桜魔ヶ刻 04

022

「へぇ、それで退魔師の中にねぇ」
「そういうことだ」
 こいつらは何を平然と話をしているのか。神刃は短弓に矢をつがえながら思った。
今日は予備の剣を持ってきてはいるが、蚕の援護に回る形なので剣よりも弓を選んだ。
 もし間違って当たっても、蚕も桜魔ならば早々致命傷にはなるまい。
 人間型の桜魔はその急所も人間と同じく脳や心臓や首、主要な臓器や腹部なのだが、頑強さは生身の人間とは比べ物にならない。
 神刃が弓を選んだのは急所狙いと言うよりも、矢を通すことによる縫い止めが目的だった。
 しかし桃浪も蚕もかなりの腕前で、立ち位置が瞬時に入れ替わるような戦闘の中では中々桃浪に当てる隙が見つからない。
 そんな中でも戦う二人自身は、神刃から見れば気楽に世間話を進めている。
「私にはそれ以前の記憶がないからな。どういう理由かは私自身も知らんが、桜魔王を倒さねばならないと本能が囁くのであれば、倒そうと思ったまでだ!」
 蚕は素手で桃浪に殴りかかる。十歳にも満たない子ども姿の蚕が素手。二十歳過ぎの青年には見える桃浪が刀を振りかざしているのを見ると、どう見ても桃浪の方が一方的な惨殺を行おうとしているようにしか見えない。
 だが実際は蚕の徒手空拳での格闘は侮れなかった。霊力……妖力を拳や脚に集め、周囲の下位桜魔なら余波だけで消し飛んでしまうような強力な一撃を放つ。
 桃浪は刀で斬りかかるが、蚕はそれを身体能力だけで回避している。桃浪の方でも相手が斬るのではなく殴りかかってくるので受け太刀ではなく回避に費やしている。
 その合間、蚕と桃浪の距離が離れた隙を狙って神刃は矢を放つ。何本か連続で放っても、桃浪は小憎らしいくらい簡単に躱す。
「でもそれ、ちょっと羨ましいぜ!」
「羨ましいのか? 華節を頭領としたこの集団に属するお前が?」
「あれ? お前、うちの頭が華節って名前だってこと知ってたのか?」
 蚕の何気ない一言に、桃浪が怪訝な顔をする。
 華節と言うのは、あの鵠と戦っている女の桜魔のことだったか? だが今の蚕の口振りだと、まるで以前から彼女のことを知っているかのようだった。
「む」
 きょとんと目を丸くした蚕が、その隙を衝かれて攻撃を受ける。
 心臓を狙った桃浪の一撃を、蚕は咄嗟に妖力を込めた両腕を交差させて守ることで防御した。
「蚕!」
 神刃は思わず彼の名を叫んだ。朱莉や鵠も一瞬だがこちらを気にする様子を見せる。
「大丈夫だ。問題ない。ああ、それとも心配してくれたのか?」
「だ……誰が! いっそお前たちで共倒れになってくれた方がいいと思っただけで――」
 にこにこと尋ねて来る蚕の様子は本当に余裕の表情だ。神刃はついつい、憎まれ口を叩いてしまう。
「残念ながらそうはいかないぜ、坊や」
 蚕に手傷を負わせて充分な隙を作ったという考えか、桃浪は今度は神刃に仕掛けてくる。
 神刃は予備の剣を抜いた。
「得物の形がこの前と違うな。それは、切れ味の足りない予備のなまくらか? それとも今日こそ本命なのか」
「どちらでも好きに思え」
 神刃は霊力を流した剣を構える。
 今日手にしているのはこの前のような小太刀とは違う。長さこそ同じくらいだが、平べったくまっすぐとした刀身を持つこれは「剣」だ。戦闘よりも、古き時代に神官や巫女が呪いや儀式に使った宝剣に似た形である。
 蚕と神刃の立ち位置が入れ替わる。負傷した蚕に代わり、今度は剣を握った神刃が積極的に仕掛けていく。
「へぇ……!」
 桃浪は爛々を目を輝かせ、打ちかかってくる神刃の剣を受ける。
「ところでちっちゃいの。お前さん、なんでさっき動揺したんだ?」
「それはだな」
 神刃と役割を交換し、今度は援護に回った蚕に再び桃浪は話しかける。
 蚕は蚕で、言葉と一緒に針に見える細い白いものを桃浪に投げ飛ばす。
 それを躱しながら、桃浪は蚕の返答を待っている。
「お前に言われて気づいたのだが、私はあの女を知っているようなのだ。だが、何故自分にそんな知識があるのか、という部分の記憶がさっぱりない」
「なに?」
「華節だけでないな、向こうで朱莉と戦っている女は早花、その向こうの男は夬だろう。二人とも桜魔王の側近だ」
「よく知ってるな。俺だってつい数日前に聞いたばかりだってのに」
 桃浪が夬と早花と出会ったのは、華節が彼らを連れてきてからだ。
「お前は」
 剣を振るいながら神刃が口を開く。
「お前は一体何者なんだ?」
 その問いは目の前の桃浪ではなく、蚕に向けられたものだ。
「さぁ――残念ながら、私にもわからない」
 だから知りたいのだと。桜魔王を倒すことで。自分の生まれた訳を。
 蚕の針が桃浪を一時的に障害物に縫い止める。
 それは、朱莉の配下の獣に食い千切られた桜魔の死体。一瞬後には桜の花弁に変じてしまう残骸だ。
 その一瞬の隙に、神刃は桃浪に斬りかかる。
「――甘い」
 純粋な戦闘力では、どうやら桃浪の方が遥かに上だ。だからこの一撃も綺麗に躱せるかと思った。桃浪も、傍で見ていた蚕も。
 しかし。
「!」
 神刃の剣が一瞬紅い光と共に剣先を変形させる。そこで間合いを見誤って、桃浪は手傷を負った。
 完全に油断しきっていたわけではないのでそれでも僅かな傷で済んだが、これが相手を舐めきって避けたところで油断していたら、ぱっくりと首を裂かれていたはずだ。
「なんだ今の! 面白ぇ……!!」
 零れる度に桜の花弁に変じる血を流しながらも、桃浪は怒るどころかわくわくと高揚を見せている。
「やるな! 坊や!」
 神刃は厳しい表情を変えない。これで倒せなかったとなると、この後もまだ厳しい。
「面白ぇ……本当に、面白ぇよお前ら……!」
 桃浪はいっそ好感を抱いているかと言う程の笑顔を浮かべ、再び刀を構えなおす。しかし次の瞬間、その表情が凍りついた。
「っ! 華節!」
 ここではない一つの局面が、決着をつけようとしていた。

 ◆◆◆◆◆

 華節は劣勢に回っていた。
 信じられない。こんな若造相手に? だが桃浪と見た目の年齢が然程変わらない歳の青年が、今彼女を圧倒している。
 高位桜魔として発生し、更に剣術の修行を何十年も積んだこの自分が、負ける?
 信じられない。許せない。
 いつまでも力を誇示できるわけではないことはわかっていた。拾い子の桃浪が、いずれ自分の力を超えるということも予感していた。
 だがそれは、まだ今ではないはずだ。
 その日が来るまでに部下を率いて人間共を殲滅し、名実共に桜魔王の名を得るはずだったのに。
 計画の最初のこんなところで躓くなんて。
「ぐっ……!」
 青年の一撃は重く、鎖帷子の防御をものともしない。
 桜魔と退魔師の戦いは、最終的には霊力の強さと技術の勝負になる。霊力や妖力が強ければ一方的な力押しができる。そうでなくとも、技術が相手を上回れば剣は通じる。
 そう思っていたのに。
「ふざけるな。貴様ごときに、この私が……!」
 華節の剣を受ける青年の動きは、剣士としてはそこそことしか言えない強さだ。
 だがその腕の、その霊力の力強さは、剣士としての未熟を補ってあまりあるもの。そして。
「これでもくらえ」
 鵠は手のひらに溜めた霊力の矢を、お互いが距離を取るために剣を引いた一瞬に放つ。
 退魔師としての力量は、高位桜魔にも対抗できる、十分すぎるくらいに十分なもの。
 遠い噂を思い返す。かつて花栄国で聞いた、最強の退魔師の噂。だがそいつは最強などと呼ばわれる割に、まったく自ら桜魔王討伐に名乗りを上げる素振りすら見せない。高位桜魔の中でも更に名の通った実力者が何人もやられたという話もあったが、どうせでたらめだろうと……。
「華節!」
 穴の開いた胸は風通しがよく、遠い記憶が彼女をどこか遠くへ連れて行きそうになる。
 だが桃浪の声で我に返った。そうだ。まだここで終わるわけには行かない。
 胸の傷を妖力で応急処置として塞ぐ。
「さすがに高位桜魔はしぶといな」
 鵠がまだ余裕を残した表情で舌打ちする。
 だが。
「いいや。これで終わりだよ」
 次の瞬間そこに現れた人影が、容赦なく華節の胸に、二度と塞ぎようのない穴をあけた。