桜魔ヶ刻 06

036

「……貴方方は一体何を考えているんです!」
 葦切の怒鳴り声に重なるように、二人分の足音が彼の後を追ってきた。
「待ってください、葦切さ――あ、鵠さん」
「悪い、鵠。見られちまった」
 ほぼ塞がった腕の傷跡を見せる桃浪に、鵠は状況を理解した。つまり、神刃と桃浪の鍛錬で桃浪が負傷して、桜魔としての体質を葦切に見られてしまったのだろう。
「桜魔を……こんなものを仲間に入れるなど!」
「あ、あの、葦切さ……様」
 激昂する葦切を押し留めようと神刃が名を呼ぶが、いかんせん彼の制止では弱すぎた。葦切は鵠だけを真っ直ぐに睨み付けている。
 同じ天望の血を引く男たちは、ようやく真正面から対峙した。
 形ばかりの手合わせをした時とはまた違う、今度こそ本音のぶつけ合いだ。
 いつもは何をするにも淡々としていた葦切が、今は切れ長の目尻をきつく吊り上げている。
 皮肉なことに、そうして感情を露わにした姿が鵠の父・交喙に似ていて、妙な郷愁を鵠に感じさせた。
「桃浪のことか。こいつは桜魔だが、桜魔王に養い親を殺されて恨んでいる。復讐のためにだが、桜魔王を倒したがっている。俺たちと目的は同じだ」
 まだ完全に信用しきった訳ではないだとか、蚕も桜魔なのだとか、そう言った細かい事情は省略して、鵠は簡潔に説明する。
「信用できますかそんなもの! いくらなんでも、桜魔を味方にするなどありえません!」
「……」
 沈黙したままの朱莉が微妙に眉を顰める。
 しかし葦切はくるりと彼女の方を向いて、思いがけない言葉を続けた。
「嶺朱莉嬢。あなたについては私も話を伺っています。なんでも元々人間の退魔師であったのが、諸事情によって桜人となり桜魔王を倒すことを選んだのだとか」
「……あら」
 どうやら隠すまでもなく、朱莉の事情は葦切に知らされていたようだ。
「では私のことは御納得頂けているのでしょうか」
「私をこの国に呼びだした国王陛下と、退魔師を纏める蝶々殿直々に懇願されれば聞かぬわけには行かぬでしょう」
 朱莉の事情をこの国で知るのは主にその二人だ。葦切程の退魔師に後で気づかれてややこしいことになるよりはと、初めから説明していたらしい。
「それにあなたは魅了者だ。桜人化しても支配下の桜魔たちの制御が外れていないことが、今もあなたが人間の頃と同じ霊格を保っていることを表明している」
「……」
「ほぉ。魅了者とはそうなのか」
「感心している場合ではありません」
 退魔師としても稀な朱莉の能力について的確に判断した葦切の説明に、鵠は思わず感嘆の声を上げてしまった。すかさず葦切に睨まれる。
「朱莉殿のことはさておき、この男は完全に桜魔ではないですか。それと……そこの童もですね」
 いつの間にか皆に合流していた蚕は、葦切の指摘に動揺の欠片も見せず、堂々と頷く。
「うむ、そうだ」
 隠す気の欠片もない。
「私の名は蚕。ここ最近生まれたばかりの桜魔だ。核となった怨念が持つ生前の記憶こそないが、生まれた時から『桜魔王を倒す』という目的意識だけはあった。そのために今は鵠たちと共に行動している」
 見た目は十にも満たない小さな子どもの姿をしている蚕だが、その口振りや振る舞いはただの子どものそれでも、ただの桜魔のそれでもない。
 桜魔の外見は当てにならないと言う言葉がこれほど似合う者もいないだろう。蚕は精神年齢だけで言えば、恐らくこの場の誰よりも大人びている。
 理性と知性を湛えた眼差しは、これまで激昂していた葦切をも怯ませた。なまじ彼は鋭いからこそ、蚕が鵠にも匹敵する強大な力を持つ桜魔でありながら、人間に害意を持っていないこともわかるのだろう。
「……桜魔の全てが人間に敵意を持っていないことは知っています。そもそも桜魔にも下位や中位と言った区別がある。運良く生まれることができても、人間に危害を加えるどころか、生き抜くのがやっとの者もいることも」
 蚕や桃浪はそんな可愛らしい存在ではないが、彼らが人間と敵対しない桜魔であるという理屈も一応わかると葦切は言う。
 しかし。
「我々は、退魔師です」
 魔を滅ぼす者だ。
 桜魔を殺し、桜魔ヶ刻を終わらせる者だ。
「その我々がのうのうと桜魔と馴れ合っていては、示しがつきません」
「示しなんてつける必要ないだろう。俺はこいつらのことを仲間内以外に言う気はないし、こいつらだって同じだ。それに」
 鵠はちらりと蚕と桃浪を一瞥する。
「無事に桜魔王を倒せたとしたら、どうせこいつらも桜魔という種の中に居場所はない。完全に同族を裏切ってこっちにつくか、そのまま裏切り者として追われ死ぬかだ」
「うわー。ひっでー」
 大して酷いとも思っていない口振りで桃浪が言う。彼はこんな会話でも、けらけらと笑っていた。
「まぁ、私は別にどちらでもいいがな。私の力があれば並の桜魔に殺されるとも思えんし、お前たちといるのも中々楽しい。別に人間の振りをして生きていくのでも構わない」
「……蚕」
 神刃が複雑な表情で蚕を見る。
 最初から明らかに人間と敵対し辻斬りを行っていた桃浪と違い、蚕は彼らの前で人間に危害を加えたことはない。
 神刃としてはある意味、桃浪以上にやりにくい相手だ。この子どもは――桜魔なのに憎みきれない。
 鵠は葦切に告げる。
「あんたに退魔師として守るべき基準があったとしても、その基準が俺と同じとは限らない。そこまで言うならこっちはこっちで勝手にやるから、あんたたちも勝手にしてくれ」
「鵠さん……」
「蒼司様には悪いけれど、仕方ありませんわね」
「朱莉様まで……」
 葦切は不信を通り越して、もはや疲れ切った目をしている。
「退魔師は基本的に、桜魔被害の依頼を受けてから動くものだろう? 今、こいつらの被害に遭ったと、あんたに依頼をする人間はいない。悪いがこのことは忘れてくれ。――でなきゃ、俺たちもあんたと戦わなければならない」
「あくまでその桜魔たちを庇うと言うのですか」
「悪いが俺は元々はぐれ者の非正規退魔師だ。自分の勘と実力が全て。あんたたちみたいに協会に守ってもらったことはないんでね。俺が信じるべきものは、俺自身で決める」
「おーおー、格好いいねー、勇者様」
「桃浪、やっぱり退治されたいのか? お前」
「いーや」
 いつにもましてふざけている男は肩を竦める。
 そんな二人のやりとりを見つめながら、葦切が感情を落としてきたような声で言う。
「あなたはやはり、あの両親の血を引いているというのか」
「え?」
「何故憎まずに生きられるのです。あなたが、あなたこそが全ての桜魔と桜魔王を憎むべきなのに。少なくともあなたの御両親は、この世界の誰よりも桜魔王を憎んでいたはずなのに」
「俺の親が……何……」
 両親が憎んでいた?
 桜魔王を? 桜魔ではなく、彼らを統べる桜魔王のその存在を?
「桜魔王のせいで、天望花鶏は全てを失ったのに」
 ――そんな話は知らない。
 脳裏に生前の仲睦まじい両親の姿が過ぎる。
 彼らが実家を捨てて駆け落ちしたのは、あの二人が兄と妹、実の兄妹で禁断の恋に落ちたからだと鵠は納得していた。――納得してしまった。それは充分に全てを捨てるに足る理由だったから。
 だが葦切のこの言い分は、鵠の知らない何かを彼が知っているように見える。
 まさか両親に、鵠もまだ知らない何か他の事情があったのか?
「鵠殿! 葦切様!」
 協会の方が騒がしくなってきた。切羽詰まった様子の少年退魔師が一人駆け込んでくる。
 一番立ち直りが早かったのは朱莉だった。彼女とさして変わらぬ歳の少年に問いかける。
「どうしました?」
「桜魔の襲撃です! 南地区でまた襲撃があったと報せが! 先日の高位桜魔五体が含まれているそうです」
「! すぐに行きますわ!」
 話をしている場合ではない。相手がまた載陽たちであれば、ここにいる面々でなければ対抗すらできないのだ。
 鵠たちも思考を戦いに切り替える。
 しかし回廊を駆け抜けるその一瞬の間に、葦切はこれまでほとんど言葉を発さなかった神刃にも一つの問いを放っていた。
「君はどうするんだい? 桜魔を身の内に飼いながら、桜魔王を憎むという矛盾を許すのか?」
「お、俺は――」
 葦切も尋ねはしたが、本気で神刃の答を必要としている様子でもなかった。さすがに兵破や蝶々と顔を合わせる頃には退魔師の顔に戻っている。
 神刃はうまく答を出せないまま、とにかく鵠たちについて現場に向かうことになった。