038
「提案した以上俺が行きます」
「危険だぞ。わざわざ囮に使われるくらいだ。あれが桜魔だった場合、見た目より手練れかもしれない」
「でも、この前現れた桜魔たちを倒す人員は必要ですよね?」
「そうですわね。何かあった時のことを考えると、鵠様にはいつでも出られるよう待機していただかなくては」
結局、子どもの救出には神刃が向かうこととなった。
「私のかわいい子たちに行ってもらう手もありますが」
「それだと相手が人間だった場合には怯えさせることになるし、見た目だけ幼い高位桜魔だとした場合、お前の配下が死ぬぞ」
「……それは嫌ですわねぇ」
朱莉が顔を顰める。
やはり神刃が自分で行くのが一番いいようだ。
蚕や桃浪の一件でますます桜魔の気配に鋭くなった神刃であれば、触れる程に近づけば相手が桜魔であるかどうかもすぐにわかるだろう。
「無理はするなよ」
「はい」
頷いて神刃は動き出した。無残な見世物のように縄で吊るされ泣いている子どもに近づく。
「う……ひっく、うっ、うっ……」
「大丈夫」
子どもの縄を解きながら優しく語りかけた。
「もう大丈夫だか……ら……」
それまできつく目を閉じていた五歳ぐらいの子どもは、ようやくそっと瞼を開いた。
その瞳は瞳孔が目立つばかりで、白目の部分がまったくない。――人間の目ではない。
神刃は子どもを抱いたまま叫ぶ。
「――罠です!」
周囲の瓦礫から桜魔たちが一斉に飛び出し、更に彼らを追って飛び出した退魔師たちと戦いが始まる。
◆◆◆◆◆
「ちっ! やっぱりかよ!」
神刃に襲いかかろうとした桜魔の一匹を、鵠はそのまま蹴り飛ばす。
「鵠さん!」
「お前も早く『それ』を倒せ!」
いまだ神刃の腕の中にいる子ども姿の桜魔を指し、鵠は言った。そして自分は敵を倒しに動き出す。
神刃は腕の中の子どもを見た。
いくら幼気な見た目をしていても、これは桜魔だ。人類の敵だ。
だが、瞳の容がほんの少し人間と違うだけの子どもは、今も目の縁に涙を浮かべたまま震えている。
神刃を害する様子でもない。
武器はない。敵意すらも。この桜魔の子どもは、本当にただ怯えているだけだ。
「ぼ、坊や」
すぐ傍で震える声がした。
子どもと同じ、白目のない瞳をした女が真っ青な顔で神刃の腕の中の子どもを見つめている。
「……っ」
神刃は腕の力を緩め、子どもを地面に下ろした。
即座に母の下へ駆けだした子どもと、それを受け止めた母親は固く抱き合う。
「……行け。もう俺たちの前に顔を出すな」
子どもを抱いた桜魔の母親は神刃に一礼すると、くるりと振り返り必死で駆け去っていく。
それを追うかのように狙う別の桜魔を神刃は弓で射抜いた。
桜魔の間の力関係など知らない。
あれは人類の敵。人に仇成す存在。けれど。
怯える小さな子どもを躊躇いなく殺せるような冷徹さは、神刃の中には存在しなかった。
「何をやってるんです!」
他者を庇う動きを見せたことで隙ができた神刃を狙う桜魔を、更に葦切の苦無が貫いた。
「葦切さん」
「桜魔を逃がしましたね。君は、それが何を意味するのかわかっているんですか?」
葦切は険しい表情で、襲い来る下位桜魔を片っ端から倒している。
「わかっています」
本当に?
脳裏を火陵の、寧璃の――そしてこれまで手にかけてきた様々な桜魔たちの死に顔が過ぎる。
「わかっています。本当に」
神刃は同じ言葉を繰り返す。
「もしもあの親子にこの先殺される時が来たとしても、その時は自分の未熟を恨んでも、この選択自体を後悔することはありません」
「……そうですか」
葦切は呆れたのか何なのか、感情の読めない声でそれだけ言った。
後は戦いに集中する。
今回は退魔師の人数も多いが、向こうが用意した下位、中位桜魔という兵力も多い。
そして鵠が夬、朱莉が早花、蚕が載陽、桃浪が夢見と戦っている。
前回と組み合わせが若干異なる。そして前回神刃が相手をした祓は今回、蝶々と兵破の二人を相手にしていた。
戦いをやめるわけにはいかないのだ。
◆◆◆◆◆
「おや、今回はあなたですか」
「何度か顔は見たがこうして手合わせするのは初めてだな」
鵠は夬と戦っていた。いつも場にいるのは知っているのだが、真正面から戦闘したことはない。
だが、この男がどんな戦い方をするのかは、桃浪や朱莉の配下である紅雅から聞いている。
「あなたのような殴り合いは苦手なんですよ。切った張ったなんて御免です。あー、やだやだ」
この男、何故桜魔王の側近などしているのだろうか? 鵠の中にまた新たな疑問が湧いたが、ここは深く触れないことにしておこう。すでに夢見のような変態――もとい、奇人が手下にいるのだ。他にどんな変人が桜魔王の部下だろうと気にしてはいけないだろう。
今回も載陽の相手は、蚕が務めている。前回は単純な戦闘よりもむしろ会話による駆け引きで相当揺さぶりをかけられたようだと言っていたから、また蚕は精神攻撃紛いのやりとりをするのだろう。
早花の相手もまた朱莉である。人の目があるので下位桜魔は出せないが、人型の紅雅ならばもう他の退魔師の目に触れても気にしないらしい。再び二対一の攻防が始まっている。
そして今回は鵠が夬の相手をする分、桃浪が夢見を抑えていた。
戦闘狂の桃浪は、夢見の変則的に輪をかけて変則的、様々な攻撃手段を持ち、攻守を目まぐるしく切り替えてくるようなおかしな戦い方を気に入ったらしい。
夢見の方も相変わらずの様子であり、あの二人はなんだかそこだけ悪夢のような別世界で随分と楽しそうに戦っている。
そして神刃が囮の桜魔を逃がそうとして出遅れた分、祓と言う名の少年の相手は退魔師協会の蝶々と兵破が担当していた。
祓は桜魔王の配下一行の中では格段に若く、他の顔触れに比べてまだ実力的にも精神的にも未熟だ。そのため蝶々や兵破でもまだなんとかなっている。
だが、この膠着状態を長くは続かせない。
神刃と葦切が雑魚散らしをほぼ終えて、こちらへと向かってくる。
まずは三対一の構図にして夬を倒せれば、戦いは格段に有利になる。
夬が苦戦の様子を見せ、退魔師側が優勢を確信したその時だった。
「おっと、困るな。うちの部下に手を出してくれちゃ」
大陸の均衡を崩す声が、以前の戦いを思い出させるように響いた。