桜魔ヶ刻 07

039

「桜魔王……!」
 華節の時を思い出す。あの時もこの男は突然現れて、退魔師たちではなく、自分の同族であるはずの華節の胸を貫いたのだ。
「てめぇ……!!」
 桜魔王の姿を目にした途端、桃浪が夢見を踏み台にして一気に飛び込んだ。
「桃浪!」
 桜魔王は素手のまま、桃浪の剣をあっさりと受け流す。鵠が霊力を身に纏わせるのと同じことを、妖力で行っているのだ。刃物に動じるような様子もない。
「あれ~あたしの相手はぁ?」
 桃浪が放り出した夢見が、殺せる相手を求めて彷徨う。
 下位桜魔を倒し、彼女を抑えようとした何人かの退魔師が迂闊に仕掛けては即座に返り討ちにあっていく。本気の一撃ではないので死んではいないが、軽傷でもない。あれではもう戦闘はできないだろう。
「くそっ!」
 桜魔王は桃浪の相手をしながらも、夬の援護をしてくる余裕ぶりだ。ただ、鵠だけでなく葦切と神刃がいるために、桜魔王が桃浪につきっきりになれば夬が倒されてしまう。
 二対四、とはいえ、桃浪は他三人と連携する気がない。
 腕利きの退魔師たちが疲弊するのを待って登場した分、桜魔王にはまだ余力があった。
「畜生……! 前回はいなかったくせに! 高みの見物を決め込んでたってわけかよ!」
 言ってもどうしようもないことだが、思わず鵠は埒の明かない悪態をついた。意外なことに、桜魔王からのほほんと返事がかえってくる。
「ああ、それが載陽の作戦らしいからな。前回と今回と俺のいない戦場を見せつけて、お前たち退魔師が俺を敵対戦力に勘定しないように誘導するってな」
 それで遅れて来たのか。というか何故王のくせに載陽の言いなりになっているのか、この桜魔王は。
「朔陛下! 何を敵に素直に作戦を明かしてやっているのですか! そんな余計な説明は要りません」
 こんな場面だというのに、載陽の怒声がぴしゃりと飛んできた。
「はいはい」
 桜魔王はそれこそ、厳格な教師をやり過ごす不良生徒のように適当に頷く。
 言葉の端々からどこかのんびりとした性格が窺える。そのくせ彼は――強い。
「くそっ……! さすが我らの王よ、強いな……!」
 いまだまともに攻撃を入れられていない桃浪が悔しげな声で賞賛する。
「王が強くて嬉しいだろう」
「ああ、いいぜ! それでこそ殺し甲斐があるってもんだ!」
 軽口を叩き合う。桃浪はどうあっても桜魔王を殺す気だ。彼はそのためにここまで来たのだ。
「これはよろしくありませんわね」
 ふいに、また局面をひっくり返す女の一言が響いた。
 もう相手も人間型の桜魔ばかりで下位の桜魔はいない。紛らわしいことにはならないだろうと、朱莉がこれまで影の中に隠していた配下の桜魔たちを召喚する。
「ありゃりゃ。今度はこっちが数の優位に手間取る番ですか」
 鵠と葦切の攻撃を必死で躱し続ける夬が、形勢が変わったのを見て取り冷や汗をかきながら笑う。
 他の面々も朱莉のその一打で少しずつ形勢が変わっているようだった。
 桃浪の相手をしている隙を狙って、神刃が夬ではなく桜魔王に矢を放つ。
 初めは直線的な攻撃だったが、その後に放たれた、途中で曲線的な軌道を描く矢にさしもの桜魔王も意表を衝かれた。
「おっと」
「さっすが坊や、やるねぇ」
 だがそれは桜魔王を動かすことにも繋がってしまう。
「後ろから射抜かれるのはいやだなぁ」
 口振りはのんびりとしているが、その意味するところは攻撃的だ。
「逃げろ神刃!」
 つまりは、桃浪や鵠たちより先に、援護の神刃を片づけてしまおうということなのだから。
 鵠が救援に行こうとするが、ここぞとばかりに今度は夬が攻勢に出る。彼に邪魔をされて、鵠は神刃の下へ辿り着けない。間に合わない。
「坊や!」
「神刃!」
 桃浪が桜魔王に弾き飛ばされ、蚕が載陽の相手をする傍ら神刃を気遣って視線を投げてくる。
 しかし神刃は逃げるよりも迎撃を選んだ。
 だが先程のように誰かの相手をしている隙を狙うならともかく、真正面から一対一では、神刃では桜魔王に攻撃を当てられない。
「くっ……!」
「悪足掻きは嫌いじゃない。だが、通用する局面ではなかったな」
 桜魔王が神刃に手を伸ばす。
 その時、咄嗟に割って入った葦切が神刃を突き飛ばした。
「葦切?!」
「天望殿!?」
 桜魔王が伸ばした手は、そのまま神刃ではなく葦切を掴んだ。葦切は反射的に脱出のために体を捻るが、うまく外すことができない。
 ただ掴んでいるだけではなく、どうやら何か特別な術を使っているようだ。
「おや……」
 朔はぱちぱちと、重たげな瞼を瞬かせる。
「なんかこう、目当てと違う魚が釣れた時の気分だ」
「人質としては充分だと思いますよ」
 鵠に隙ができた瞬間、彼を振りきってきた夬が言う。
「おーい、載陽。退魔師が一人釣れたんだけど」
「ぐっ……! ならば、今回は、引き上げましょう!」
「待て!」
 今回も蚕に一方的に痛手を受けた載陽が撤退を提案する。
 蚕は彼を追おうとするが、ここぞとばかりに他の桜魔たちが一斉に目晦ましを使った。
「葦切様……!」
 神刃は自分の身代わりとなるかのように捕まった葦切の名を呆然と呼んだ。

 ◆◆◆◆◆

 一行は朱櫻国の王宮に戻ってきた。退魔師協会だけではなく、国王蒼司にも説明をせねばならない。
「……そうですか」
 自分が隣国から呼び寄せた天望家の若当主が攫われたと聞いた時の蒼司の第一声はそれだった。そして彼は他の者に口を挟む隙を与えず、続けてこう言った。
「それではあなた方は、葦切殿を取り戻してきてください」
「!」
 国王の当然と言えば当然の命令に、退魔師たちはハッと顔を上げた。
「ちょっと待ってください蒼司様。本気ですか?」
「私はいつだって本気です」
 退魔師たちの心情を代弁する彩軌の言葉に、蒼司はきっぱりと返した。
「何も今すぐ行けとは言いません。準備に必要な物があれば彩軌にでも申し付けてください」
「……私たちに、桜魔王の本拠地に乗り込めと言うんですのね」
「元々そのつもりだったでしょう。何なら、これを名実ともに退魔師と桜魔の最終決戦にしてくださってかまいません」
「蒼司」
 蒼司王はわかっている。それがどれだけ難しいことか。その上で、それでもやれと言うのだ。
「――俺は、別にそれで構わない。状況的に勝つことは難しいだろうが、それでも勝つ気で行く」
「鵠さん」
 敵の本拠地でやり合うのだから不利は不利だ。
 けれど、葦切を見捨てると言う選択肢もまたない。
 彼を見捨てるか桜魔王を倒すかならば、選ぶまでもなく後者だ。他の答はありえない。
「申し訳ありません、鵠殿」
 驚いたことに蒼司は心からそう思っている様子で、けれど自らの意志で下した命令を覆すことなく繰り返す。
 その理由は、次の彼の言葉で鵠たちにも理解できた。
「我が父、緋閃王は最悪の大罪人です。……だからこそ私は、父とは違う道を行かねばならない」
 退魔師には退魔師の信条があるように、国王には国王の信条があるのだと。
「今回はたまたま葦切様でしたが、攫われたのが彼でなくとも、私は同じことを言ったでしょう」
 けれど王と言うのは人を動かすもの。蒼司がこれまで、そしてこれから決断していく全ての道も、彼の周囲にいる者たちを巻き込み従わせる。
「お願いします。鵠殿、皆さん。葦切殿を取り戻してください」
 蒼司はぺこりと頭を下げる。
 王は頭を下げてはならない。その仕草は王のものではない。
 けれど今の彼は、表面上だけ偉ぶって中身のないどんな者よりも王者に相応しい。
「ああ」
 鵠は脳裏に葦切の顔を思い浮かべた。彼との話のことも考えた。
 まだ聞かねばならないことがある。鵠自身のためにも葦切を桜魔王から取り戻さねば。
「俺たちは、必ずあいつを取り返す」