桜魔ヶ刻 10

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「正直な所、私はお師様をあなたに殺されたことに関してはあまり気にしていないのですよ。嘆き悲しんでいる祓には悪いのですが」
「ふむ」
 蚕と夬は真剣に戦いながらも、どこか呑気な様子で会話をしていた。
 口振りは呑気だが、会話の内容はこの状況と同じくらい殺伐としている。
「私はお師様と気が合いませんでしたからね。何年も前に一人立ちしてそれっきりです。陛下のお傍にいなければ二度と会うこともなかったでしょう」
「そうか」
 載陽の方も夬に旧知の弟子故の気安さはあったが、それ程の親しみがあった訳ではないのだろう。
 師の命を奪った布刃の攻撃を、夬は飄々と躱した。続く糸の針も、呪符でくるむようにして受け止め無効化する。
 師の死によって、夬はこの手強い敵の手札をいくつか理解して戦えるようになった。それだけは感謝して良いかもしれない。
「夢見はともかく祓の方は随分懐いていたようですが、正直意外ですよ。あの男にそれほど誰かから心酔される要素があっただなんて」
「むしろお前がそんなだから、弟子への接し方を改めたのではないか? その成果が今の祓少年の態度なのでは?」
 蚕が適当に思い付いたことを口にすると、夬は一瞬面食らったように呆けた顔を見せた。
「……なるほど。一理ありますね」
 一体こんな緊迫した戦闘中に何故こんな話をしているのか。しかし蚕も夬も口を止める素振りはない。
 そして同時に、相手に対し手加減や遠慮をする素振りも見せない。確実に殺すための動きを積み重ねている。
「あなたは何故お師様のことを知っていたのです? お師様はあなたのことを知らないようでしたのに」
「……さぁ、私にもよくわからん」
「その間はなんです?」
 攻撃を捌くのに集中しながら、会話にも集中するという器用な夬は、蚕の発言の一瞬の間を読み取って問いかけてきた。
 お互い相手に精神的な攻撃を仕掛けているつもりなのかこれが素なのか。――恐らく後者だろう。
「正確には、つまりそういうことなのだろうという私の記憶構造が先日ついに判明した。これまではわからなかった。でも今は思い当たる節がある」
「へぇ……」
「だがこれは確かに私という存在に内包された情報の一つであると同時に、私個人の記憶とは言い難い。知識の整理にまだ不具合があるのだ」
「なんか複雑そうですね」
 何故載陽が知らない蚕と言う相手が、載陽のことを詳しく知っていたのか尋ねただけだったのに、こんな答を返されるとは夬自身も思ってはいなかった。
「嘘を吐こうと思った訳ではない。気を悪くするな」
「別に嘘だろうが作り話だろうが本当はどうでもいいんですけどね。死ねば全て同じですし」
 そもそも夬が気を悪くしようとどうだろうと、蚕には関係ないのではないだろうか。
 書物に残したわけでもあるまいし、素晴らしい記憶情報など、死んでしまえば何もならない。
 蚕と夬の真面目に不真面目な殺伐としたやりとりは続く。
 夬は片手に剣を持ち、もう片方の手に呪符を何枚も仕込んでいた。近づけば剣で斬り、離れれば呪符で追い打ちをかける隙のない戦闘型だ。呪符は便利なもので、攻撃もできれば防御も兼ねる。
「お師様のことはどうでもいいんですが――」
 最初からこれが言いたかったのだろう、夬がもったいぶって口を開く。
「桜魔王陛下は殺させません。あなたにも、あの男にも」
「鵠は強いぞ、私もな」
 そして二人はまたそれぞれの攻撃を用意するとともに、それを最も効果的にぶつける隙を探すのだった。

 ◆◆◆◆◆

 鵠と朔の戦いは続いていた。
 両者ともこれで最後だという思いで、ひたすら拳を交えている。
 距離をとって小細工してもどうせ技の重ね合いになるのならば、一撃必殺を狙って懐に潜り込む方がまだ早い。
 他の退魔師が見たらこれを退魔師と桜魔の戦いだとは思わないだろう。そのぐらいただ単純に、素手で殴りあっている。
 鵠の足払いを朔が躱し、振り下ろされた拳を鵠が横に飛んで避けた。
 そこで二人は一旦距離をとって息を整える。
 力は互角だ。悔しい程に。
 鵠もこれまで鍛錬を重ねてきた。桜魔王に勝てる見込みがあったからこそ今回戦いに赴いたわけだが、それでも足りないと言うのか。
 ならば、卑怯だと言われても奥の手を使わせてもらうまで。
「さすがの強さだな」
「伊達に桜魔王と呼ばれてはいない」
「いや、そうじゃない」
 桜魔王がこちらの発言を十分聞きとめられるよう、鵠はもったいぶってそう告げる。

「さすがは俺の“兄”だと言っている」

 桜魔王の――朔の動きがぴたりと止まった。
「……どういう意味だ」
「どうもこうもない。言葉通りだ」
 鵠は葦切から渡された、母・花鶏の手記を懐から取り出し、朔へと投げ付ける。
「先代の桜魔王は、二十八年前に退魔師の名家、天望家から一人の娘を攫った。当時退魔師として最も有望とされていた後継ぎ娘だ」
 攫うとは言うが、何も無抵抗にお姫様のように攫われた訳ではない。花鶏は当時から天望家の退魔師として戦っていた。段々と戦乱が激化し始めた世界で増えた桜魔被害に対応するため、依頼を受けて出向いた先で襲われたのだろう。
 先代の桜魔王と彼女の間に何があったのかは、鵠も知らない。知りたくもない。
 だが、彼女がその男との間に一人の子を遺したことは、その手記から知ることができた。
 名前は朔。否――。
「お前は自分の名を“朔”だと思っているのだろう?」
「何……まさか、違うとでも――」
「そうだ。お前の本当の名は“朔”じゃない」
 鵠が目にした花鶏の手記からは、最後まで我が子に名前を教えられぬ嘆きが伝わってきた。
 取り乱して震える筆跡に、断片的で理性的とは程遠い言葉たち。けれどそれ故に、本当はどれだけその言葉を彼女が「もう一人の息子」に伝えたかったが伝わってくる。
 結局彼女は兄・交喙に先代桜魔王の下から救出されるまで、その子に自分の名を教えてはやれなかった。響きの似た愛称で呼び続け、最後まで一度も呼ばなかった。
 その名は。

「“桜”」

 朔……“さく”ではなく。
 “さくら”。この忌まわしい桜魔ヶ刻の中で、それでも同族たちを統べる王として生まれた子の名前。
 彼の全てを象徴する真の名。
「お前の名は桜だ。桜魔王、いや――兄さん」
 鵠は一瞬、本当に一瞬だけ、その瞳に憐れみの色を浮かべた。
 だから朔にもわかってしまった。これは嘘でも作り話でもない。本当のことだと。
 何度も繰り返し見た夢の中で、顔の見えない女性の面影が僅かに鵠と重なる。
 朔の夢の中に出てきた女性も鵠も、そして朔自身も、遠く見える嶺に積もる雪のような白銀の髪の輝きは同じだった。
「あ、ああ。うぁああああああ!」
 耐え切れず叫びながら、朔がその場に崩れ落ちる。
「陛下?!」
「朔様!」
 突然の主の変貌に、側近である早花と夬も思わず朔の様子を気にかけて目の前の敵から目を離した。否、二人とも敵を振り切り、すぐさま桜魔王の下へ駆けつけようとしている。
「行かせるか!」
 神刃と蚕はその動きを、鵠の意志を読み取って足止めに徹することにした。
 蚕はある程度夬の邪魔をすることに成功している。だがやはり、このような特殊な状況下では神刃よりも実力が上の早花の方が行動が早い。
 飛び出していく早花の視線の先では、最悪に繋がる光景が今にも実現しようとしている。
「悪いな、桜魔王」
 鵠は最後の一撃を放とうと、その手にありったけの霊力を込めている。
「これで終わりだ!」