桜魔ヶ刻 04

023

「陛下」

 と、早花が呼んだ。
 突然現れて華節の心臓を貫いた青年姿の桜魔に対し。
「桜魔王……?!」
 鵠の、神刃の、朱莉の驚愕が重なる。
 力を失った華節の肉体から、青年は血まみれの腕を引き抜く。ぬるりと一度地に落ちた血痕が、そこから桜の花弁に変わっていく。
 そしてそれを追うように、青年の手が離れ支えを失った華節の体も倒れ込んだ。
「華節」
「頭領!」
 ぽつりと呟いた桃浪の声を、他の部下たちの叫びがかき消す。
「桜魔王陛下、どうして」
 桜魔王は鵠とさして年齢も変わらぬような、白銀の髪に桜色の瞳をした青年だった。
 そしてその顔立ちは。
「……鵠さんに似てますわね」
 朱莉は小さく囁いた。独り言だ。だが近くにいた早花には聞こえていたらしい。しかし彼女は何も言わず、朱莉の傍を離れて桜魔王に駆け寄る。
「陛下、どうなさったのですか?」
「別に。この女の言う計画とやらがどうなったのか見に来ただけだ」
 夬も紅雅の剣を押し返し、桜魔王の側近として彼の傍に早花と共に侍った。
「頭領!」
 華節の命が絶えていく。
「失敗したようだな。街を見て来たが、退魔師協会が動き出している。あいつらに色々と突っ込まれると面倒だ。帰るぞ」
「了解」
 早花と夬は桜魔王の命により華節の作戦を手伝っていただけ。本来の主が戻って来たならば、その命に従う。
 一方、主を桜魔王に殺された華節の部下たちは動揺しきっていた。華節は彼らの主ではあるが、桜魔王は全ての桜魔の主君。どうしていいかわからないと言った風情で、躯の華節と桜魔王を見比べている。
「ああ。だがここを後にするその前に」
 桜魔王の手の中に光が――全てを消し飛ばす暴力的な妖力の光が生まれた。
「後片付けはしておかないとな」
 次の瞬間、華節を喪って崩れかけていた桜魔の巣は、跡形もなく吹き飛ばされた。

 ◆◆◆◆◆

「逃げろ!」
 鵠は神刃を抱え、咄嗟に爆発の中心点から飛び退いた。
「どういうことでしょうかね」
 朱莉は紅雅にお姫様のように抱きかかえられて無事だ。蚕も危なげなく桜魔王の攻撃を躱している。
「桜魔たちの仲間割れ……か? あれは桜魔王だな。桜魔王と華節の間で何か交渉があり、それが決裂したという印象だ」
 蚕の言葉に、鵠は顔を顰めて返した。
「そうか? 俺には一方的な粛清に見えるがな」
 桜魔王は最初の一撃で獣型の下位桜魔たちの残党を吹き飛ばし、その後、華節の部下の高位桜魔一人一人に、丁寧にトドメを刺している。圧倒的な力の差で頭部をぐしゃりと潰し、確実に殺害する。
 鵠たち退魔師には目もくれる様子がない。それは、桜魔王の側近二人も同じだ。あまりに異様な状況に、鵠たちも彼らに迂闊に手出しできずにいる。
 その均衡を崩したのは、一人の青年桜魔だ。
「!」
 桃浪が桜魔王に斬りかかる。
「あいつ……」
「今の実力では勝てないとわかっていそうだがな」
 彼と戦っていた神刃と蚕は、思わずその動向を見守った。
「おや、やる気だな」
「てめぇ……!」
 桃浪の気迫は、神刃と蚕の二人を相手にしていた時とはまるで違う。桜魔王に対する殺意に満ちている。
「今でもなかなかの実力だが」
 しかし桜魔王は、桃浪の剣を素手のまま簡単にいなす。
「まだ甘い。そしてそのまま、頂点に届かず死んでいけ」
 桃浪がぎり、と悔しげに唇を噛みしめた。
 先程華節の胸を抉ったように、桜魔王は桃浪の心臓も貫こうと腕を突き出す。
 その腕に、紅い矢が刺さった。
「神刃?」
「あ、えっと……」
 咄嗟に矢を放っていた神刃は、鵠に声をかけられて我に返る。
「まぁ、良いのではないか。我々は元より、桜魔王に対抗するための集団なのだから」
 神刃に続いて蚕が攻撃を仕掛ける。はっきりとした意志の下でなされた攻撃を躱すために、桜魔王は桃浪から手を離した。
 そして桃浪は宙を蹴り、一度鵠たちのいる側まで下がった。
「おい、なんでこっちに来るんだ」
「気にしないでくれよ。お互い桜魔王に恨みを持つ者同士じゃないか」
 俺は別に桜魔王に恨みがあるわけじゃない……と内心で反論している鵠に対し、桃浪はとんでもないことを告げてきた。
「というか、俺もお仲間に入れてくれよ」
「はぁ?!」
「俺にもできちまったんだよ。桜魔王を倒す理由が」
 桃浪の顔は笑っているが、目はいまだにぎらぎらと獣のように輝いて桜魔王を睨んでいる。
「すでにそっちのちびっこがいるんだ。今更桜魔は仲間にできないなんて言わないだろ?」
「……こいつも別にまだ仲間じゃない。というか辻斬りを仲間にするわけないだろう」
 蚕の方を指して告げてくる桃浪に、鵠は呆れながら反論した。
 朱莉は無反応だが、神刃は驚きなのか呆れなのか怒りなのかで、もはや声も出ないようなのだ。
「ま、いいから」
「良くない!」
「落ち着いてください神刃様。今は油断できる状況じゃありませんわよ」
 叫ぶ神刃を朱莉が窘める。桜魔王がまだそこにいるのだ。桃浪が彼らの側まで下がってきたことで、彼はようやくこちらに意識を向け始めた。
「ほー、退魔師が桜魔と組むのか。斬新な組み合わせだな」
 圧倒的で無慈悲な力の持ち主とも思えず、桜魔王はどこかとぼけた性格のようだ。
「どうするんですか、陛下? 華節一派の残党君が退魔師と手を組むとなると、ここで全員殺しておきますか?」
 夬の言葉に、鵠たち退魔師側も一気に緊張を高める。
 鵠たちは華節たちとの戦いで少なからず消耗している。それに比べて桜魔王はいまだ無傷。朱莉と紅雅は慎重に戦っていたため、早花も夬も目立った負傷はない。
 今戦うのは分が悪く、もともと桜魔王に彼らの実力で通じるのかも定かではない。
 ただ。
「そっちがその気なら、相手をしてやるぜ」
「鵠さん!」
 向こうがやる気だと言うのなら、鵠は応戦する気持ちと、それでも一方的な勝負にはならないという自信はあった。
 今なら負傷しているとはいえ桃浪もいる。華節とは頭領と部下以上のどういう関係だったかは知らないが、彼は華節を殺されて桜魔王に対し怒りを持ったように見えた。
 人数差をつくのであれば――。
「……いや、やめておこう」
 桜魔王側はその挑発に乗らなかった。鵠、神刃、朱莉、それに蚕と桃浪、姿を見せている紅雅も含めれば六対三だ。さすがに無理はするまいと考えたのだろう。
「今日は華節のやり口を見に来ただけだからな。用事はもう終わった」
 桃浪がぎりりと唇を噛む。華節を殺し、華節の部下たちも彼以外の全てを殺し、それが済んだ用事だと言うのか。
 桜魔王側は影渡りの手法でさっさと道を開き、この場所から消える。
 後には桜魔の巣が消えて半壊になった屋敷の一室が残された。周囲の喧騒がだんだんと耳に入ってくる。
「とりあえず、後始末が面倒だな」
 鵠の深いため息が、全てを物語っていた。