桜魔ヶ刻 06

034

 載陽が蚕に真っ直ぐ向かってきた。蚕はそのまま相手を迎え撃ち、他の面々はそれぞれ一番近い相手との対戦になる。
 神刃は祓、見た目の年齢的にも同じような少年。
 朱莉は前回と同じく早花。
 桃浪は夬。桜魔王に恨みのある桃浪としては、桜魔王の側近の一人である彼を殺せれば復讐の達成に一歩近づける。
 そして鵠は。
「きゃははははは! あたしの相手は、あなたなのぅ?」
 夢見と呼ばれていた、あの女桜魔を相手にしていた。
 見た目の時点から奇矯な女は、その性格もまともではないようだった。一言で言えば、狂っている。だが――。
「強い相手と戦うの、久しぶりぃ!」
「ぐっ……!」
「鵠様?!」
 強い。これだけ重い一撃を鵠が桜魔相手に食らったのは久しぶりだ。
 早々に紅雅を呼びだして二対一の状態で早花と対峙する朱莉が、鵠の呻きに反応して声をかけてくる。
「大丈夫だ。確かに手強いが、俺が簡単に負けるような相手じゃない。自分の敵に集中しろ!」
「はい!」
 朱莉の方も余裕がある相手ではない。早花は見た目こそおとなしやかな女なのだが、ただの女が桜魔王の側近を務められるはずがないのだ。
 まったく、敵も味方もなく、桜魔の女は怖い奴らだらけだと鵠は胸中で悪態をつく。
 夢見の攻撃は変則的。言葉にするとそうなるが、要は詳細がわからないと言っているのも同然だ。あちらから来ると思えばこちらから来る、の定石が普通の相手と違う。何せ時折、わざとこちらの攻撃を受けては喜んでいる。被虐趣味か。
「わぁ! 強い、強いねぇ……!」
 強い相手と戦いたいだけなら桃浪と似ているが、桃浪よりも更に変態……もとい、変則的なのだ。
 鵠はとにかく心を無にすることにした。普通の女桜魔だと思って戦うからいけないのだ。こういう相手だともはや諦めてしまうに限る。
「おぉ?」
 霊力を手のひらに集中する。

 ◆◆◆◆◆

 朱莉は早花と戦う。と言っても主に真正面から懐に飛び込むのは紅雅の役目だ。
 朱莉は魅了者としての能力は一流だが、身体能力がそれ程高い訳ではない。前回の小手調べのような戦いの時点で早花の実力がわかった以上、剣を扱う紅雅を後ろから援護する方が確実だった。
 援軍として朱櫻の退魔師たちが辿り着く前に決着をつけねば、彼女の配下もうっかり退治されてしまう恐れがあるのでこう見えても必死だ。
 少し離れたところで夢見の相手をしている鵠も、珍しく苦戦しているようだった。今回の敵はどれもかなり強い。
 早花の剣技は相変わらず鋭い。紅雅も剣士として相当の腕前だが、さすがに見るからに格の違う高位桜魔を相手にするのはきついようだ。
「頑張って頂戴ね、紅雅。もう少しで援軍が来るはずだから」
 退魔師の数が増えれば、少しは有利になるはずだ。
 朱莉と紅雅の役目は、それまでこの女が他の仲間の救援に行けぬよう足止めし続けることだった。

 ◆◆◆◆◆

 桃浪は夬に飛び掛かった。後先考えずに頭から突っ込んでいくように見えるが、その実、相手の攻撃を躱してこちらの剣を届かせる的確な動きだ。
 だが相手もそう簡単に引っかかってくれる程単純ではない。
「やれやれ。まだあなたは奴らのもとにいたのですか」
「おうよ。華節の仇をとらせてもらうぜ。手始めに桜魔王を呼びだすためにお前さんの首だけでも送りつけたいんだが、ここらで素直に死んでくれねーか?」
「人間じゃあるまいし、桜魔は死んでも首なぞ残りませんよ」
 問題はそこじゃないだろう、と突っ込みを入れる者がいないので、桃浪と夬のくだらない会話は続く。
「大体お前さんたちこそ今回はなんであのおっさんにくっついてる訳?」
「あなた方の時と大体同じですよ。まぁ、載陽様にはあなたの養い親と違って、陛下に成り代わる野心はありませんが」
「さいようさま、ねぇ……」
 夬が載陽のことも桜魔王と同じく崇めているらしいと気づいた桃浪の唇が皮肉に歪む。
「なら尚更、あいつらは俺の敵だ」
「!」
 底冷えする目付きと共に突き出された一撃。確かに躱したと思った夬は、次の瞬間脇腹に走った痛みに目を瞠った。
「何故……」
 戦闘はあちらこちらで続いている。

 ◆◆◆◆◆

「ほぉ、ならばもうお前以外の前時代の桜魔たちはほとんど残っていないというわけだな!」
「そうだ! どいつもこいつも、己の力を過信して単身で暴れた結果、退魔師どもに討ち取られている!」
 蚕は載陽と戦いながら、さりげなく最近の桜魔事情を聞き出していた。自分の中にある桜魔界の知識が正しいのかどうか、その確認も含めて。
「退魔師に殺された者たちはまだいい! だが高位桜魔に多いのは、王の命に背いた結果、粛清された馬鹿者どもだ!」
「前桜魔王は気難しい性だったものなぁ」
 しみじみと言う蚕に、載陽の苛立ちはますます集った。
「貴様は何故そんなことを知っている!」
「いや、それが私にもよくわからんのだ」
 載陽が出した名はどれも、今の桜魔王が生まれる前――すなわち二十七年以上前に死んだ高位桜魔たちの名だ。
 載陽と同世代の高位桜魔のほとんどは、前桜魔王に粛清されてこの世には残っていない。
 そして早花や夬、桃浪たちのような若者は、当然自分が生まれる前に生きていた桜魔たちの話など知る由もなかった。
 なのに何故、こんな見た目は十にも満たぬ子どもがその名を当然のように口にするのか。
 普段はもっと師父然として冷静な載陽の精神を、この子どもは狙った様子でもなく削っていく。
「私にも私の事情はよくわからない。だが私は、桜魔王を倒すことを目的として生まれた」
 それだけが自分の存在に与えられた意味だと、蚕はもう幾度も鵠たちの前で繰り返した台詞を、載陽の前でも繰り返す。
「だから桜魔王を祀り上げて勢力拡大を狙うお前にも、やはりここで死んでもらうとしよう」
「……夢見! 祓!」
 載陽は部下二人の名を呼んだ。

 ◆◆◆◆◆

 鵠は載陽が目の前の女と、神刃が相手をしている少年桜魔の名を呼んだのを聞いていた。
「えー、今がいいところなのにぃ!」
「行かせるか!」
 蚕を積極的に助けようと言うわけではないが、ここで彼女に載陽と合流されるのはまずい。載陽の中に彼女たちと合流すれば蚕にも鵠たちにも勝つ目算があるのなら尚更だ。
「邪魔しないでよぉ。あたし、載陽様に呼ばれたから行かないとぉ」
「その必要はない。お前はここで死ね!」
 鵠は夢見が戦線を離脱しないよう、圧力をかけるように攻勢に出る。体勢を立て直すまでに、少しでも削れれば有利だ。
「もぉ」
 攻め続ければ夢見は諦めて、鵠を倒さねば載陽と合流することもできないと理解したようだった。
 これでいい。そう思った瞬間だった。
「っ! 神刃ッ!」
 一気に形勢が動いた戦場、いきなり弱くなった神刃の霊力を感じて鵠はそちらへと駆け出した。

 ◆◆◆◆◆

 祓は載陽に呼ばれた瞬間から合流のための策を練った。
 神刃と祓の実力は拮抗している。なまじ実力が近いだけに、これまでどちらも迂闊に動くことができなかった。
 だが載陽が呼んでいるとなった以上、祓はどうしてもそちらに向かわねばならない。
「行かせるか!」
 神刃も鵠と同じように、目の前の敵を仲間と合流させないよう足止めを狙うつもりだった。しかし。
「無駄だ」
 これまで小刀二本を扱っていた祓が、いきなり戦法を変えてきた。
 手にしていた小刀がいくつもの小さな手裏剣のような形になり、神刃に一目散に向かってくる。
「くっ……!」
 無数の刃が迫りくる。神刃は急所を狙う幾つかは叩き落したが、それでも全ては避けきれない。
「神刃!」
 弱まった霊力に気づいた鵠が自分の相手を放ってまで、神刃の助太刀に来てくれる。その分夢見が載陽と合流し、蚕は先程より苦戦気味だ。
「無事か?」
「大……丈夫です。まだ、戦えます」
「無理を言うな」
 祓の攻撃を易々と全弾対処しながら、鵠は負傷した神刃を気遣う言葉をかける。
 急所こそ避けたものの、鋭い刃に切り裂かれた傷が幾つも痛む。首や胴体を守った分、手足が傷ついてこれからの動きにも支障が出そうだ。
 神刃の戦力はもう当てにならない。足を引っ張ってしまった。そう考えた時だった。
「朱莉! お待たせ!」
「蝶々!」
「悪いな! 出遅れちまったぜ!」
「兵破のおっさん」
 朱櫻国の退魔師たちが到着した。そして無数の苦無が、上手く味方を避けて敵の頭上にだけ降ってくる。
「数で勝っている今なら、高位桜魔にも勝てそうですね」
 相変わらず淡々と言う葦切の顔を見て、載陽たちは引き際を悟ったようだった。
「夢見、祓。それに夬、早花」
「退くのですか?」
「それしかあるまい」
 結局蚕を始末すること叶わなかった載陽は口惜しそうにしながらも、数的に不利と悟って撤退を決めた。
「俺たちの出番なかったな」
 早々と退散した桜魔たちを見送り、深追いを避けた退魔師側でも兵破がぼやく。そんな兵破に、葦切は冷静に諭した。
「いえ、退いてくれて助かりましたよ。彼らがこれだけ苦戦する相手です。あのまま戦っていたら我々もどうなったかわからない」
「マジか?! え、じゃあ葦切殿のさっきのあれは」
「はったりです」
「マジか……」
 顔色を変えずに言う葦切の様子に些か毒気を抜かれながら、退魔師たちも桜魔の姿が消えた空を見て退却を決めた。