桜魔ヶ刻 07

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 桜魔王の根拠地は、朱の森と呼ばれる深い森の中に建てられた屋敷だった。
 漆喰の白さが目に付くこんな屋敷を、一体誰がこんなところに建てたのかと葦切は不思議に思う。
 とはいえ、それをわざわざ尋ねることができる状況ではない。
 桜魔たちの本拠地に連れて来られた人質の立場では。
 いかにもとりあえずと言った様子で、桜魔たちは葦切を攫ってきた。
 本来の狙いは葦切ではなく、常に鵠の傍にいるが、あの一行の中では一番弱い神刃だったのだろう。
 神刃は現在の実力もすでに退魔師としては一流、将来性を考えても申し分のない逸材だが、世間の退魔師の基準などあっさりと突き破る超一流の戦士たちと比べられては敵わない。
 葦切自身の実力も、神刃と同じくらいだろう。
 今こうなっているのは、たまたま葦切と神刃があの位置取りでいたからだ。そして葦切が、あの時神刃を庇うと言う行動をとったからだ。誰の実力がどう劣っていたとかではない。
 強いて言えば、葦切自身が桜魔王などものともせぬ実力であれば良かった。それならば話は早かった。
 花栄国一の退魔師一家の当主としても、その力は欲しかった。
 けれど、葦切は鵠には敵わない。
 最強の退魔師には。
 ……そんな葦切の物思いを打ち破るように、桜魔たちは攫ってきた人質の扱いについて話し始める。
「……で、こいつはどうするんだ」
「陛下、それを決めるのはあなたです」
 別に何もかも素直に載陽様の言うことを聞かなくてもいいんですよ、と桜魔王に対し側近の夬が言う。
「私が」
 早花が気を利かせて自分が人質の面倒を見ると言い出した。
 他の血気盛んな連中や、知性があるかも怪しい下位桜魔に任せては葦切が殺される恐れもある。
「わざわざ人質を取ったからには、早々に死なせてしまうのはまずいでしょう」
 生真面目な様子でそう言うと、早花は霊力を封じる手錠で拘束された葦切の背を押して部屋から出そうとする。
 そこに声をかけた者がいた。
「待て」
「……載陽殿。何用でしょうか」
「その男自身も、花栄国と、ここ最近朱櫻国でも名を上げている退魔師だ。今のうちに殺してしまうのが良いでしょう」
 早花に目を向けながらも、載陽は葦切の扱いに対して朔に上申した。
 今は力を封じているとはいえ、本気になったら鵠程ではないとはいえ、並の退魔師より余程手強い相手だと。
「と言ってもなぁ、殺したら殺したで厄介だろう。人質に気を配る必要がなくなったらそれこそあの連中は全力で攻めかかってくるぞ?」
 あまりしっかりと顔を合わせたわけではないが、鵠一行の性質はここ何回かの邂逅で朔も何となく把握している。
 元の狙いであった神刃ならばまだしも、葦切に関してはもともと付き合いの長い仲間というわけでもないだろう。死んだからと言って精神的な動揺を狙えるような相手でもなく、逆に今まで以上に情け容赦のない攻撃を喰らう未来しか見えない。
 夬と早花もうんうんと頷いた。相手を変えて幾度か戦っているが、鵠が、朱莉が、桃浪が、葦切の死体を投げつけられたからと言って悲嘆して戦えなくなるようなタマだとは到底思えない。
「あたしもぉ、そー思いますぅ!」
 極めつけは夢見のその一言だった。
「……夢見。貴様もか」
「だってぇ、あいつらのほとんどはあたしたちと同じ桜魔ですよぉ? 昨日今日会ったばかりの人間一人死んだところでぇ、どうだっていいと思うのぉ」
「……それもそうか」
 逆に葦切が生きている間は、鵠や神刃の心情的にも彼を守るために退魔師側は力を割かねばならない。
 載陽もようやく納得した。かに見えた。
「だが、何も丁寧に五体満足で帰してやる必要もないだろう」
「だから、怪我をさせれば余計怒りを買うと」
「目に見えて負傷させる必要はありません。幻覚の一つでもかけて、この男自身も退魔師たちへの刺客に使えばいいのです」
「……」
 葦切は表情こそ変えないが、内心ではこれまでで一番動揺した。
 自分が殺されるのは構わない。
 だが自分自身が彼らの、退魔師たちの足手まといになるなど――!
 どうすべきか。いっそ何かされる前に自ら舌を噛むべきかと迷い始める彼の前で、桜魔王一行の話し合いはまたしても予想外に緩い方向へと進む。
「お師様、幻覚って簡単に言いますけど、誰がどうやってかけるんです?」
「下位桜魔も合わせれば配下に一人ぐらいその能力を持った者が……」
「いません」
「何?!」
「いないぞ」
「いませんよ、そんな者」
 夬が、朔が、早花が、きっぱりと否定する。
「俺の配下で残った者は肉弾戦に強い者ばかりだ」
「弱いけど多彩な能力持ちという配下は、意外にここには少ないんですよ」
「そういえば私たちも、その理由までは知りませんね」
「貴様ら……! 王を補佐する者がそれでいいと思っているのか……?!」
 ついに載陽の怒りが、朔だけでなく夬と早花にまで向けられる。
 それを、朔は一言で封じた。
「俺がいいと言っているんだからいいんだ」
「!」
「ああ、そうそう。うちに幻覚系の能力者がいないのは、俺がそいつらを全部ぶっ殺したからだ。何か気に食わなくてな。能力を持っている者全てが気に食わないから、これからお前が何処かから連れてこようともそいつも殺す」
「……!」
 朔が本気で凄めば、載陽とて怯む。
 この男は桜魔王なのだ。例え誰が認めずとも、それに相応しい実力があるからこその王だ。それが桜魔の世界だ。
「……では、陛下。この男は部屋に放り込んでおいていいのですね」
「ああ。お前に任せる」
「御意」
 早花が内心ほっとする葦切を連れて出て行った後、載陽は再び朔に話しかける。
「敵に情けは無用」
「別にそんなんじゃない。幻覚系は俺が好きじゃないだけだ」
 かといって暴力を振るうのも大分制限される。桜魔の身体能力は基本的に人間より遥か上だ。霊力を封じて肉体を強化できない退魔師ならば、加減を間違えると殺してしまう可能性がある。
「枷をつけた人間風情一人に何ができる。あいつを助けに残りの奴らがのこのこやってくるまで放っておけばいいだろう」
「……朔陛下」
 載陽は眼光を鋭くし、朔に問いかける。その本心を覗きこむように。
「あなたはあの男に、何か思い入れがあるのではないでしょうね」
「はぁ……?」
 いきなり何を言い出すのかと、朔は頓狂な声を上げる。
「思い入れ? いや、俺にそういう趣味はない」
「そういう意味ではありません」
 ではいったい何を聞かれているのかと、いまいち載陽の真意を掴みかねている朔への答を口にしたのは、意外な存在だった。
「あー、そっかぁ。似てるもんね、あの人と」
 ぱちんと手を叩いた夢見が甘ったるい声で告げる。
「似てる? 誰と誰が?」

「朔様とさっきの人。あと、鵠って呼ばれてた男も似てる」

「は?」
「え?」
 朔と夬は目を丸くした。
「似て……いるか? 俺とあの男」
 完全に予想外の発言をされた桜魔王は、思わず側近の一人と顔を見合わせた。
「ええ? いや、そう思ったことはありませんが……あ、でも」
 夢見の発言に記憶を手繰った夬は、あることを思い出してふと言葉を止める。
「陛下とあの人質を直接結ぶことは難しい……けれど、陛下と鵠なる男が似ているとは、私も感じました」
「髪の色だろ?」
 鵠も朔も、白に近い銀髪だ。しかし瞳の色は鵠は夕闇の藍色だが、朔は桜色である。背格好も大体同じくらいだろう。だがそちらは決して珍しいようなものではない。
「顔立ちも少し。そして鵠と人質も、少しばかり似ています」
「そうか?」
 朔は鵠一行の顔をじっくり見たことがないので、全体的な雰囲気こそ判別できても、細かい造作まではわからない。
 鵠と葦切は髪の色が白銀と黒に近い緑褐色という対照的な色味であるため、印象はまったく異なる。似て……いるのだろうか。
「まぁ、そんなことはどうでもいい」
「……先代陛下が」
 夢見の感想など当てにならないと、切って捨てようとした朔に載陽は何かを言いかけた。
「先代がなんだって」
「……いえ、何でもありません」
「気になることを言うな」
「私の勘違いです。お気になさらず」
 どう見てもそんな雰囲気ではないのに、載陽は朔の追及を許さない。
「貴方が、奴らに油断なさらなければそれで良いのです」
「油断? それはお前の方じゃないのか?」
「ええ。そうですね」
「お師様……?」
 朔どころか夬にまで不審がられながらも、載陽は頑なに理由を話さなかった。