桜魔ヶ刻 08

044

「うふふふふふ。お仲間が大変みたいよぉ?」
 桃浪は夢見と戦いを続けていた。
 鵠が神刃を庇って傷を負ったらしいのはちらりと目に入ったが、駆けつける余裕はない。
「そうみたいだな! あいつも苦労するねぇ!」
 無駄にくるくると回転している夢見の、無駄ではない回転をかけた蹴りが飛んでくる。それを上手く避けて、桃浪は斬りかかった。
 夢見は肉体の一部を鋼のように硬化させる能力があるらしく、黒く変色・変形した腕で桃浪の剣を受け止める。ぎりぎりと競り合いながら、また囁く。
「行かなくていいのぉ?」
「大丈夫だぜ。あいつはこのぐらいで死ぬようなタマじゃないし」
 桃浪は刀身で相手の身体を押しやるようにして、一旦距離をとるとまた剣を構えなおした。
「それとも行かせてくれるのかい? お前さんが死ねば、俺もあいつらの加勢に行ける」
 夢見をどうにかせねば、桃浪は動けない。
 けれど、向こうは今のところまだ余裕がある。中距離攻撃手段を有する蚕と朱莉がすかさず桜魔王と早花に攻撃を仕掛けて、鵠への追撃を防いだからだ。
「駄目だよぉ。ちゃんとあんたを足止めしなさいって、載陽様に命じられてるからぁ」
「そうかい。お前さんの従う相手はあくまでも桜魔王でなく、載陽のおっさんの方なんだな」
 桜魔王の統率力が欠けている現在、桜魔たちは頭領を据えた何人かの集団を形成して動いていることが多い。桃浪の主が華節であったように、夢見の主もまた載陽なのだ。
 しかし、桃浪と夢見の主に対する認識や感情は大きく違うようだ。
 桃浪の言葉にくすくすと笑いながら返す夢見は、不思議なことを口にする。
「でも、それも、もうあと少しのことかもねぇ?」
「何……?」
 その不穏な響きに、これまで余裕の笑みを崩さなかった桃浪も僅かに眉を顰めて訝しむ。
 思わせぶりな言葉を吐く夢見の視線の先には、いまだ蚕と戦い続ける載陽の姿があった。

 ◆◆◆◆◆

「鵠さん……!」
 肩から胸にかけて焼け付くような痛みが走る。咄嗟に霊力の防御を集中し、何とか致命傷だけは避けた。
 だが、溢れ出る血は止まらない。黒い服の胸元を更に深淵な色に染め抜いていく。
「鵠!」
「鵠様?!」
 蚕と朱莉の声がして、次の瞬間彼らの攻撃が早花と桜魔王を襲うのを見た。今追撃を受ければ鵠は死ぬ。その最悪の結果を二人が防いでくれたのだ。
 今のうちに止血をして、戦いに復帰せねば。
 ただでさえ人数的に厳しいのだ。一人でも欠けたら勝つどころか、逃げることすらできない。
「く、鵠さん……」
「大、丈夫だ……神刃、お前は戦いに……」
 彼を追ってやってきた神刃に対し、戻れ、と言うのを鵠は止めた。
 神刃が鵠の傷を止血する応急処置の手際は良い。退魔師は戦闘中の負傷が当たり前だ。ここまでの深手は珍しくとも、浅い傷の手当なら頻繁にするために応急処置に慣れている。
 だが、その手際の良さとは裏腹に、神刃の瞳からは大粒の涙がいくつも滑り落ちていた。
「ご、ごめんなさい……鵠さ……俺が、俺のせいで……!」
 ああ、やってしまったと鵠は思った。
 葦切に庇われた彼が自分の身代わりになったことで、神刃が落ち込んでいたことはわかっていたのに。
 蚕に諭されて鵠の方では少し心の内が変化したのだが、あの後は夜明けまで間もなく結局神刃と話をする時間はとれなかった。
 火陵が緋閃王を殺したのか。それとも神刃が父親を殺したのか? 食い違う過去。そこに潜む、誰にも言えない神刃の痛み。
 何とかしてやりたいところだが、鵠に過去を変える神のような力はない。だから今が大事なのだ。
 自分はまた、選択を間違えたのか?
 桜魔を殺して死に向かう母の背を見送った時のように、後悔を――。
「いや……」
「鵠さん?」
 鵠は唇を震わせながら、傍らの神刃と視線を合わせて小さく呟いた。
「死なない」
「!」
「大丈夫だ……俺は、死なない……お前も死なせない」
 今も傷はズキズキと痛みを響かせるけれど、命に別状はない。死にはしない。絶対に。
 死ねない。
 誰かを助けて死ぬなんて、そんな結末は鵠だって望まないのだ。
 共に生きるそのために共に戦う。
 初めはただそれだけだった。そして今もそれを変える必要なんてない。
「望んで助けたんだ……お前を……俺が……俺の、意志で……お前のせいじゃない」
 お前のせいじゃない。だけど、お前のためだと。
 自分のせいだなんて、落ち込ませるために助けたんじゃない。
 鵠も。そしてきっと――火陵も。
「ここで……立ち止まるな……戦え、俺も戦う……!」
 鵠に神刃が戦いを促して今この時間がある。だから今度は、鵠が神刃にそれを言う。
 そのための、桜魔王を共に倒す仲間ではないかと。
「……!」
 神刃は鵠の言葉にハッと目を瞠り、蚕にかけられた言葉をも思い出した。
 ――全ての時、全ての者が最高の実力で最善の結果など出せない。だからこそ我々はお互いの不足を少しでも補うために仲間と組み、過去ではなく未来のために戦うのだ。
 過去は変えられない。
 だがまだ未来はいくらでも作れる。生きているのだから。そのために助けたのだから。
「神刃、お前にしか、できないことを……」
「鵠殿!」
 小さな叫び――そうとしか言えない声が割って入り、鵠と神刃は視線を向けた。
「葦切さん!」
 神刃は彼が無事であったことに安堵の表情を見せたが、葦切自身は鵠の怪我に目を落とし険しい顔をする。
「……まだ生きていますよね? 気休め程度ですが、治療を施します」
 多才で評判の天望家当主は、治癒術まで使えるらしい。
 何故ここにいるのか、詳しい話を聞きたいがそんな時間の余裕はないようだ。
 遠くで爆音が響いた。
 こちらに救援の手を回したせいで、蚕と朱莉が苦戦しているらしい。桃浪も夢見の相手を放ることはできない。
「行け……神刃」
「――はい。俺、やります!」
 鵠は神刃に声をかける。神刃も力強く頷いて応えた。
「すみません葦切さん、鵠さんを頼みます!」
「どうぞ。私も後で加勢しますから」
 淡々と言う葦切の冷静さもあってか、神刃は彼本来の力と役割を取り戻したようだ。
 蚕の攻撃と朱莉が差し向けた下位桜魔を捌いていた早花の相手に飛び込んで行く。
 蚕、朱莉、紅雅、そして神刃が加わった四人は、載陽、祓、夬、早花、桜魔王と向かい合う。お互いを支援しあえるよう、密集して交戦し始めた。
 戦況を確認しようとした鵠の肩口に傷の痛みが走る。
「じっとしていてください」
 葦切の治癒術は、ゆっくりと、しかし確実に鵠の傷を塞いでいった。
 血に染まった衣服の隙間から覗く肌は肉芽に覆われつるりとしている。
「完全に治したわけではないので、無茶は利きませんよ」
「葦切……あんたどうしてここに。拘束されてなかったのか?」
「しっかりされていました。霊力を封じる枷をつけられて。ここまで来れたのは、助けられたからですよ」
「助けられた?」
「ええ」
 こんな桜魔しかいない完全なる敵地で、一体誰に助けられたと言うのか。
「襲撃の際、罠として使われていた桜魔の子ども、覚えていますか?」
 鵠は目を瞬かせた。覚えているが、それが、まさか。
「神刃の奴が逃がしていたな。害はなさそうだから放っていたんだが」
「その親子が枷を外してくれたのです。もともとこのアジトは見張りの数が少ないので、拘束さえ解けば簡単に逃げられる」
 折しも鵠たちが桜魔王と戦い始めたので、他の者に気づかれず抜け出すことができたのだという。
「で、その親子はどうした」
「……行きましたよ。遠い、遠いところへ」
 桜魔王からも、人間たちからも離れたどこか山奥にでも隠れ住むと言っていた。
「そうか。お前は殺さなかったんだな」
 神刃が彼らを助けた時は責めたはずだった。桃浪のような桜魔を仲間にしていることを信じられないと言っていた葦切だ。
「あなた方の甘い流儀に合わせて差し上げただけです」
「そうか。ありがとう」
 傷の手当とそのことと、二重の意味で鵠は礼を言った。
「お前も合流したことだし、そろそろ帰るか」
「そうですね」
 二人の声が重なる。鵠に合わせたのか、今は葦切まで口が悪い。
「「あいつらをぶっ倒して」」