040
国王蒼司への報告が終わった後、王宮の庭園の片隅で神刃は落ち込んでいた。
「俺のせいで……」
――お前のせいじゃない。
葦切救出作戦について何か手伝いたかったが、今は彼にできることは何もないと言われてしまった。
鵠たちと退魔師協会の代表者は今まさに救出作戦のための会議をしていると言うのに。
「葦切さんが……」
――俺もこれが終わったらもう休む。お前も少し体を休めて、次に備えろ。
休めるはずがない。頭では鵠の言うことが正しいとわかっていても、それでも罪悪感と焦燥に駆られて心が落ち着かない。
自分の力なさは知っているつもりでいた。けれどまだまだ甘かった。力になれると思っていたのだ。何かができると思っていたのだ。
非力でも未熟でも、無力ではない。その場に自分がいることで、変わる何かがあると信じたかった。
結果はこれだ。神刃の存在は、悪戯に被害を増やすだけのこととなった。
「火陵」
唇からぽつりと言葉が零れ落ちる。口を衝いて出るのはもういない義父の名だ。
神刃のために死んだ人の名だ。
庇われて守られて、“また”自分だけが生き残るつもりなのか?
この自分にそんな価値などないというのに。
「火陵……俺、どうしたら……」
神刃の力が通じる場面は、もうこの先にないのかもしれない。そこまで考えた時だった。
「よぉ、何落ち込んでんだよ坊や」
「神刃、鵠が心配していたぞ」
「蚕……桃浪」
桜魔二人がやってきた。
「辛気臭い顔してんなぁ。そんなにさっきのを気にしてんのか?」
「……辛気臭いは余計だ。いいだろう、別に。ちょっと一人で反省会したって」
「反省会なんて有意義なもんには見えなかったけどね。ひたすら埒の明かないことで自分を責めてるだけに見えたが?」
「なっ……!」
桃浪の言っていることは真実ではあったが、神刃は反射的に反発を覚えた。もはや桃浪の言うことは最初から信用も納得もする気もない。
「そう落ち込むな、神刃。葦切のことが心配なら、これから取り戻せばいいだけだ」
「蚕……」
蚕の言葉に少しだけ頭を冷やして、神刃は二人と向き直った。
「ま、桜魔王様は肩書の割に派手な破壊活動はお好みじゃないからな。あの兄ちゃんも人質としてとりあえず捕まえたーくらいで、あとは多分何もせずに放置だろうよ」
「朔は結構のんびり屋だからなぁ」
「……」
二人は神刃を気遣ってなのか、葦切の安否に関し桜魔王の性格を交えて説明する。
そう言われれば神刃もなんとなく納得してしまう部分もあるのだが、逆に不安をかきたてる側面も桜魔王にはあった。
「でも、辻斬り騒動の時は……」
「……あれは野心家の華節の方が派手にやる気満々だったからな。自分を殺すつもりの女なら、そりゃ機を見て殺したいだろうよ」
わかっているのだと桃浪は言う。それがわかっていて、それでも自分は復讐をするのだと。
「うじうじ悩んでても仕方がない。それより、先のことを考えようぜ」
「そうだな」
蚕が桃浪の言葉に頷き、いつもと変わらない口調で、しかしいつもよりもしみじみと言う。
「全ての時、全ての者が最高の実力で最善の結果など出せない。だからこそ我々はお互いの不足を少しでも補うために仲間と組み、過去ではなく未来のために戦うのだ。今この一時の不安など、葦切が無事に戻ってくれば笑い話になる」
「過去ではなく、未来……」
しかしそれは裏を返せば、もしも葦切りの身に何かあればこんなものでは済まないということ。
いや……、と神刃は思い直した。
そんな結果にはさせない。そのために戦うのだ。いつまでも後ろ向きではいられない。
「……ごめん、二人とも」
「心が決まったようだな」
神刃の精神的な変化を感じ取ったのか、蚕がその顔を見てやわらかく微笑んだ。
「……悪かった。おかげで少し落ち着いた」
「素直にありがとうって言えないのかねー」
「蚕、ありがとう」
「どういたしまして」
「あれ? 坊や、ねぇ俺は?」
わざとらしく絡んでくる桃浪をいなしながら、神刃は自分より先に鵠たちと顔を合わせたという蚕にどんな話があったのかを訪ねる。
そして蚕は、鵠たちや退魔師協会との話し合いの進捗を教えてくれた。
「先程一度休憩していたが、作戦会議はまだもう少し続くらしい。今、退魔師協会の方でも王都の防衛と葦切奪還作戦にどれだけ人を割り振るか決めているようだ。私たちは言うまでもなく奪還側だ」
「ま、向こうも攫った人質おいて王自ら襲撃に出陣、てことはないだろうからその辺は安心していいだろうよ」
葦切奪還という目標のために、様々な人員が心を一つに動いている。
「ここが正念場だな」
◆◆◆◆◆
真夜中の会議を終えて知った顔が一室からぞろぞろと出てくる。蚕はきょろきょろとその面々を見回し、求める姿を見つけて駆け寄った。
「鵠」
「蚕。……神刃はどうした?」
「一通り道具の点検と型の確認をしてから寝てしまったぞ? 話したいことでもあったのか?」
今日一日は色々ありすぎて、あっという間に過ぎてしまった。すでに日付の変わった深夜。桜魔である蚕と桃浪はともかく、人間の鵠や神刃たちはそろそろ寝なければ明日に備えられないだろう。
「いや……単に様子が気になっただけだ」
そう言ってすぐに場を離れようとする鵠に、蚕もついて歩いて行く。彼らの部屋は退魔師協会の面々に与えられたものとは別の棟にあるのだ。
「神刃と話をしなくて良いのか? 鵠」
補修する暇も金もないのだろう、華やかな装飾が年月に負けて剥げ始めている廊下を歩く途中、蚕が話しかけてきた。
「……」
神刃が落ち込んでいることは鵠も知っている。だが、かける言葉が見つからないのだ。
「俺が通り一遍の慰めを口にしたところで、どちらにしろあいつの心には響かないだろう」
「そうか? 私には、お前が自分自身に自信がないから、神刃にかける言葉も見つからないのだと思っていた」
思った以上に手厳しい言葉に、鵠はふと横を歩く蚕を見遣る。
蚕はいつものように笑っている。彼にとってのいつも――その幼気な容姿にそぐわぬ、深い知性と見識を湛えた眼差しで。
「お前はこの国に来てから、悩みっ放しだ。神刃もそうだが、お前も結構重症だと私は思う。それを他の者たちに見せないようにしているからこそ、無理が生じるのだろう」
見抜かれていたことに何を思えばいいのか。憤怒、落胆、それとも安堵?
「葦切に出会ってからだ。お前の様子がおかしくなったのは。いくら顔を合わせたことのない親戚だと言っても、そんなに悩むこともないだろう。両親のことを聞きたければ、素直に聞けば良い――」
「俺の両親は、実の兄妹だった」
蚕の台詞を遮って、鵠の唇からぽろりと言葉が零れ落ちる。その見えない雫が弾けた地点で、鵠は脚を止めた。蚕も。
「聞けるわけがない。向こうだって口に出したくもないだろう」
禁忌の交わり。
鵠自身はそれで困ったことなどない。この時代にわざわざ退魔師風情一人の素性を気にする人間など少ないからだ。
けれど今はそうもいかない。
桜魔王を倒し、大陸の平和を取り戻す勇者様にはそれなりの箔が必要だろう。少なくともただのチンピラには務まらない。
鵠自身とて、今更自分のことで両親についてとやかく言われるのは嫌だった。
両親はすでに亡くなっているのだ。頼むからあの二人は、このまま静かに眠らせておいてほしい。
「なるほどな……」
蚕は何か考え込んだ。
そして静かに口を開くと、厳かささえ感じる口調でこう言った。
「なぁ、鵠。もういいじゃないか。もう自分を許してやれ」
「許す? 何がだ」
「お前とお前の両親のことをだ」
「……」
「お前は自分の存在を罪に感じているのだろうが、そんなことはないはずだ」
「何故お前にそんなことが言える、お前には――」
「ああ、私には両親などいない。もしかしたらいるのかもしれないが、覚えていない。それでも私は何も感じない。多分私にとって、親とはどうでもいい存在なのだろうな」
蚕があまりにさらりと言うので、鵠は言葉を失った。
「それが全てではないことはわかるだろう。桜魔だって人だって。――桃浪が華節を最期まで裏切れなかったように、大切な存在を持つ者はいる」
桜魔である彼の感情面について、鵠たちはこれまで深く突っ込んで聞いたことはない。
彼らと自分たちは違う生き物だ。だから同じ事象への感じ方も当然変わってくる。
だが、だからと言って、今ここにいるお互いに対する気持ちは嘘ではない。
ここにある感情は。
「だが私は悲しくない。苦しくも寂しくもない。お前たちに受け入れられているからだ」
親を知らずとも、同胞を裏切り裏切られようとも。
「鵠、お前が苦しむのは、お前が両親を愛しているからだろう」
両親に対し自分に対し、何も感じなければ苦しみも悲しみも存在しない。
蚕はそうなのだ。鵠は違う。
鵠は両親に対し思う所がないわけではないが、それでもあの二人を愛していた。だからこそ。
「その愛を――愛することを許せばいい。お前はお前自身と、その両親を愛していいんだ」
「そんなこと、言われるまでも……」
言いかけた鵠の語尾が段々と弱まり、消えていく。
わかっている。つもりだった。
けれど、いつも心のどこかで引け目を感じていた。
実の兄妹でありながら結ばれた両親、その二人から生まれた自分の存在に。
最強と呼ばれながら鵠が退魔師として誰とも交流せず花栄国で埋もれていたのはそのためだ。自分の素性や過去を話したくなかった。
そこに、一人だけ近づいて来た者。
神刃がやってきて、鵠は少しだけ変わったのだ。己の存在を罪と感じ独りで生きたい、生きるべきだと言う考えから。
仲間を得て共に戦う。この世には自分を受け入れて理解してくれる者もちゃんといるのだと。
ならばその変化を与えてくれた神刃に――与えられた鵠にしか言えない言葉もあるだろう。
鵠は、蚕の言葉によってようやくそこへと辿り着いた。
「あー……」
いくら外見と中身の直結しない桜魔とはいえ、十にも満たない子どもに本心を見抜かれた挙句助言されてしまった鵠は些かのばつの悪さといくつかの照れくささに頬を掻く。
「ようやくわかったよ、お前の言いたいこと」
「そうか、それは良かった」
蚕は弟を見つめる兄のような、弟子に対する師のような、不思議な保護者感を漂わせて頷く。
「悪かったな、蚕。色々付き合わせちまって」
「なんの。私にとって大事なのは今生きているお前たちだ。少しでも役に立てれば良い」
蚕の笑顔につられるように、鵠はようやく微笑んだ。そして改めて、自分自身の気持ちを確かめることができた。
「そうだな。俺も……」
今生きている神刃が大事だ。