054
桜魔王を倒すまでと言うことで、ここ最近鵠たちは蒼司の厚意に甘えて王宮に泊まりこんでいる。
各自が与えられた客室に帰って今後の相談をというところで、神刃が桃浪に尋ねた。
「桃浪、お前……傷は大丈夫なのか?」
「なんだい、坊や心配してくれたのか?」
今日の戦闘で、桃浪は夢見に負傷させられている。そのことを神刃は酷く気にしていた。
「べ、別にそんなんじゃ」
「その様子で心配していないと言い張るのも苦しいぞ、神刃。仲間なのだから普通に傷の調子ぐらい聞いてもよかろう。で、どうなのだ桃浪」
「はいはい、わかったよ蚕ちゃん。答えればいいんだろう? 傷はあの天望の兄ちゃんに応急処置してもらったおかげで頗る良いよ。最初の処置さえ早ければ俺たちの傷はすぐ治るからな」
どこで誰が聞いているものかわからないので「桜魔」と言う単語は避けた桃浪だが、その意味は他の面々にも伝わった。
「そうか。ならいい」
「安心したかい? 坊や」
「うるさい」
なおもからかおうとしてくる桃浪に、神刃は肩を怒らせて先に歩き出す。
「……だが、本当に珍しいな。お前がそう簡単に手傷を負うなんて」
「まったくだぜ。夢見の奴はまるで奇術師だ。次々にどこから何が出て来るかわからなくて面白い」
「おい……大丈夫なのか、お前」
「平気平気。今回は油断したが、次は負けねーよ。奥の手があるのは向こうだけじゃないんだ」
「それならいいが……」
鵠も与えられた自室に向かうためにそこで別れた。朱莉も。
そうして廊下には、桃浪と蚕の桜魔二人だけが残される。
「――本当のところはどうなのだ、桃浪」
「まずいな。俺の力じゃ夢見を倒しきれるかどうかわからない」
桃浪は強い。だが上には上がいることもわかっている。鵠は桃浪を自分と同格に扱うが、桃浪自身は素の実力なら鵠が上だとわかっている。桜魔王と互角に戦えるのがいい証拠だ。華節を瞬殺した桜魔王に、桃浪がまともにやりあって敵うはずはない。
そしてここにいる蚕も、実力は鵠と似たようなものだ。あるいは、この謎の子ども桜魔こそが、彼らの中で最強なのかもしれない。
「だが、変則的な戦い方をする夢見を止められるのも俺だけだろう」
桃浪はそれもまた自覚していた。神刃が祓に苦戦し、祓より強いはずの早花相手にならなるように、戦いには型による相性と言うものがある。
夢見の癖のある戦闘に対抗できるものは、一行の中では桃浪だけだ。
「……そうだな。鵠は桜魔王、神刃は早花、私と朱莉が載陽の弟子である夬と祓の二人を分担するのが一番だ。だが夢見は載陽の弟子と言う言葉には収まりきらない」
「一緒に行動してただけで弟子とも限らないしな」
「それもそうだな。だが桃浪……」
「大丈夫だって」
桃浪の脳裏を、先日の鵠との会話が過ぎる。
「夢見の奴は、俺が確実に止めてやるからよ」
「……」
笑う桃浪を、翳りを帯びた表情の蚕が見守る。
◆◆◆◆◆
退魔師たちが桜魔王の襲撃を防ぎきり王都を守ったという朗報に沸く一方、桜魔側には失望の空気が漂っていた。
根拠地である朱の森の屋敷に戻ってきて開口一番、祓は朔たちに頭を下げて詫びを入れた。
「ま、仕方ないな。負けたのは事実だ」
「すみません、桜魔王陛下……僕が、弱くて……力が足りなかったばっかりに……」
「別に祓は問題ない。あの女が強かっただけだろう」
やはり載陽と言う戦力を失った痛手は大きいと、桜魔王とその配下たちは改めて実感する。
「こちらは人間の退魔師を相手にするつもりで行ってますけど、よく考えたらあの連中五人中二人しかまともな人間がいませんね」
「二人が桜魔、一人が桜人。手こずる訳だ」
早花と夬も、これに関しては祓を慰める。彼女たちだって、祓が相手をした朱莉に快勝できるわけではない。
「でもぉ、このままじゃ、次はヤバくなぁい?」
一方、一番祓と付き合いが長いにも関わらず、ぐさりと太い釘を刺すのが夢見だった。
「祓もぉ、強くなんなきゃ、次はぁ――殺されちゃうよ?」
「!」
いつにも増して憎たらしい言い方の夢見に、祓本人よりも早花たちの方がうんざりとした顔を向ける。
「夢見、そういう言い方は……」
「いえ。夢見の言っていることは正しいです。僕も、もっと強くならないと」
祓は涙を拭い、立ち上がる。そして夢見の方へ歩み寄ると言った。
「組手の相手をしてくれ。次に奴らと戦うまでに、もっと強くなっておきたい」
「いいよぉん」
そうして祓は朔たちに頭を下げると、部屋を出ていく。
後に残った桜魔王とその側近二人は、何とも言えない顔でそれを見送った。
「祓は大丈夫でしょうか。載陽殿が亡くなってから、動揺しやすく感情の揺れ幅が激しい気がします」
「彼はまだ若いですし、身内も同然の方を喪ったのですから当然でしょう」
「とはいえ、あいつの戦力を外すわけにはいかない。確かにお前たち程の実力はないが、他の配下であれだけの力の持ち主がいるか?」
祓を気遣う早花や夬とは裏腹に、朔はいっそ冷たい程に、祓という桜魔自身の戦闘能力の価値について言及する。
「それは……」
早花たちもそれきり何も言えなくなった。確かにまだ未熟さを残すとは言え、今の桜魔王の配下の中で、彼らを除いて祓に次ぐ力の持ち主はいない。
「祓には俺たちと一緒に退魔師共と戦ってもらわねばならない」
「……そうですね」
今回の敗北で、桜魔王の求心力は更に下がった。
もはや朔に王としての価値を見出す桜魔自体数が減り、高位桜魔たちは自分の実力があれば王になど謙らなくとも生きていけると言わんばかりに、朱の森に姿を見せる気配すらない。
最初からわかっていたことだ。
朔は桜魔王としての行動を自らはほとんど起こさなかった。それでどうして部下の心がついてくると言うのだろう。
それでいいと思っていた。
忠誠も崇拝も必要ない。
戦って勝つことだけが、王としての朔に与えられた役目。
人類を滅ぼすための桜魔王ならば、誰かに負けたその時点で王としての価値を失う。
朔が次に鵠に会う時。それは恐らく最後の戦いになる。その時鵠に負けるのであれば、それは朔の死を意味する。
それでいいと思っている。
「陛下」
だが、そうは思わない者もいる。
「私は最後まで貴方についていきます」
「私もです」
二人の側近が手を組み膝を折る。
「……何のつもりだ、お前たち」
跪いて忠誠を捧げる体勢の早花と夬を見下ろし、朔は静かに問いかけた。
「力ない幼子であった頃の私を、拾って頂いた恩は何にも代えがたい。貴方が行く道を私も共に進みます」
「早花」
「私はお師様の堅苦しいやり方にうんざりしていましたからね……来たいなら来いと言ってくれた朔様に、感謝しておりますよ」
「夬」
「最後までお傍におります」
それが、『最期』だとわかっていても。
「馬鹿だな、お前たち」
二人の側近は、これだけは朔の命令だとしても意志を曲げるつもりはまるでないと言い放った。
「桜魔なんて、みんな未練たらしい馬鹿者ですよ。どうせ我々は人間の怨念と呪詛から生まれた存在でしかないのに、生にしがみつき死を厭うなんて」
滑稽だと朔も思う。でもそれならば、ここに在る感情は一体何なのか。自分が死ぬことはどうでもいい。でも彼らを、この二人を巻き込みたかったわけじゃない。
「馬鹿だな、俺は」
それでも後戻りは、もうできない。