桜魔ヶ刻 08

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 朱櫻国に戻ってすぐ、鵠はちゃんとした治療を受けることになった。国王の知人として御殿医まで引っ張り出して大騒ぎしたが、無事に治療が完了した。
 鵠自身は葦切の応急処置がしっかりしていたこともあってそう深い傷だとは思わなかったのだが、周囲からはしばらくの絶対安静と、療養を命じられた。
 ばたばたと別の意味で騒がしくしていた数日が終わり、見舞いと言う名目でやってきた神刃とやっと落ち着いて話をする。
「傷の具合はどうですか? 鵠さん」
「もうすっかり良い。鍛錬に戻ってもいいぐらいなんだが、普段から王様を蝶よ花よと甘やかしている医者先生の見立てではまだ一週間は安静だそうだ」
「ここのところ働き通しでしたし、少しぐらい休んでもいいんですよ?」
「冗談じゃない。一週間もこんな状態だったら、すっかり歩けなくなるっての」
 実際鵠は激しい運動こそしないものの、王宮の中を行ったり来たりするなどして体力が必要以上に落ちないよう苦労しているのだ。明日辺り蒼司とも話をしに行く予定であるし、歩けるようになったら葦切とも会話する必要がある。
 だが、その前に鵠が話さねばならない相手は、今ここにいる神刃だ。
「神刃」
「……はい」
 鵠の声が変わったことがわかったのだろう。神刃が神妙な顔つきになる。
「今回のことは、あんまり気に病むな。俺も気にしていないし、葦切も気にしていないそうだ」
「ですが」
「それにな」
 何か言いかけた神刃の言葉を遮り、鵠は先日聞いた話を続けた。
「お前のおかげで、葦切の意見も少しだが変化したようだ」
「え?」
「あの時あいつ、桜魔たちに捕まっていたはずなのに平然と現れただろう?」
「あ、そういえば……なんで」
「助けてくれた奴がいる。以前、お前が罠から助け出してやった桜魔の親子だそうだ」
 神刃は零れ落ちそうなほどに目を丸くする。
「因果応報ってのかな、自分の行いは良くも悪くも自分に返って来る。桜魔側は自分たちの仲間でさえ囮に使ったから裏切られた。……だがこちらは、お前が頑張った分だけ救われる人間もいたってわけだ」
「俺……俺は別にそんな……」
「でも、お前のおかげだ。ちなみにその親子に関しては、葦切が隠形の符をいくつか渡して逃がしたそうだ。もう争いには巻き込まれたくないんだと、桜魔側としても」
「葦切さんが……」
 彼らが無事に生き残れるかは、鵠たちにもわからない。
 だが、生き残れたらいいなと思うからこそ、葦切は少しでも彼らの助けになる道具を渡してやったのだろう。
 鵠たち一行の仲間である桃浪を排除したがっていた時の葦切の様子からすれば考えられない行動だ。その意志を変えたのは、神刃と彼に救われた桜魔の親子なのである。
「なぁ、神刃」
 鵠は寝台の傍らに縋るように座り込んだ少年の頭を、腕を伸ばして撫でる。
「俺は、お前が誘ったからこそ、桜魔王を倒すことを決意したんだ」
「鵠さん……」
「お前は無力なんかじゃない。お前が動かなければ動かなかったものがたくさんある」
 他の誰が言っても駄目だった。鵠は自分が偏屈である自覚はある。簡単に他人に説得される性格ではないとわかっている。
「だからお前も、もう少し自分を赦して、認めてやれよ。いつもいつも、自分のせいだなんて抱えてないで」
「……」
「お前がそんな風に自責の念を抱え込むのは、父親のせいか? 緋閃王がこの大陸に“桜魔ヶ刻”と呼ばれる時代をもたらしたから」
「いえ、俺はその……」
「じゃあ、養い親の火陵のせいか?」
 神刃は息を忘れる。
「お前を育て上げた火陵の念が、今もお前を縛り続けるのか、だったら、そんなもの――」
 捨てちまえと言いたかった。だが言葉は途切れ、発する前に消えていく。
 鵠は神刃を見つめたまま、静かに目を瞠る。
「でも」
 透明な滴が、神刃のまだまろみを残す頬を伝って次々に落ちていった。
「でも、鵠さん」
 震える声が、涙で滲む瞳が、ようやく少年の本心を吐露する。
「あの人が死んだのは、火陵が死んだのは、俺のせいなんです――」
 ああ、これだったのか。鵠は思った。ようやくすとんと腑に落ちた。
 息苦しい程に神刃が生き急ぐその理由。消えない罪悪感。贖罪への焦燥。
「俺さえいなければ、火陵は緋閃王を殺してそこで復讐を終わらせられたんだ。もっと生きていられたのに、俺を死なせないために、自分の命を捨てて――」
 緋閃の命を絶ち、そして自らの命も絶った。
「俺が、俺があの人を殺したのに――あの人の想いを、無駄になんてしていいわけがない!」
 だから神刃は桜魔王を倒したがっている。桜魔王を倒して、この大陸に平和を取り戻して。緋閃王と火陵、そして自分自身、全ての贖罪を果たすつもりで、これまでただがむしゃらに、桜魔王を倒すためだけに生きてきた。
 休みもせず走り続けては時折振り返り、過去ばかりを気にしている。己の未来を全て切り捨てて。
 だがそれは本当に火陵の望みだったのだろうか?
「……無駄になんかならない」
 神刃がキッと赤らむ目元をきつくして問い質す。
「何故あなたにそんなことがわかるんです?! いくらあなたが火陵を知っているって、そんな何年も前の、僅か数日の記憶なんて」
「わかるさ」
 感情を露わにして問いかけてくる神刃に、鵠は告げる。神刃には見えない、自分が外側にいるからこそ見えた真実を。
「お前を見ていればわかる」
 どれほど愛していたか。そして愛されていたか。
「知らなくたって断言できる。火陵はお前を恨んだりしない。お前を苦しめ、悲しませるための死なんか選んだりしない。あの男はいつだってきっと」

『これでいい。神刃』
『お前が正しい選択をできる人間に育ってくれた。私はそれだけで――』
『お前はもう自由だ。――けれどもしも一つだけ、言う事を聞いてくれるなら』

『幸せになりなさい』

「お前の幸せを願っている」

「うっ……うう……うあ、あっ、ああ……」
 神刃の記憶に残る言葉と、鵠の声が重なる。
「うわぁあああああ――っ!!」
 鵠の胸に縋りつき、泣きじゃくる神刃の頭を抱え込んだ。
「……強くなろう、神刃。俺も、お前も」
 この世で一番忌まわしい、自分自身を認められるくらいに。
 そして桜魔王を倒し、大陸に平和を取り戻すのだ。
「必ず戦いを終えて、幸せになるぞ」
 それが自分たちをこの世に送り出し、生かしてくれた人たちの願いでもあるのだから。