も果たす強化した籠手で弾く。
「!」
攻撃をいなされてできた隙に、鵠はすかさず一撃を叩きこんだ。
「ぐっ!」
しかし向こうも剣を扱うだけあって鎖帷子を着こんでいる。いくら霊力を最大に注いだ一撃と言っても、簡単に致命傷を受けてはくれない。
鵠の太刀は華節の鎖帷子を切断したものの、肝心の本体は掠り傷という結果に留まった。
「やるね。伊達に真正面から乗り込んで来てはいないということか……!」
勝敗を分けるのは純粋な剣技だけではない。
しかしそれならば桜魔側も条件は同じ。否、むしろ桜魔こそがその条件で戦う者だ。
剣士同士の公平な精神など、本能のままに人を襲う桜魔と、それを害虫のように狩る退魔師にとっては何の意味もないことだ。
「じゃあ、こっちも本気を見せてやるよ」
鵠相手に力の出し惜しみはできないと判断したのだろう。
ごきごきと嫌な音を立てて、華節の体が変形する。人に近かったその姿が、途端に化物じみて膨らむ。
これがあるから、高位桜魔は厄介なのだ。人間に近いのはあくまで表面上の姿だけ。その内部に奥の手を隠している。
ばかりと開いた胸から異様な白い刃物が突き出した。
「……こんなに見ても楽しくない女の胸は初めてだぜ」
鵠は軽口を叩きながらも、再び剣を構えなおした。
◆◆◆◆◆
朱莉は自らの配下の桜魔を、それぞれ適切な相手にぶつけていった。
人型の桜魔が多いが、全員が全員、桃浪や華節のように完全に人間にしか見えない高位桜魔ではない。人間型と獣型の中間にあるような姿の桜魔は、獣型の中でも突出した能力を持つ者なら良い勝負ができることもある。
この中では鵠が飛び掛かっていった華節と言う女が集団の纏め役なのだろう。つまりは一番強いということで、朱莉たち退魔師一行の中で一番強い鵠が彼女の相手をするのは理にかなっている。
退魔師の仕事は、桜魔を倒しきらねば達成されない。人数で優位をとれることもあるが、そもそも人間の中でも優れた退魔師はほんの一握りだ。
そして獣型の下位桜魔ではどれだけ集まっても人間の姿をした高位桜魔に敵わない以上、高位桜魔を倒すのは人間の中でも別格の強さを誇る退魔師が必要ということになる。
ただ、問題は――。
「うわっと!」
考え事をしていた隙に、危うく肩口からばっさり斬られるところだった。
朱莉は慌てて早花の一撃を躱す。
「ちっ。見た目より意外と俊敏だな」
「見た目よりは余計です」
人型の桜魔集団の中にひっそりと紛れていた高位桜魔。そのうち男が一人、女が一人、どうもひっそりとした佇まいとは裏腹な実力を備えているようである。
「貴女こそ地味に見えて意外と大胆な攻撃をしますのね」
「……地味は余計だ」
早花は朱莉に次々と斬りかかるが、全て呪符で防ぐか躱される。
華節の束ねる集団の中で浮くというよりも目立たぬよう沈んでいた二人――夬と早花は、本来桜魔王の側近を務める高位桜魔である。
夬の相手は、朱莉の配下では一番の実力を持つ中位桜魔・紅雅が引き受けている。
紅雅は元々人斬りの未練が強く残された桜魔だ。そのため中位ながら高位桜魔にも匹敵する実力を備えている。
朱莉の配下と華節の配下の獣型たちが見るも無残な食い合いをする中、人と人に近い姿をした桜魔たちが殺し合う。
朱莉は己の不利を感じ取っていた。
この女、強い。
早花の素性こそこの時点では知らぬものの、彼女が隠している実力の片鱗を早々に感じ取っている。
華節や桃浪のように自分の力を強さを誇示するわけではない。しかし歴戦の剣士のような、隙のない強さをすでに確立している。桜魔であれば自己流であるはずの剣技でさえ、誰かに学んだかのような綺麗な型だ。
「形勢は不利。あとは、神刃様と……」
一対一で相手の実力が上回るなら、数の優位を活かすしかない。だがそれをするには、今は全員が目の前の敵で手一杯だ。
誰かがまず目の前の相手を倒し、手を開ける必要がある。
そのために期待ができるのは、神刃――そして彼にくっついて桃浪と対峙する、謎の少年桜魔・蚕だけだった。
◆◆◆◆◆
「さて、では我々もやるとしようか」
「なんでお前がここにいるんだ。他の相手を――」
「と言っても鵠と朱莉はそれぞれ別の相手とすでに戦闘開始してしまった。しかも迂闊に手を出せそうにない」
「……俺が、一番弱いから援護でもないと勝てそうにないって?」
確かに鵠は強い。朱莉とて二年前までは素の身体能力では神刃が勝っていたのだが、今は桜人となった彼女の方が上だ。
あの二人に比べて、神刃は退魔師としてまだまだ未熟である。そう、神刃一人では目の前の敵を――桃浪を完全に抑えきることは難しい。
だから蚕は鵠や朱莉ではなく、神刃の援護と言う形で戦闘に割り込もうとするのかと。
「いいや」
だが蚕はその言葉通り気負いのまったく感じられない、極自然な口振りで言った。
「今この空間で、一番勝ちたいと思っているのがお前だからだ。なんとしてでも敵を、桜魔を倒そうと願っているのがお前だからだ」
共に桜魔王を倒すため、仲間にしてくれと言い放った自らも桜魔である少年はそう告げる。
「……!」
刀を抜いた桃浪がうずうずと斬りかかる隙を待っている。神刃はともかく、蚕の実力を感じ取ってこちらも迂闊に手が出せないのだろう。
「なんでもいいから、俺たちもそろそろ始めようぜ」
……否、単に真正面からやりあいたい戦闘狂かもしれない。
とにもかくにも、神刃と蚕の歪な同盟対、桜魔・桃浪の戦いが始まった。