桜魔ヶ刻 04

024

「俺は、反対です」
「私はもうどうにでもして、と」
「……」
 蚕だけではなく、桃浪まで押しかけてきた家で、三人の退魔師は額を突き合わせて考えていた。
「二人とも強いので私の配下にもできませんしね」
 魅了者の朱莉が支配下に置いた下僕ならば話は簡単なのだが、完全に自分の意志で行動する自由な桜魔を仲間に引き入れるとなればそうもいかない。
 で、どうする? という鵠の問いに対するのが、冒頭の二人の答だった。
「蚕については今回の戦いで神刃様の味方をしてくれたこともありますし、ひとまず桜魔王を倒したいと言う目的は信じてもいいのではないかと」
 自身が桜人である朱莉は、桜魔を仲間に引き込むことに関してもそれ程抵抗はないようだ。
「神刃……」
「俺は、嫌です」
 一方の神刃は、頑なに蚕と桃浪の受け入れを拒否し続ける。
 神刃の気持ちもわからなくはない。と言うより、むしろそちらの方が常識的な反応だろう。桜魔は人類の敵だ。
 今目の前にいる、桜魔王打倒のために退魔師の仲間になりたいなどという桜魔二匹が異常なのだ。
「……何度も繰り返したが、私の目的は桜魔王を倒すことだ」
 蚕は神刃の態度を目の前にしても、不快を表すことすらせず、いつもの歳不相応に不思議な落ち着きを宿した瞳で語りかける。
「これを信じてもらうのは難しい。お前たちを納得させるだけの理由を、私自身が持っていないからな。けれど、願いそのものは本当だ。私にはそれを繰り返すしかない」
「……」
 蚕に関しては神刃も複雑な想いがあるようだ。実際彼は、神刃に味方して桃浪と戦った。その時に言われた言葉を神刃も忘れていない。
 ――今この空間で、一番勝ちたいと思っているのがお前だからだ。なんとしてでも敵を、桜魔を倒そうと願っているのがお前だからだ。
「はーい、じゃあ次、俺の理由ね」
 神刃の物思いは能天気な青年の声に中断された。桃浪が悪びれもなく口を開く。
「俺の理由は簡単だ。華節を殺された恨みで、桜魔王に復讐したい。それだけ」
「それだけって……お前……」
 蚕の素性もなかなか謎めいているが、桃浪についてはもっと問題だった。
 彼は辻斬りの一味の実行犯で、すでに何人もの人間をその手にかけている。人間を手にかけたことはないと断言した蚕と違い、桃浪の手はあまりに血塗られ過ぎているのだ。
「それだけさ。分かりやすい理由だろう? 復讐ってのは」
「……」
 神刃が、鵠が、朱莉が、それぞれに黙り込む。確かにこれ程わかりやすい理由はない。
「偽善的で綺麗なお題目と違ってこれ程簡素な動機もないぜ。俺は……」
 朱い瞳がすっと光を失い、憎しみを宿す。
「あの男を殺すまでは、絶対に死なない」
 鵠が桃浪に問いかける。
「華節というあの女は、お前にとって何なんだ」
「俺は生まれたばかりの弱弱しい餓鬼でしかなかった頃にあの女に拾われたんだよ。つまりは養い親ってわけだな。俺に剣の基本を教え込んだのもあの女だ」
 だから復讐をしたいのだという桃浪の言葉に、神刃がぴくりと反応する。
 養い親。復讐。その二つの言葉が、神刃が普段封じ込めている記憶を思い起こさせる。
 詳しい事情まではわからずともそれを察せられるだけの知識がある鵠は、ある決断を下すことにした。
「――わかった」
「鵠さん?」
 徐に口を開く。
「蚕。桃浪。お前たちには、俺たちと協力して桜魔王を倒してもらう」
「鵠さん!」
 神刃が再び鵠を呼んだ。その声には非難の色が強く宿っている。
「神刃。どっちにしろ決断は下さねばならない」
「でも!」
「ここで追い出したところで、どっちも納得せずにどこまでも押しかけてきそうな性格だしな」
「……っ」
 それは確かに否定できないと、神刃も苦々しげに頷く。だが彼らを受け入れる理由にはならない。
「――この二人は、桜魔です」
「知っている。だがここで殺すのもな。特に桃浪はともかく、蚕が人を手にかけたところは、俺たちも見たことはないわけだし」
 結局そこなのだ。
「……」
 朱莉は黙って、鵠と神刃のやり取りを見守っている。この三人の中では一番強い決定権を有しているのは鵠だ。
 神刃も朱莉も退魔師としての実力は相当にあるが、それでも他に代わりがいない人材と言うわけではない。だが、桜魔王に対抗できるだけの退魔師ともなれば、今この大陸には鵠だけだ。
「こいつらが俺たちを裏切ったり、人を無闇に傷つける存在だと判明したらその時は殺す。逆に言えば、そういう奴だと危惧するなら野放しにはしておきたくない」
 視線を向けられた桃浪が頷く。
「はいはい。もう人間に手をかける真似はしません。元々俺が好きなのは強い奴と戦うことだ。華節の命令に従って辻斬りを行ってはいたが、無力な町人を何人殺したところで楽しめるわけでもないしな」
「楽しいとか楽しくないとか、そういう問題じゃ……!」
「神刃」
 鵠は穏やかに、けれど強く呼びかける。 「信じなければ始まらない。そう俺に教えたのはお前だ」
 鵠のその言に、これまで心を閉ざしていた彼をようやく説得した少年は、ぐっと言葉を呑み込む。
「蚕のようにお試し期間とは言わないが、妙な真似をしたらすかさず斬れ」
「わー。俺って信用なーい」
「「当たり前だ」」
 鵠と神刃の声が重なる。
「蚕、お前もそれでいいな」
「ああ。もちろんだ。今のところそんなことをするつもりはないとはいえ、私が人間を躊躇なく襲うようになったら、それは私が私でなくなった時だ。その時はお前たちも遠慮なくやってくれて構わない」
「……と、言うことだ」
 鵠は一応確認の意味で朱莉を見る。
「私もそれで構いませんわ」
 そして鵠と朱莉、二人の視線が集中し、遂に神刃は折れることになった。
「……わかり、ました。鵠さんの意志に従います。でも、全面的に信用するわけじゃありません」
「当然だ。むしろ全面的に信用なんてするわけには行かないだろう。桜魔王を倒す戦力としては数えるが、一応普段から気を付けてくれ」
「はい」
 桜魔王には今回見た男女だけでなく他にも側近がいるはずだ。本当に彼らを倒すならば、こちらも頭数を揃えねばならない。桜魔王というのはもはやあの青年個人ではなく、桜魔王陣営全てを指すのだ。
「じゃ、早速部屋割りを教えてくれよ!」
「私は別に部屋はいらん。どこでも寝られる。あ、でも足りない記憶と知識を補うために本が欲しいな。書物のある部屋に案内してくれ」
「お前ら本気で図々しいぞ!」
 全身で拒絶していた割には、反応が素直な神刃は桜魔二人に馴染むのも早そうだ。
 この先の波乱を目いっぱいに予感させながら、それでも一つの事件がようやく終わった。

 ◆◆◆◆◆

「そう言えばあの屋敷の住人は結局どうなったんだ?」
 非正規退魔師だと名乗りながらも、朱莉はどこかに伝手をもっているらしく、正規の退魔師協会ともちょこちょこ連絡を取り合っているらしい。事後処理は任せろという彼女の言葉に甘え、非正規退魔師である鵠はその結果報告を聞いた。
「とりあえず警吏と退魔師協会の方で連携し、裏で色々やっているらしいですわよ。桜魔と手を組んで邪魔者を謀殺していったのですもの。国を怒らせましたわね」
 くすくすと笑う朱莉の笑顔に、これ以上詳しいことはあまり聞かない方がいいのだろうなと鵠は察することにした。
 鵠は確かにかつて最強の退魔師と呼ばれたが、そう言った人間があまり深く王に、政府に関わるものではないと考えている。強い力を持つ人間が王になるという原始的な時代はとっくに終わっている。
 争いに勝つ力を持つ人間が王を務めるというのは、桜魔ヶ刻をもたらした緋閃王の過ちを繰り返すだけだ。
 それより今は気になることがある。鵠と二人きりになる機会を見計らっていた朱莉の方もそうだろう。
「神刃様のこと、気にかけてくださってありがとうございます」
「……あんたはあいつの姉か何かか? そんなに気にするな。俺が俺の意志で勝手にやったことだ。誰に感謝される謂れもない。あんたにも……神刃にも」
「それでもあなた様が彼ら二人を受け入れる決断をしたのは、神刃様のためなのでしょう。私はそれをありがたいと思っております」
 総てを見透かしたような目で、朱莉はくすくすと笑っている。桜人とはいえ、侮れない少女だ。そうでも考えないと、鵠は自分はそんなにわかりやすい人間なのかと落ち込むことになる。
「あいつの中には矛盾があるんだな。桜魔は総て敵であり、殺さねばならないと憎む気持ちと」
「桜魔であっても、残酷なことはできないという良心……」
 鵠が蚕と桃浪の二人を殺すのは、難しいが不可能ではない。
 桃浪は抵抗するだろうが、彼相手ならば鵠はぎりぎりではあるが勝つだろう。神刃や朱莉の援護があれば更に確実だ。
 そして蚕は彼自身が言った通り、人を傷つけない。鵠が本気で彼を殺そうとしたら、さすがに無抵抗ではないだろうが鵠たちを傷つけずに逃げようとするだろう。
 だがその選択は、恐らくきっと、神刃の心も傷つける。
 それを、鵠も、朱莉も理解している。
「だから多少傲慢に見せても、あなたは神刃様のためにあの二人をひとまず受け入れる決断をしてくださったのですね」
 初めはむしろ逆だった。依頼を受けた対象だからとはいえ鵠は相手がどんな桜魔だろうときっちり殺して来たし、神刃はその残酷なやり方に異議を唱えていた。だが。
「……そういうわけでもない。俺は別に神刃と違って、桜魔ならなんでも殺す主義でもないからな。使えるものはむしろ使うだけだ」
 だが、十にも満たない子ども姿の蚕。
 そして、養い親を殺されたために復讐を望む桃浪。
 あの二人の姿や境遇は、神刃の心を刺激しすぎるのだ。ひとまずは生かしておいた方がいいだろう。
「……まぁ、ここで仲間にしたことで、あの二人が本当に桜魔王討伐の切り札になる可能性もありますしね」
「そうだな。そうなってくれればいいんだが」
 鵠としては、神刃に桜魔への憎しみを捨てろと言う気もなければ言う意味も感じない。全体としては、あれは憎むべき存在だ。
 だが、桜魔全般を憎むあまりに視野が狭くなれば神刃自身の精神的にも良くない。桜魔にだって個性があるのだ。戦法だって個体差が激しい。それらの前提を忘れたり歪めたりするような無駄な拘りは推奨しない。
 そういう意味では、蚕や桃浪との付き合いは神刃を変える一助となるのかもしれない。
「まぁ、とにもかくにもこれから賑やかになりそうですわね」
「……あのなぁ」
 朱莉の穏やかな感想が、全てをさらっていった。

 ◆◆◆◆◆

 ――なんだい、餓鬼。そんな死んだような目をして。
 初めて会った時、女は彼を見て笑った。
 ――弱いからそうなった? ああ、そうだね。そりゃあ仕方ない。桜魔の世界は力が全てだ。
 ――だからお前にも力をやる。死ぬのはそれが通じないとわかってからでも遅くないよ。
 酔狂な女だった。死にかけの子どもを拾って育てるとは。それで彼女に何の価値が、意味があったのか、今でも彼にはわからない。
「だが、まぁ、いいさ」
 ――桜魔ってのは、どいつもこいつもやりたいように生きるだけさね。
 元より桜の樹の魔力と瘴気、そして死者の念が結びついて発生する妖。桜魔の生に意味も価値もなければ、崇高な理念など塵とも必要ではない。
「だから俺も、やりたいようにやる」
 復讐どころか彼の人生さえ無意味なのだから、あとはどうにでもなれ。散り逝くために咲く桜のように、滅びるために生まれてきて何が悪い。
「あいつらもまぁ、面白そうな面子だしな」
 ちょっとの間――そう、桜魔王を倒すまで付き合うのも一興だと。
 今日もまた、夜と朝の間の桜魔ヶ刻で、一人の桜魔が笑うのだった。

 続く.