028
王宮へと向かうことになった。
……この展開はいきなりすぎないか? と内心で疑問符を浮かべる鵠の様子など知ったことではないという調子で、朱莉と蝶々は彼らを案内する。
朱櫻国の王宮は朱い。
この国特有の、朱い桜が咲いている。だから『朱櫻国』なのだ。桜魔の被害が広がるずっと前から、この国はこうだった。
今は朱櫻の朱い桜は、人の血を吸った妖樹なのだと言われている。
緋閃王の狂気がこの国に残した傷跡は深い。
「着いたよ」
蝶々が何事かを門衛に話すと、彼らはあっさりと通された。平時と違い今は桜魔との戦いを行っている。
「ざるな警備、と言っていいのかい?」
「国王陛下の勇気ある決断と言ってほしいね」
桃浪の言葉に、蝶々は唇を尖らせて反論する。
「近隣で桜魔の被害があった時に避難してきた民が逃げ込むためや、退魔師協会とのやりとりを密にするためにあえて入り口を開いているんだよ。民を見捨てて王様だけが無事でも仕方ない。それが現王のお考えさ」
蝶々は国王を直接知っているらしく、気さくな調子で説明する。
非常時であるため今の王が人前に姿を現したことはない。人類が滅びるかどうかの危機を前に、戴冠式さえも行われなかった。だからこそ王の姿を目にすることの価値も今はそれほどない。
だが、蝶々の様子からすると、現国王は父親である緋閃とは違い、年上である彼女がそれなりの信用を置くだけの人格者であるらしい。
「ほら、お迎えが来たよ」
「蝶々姐さん、朱莉お嬢さん、二人ともよくおいでなさった。お仲間の方々も」
「辰」
廊下の向こうから、青年が一人歩いてきた。
「それに神刃も、久しぶりだね」
「ああ、うん……久しぶり、彩軌」
神刃と朱莉、二人で呼ぶ名前が違うことに鵠たちは怪訝な顔を見合わせた。
「初めまして、“勇者さま”。俺は情報屋の辰、または彩軌と申します。どちらでもお好きなようにお呼びください」
鵠の白銀髪ともまた違う白髪に鳥打帽を被った青年だ。外見は二十代半ば、鵠と同じような年頃に見える。
「鵠だ。こっちの二人は蚕と桃浪」
「はいはい。神刃のお仲間にしては随分『個性的』な方々ですね」
彩軌の言い方に、鵠はおや、と片眉を上げる。
高位桜魔と人間の外見上の区別などつかない。退魔師でもない人間が二人の正体に気づくはずもないのに、彼は一目見てそれを理解したような口ぶりだ。
いやそれだけではない。彼は――。
「あんたこそ、朱莉と同じくらい『個性的』だな」
「ええ。俺とお嬢は結構気が合うもので」
なるほど、朱莉が桜人になった背景にも色々事情があると言っていたが、そのうちの一つが、この目の前にいる青年桜人のことらしい。
蚕と桃浪はさすがに同族だけあってすぐに気づいたらしく、わざとらしく友好的な笑顔で握手など交わしている。
「ここが王宮内だとは思えない光景だな」
「うふふふふ」
桜魔討伐を進める王国の王宮内で、桜人と桜魔が握手をしているのである。呆れる鵠の横で、朱莉が思わせぶりに笑った。
彼女はいつも通りだが、神刃の様子が先程からおかしいことには鵠も気づいている。だが何も言わない。今は。
「蒼司……国王陛下の御部屋はあちらですよー」
彩軌の案内で、鵠たちは王宮の更に深部へと向かうことになる。
通された場所は謁見の間と呼ばれるところだった。
物語でよく王様が部下や賓客、訪問者と対面するあの部屋だ。
「堅苦しいのはお嫌いで単刀直入なやりとりを好むと連絡を頂いていますので、そのようにしました」
「謁見の間に通されてそう言われてもな」
彩軌の言葉に鵠が溜息で返すと、続く言葉は部屋の奥の玉座から返った。
「ごめんなさい。そうでもしないと、僕が王だと口で言うだけでは信じていただけないかと思いまして」
まだ玉座まではかなり距離があるが、少年には聞こえていたようだった。
少年――そう、朱櫻国の王は若い。
年の頃は十三、四と言ったところか。
「初めまして、天望鵠様。そしてお仲間の皆さん。朱櫻国王、朱櫻蒼司と申します」
悪逆非道で有名な父を持つとは思えない、素直そうな少年だ。
だが、鵠はこの少年に関し、名前や性格よりも真っ先に容姿が気になった。
濃紫の髪に緋色の瞳。そこまでは朱莉も同じだし、この国ではよくある組み合わせなのだろう。しかしその少年の顔立ちは。
「神刃」
「兄上」
鵠が自分の隣に立っている少年の名を小さく呟いたのと同時に、玉座の少年も彼を呼ぶ。
だがそれは名ではなく二人の関係性を示す言葉だ。
――兄上?
誰が? 神刃が? 朱櫻国王の?
つまりそれは――。
「お久しぶりです」
「久しぶり、蒼司」
弟と目される国王に話しかけられて、神刃は苦い顔をしている。
「神刃」
鵠は改めて、きっちりと全員に聞こえるようにその名を読んだ。
「ちゃんと説明しろ」
「はい。……そのつもりです、鵠さん」
神刃が朱櫻国王の「兄」?
そんな話は聞いていない。
剣呑な空気を感じ取った少年王もすっと表情を引き締め、一同をまずはゆっくりと話ができる場所へと案内する。
「こちらへ。個人的に親しい客とお話しするための、僕の私室があります」
◆◆◆◆◆
「お嬢、あんたがこれまで隠していたのはこれか?」
「ええ。いきなり言ったら吃驚なさると思って」
「すみません、鵠さん……」
「別に黙っているのは構わないんだが……」
心の準備をする時間が欲しかった、とは言いたいような言いたくないような鵠である。
自分自身の身の上も考えれば、あまり神刃にばかり強く言える立場ではない。
「もしかして、神刃兄上のことは内緒だったのですか? すみません、桜魔王討伐に協力してくださる方々だと聞いていたので、てっきり」
「いや……こちらこそすまない、国王陛下。先にこちらの話を整理させてくれ」
「はい。私のことはどうぞお気になさらず」
鵠としてもこの少年王への態度を決めかねていた。いろいろ迷った末、ぶっきらぼうに、不遜とすら言える態度で接することになる。
平時に普通の国の王なら――例えばこれが花栄国の国王だと言うのなら、それこそ相手が五歳児だろうと鵠は王に相応しい礼をとったことだろう。
だがここは朱櫻国、大陸中に戦乱を広げ無数の桜魔を生み出した、退魔師の本拠地でありながら天敵とも言える国。その国の王。
現国王である蒼司に罪はない。それはわかっているのだが、迂闊に彼に謙る訳にはいかない。
緋閃王の悪名が雪がれるまでは、朱櫻の国王に対し退魔師が下風に立つ訳にはいかないのだ。
そしてその緋閃王は――。
「話をするのなら、蚕と桃浪には出ていてもらいます?」
朱莉が桜魔二人を眺めながら、入り口の方を指差す。鵠は首を横に振った。
「ここまで来たら答を言ったも同然だろう。ついでにこいつらの正体も教えてしまえ」
そう、こっちの問題もあった。蚕と桃浪に関しては今のところ協定を結んでいるが、相手が桜魔である以上完全に信用していいものかもわからない。それを考えれば神刃が自分の素性を黙っていたのも当然の話だ。
これは、誰彼かまわず口にしていいような話ではない。
――私たち桜魔には、根本的に『親』に対する憎悪が刻み込まれているんだ。
先程の戦いの前に、蚕はそう言っていた。
鵠の思考を余所に、促された神刃は蚕と桃浪の正体を弟王に告げる。
「蒼司。こいつらは蚕と桃浪。桜魔だ」
「桜魔……なのですか?」
蒼司は神刃の爆弾発言をごく普通に聞いていた。驚いていないわけではないらしいが、思ったより反応が薄くて鵠は怪訝に思う。その疑問は朱莉の台詞によってすぐに解消された。
「蒼司様は二年前の、私と神刃様の間であった事件を御存知なのです。魅了者にして桜人たる私の存在を御存知ですから、多少はね」
「……なるほど」
朱莉は蒼司の方にも、蚕たちの簡単な事情を説明した。
「神刃がお二人を信用なさっているのなら、僕もあなた方を信じます。どうか、桜魔王を倒すために力を貸してください」
「そのつもりだ」
「任せとけ」
人間の王から自分たちの王を倒してくれと頼みこまれ、桜魔二人はあっけらかんと気安く請け負った。やはり眩暈のしそうな光景だ。
「まだ完全に信用したわけではない」
「そうですか。ではそのように」
蒼司とのやりとりに一区切りをつけて、神刃はついに鵠と向き合う。
「鵠さん。……今まで隠していてすみませんでした」
葛藤や羞恥を通りこし、神刃の目にはもう諦観と憂いしか宿っていない。
「俺は、先代朱櫻国王、緋閃の息子なんです」
それは、この大陸で最も憎悪を集める血統。
蒼司王と同じく、大陸中全ての人間と桜魔からの恨みを買う存在だった。