桜魔ヶ刻 07

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 早花は適当な部屋の一つに葦切を放り込んだ。霊力を封じる枷をつけたまま、その体を椅子に縛り付ける。
 見た目は大人しそうな女であっても、桜魔の腕力は人間より遥かに上だ。ただでさえ拘束されている葦切は無駄な抵抗はせず、そのまま素直に縛られた。
「妙な真似をしなければ、お前の仲間の退魔師たちが来るまでは生かしてやる。そこから生き延びられるかどうかは、お前たちの実力次第だ」
「それで結構です。そちらこそ、罠に嵌めたつもりであなた方の方が殲滅されても恨み言は聞きませんよ」
「言ってくれる」
 早花は葦切の挑発にも乗らず、静かに笑うと、踵を返して部屋を出て行こうとした。その背に、葦切はもう一言声をかける。
「ああ、そうそう」
 部屋を出る直前の早花の足が、次の葦切の一言に止まった。
「先程のお話ですが、桜魔王が幻覚嫌いなのは彼の両親の話からでしょう」
「……は?」
「彼にお伝えください。……いえ、伝えなくてもかまわない。もう知っても知らなくても意味はないでしょうから」
「何の話だ?」
 早花は顔を顰めた。葦切の言っていることの意味がまるでわからない。
「『花鶏様は心配していました』よ」
 葦切は脳裏に別々の二人の青年の容姿を思い浮かべ、そして更に彼らから繋がる一人の女性の話を思い返す。
 総ては彼女から始まった。
「……意味がわからん」
 早花が出ていく。この話を桜魔王に伝えるかどうかはわからない。
 葦切に出来るのはこのくらいだ。
 最近初めて顔を合わせた再従兄弟の力を思い知れば、自分程度がこの大陸の運命を変えられるなどとは思わない。
 捕まっている間、彼は実家の天望家のことを考える。両親のことを考える、鵠のことを考える。
 桜魔の襲撃で話が途切れてしまったが、鵠は恐らくあのことを……彼の両親にまつわることを知らないのだろう。
 彼が倒そうとしている桜魔王が何者なのかを。
 そして葦切は更に、鵠の仲間たちのことも考える。
 人から桜人になった朱莉、桜魔である蚕、桃浪。
 鵠をそもそも救世の道に引きずり込んだと言う、少年退魔師の神刃。
 桜魔の子どもが囮として使われた時、神刃はあくまでも助けることを選んだ。
 葦切はその光景を見ていて自身に某かの揺らぎが起きたことを知った。
 あの時、桜魔王に捕まりそうになった神刃を庇ってしまったのは、だからだということを。
 これまで殺してきた無数の桜魔。
 そのために殺してきた、無数の感情。
 あの少年は自らの胸の奥に埋葬してきた幾つもの感情を揺り起こす。鵠もだから、彼と共にいるのだろうとわかった。
 そうして揺り起こされてしまった感情が、葦切にある想いを起こさせる。
 それは危険な考えだ。全てを崩壊させるかもしれない爆弾だ。
 でも。
 彼らは。もしかしたら。
 考え込む葦切の耳に、不意にこんこんと窓を叩く音が聞こえてきた。

 ◆◆◆◆◆

 天望家当主救出作戦は翌日早朝決行されることとなった。
 一部の退魔師たちが徹夜で立てた計画を、鵠たちで実行する。
「悪いね、一緒に行ってやれなくてさ」
「本当だぜ。だが餓鬼ばっかだと思ったら意外と怖い奴らが多いこの面子で助けに行ったりしたら、葦切が泣いちまうかもしれないからな」
 退魔師協会の代表として、蝶々と兵破が鵠たちを送り出す。
 敵の本陣に人質を取戻しに向かうのは、少数精鋭が原則だ。取り返しに行って人質を増やしては仕方がない。
 それに、退魔師協会の人間が多いと朱莉の魅了者としての術が使いづらいのだ。
「おやおや、あんたたちこそ、向こうで葦切様にあの淡々とした口調で『遅い』なんて言われて泣くんじゃないよ」
「俺たちも行きたかったんだがなぁ」
 蝶々は軽口を叩き、兵破は名残惜しそうに鵠たちを見送る。
「ってなわけだ。行くか」
「はい」
「おう」
「うむ、良いぞ」
「参りましょう」
 不安がないわけではない。不利な戦いになることはわかっている。
 神刃の問題だとてまだ解決していない。
 鵠は蚕とは話したが、その後まだ神刃に声をかけられずにいる。神刃に関しては、桃浪がとりあえず戦いに勝つのが先だと奮い立たせたらしい。
 それでももうこれ以上の時間はかけられない。
「桜魔たちの中に長く人間を置いておくのも問題があるのだ」
 蚕はそう言う。人に敵意を向ける桜魔たちのなかに人間がいるのは危険だ。桜魔王の棲家である朱の森に存在するのは高位桜魔だけではない。
 そうでなくとも救出は早い方がいい。
 五人は朱の森へと向かった。
 何事もなく森までは潜入できる。妖気を辿って桜魔王の根拠地らしき地点を突き止めることも。
 そこにあったのは、指摘されなければ桜魔たちの根城になっているとはとても思えない、一見普通の屋敷だった。
 古びてはいるがそれがまた素朴な味わいとなった、極一般的な民家の一つ。こんな森の中に建っている割には綺麗に手入れが行き届いている。
 屋敷に近づいた鵠たちは朱莉の影渡りの能力で隠れ、まずは外から建物の中を窺っていた。
 しかしいつまでも隠れている訳にもいかない。
「これ以上は影渡りで近づくのは無理です。この子の力の限界です」
 桜魔王の妖力が支配するこの地では、朱莉の配下に収まるような下位や中位の桜魔では存分に能力を発揮できないらしい。
「ま、影の中からじゃ攻撃を仕掛けることもできないからな」
「だが、葦切のいる場所くらいは掴みたいものだ」
「俺たちが適当に暴れれば向こうさんが連れて来そうなもんだけど」
「……いっそのこと、二手に分かれますか?」
「それも一つの手ではあるが……」
 人員を分ければ当然戦力は落ちる。人質の位置もそうだが、桜魔王がどこにいるかもわからない状態でそれは避けた方が無難だろうと鵠は指摘した。
「そうだな。鵠がいない状態で桜魔王と当たれば、葦切どころか私たちも危険だ」
 蚕も鵠の意見に賛成し、また桃浪の意見も一理あると言った。
「私たちが姿を現せば、桜魔王側は必ず葦切を連れて来るはずだ。簡単に殺しはしまい」
「殺すくらいなら最初から死体を軒先に吊るしておけばいいだけだからな」
「まぁ、そう言うことだな」
 人質は生きているからこそ意味がある。嫌な考えだがそう言うことだ。
「……とにかく、近づかなければ話にならない」
 五人は影から抜け出して、桜魔王の根拠地たる屋敷へと近づいた。
「意外と普通の屋敷だな」
「まぁな」
 思わず小さな声で感想を呟いた鵠は、予想外に返ってきた声に慌てて振り返った。
「来るのが意外と早かったな。まだこっちは起きたばっかりだっていうのに」
「桜魔王……!」
 朔はふわりと緊張感のない欠伸などしている。
 起き抜けだと言う本人の申告通り、いつもより妖力が弱い。そのせいだという訳ではないだろうが、接近に気が付かないのは迂闊だった。
 後から考えて気が付いたことだが、朱の森は一面の桜と無数の桜魔の気配が入り乱れて、妖気に気づきにくい土地柄となっていたのだ。
「葦切は無事なんだろうな」
「……ああ、無事だ。殺したらどうせお前らそのまま帰るだろ? 攫った意味がないじゃないか」
 少し間があったことが気になるが、あまり気にしている余裕もない。
「奴を返せ、って言っても無駄なんだろうな?」
「こういう時のお決まりの台詞ってもんがあるだろう? 勇者様」
 そろそろ眠気も覚めたのか、桜魔王は気紛れな猫のようにぺろりと唇を舐めて言う。
「俺に勝ったら、あいつを返してやるよ」
 朔の言葉と共に、彼の配下の桜魔たちも屋敷を飛び出して来た。