桜魔ヶ刻 05

029

 神刃の素性云々に関しては、今更問い質しても仕方がない。蚕と桃浪も特に興味はないらしく、一行はすぐに話を切り替えた。
 朱櫻国の退魔師に協力してほしい。そのために退魔師協会に紹介すると国王から告げられた鵠たちは、現在退魔師協会に向かっている。
「ここだよ」
 しばらく街を歩いて案内役の蝶々が示した建物は、このご時世にも関わらず立派な三階建てだった。
 白い壁に朱塗りの柱、そしてところどころに紫の花模様が大きく描かれている。その花模様が朱櫻国の退魔師協会の紋章だった。
「蝶々! ……そいつらは」
 中に入ると、一人の男が声をかけてきた。蝶々の後ろの鵠たちを見て言葉を呑み込む。だが彼に関しては、先程も会ったのでまだマシだ。
 怪訝な顔をしているのは、鵠たちを見たことがない他の退魔師たちである。
 蝶々が代表し、国王蒼司の意向を退魔師たちに伝えている。そして。
「気に入らねぇな」
 やっぱりこうなるよな、と鵠は内心で平然と受け止めていた。
「いくら王様の言うこととはいえ、余所者にそんな簡単にシマを荒らされてたまっかよ」
 兵破と呼ばれる巨漢が、鵠を睨み付ける。
 彼は鵠たち余所者を不審がる退魔師の代表らしい。
 ――おかげで話が随分通りやすい。
「そんな餓鬼ばっかり引き連れた優男共に何ができる」
「ん? 俺も入ってんの?」
 鵠の相方と言う意味ならこの道に引きずり込んだ神刃なのだろうが、傍目には似たような年頃の桃浪の方がそう見えるようだ。顎で示された桃浪はにやにやとしている。
「ははははは。まぁ、確かに見た目なら鵠と桃浪だけが戦闘員に見えるだろうな」
 蚕は外見だけで実力を判断するならまぁ妥当だろうと、いつも通り軽やかに笑い飛ばす。
「私も餓鬼扱いなのですか? 心外ですわ」
 元々ここの退魔師協会に所属していたはずの朱莉だが、この場では鵠たちと一緒くたの扱いを受けて不満そうにしていた。
「それを言うなら、図体がでかいだけのあんたに何ができる? 桜魔に筋肉勝負でも仕掛ける気かよ」
「く、鵠さん?!」
 平然と挑発し返した鵠に、神刃が焦った声を上げる。協力を求めるために来たのに、いきなり喧嘩を売ってどうするのか。
「あァ? なんだてめぇ」
「こっちの台詞だ。せっかくお上の御命令で仲良くやってやろうと来てやったのに」
 自分は別に退魔師協会との協力などいらないと、鵠は言いきる。
「――上等だ。そこまで言うなら、本気で腕っぷしで物決めようじゃねぇか」
 そしてあれよあれよと言う間に、兵破と鵠の勝負の場が整ってしまった。
「負けてくれて構わないんだぜ。お前が俺たちより断然弱いとなれば、王様も考え直すだろ」
「そうだな。俺たちさえいれば、あんたたちの協力なんて不要なものだと考え直すだろう」
「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ!」
 神刃に腕を引かれた鵠だが、にやりと笑みを返す。その顔を見て、神刃も止めるのを諦めた。
「あれ? 引き下がるのかい、坊や」
「……あれはもう駄目だ。鵠さん、本気で怒っているわけじゃないよ」
 不思議そうな顔の桃浪にゆるゆると首を振って見せる。
 鵠は本気で喧嘩を売るのが目的ではなく、それを口実に暴れたいだけだと見抜いた神刃は、止めるのを諦めた。
「まぁ、兵破さんの方もあんな安い挑発に乗る方ではありませんよ。ただ実力も知らない相手を無駄に警戒したままぎすぎすしたくないんでしょう」
 朱莉の方は兵破の思惑も見抜いているらしく、険悪な雰囲気の男たちを生温い目で見守っていた。
「男同士ってどうして無駄に殴り合うのが好きかねぇ」
 まったくやってらんないよ、と蝶々がぼやく。
「まぁ、お互いの実力を知るには確かに一番の方法だな!」
「そうだな」
 爽やかに肯定する蚕と同意する桃浪。もはや誰にも止められないと言うより、誰も止める気がないようだ。
 殴り合う鵠たちを横目に、朱莉たちは落ち着ける場所へと移動した。

 ◆◆◆◆◆

 壊れた椅子が流れ弾として飛んでくるのを、蚕がひょいと避ける。
「……ところでこれ、誰が弁償するんですか?」
「陛下にでも出してもらったらいかがです?」
 思わず問いかけた神刃に、朱莉はあっさりとそう返した。
「こ、こんなことで……!」
 青褪める神刃と動じない朱莉の向こうで、鵠と兵破の戦いは遂に終局を迎える。
「くっくっく!」
「はっはっはっは!」
 笑い合う二人の男たちは、生傷のついた顔を見合わせるとがしっと腕を組んだ。
「あんた、良い腕してるな!」
「そっちもな! 兄ちゃん!」
 そしてお互いの健闘を湛えあう。
「……終わったみたいですわね」
 散々殴り合って和解するというベタな方法で交流した鵠と兵破が戦闘を終了する。
 周囲でハラハラと見守っていた他の退魔師たちも、それで一旦落ち着いたようだ。
 結果的に二人がこうして殴りあったことで、確かに退魔師協会との交流はできたらしい。
 兵破はここでは腕利きの一人らしく、あの兵破を……! などとちらほら驚愕の声が上がっている。
 戦闘を終えてみれば兵破の方はかなり傷を負っているが、鵠は返り血の方が多いらしく、せいぜい顔を含めた数カ所に青痣を作ったくらいだった。
 そう言えば鵠の最初の戦闘方法は、霊力を乗せた拳で桜魔に殴りかかる純粋な肉弾戦だったと度肝を抜かれたことを神刃は思い出した。
 そうして一度は落ち着いたかに見えた協会内だったが、新たな波乱の種がやってきた。
「何事です、これは」
 蝶々から天望と呼ばれていた青年だ。
「おう、天望の御当主!」
「葦切様」
 やはり彼が葦切なのか、あちこちからそう呼ばれている。
 気さくな表情で話しかける兵破に対し、顔を顰める葦切は何に不快を感じているのか。兵破の怪我か、それとも鵠の存在か、あるいはこの場所の惨状そのものか。
「強いぞ、こっちの兄ちゃん」
「知ってます」
 鵠と今日初めて会ったはずの青年はそう断言した。
「鵠さん、あの方と面識ありますの?」
「いや、ない。……ないはずだ」
 鵠たちがここに来た理由を蝶々が説明し、鵠と戦うことになった訳を兵破が説明する。二人の話を聞いた天望葦切なる青年は一つ溜息をつくと、鵠の方へ向き直った。
「鵠……天望鵠殿」
 鵠を知っているという発言は伊達でないらしく、彼は鵠がこの国に来て、国王の前でしか名乗っていないはずの苗字を口にした。
「私ともお手合わせ願えますか」
「構わないが、ここでやるのか?」
「ええ。外で騒いで桜魔を引きつける気もありませんので」
「鵠さん」
 相手は鵠より更に柳腰の優男。だが、兵破の態度からすると、彼より格上の退魔師に見える。そんな相手ともう一戦するのかと、神刃は鵠の心配をする。
 ただでさえ今日は昼前に桜魔の襲撃を退けて高位桜魔と対峙したのだ。
「さっきと同じだ。……俺たち退魔師にとって、相手の事を知りたければ戦うのが一番早い」
 しかし鵠は退く気はなかった。
 目の前の青年が「天望」である理由と実感を知りたいと思う。
 穏やかに睨み合う二人の様子に、自然と場の緊張が高まった。
「それでは――」
 葦切が丁寧にも声をかけて。
「行きます」
 両者が同時に地を蹴った。