桜魔ヶ刻 09

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 鵠は桜魔王と向き合う。これで二度目の対戦だ。
 相変わらず桜魔王と鵠の実力は拮抗している。
 しかし今回は退魔師協会に後背を任せていられる分、人質の奪還が最優先だった前回よりも戦いに専念できた。
 神刃も腕を上げて、早花相手に優勢とは行かないが互角に近い勝負をしているようだ。
 だから鵠も、目の前の敵に集中する。
 鵠が“桜魔王”を倒さねば、桜魔ヶ刻は終わらないのだ。
「お前に恨みはないんだが」
 目まぐるしい攻防の間、両者が一度仕切り直しと言わんばかりに距離を取った瞬間、思わず言葉が零れる。
「この大陸に平和を取り戻すため、死んでもらう」
「そうは行かない」
 飛び込んできた鵠の拳を避けて桜魔王は蹴りを繰り出す。だがそれも避けられる。今までも大体、実力が拮抗して演武のようなこの繰り返しだった。
 だが二人に宿る殺意だけは本物。
「俺たち桜魔だって、お前らに殺されることに何も感じないと思うのか? 人間は勝手だな。自分の都合で生み出して、自分の都合で捨てていく」
 大陸に死と滅びをもたらしたのは緋閃王。
 戦火に包まれた大陸、その大地に満ちた嘆きが瘴気と結びついて、桜魔の数を爆発的に増やした。
 その桜魔とて、死者の怨念を取り込んで妖としての生を得て、また再び退魔師に殺される存在。
「……!」
 桜魔王の言葉に思わず反応してできた鵠の隙を、相手は性格に狙いつける。
 だが一撃はもらわない。鵠はぎりぎりで、桜魔王の拳を躱した。奥の手の妖力波をも躱しきる。
 むしろ仕掛けてきた桜魔王の懐に飛び込んでその胸元に一打を入れようとしたが、踏み込みが浅かったか、あっさりと躱されてしまう。
「油断も隙もないな」
「こっちの台詞だ」
 両者は再び睨み合う。
 どちらが動くかと睨み合うその合間に、鵠は口を開く。
「俺は、正義の味方なんかじゃない」
 ぴくりと朔が反応する。
「最近になってこそ勇者と呼ばれてはいるが、それも国王の政治的な思惑上のことだ。俺自身はいつだって無様でちっぽけな、ただの人間だよ」
「何が言いたい」
「――だから、お前を殺すのに、大層な正義も使命も掲げないってことだ」
 生き物の命を奪うのは酷いことだ。
 そんなの子どもだって知っている。知っていると思っていた。それを、この時代多くの人類が見失っている。
 その最たる人間が自分なのだろうと鵠は思う。
 世界のためと理由をつけて、自分は自分のために彼を殺すのだ。
 どちらが悪役かわからない台詞を吐き、鵠は本気で桜魔王に仕掛ける。
 もう余計な口は叩かない。ただ全力を叩きこむだけだ。

 ◆◆◆◆◆

 神刃はこれまでの鍛錬における自身の成長を感じていた。
 早花と剣を交えるのはこれが初めてではないが、以前より格段に剣の技能が上がっている。
 これならいける。そう思う気持ちを一方で押し殺す。まだだ。慢心してはならない。前回は自分の力が足りないせいで、鵠に大怪我をさせてしまった。
 生真面目な早花だからこそ顔には出さないが、神刃の上達は感じ取っているはずだ。以前より更に剣先は鋭く、それでも神刃は彼女の攻撃をしっかりと見切っている。彼女の焦燥を神刃は感じ取る。
 あとは誰かが均衡を崩せば。
 状況は一気に動くはず――!
 その機会は、ついにやってきた。
「祓!」
 やはりどこも一番の若者……と言うには、退魔師側は蚕の存在が異質なのだが、鵠たちにとって神刃が一番の弱味であるように、桜魔王側にとっても祓の存在が弱点となるようだった。
 朱莉の霊符、そして彼女の配下たる桜魔たちの特殊能力に押されて、祓がかなりの傷を受けている。ぼたぼたと地面に落ちる血が片っ端から桜の花となって消え、見た目は人間の少年に見える彼もやはり桜魔なのだと感じさせた。
 祓の援護に入るために、早花が動き出そうとする。それを、神刃は小太刀から弓に得物を持ちかえて邪魔をした。
「貴様……!」
 ここで祓を落とせれば、一気に形勢が楽になる。しかし。
「桃浪?!」
 爆発音が響く。音の発信源は、夢見と桃浪が戦っていた場所だ。
「そんな奥の手を隠し持っていたとはね」
 桃浪がかなりの手傷を負っているのを、神刃は初めて見た。
 戦いの均衡は崩れたが、どちらが有利になったとも言い難い。その判断をするのは、神刃等よりも余程桜魔側の方が早かったらしい。
「やれやれ。今回はこんなところだな」
 桜魔王が鵠を振り切り、傷ついた祓に手を貸していた。
 一方こちらは蚕が夢見の追撃から庇うように、桃浪と彼女の間に飛び込む。
 退魔師側は鵠と朱莉、桜魔側は夬がそれぞれ別の陣営に加勢して乱戦となる前に、桜魔王は撤退を決めたようだった。
「なんだ、逃げるのか?」
「ああ、そうするよ。やはり準備もなしに仕掛けるのは無謀だったか」
 とはいえ今回の成果に対しまったく気にも留めていない様子で、桜魔王は祓を抱き上げたまま宙を駆けてこの場を去ろうとする。
「待て!」
 鵠の制止を聞くはずもない。
「朱の森で待っている。決着をつける覚悟ができたらやって来い」
 魔王らしくそう言い置いて、桜魔王は去っていった。

 ◆◆◆◆◆

「勇者の名に相応しいご活躍でしたね」
 王宮で蒼司から一頻り労いの言葉をかけられ、街の被害状況を聞く。
「住民の被害が少なくて良かった。退魔師協会の皆さんのおかげですね」
「なに、あんたたちが桜魔王を抑えてくれたおかげさ」
 今回はこれまでにない大規模の襲撃だったにも関わらず、朱櫻国側の被害は最低限に抑えられたという。
 もちろん誰もが無傷とは行かなかったらしいが、今までの死者の数に比べたら今回は桜魔の被害とも思えぬ状況らしい。
「重軽傷者は出ましたが、今のところ死者が出たという報告はありません。あなた方のおかげです。国王として、深く感謝いたします」
 鵠たち五人と、退魔師協会から派遣された面々はその言葉を聞いてようやく緊張を解く。
「特に住民の救援に関しては、葦切殿の御活躍が大きいと伺っていますが」
「雑用に回った結果、人々の救援に私の力が役立っただけです。真に桜魔王を倒す花形の役割は他に譲りますよ」
 どこまでも素直に褒め言葉を受け取る気がないのか、葦切はそんな言い方をする。
 戦闘に特化している鵠と違い、様々な術を修めている葦切の力は戦闘以外の局面でも十分に役に立つ。桜魔王の側近が減り、鵠たち五人で完全に高位桜魔と応戦していたためか、今回は襲撃に送り込まれた雑魚の数に比べて被害を少なく抑えることができたのだった。
「市民にも活気が戻っています。これだけの襲撃を受けてこの高揚はここ数年なかったことです」
 蒼司は喜ぶが、鵠には一つ、危惧があった。
「だが、そうなると近いうちに俺たちの方も行動に出ないといけなくなるな」
 士気が高まった分、桜魔王の根拠地に攻め込むまで間が空けば勇者が臆しているととられて民衆の感情が悪化する恐れもある。
「もしかしてあいつらは今回、それを狙ったのでしょうか」
「かもしれないな。桜魔側で追加戦力が確保できるのかはわからないが、本格的な戦闘までの時間を早めたい意図があったのは間違いないだろう」
「ってことは、このまま突っ込んだら桜魔王の意図に乗っちまうことになるのかい?」
 桃浪の疑問に、葦切が淡々と答えた。
「――それも、状況次第でしょう」
「葦切殿」
「鵠殿が勝てそうならさっさと行けばいいし、駄目ならば他に民衆の感情を好転させる情報をまた与えてやればいいのです。桜魔王が倒される日は、遠からず必ずやってくるのですから。――そうでしょう? 鵠殿」
「ああ、その通りだ」
 天望家の再従兄弟同士のやりとりを、周囲は興味深そうに見守っていた。
 隣で不安気にしている神刃の頭をぽんと軽く叩きながら、鵠は頷く。
「俺たちはもう、桜魔王を倒すために戦うだけだ」