桜魔ヶ刻 06

033

 しかし鵠は、葦切に話を聞きには行けなかった。それよりも早く、襲撃の報が飛び込んできたからだ。
「またか」
「前回が上手く行かなかっただろ? 今度は向こうも手練れを揃えてきたようだぜ?」
 話を拾ってきた桃浪が楽しげな笑みを見せる。獲物に食らいつく前の、獰猛な獣の笑みだ。
「具体的にどういう状況だ」
「桜魔王の側近がいる。早花と夬だったか? あの二人と更に三人の高位桜魔が出てきた。おっさんと女とガキだ。坊やぐらいの歳のな」
「高位桜魔が五人も?」
 それはかなりの戦力だ。敵も本気だということか。桃浪の知らせてきた三人がどれだけの腕前かは知らないが――。
「この国の退魔師だけじゃ手に負えそうにないな。私たちも出るべきだろう」
 蚕が冷静に判断する。
 蝶々始めとする朱櫻国の退魔師は決して弱くはないが、人間型の高位桜魔に真正面から当てるには不安のある実力だ。
 戻ってきた朱莉と神刃も加え、鵠たちは宿を出て襲撃の報があった地点に向かった。
 桜魔が出現したのは、周囲に何もない更地らしい。以前の襲撃で人がいなくなった部分だ。
 わざわざ巻き込まれる周辺住民がいない場所を選ぶなんて気が利く……とは言っていられない。向こうはどうやら本気で、手練れの退魔師たちを潰したいらしい。
「華節といい今回の襲撃と言い、どうして奴らは退魔師をそんなに恐れるんだ? 華節級の桜魔に易々勝てるだけの退魔師なんて稀だろうに」
「鵠さん……」
 神刃が微妙に困ったように眉根を寄せ、蚕が苦笑し、桃浪と朱莉は笑った。
「それはお前の存在だろう、鵠」
 蚕が解説する。
「これまで桜魔は団結せずとも適当な雑魚を放り込むだけで人類に多大な損害を与えられた。だが鵠、今はお前がいる。大陸を救う勇者と成りえるお前が。奴らはお前を恐れている。だからできるだけ自分たちに有利な状況でお前をさっさと始末したいのだ」
「この歳で勇者なんて寒いだけだ。やめてくれ」
 まぁ納得は行った。鵠自身はそれほど自分が大した存在だとは思っていないのだが。
「だが前回の襲撃でやってきた奴らは、全て殺しきったはずだ。この国に俺が来ていることを、向こうが知るはずないと思うんだが」
「ふむ? 言われてみればそうだな」
「まぁまぁ、細かい話はいいじゃねぇか」
 鵠の疑問に蚕も目を瞬かせ、深く考え込む。それを桃浪がいなし、目の前のことに注意を向けさせた。
「そんなもん、本人に聞けばいいだろ」
「あそこです」
 敵を視認した神刃の指摘が重なる。

 ◆◆◆◆◆

 更地を中心に焼け残った家々の残骸が端に残る地区。鵠たちは他の退魔師を待たず、一番に突入した。
「下手に隠れると後から来た方々に巻き添えで撃たれる恐れがあります」
 退魔師同士の連携は大変だ。個人で能力も霊力の強さも使う武器も異なるので、あらかじめ綿密な打ち合わせのない相手と連携する時は姿を晒し合っていた方が安全だ。
「ま、どっちにしろ俺や鵠は相手に近づかなきゃじり貧だし」
「そうだな」
 桃浪は軽く言う。弓を持つ神刃やまだ隠している切り札のありそうな蚕、遠距離攻撃を持つ桜魔を支配している魅了者の朱莉と違い、鵠と桃浪はとにかく近づいて相手を斬るか殴るかせねばならない。
 風のように翔けてきた五人は、桜魔の一団から少し距離を置いた場所に降り立つ。
「貴様は……」
 集団の中央にいる壮年の男が眉根を寄せた。
 五人のうち二人は見知った相手。華節との戦いの際に顔を合わせた、早花と夬だ。
 桃浪の報告通り、後の三人は見覚えのない顔だ。だがここで蚕が反応した。
「む、載陽か」
「知っているのか? 蚕」
「ああ、相当な手練れだ。あの男は、前の桜魔王の時代から生きている」
 蚕が相手の名前を知っていたことも驚きだが、それ以上に彼らを驚かせる言葉が蚕の口から飛び出した。
「前?」
「桜魔王って、今の奴がずっとそう呼ばれているんじゃないの?!」
 神刃が勢い込んで尋ねる。
「桃浪」
「いや、俺も知らねーぞそんな話」
 桜魔は外見年齢と中身が合っているとは限らない。だが蚕は確か生まれたばかりで、桃浪はだいたい見た目通りの年齢だと言う。
「そうか、桃浪は現在の桜魔王より年下なのか」
 現在の桜魔王は鵠や桃浪と似たような年齢に見えるが、あえてどちらが年上と問われれば、大体の人間は桜魔王の方が彼らより年上だと答えるだろう。
 だがそれならば――何故、蚕がそんなことを知っているのか。
「私には桜魔として生まれるまでの記憶や知識はない。……だが、どうやらこれも、理由は知らぬが私が元から備えていた知識のようだ」
「蚕……」
 神刃が子ども姿の桜魔を複雑な目で見る。だがここで問答している時間はないと、鵠が質問を重ねた。
「他の二人は見覚えあるか?」
「いや、知らんな。女の方と少年の方に関しては私にも知識がない」
 だが、載陽と呼ばれた壮年の男が手練れと言うならば、後の二人も相応の実力なのだろう。
 一方の桜魔側も、蚕の存在を中心に鵠たちに対して動揺が広がっているようだ。
「思わぬ獲物が網にかかりましたね」
 夬が零し、載陽を見る。早花も何も言わず視線を置いていた。今回の指揮官は一人だけ年嵩のこの男だという訳か。
「――夢見、祓」
「はぁい」
「はい」
 女と少年の名だろう、二人がそれぞれ返事をする。
 少年の方はいかにも生真面目そうでわかりやすい。だが女の方は、見た目からすでに何かがおかしい。
 鵠たちは警戒を高めた。
「お前たちは邪魔者を排除しろ。私はあの小僧に用がある。夬、お前たちもだ」
「了解」
「りょーかい!」
「……わかりました」
 載陽の方でも蚕の存在を警戒しているのか、彼は蚕に向かってくるようだ。
 各々の立ち位置と能力から、彼らは自然に相手を決めた。丁度良いことに、敵も味方も五人ずつ。実際にぶつかってみて勝てない相手ならば誰かと交替すればいい。退魔師側は、そのうち朱櫻国の退魔師勢の援軍もつく。
「戦闘開始だな」
 本日の主役と呼べそうな程に注目を集める蚕が、おっとりとそう告げる。
 次の瞬間、全員が弾丸のように動き出した。

 ◆◆◆◆◆

 朱櫻国の退魔師たちは焦っていた。すでに桜魔が出現したとの報に、全力で現場へと向かっている。
「こんどは高位桜魔が五体だって? 敵さんも随分と大盤振る舞いじゃねぇか!」
 兵破が血の気も多く騒ぐ。
「前はこんなことなかったのに」
 一人の退魔師が思わず零すのに、蝶々は口を開く。
「相手もそれだけ、葦切様を警戒しているんだろ」
 朱櫻国の桜魔被害は、隣国から葦切を呼び寄せた頃から大幅に減っていた。最近は桜魔側も彼を警戒して、雑魚や中位の桜魔だけではなく、人間の退魔師とまともにやりあえるような高位桜魔を投入してくるようになったのだ。
 また別の男が指摘する。
「だが、今回は花栄国からやってきた連中がいるんじゃないか? 朱莉お嬢様の知り合いの」
「ああ、そうだね」
 朱莉の連れてきた退魔師たち――特にあの鵠と言う男は、高位桜魔に勝ち、葦切との手合わせにすら勝ったのだ。
 最強の退魔師。
 花栄国で一時騒がれて以来久しく聞くことのなかったその名は、伊達ではなかったということか。
「これだけの戦力がいれば、高位桜魔五体程度敵ではないでしょう」
 話の渦中にいるはずの葦切は淡々と告げる。
 あらゆる桜魔から命を狙われているというのに、天望家の当主には恐れも何もないようだった。
 彼の脳裏に浮かんでいるのは、ずっと存在を知っていたのに、今まで話したことどころか顔を合わせる機会すらなかった青年。
 最強の退魔師こと鵠、『天望鵠』。
 やはり彼は、自分の――。
「着いたよ!」
 彼らが戦場に辿り着く頃には、すでに桜魔と鵠たち退魔師の激しい戦いが繰り広げられていた。