桜魔ヶ刻 05

026

 鵠たち一行は朱櫻国を訪れた。
「お嬢の実家はどこだ?」
「首都です」
 退魔師協会の本部も存在する、まさしく朱櫻国及び退魔師世界の中心部だ。
 距離的には大したことはないので、僅か半日程で辿り着いた。
 退魔師の身体能力は霊力の扱いによって常人より大きく引き上げられている。ただ走るだけでも馬車並の速度を出せる。蚕と桃浪の桜魔組については言うまでもない。人より強大な力を持つからこその桜魔だ。
 朱櫻国の空気は、一見してわかる程に花栄国と違った。
 花栄国よりも活気がある。だが、同時に人々はせかせかとしていて余裕がない。焦燥と不安が花栄国よりも強い。
 衰退しつつもなお力を持つ朱櫻国の強さと、桜魔どころかこの大陸中の恨みを買っているという不安、恐れ。
 ああ、そうだったと鵠は思い出した。何よりこの国はこれがあるから、依頼でもなければできる限り近寄らないようにしていたのだ、と。
 しかしそう思うのは鵠だけのようで、この国出身の朱莉と神刃は慣れた顔をしている。
 蚕と桃浪の桜魔二人にいたっては、どことなく楽しそうな様子だ。桜魔がこんな風に堂々と日中の大通りを当然のように歩くこと自体が珍しいからだろう。
「この街は花栄国の王都より活気があるな!」
「と言っても、せかせかした活気だけどな。みんな外を歩くのに怯えてやがる」
「当然のことだろう。だってこの国は――」
 神刃の台詞の途中で、全員がふっと空を見上げた。
「言ってる傍から来なすったぜ」
 遠い青空に黒い染みのような影を見つけて桃浪が喜び、鵠が臨戦態勢に入る。
「お嬢、場所はあるか」
「もう少ししたら、先日の襲撃で壊滅した一角があります。そこで撃ち落としましょう」
 桜魔の群れが、この場所を目指していた。

 ◆◆◆◆◆

 鵠たちがその場所に到着する頃、ようやく街の人々も襲撃に気づきだした。蜘蛛の子を散らすように慌てて人影がそれぞれの建物の中に避難する。
「避難が迅速だな」
「さすがに退魔師協会の御膝元ですもの。それにここ数年は国王陛下が陣頭指揮を執って、桜魔の襲撃に対する策として見張りを置いているのです」
「ほぉ」
 街人たちの避難状況を思えばその見張りとやらは、ここにいる全員より力が下だ。恐らくこの国で真っ先にあの襲撃に気づいたのは鵠たちであり、見張りはその後に街人たちに指示を出したのだろう。
 だが、そのおかげで鵠たちがわざわざ人を割いて避難指示を出す手間が省けた。ここにいる五人全員であの襲撃に対処できる。
「この国の退魔師が来るなら、私たちは退いた方がいいのではないか?」
 蚕がそう問いかけるが、鵠はこう返した。
「いや、俺たちの存在を知らせるなら早い方がいい。大体首都が桜魔に襲われているのに何もしなかったなら、どうせこの国の退魔師の信用なんて得られまい」
 退魔師協会とどこまで連携をとるのかはまだ鵠も決めかねている部分があるのだが、とりあえず恩を売っておくに越したことはあるまい。
「それもそうだな」
「蚕、桃浪。お前らは正体がばれないように行動しろよ」
 姿だけ見れば、人間にしか見えない高位桜魔二人に言い聞かせる。桜魔の気配は完全に隠せるものではないが、幸いにもこちらは桜人にして魅了者の朱莉がいる。
 彼女の従える無数の配下の桜魔の気配と入り混じって、余程気を付けていなければ蚕や桃浪が桜魔であることには退魔師であっても気づかれないはずだ。
「了解」
「わかったよ」
 朱櫻国は、あらゆる意味でこの大陸の中心だ。
 そもそも桜魔ヶ刻と呼ばれるこの時代が始まったのは、先代朱櫻国王・緋閃の所業による。近隣諸国に侵略を行い戦火を広げ、彼はあらゆる嘆きをこの大陸に生み出した。
 桜魔と呼ばれる妖はそれまでにも存在していたのだろうが、爆発的に増殖して力を持ったのは僅かここ数十年のことだ。
 朱櫻国は先の戦争においても、現在の桜魔ヶ刻に関しても、大陸中の人々の怨嗟を向けられる立場だった。
 だが、この国の苦悩はそれだけではない。
 緋閃王の悪名を拭い、朱櫻国の立場を取り戻すために、現在の王は退魔師協会と連携して、桜魔への対策を進めている。
 それ自体は良い事だ。愚かな父王の後を継いで、負の遺産を返済しつつ大陸の平和を取り戻すために奮闘する現在の少年王に関して近隣諸国は期待の目を向けている。
 しかし、その過程で朱櫻はまたしても新たな問題を抱えることとなったのだ。
「この国は現在緋色の大陸で最も桜魔への抵抗を行う国だ。そりゃあ、桜魔側もこぞって襲撃してくるだろうよ」
 桃浪の言葉に、鵠や神刃は顔を顰める。
 理屈としては理解しているが、なんともうんざりする話だ。
 桜魔たちは朱櫻が退魔師をまとめ上げ桜魔王を打ち倒すために旗を掲げる抗桜魔戦線最前線の国と見なし、他の国よりも頻繁に手下を差し向け激しい襲撃を行うのだ。
 王都に住んでいる民にとっては、たまったものではない。
「――私たち桜魔には、根本的に『親』に対する憎悪が刻み込まれているんだ」
 その見た目の稚さとは不相応に、静かに言い聞かせたのは蚕だった。
「桜魔は皆、望んでこの世に生まれ落ちたわけではない。死者の恨みを引きずったまま、完全な生者にもなりきれず魂の焦燥にかきたてられ、ただ、人を襲う。それは桜魔自身にとっても苦しみだ」
「苦しみ? この戦闘狂のように、どう見ても楽しんで人を襲っているように見えるが?」
 桃浪を顎で示しながら、鵠は口を開く。
 蚕自身は例外としても、鵠が知る限り人を襲わない桜魔などいなかった。なまじ生前に近い姿のまま正気を失ったように暴れ回る桜魔の姿には憐れみにも似たものを覚えるが、それで彼らに情けをかけてやろうという気持ちにはならない。
「ああ、そうだ。だから『苦しみ』なのだ。彼らに引導を渡してやれ。そして今度こそ、魂の安寧を――」
「……」
 鵠だけではなく、神刃も朱莉も、桃浪さえもそれを粛々とした面持ちで聞いている。
 一体、桜魔とは何なのだろうか。
 ここにいる蚕や桃浪は、それぞれ外見も性格も性情も大きく違う。そして見た目の話だけでなく、彼らは一個の人格を持ち知性を持ち、人間と同じように行動する高位桜魔だ。
 彼らのように人間との違いをその凶暴性や妖力の強さ以外で判断するのが難しいような高位桜魔が存在する一方で、下位の桜魔は人格も何もない猛獣として行動している。
 それら下位桜魔にしても、人の恨みとその姿を強く残して狂人のような行動をとる幽鬼に近い桜魔もいれば、完全に獣の見た目ながら知性を宿し冷静な行動をとれる桜魔までいるのだ。
 人間たちはそれらの桜魔をあまり詳細に分類せず、ただ高位・中位・下位程度と実力分けして呼んでいる。
 どれほど人に近かろうが、人とは似ても似つかぬ獣や蟲の容であろうが、成り立ちが同じ桜の魔力と瘴気と死者の怨念からであれば、それは全て桜魔と呼び表し憎むべきものなのだと。
 これまで桜魔の分類に関しては、鵠はあまり気にせずに生きてきた。今になってこんな話をしているのは、偏に蚕と桃浪の存在である。
 そして自ら桜人となることを選んだ朱莉や、その事情に関わっているらしい神刃も、桜魔の存在の在り様については何か思うところがあるらしい。
「まぁ、魂の安寧とやらの話はあとにしようぜ」
 だが今は議論を交わしている暇はない。
「来ましたわね」
 下位桜魔ばかりとはいえ、空にぽつんと浮かぶ雨雲の如く涌いて出られるのは厄介だ。かなりの数の桜魔がこちらにやってくる。
 街の中心に入る前にその足を止めさせようと、鵠は神刃に合図する。
 神刃の放つ矢が下位桜魔の群れの先頭にいたものたちを次々と射抜き落として、集団の注意をこちらに引きつけた。
「さて。それじゃ、やるか」
「おう」
 鵠の言葉に桃浪が楽しげに頷く。蚕もいつも通り穏やかな微笑を取戻し、朱莉は無表情で、神刃は顔を顰めたまま頷く。
 空から次々と飛び込んでくる桜魔の群れを相手に、鵠たち一行の大暴れが始まった。