030
「がっはっはっは!」
酒の杯を酌み交わし、鵠は兵破たち朱櫻国の退魔師たちと親交を深めていた。
「ええと……この事態は一体……」
「男の世界はわからんもんさね」
「俺も男なんですけど……」
「じゃあおっさんの世界とでも思っておけば」
困惑する神刃の相手は蝶々と朱莉に任せ、鵠は今度は酒飲み対決でも始めそうな勢いで飲んでいる。
殴りあって同じ釜の飯を食えばもう仲間ということか、鵠は大分兵破たちと打ち解けた様子だ。
桃浪と蚕もそれぞれ自分のペースで場に馴染んでいる。桃浪は騒がしいノリのいい兄ちゃんとして、蚕はまったく子ども扱いされてと分かれるが、どちらも特に不満はないらしい。
「食べておきましょうよ、神刃さん。こんなところでご飯食べること、最近は滅多にないじゃありませんか」
「ええ……そうですね……」
朱莉は朱莉で食事を堪能していて、神刃にまで勧める始末だ。
神刃は一体何故こうなったのかと、先程までのやりとりを思い返す。
鵠と葦切が戦うことになった、あの後――。
葦切は強かった。
生身の殴り合いをしていた兵破とはまた違う、退魔師としての戦闘を鵠と葦切は行った。
さすがに建物を壊さないような手加減は二人ともしていたが、それでも世間一般の退魔師からすれば同じ人間とも思えない強さだった。
周囲を巻き込まないために、鵠は素手で戦っていた。素手と言っても霊力を籠手か鎧のように身に纏うので、攻撃力は申し分ない。
葦切は道具を使っていた。鵠のように素手の殴り合いは苦手のようだ。と言うか、普通の退魔師はそうである。
朱莉が使うのと同じく呪符や霊符と言われる札、それから苦無と呼ばれる投擲武器。あるいはその二つを組み合わせて着弾してから効果を発揮するもの。
葦切の退魔師としての実力は高い。
だがそれも、ここにいる連中と比べればの話だ。
鵠の敵になるような相手ではない。霊符と苦無の組み合わせで攻撃方法の選択肢は多いが、純粋な戦闘力で言うなら先日戦った華節――桃浪の養い親である桜魔の方が、ずっと強かった。
鵠は純粋な体術のみの腕前で、葦切を圧倒した。
『まだやるか?』
『……いえ、あなたの強さはよくわかりました。これ以上の戦いは無用』
手合わせありがとうございました、と。丁寧にそれだけ告げて葦切はさっさとその場から去っていった。
後に残された鵠たちは結局彼に関してはその強さ以外何もわからず、佇むばかりだ。
そこに改めて声をかけてきたのが兵破たちだった。
散らかった部屋を片付けて料理を運び込み、即席の宴会を始めたのだ。歓迎の印だと言って。
兵破は蝶々とはまた違った意味でここの退魔師たちの纏め役らしく、彼が言うならとその時協会にいた退魔師たちが大勢宴会に参加している。
けれどそこにも、やはり葦切の姿はない。
「しかし、強いなあんた。まさかあの葦切様――天望の御当主殿に勝っちまうとは」
折よく兵破が葦切のことについて話をしてきた。
「あいつは一体何者なんだ? 見たところどっかのお貴族様のようだが」
「ああ、いい家の出らしいぜ……って、ちょっと待て! 花栄国の天望一族を知らないのか?!」
一瞬流しかけた兵破が、呆れて鵠の方を見つめてくる。
「天望……やっぱりあの家か。なんで花栄国の退魔師が朱櫻に来ているんだ?」
「あんたらも似たようなもんだろう? 桜魔王討伐をいよいよ本格的にやりたいっていう王様が、隣国から呼び寄せたんだよ。退魔師の名家、天望家の若当主をな」
「ふーん」
天望。天望葦切。
葦切とは鳥の名前だ。名付けの法則は鵠と同じである。苗字を聞いた時からもしかしてと思っていたが、彼はやはり……。
葦切は貴族の身分といいあの態度といいとても取っつきやすい人物には見えないが、それでもここでは嫌われてはいないようだった。
「まぁ、天望の旦那は実際強いからな。あんたほどじゃなかったが。なぁ、あんたこそ昔花栄を中心に『最強の退魔師』って呼ばれてた奴じゃないか?」
「その通り。花栄の退魔師、鵠だ」
「畜生、やっぱりか」
まったく、すぐに気づくべきだったと、兵破がぼやく。鵠の素性に関しては先の襲撃における戦闘で気づいた者も多かったが、兵破はたまたま鵠の戦闘にそれ程注目していなかったらしい。
「そういや、さっき天望の旦那と何か話してなかったか?」
「いや、別に大したことじゃない。向こうも俺のことを知っていたってだけだ」
そう、知りすぎる程に知っていた様子だ。彼は鵠を「天望鵠」と正式な名で呼んだ。
「なんだ、あんたももしかして有名な家柄のお貴族様だったりするのか?」
葦切は喧嘩っ早い性格ではないし、最強の退魔師と知って好んで戦うような性格には見えない。そこから兵破は推察したのだろうが、鵠は一応否定しておいた。
「そんな良い身分じゃねぇよ。だったら花栄でちまちま非正規退魔師なんぞやってないさ」
「おお! 俺らと同じ立場かよ! それを早く言えよな!」
兵破は感情表現が激しいらしく、その筋肉によってふとましい腕で、ばしばしと鵠の背中を叩いてくる。
「最近の朱櫻は王様の意見でもう退魔師ならなんでも集めているからな。俺たちも随分この国を歩きやすくなったぜ」
「本当だな」
正規退魔師と非正規退魔師を同じように扱うなら、国内外の実力者を集められると言うのが蒼司の判断だ。すでに国が戸籍を管理できるような情勢でもなし、実力があるなら協会への登録は問わずに、改めて一から朱櫻王への協力者として退魔師を募っている状況である。
兵破だけでなく、ここにいる退魔師の割合は正規も非正規も半々と言ったところらしい。立場で揉める段階はすでに通り過ぎたのか、皆それなりに仲が良い。
「ま、これからは仲間だ。朱櫻国の平和を取り戻すために協力してくれ」
兵破の言葉に鵠はにやりと笑って返す。
「おや、そんな小さな目標でいいのか? 兄弟。取り戻すなら――大陸の平和だろう?」
「! いい度胸だ! よく言ったぜ」
そしてまた兵破はがはははと大きく笑いだす。杯の残りを確かめるまでもない笑い上戸だ。
「やれやれ、兵破さんに気に入られちまったようですね」
「まぁ、実際兄さん強いしな」
「そっちの二人も結構やるみたいですしね」
次第に他の退魔師たちも会話に混ざりだす。
鵠と葦切が戦闘していた間、流れ弾を防ぐという地味に重要なことをしていたのは桃浪と蚕の二人だった。
特に蚕は子どもらしい見た目に似合わぬ実力者だと知られ、すでに一目置かれている。まぁ、甘いものを差し出されたり酒以外の飲み物を渡されたりと、扱いは子どものそれなのだが。
「朱莉お嬢さんも相変わらず見事な腕前で」
「ふふ。ありがとうございます」
一人の男が元から面識があるのか、朱莉に話しかける。
「お嬢さんもここ数年で随分変わりましたね」
「そういやそうだな、嬢ちゃん、あんた昔はもっとこう可憐と言うか儚げと言うか、大人しい感じじゃなかったかい?」
「あら、心外ですわね。今の私が可憐ではないと仰いますの?」
朱莉が小首を傾げながらも笑っていない目で兵破を睨む中、鵠がぼそりと呟く。
「可憐で儚げで大人しいお嬢……? なんだそれ、俺の知ってるお嬢と違う生き物じゃねぇか」
「くーぐーいーさまー!」
朱莉がもっと怖い目で鵠を睨み付けてくる。場がまたどっと笑い声で沸いた。
「そっちの坊やは大丈夫かー? あんま食ってないみたいだが」
「い、いえ! 大丈夫です! おいしいです!」
いかにもこういった場に慣れていないのだろう神刃は、慌ててカクカクと木の人形のような動作で何度も頷く。
色々と気まずいことや隠していること、逆にこちらが知りたいことも色々あるが、その全てをこの場で聞くわけにもいかないことくらいは神刃にもわかっている。
「まぁ、とりあえず落ち着きなよ神刃坊や。あんたが今ここでどんよりして問題が解決するわけでもないし」
「蝶々さん、でも」
「あたしら退魔師はいつ死ぬかもわからない人生だ。今を楽しんで明日に全力を注げない奴は強くなれないよ」
ほれ、と蝶々は神刃の方へ新しい皿を押し付ける。
「う……頂きます」
勢いに押されて皿を受け取り、神刃はおずおずと箸をつける。
そう、今更慌てても焦っても仕方がない。
神刃と蒼司のこと、鵠と葦切のこと、退魔師揃いのこの場に蚕や桃浪を連れてきて良かったのかということ、問題は山積みだが、それでも。
宴会はその日の夜中まで続いた。