桜魔ヶ刻 11

064

 大規模な襲撃の報せを受けて、鵠たちは急いで王都から現場に向かった。
「蚕のやつ……!」
 桜魔王が朔から蚕月へ変わり、桜魔側では王による粛清が行われているという。
 新たな桜魔王は、自らに従わない部下を片っ端から殺しているというのだ。
 朱莉が配下の桜魔に収集させて聞き出したその情報に、鵠たちは戦慄した。
 桜魔を滅ぼすのは、退魔師たちの悲願だ。しかしそれを、彼らを統べる王が行うというのは予想外だった。
「いや……桜魔なんて、そんなものなのかもしれないな」
「鵠さん」
 朔が華節を粛清した時もそうだった。桜魔には人のような柵はない。強い力を持つ者は、弱い者を気紛れに殺すことができる。
 ここ数十年、忘れていただけなのだ。朔は王としてやる気がなかった。だから目立った行動はほとんど起こさなかっただけ。
 殺し合うのは何も人間と桜魔の間だけではない。人が人を殺すこともあるように、桜魔だって桜魔を殺す。同族同士で殺し合う。
 襲撃の現場に辿り着いた鵠たちは、人間を襲っている桜魔たちの処理を開始する。
「お嬢、あんたはしもべ共の姿を見られないよう気をつけながら、住民の救援に行ってくれ。ここは俺たちが始末をつける」
「……わかりましたわ!」
 火を使う桜魔がいたのか、襲われた人々が消す余裕がなかったのか、街の一角が紅い炎に包まれていた。
 これでは桜魔を倒すどころではない。まずは、逃げ惑う生きている人々を助けねば。
 朱莉は鵠の指示に頷き、すぐに被害の大きい方へと駆けて行った。
 鵠たちはあえて、炎が強い場所へと赴く。人が減ったそこでも、桜魔は多い。桜魔が多いからこそ、人が逃げて減ったのだ。
 逃げ遅れた人々の救助をここでも必要とするかと思えば、杞憂に終わった。
 朱い炎の中で、腕を突き出したような黒い塊が幾つも燃えている。それを囲むように、人の姿をしていない下位桜魔がうじゃうじゃ群がっている。
「くそっ!」
 鵠たちは、群がる下位桜魔たちを次々に倒して行った。
 退魔師からしてみれば知性があるかも怪しい雑魚だが、こんな雑魚でも強い霊力を持たない普通の人間を殺すには十分だ。
 ぱちぱちと何かが燃える音に、肉の焼ける不快な臭いが混じり合う。ここ最近、大規模な襲撃は防いでいたが、頻度も規模も次第に大きくなって、ついに協会の退魔師たちの手が回らなくなったのだ。
 あの時。
「俺たちが」
 あの場で。
「あいつを」
 蚕を。元の仲間を。今は桜魔王・蚕月と名乗っている男を。
「あいつを……!」
 倒せていれば。
 こんな被害を出すこともなかったのに。
 今までどれだけ桜魔が人に危害を加えようと、鵠は気にせずに生きてきた。けれど、一度振り返ってしまえばもう、見て見ぬ振りはできなかった。
「畜生!」
 雑魚を倒すのは簡単だが、手が回らない。救助を朱莉一人に任せているが、彼女の方も大変そうだ。
 炎の爆ぜる音に交じり聞こえてくる悲鳴は、鵠たち自身の集中力も削ぐ。
 だが戦いをやめるわけにはいかない。他のことなら誰かが救助できるかもしれないが、桜魔に対抗できるのは退魔師だけなのだ。
 しかし、このままでは――!
「濡れますよ。突然の雨にご注意を」
 雨と言うにはあまりに局所的に、ざばりと水が降ってきた。炎が一番大きかった場所に降り注いで消火する。
「葦切!」
「すみません、遅くなりました。消火作業と住民たちの救助は私と退魔師協会に任せて、あなた方は戦いに集中してください!」
 朱莉の方にも蝶々や兵破たちが合流したようだ。
 炎の檻に閉じ込められて逃げ出せなかった人々が次々に助け出されていく。
「さぁ、頑張って! あともう少しだから!」
 蝶々が発破をかける声と共に、鵠たちの戦闘と退魔師たちの救出作業は再開された。

 ◆◆◆◆◆

 退魔師たちの助力により、無事に全ての桜魔を倒し終え、人々の救助も終わった。
「蝶々……」
「何さ、朱莉。まさかあんたまで、この前の戦いで桜魔王を倒しきれなかったことを気にしてるのかい? らしくないね!」
 兵破や葦切も、蝶々の言葉にうんうんと頷いている。
「退魔師協会に感謝する、だが俺たちは――」
「別に、ちゃんと無事に生きて帰ってきたんだからいいじゃないか」
 鵠に最後まで言わせず、兵破が割り込んだ。
「蒼司王から簡単に聞いただけだが、なんだか大変なことになってるらしいな」
 姿の見えない蚕について、蒼司は退魔師協会の面々に一体どこまで話したのか。鵠は危惧するが、今の所蝶々や兵破たちに、彼らが裏切り者の桜魔と組んでいた人類の敵とみなされるような気配はない。
 葦切がそっと鵠の方へ歩み寄ってくる。
「我々の意見は変わりません。例えそれがどんな相手でも、桜魔王を倒せるのは、貴方方しかいない」
 この様子だと、葦切は全ての事情を聞いているようだ。
「一度桜魔王を倒したはずなのにまた新たな王が登場し再び脅威を刈り取らねばならない。貴方方にとっても辛い結果でしょうが、ここは堪えて、戦っていただくしかないのです」
 桜魔王に……蚕月に勝てるのは、鵠たちだけだと。
 蒼司の、葦切の、退魔師協会の面々の言葉は、鵠たちにとっても重い。
 だがその重みこそが、彼らが鵠たちに向けてくる信頼なのだ。
「あたしたちは街を守るよ。協会の登録面子を全員整理して、これからはあんたたちに頼らずとも、なんとか襲撃に対抗できるよう見張り番を組んでもらう」
 今回は前情報のない大規模な襲撃だったため被害が広がったが、次からはこんなことにはさせないと蝶々は言う。
「私たちは、私たちにできることをします。だから、貴方方も――」
「葦切」
 本当なら彼らも桜魔王の下に乗り込んで、これまで殺された人々や仲間の仇を討ちたいかもしれない。
 しかし烏合の衆が向かったところで、絶大な力を持つ桜魔王には勝てない。
 だからこそこれまで朱櫻国は、少数精鋭の勇者を、桜魔王を倒す者として向かわせることを選んできた。
 大陸の命運は鵠たちの肩にかかっている。
 だが、戦っているのは鵠たちだけではない。
 鵠たちを支えるためにここにいる面々を始め、多くの人々がすでに動いているのだ。
 そして勇者の存在に、もうすぐ戦いは終わるはずだと信じて苦難に耐えている民がいる。
「……そうだな」
 後戻りはできない。歩み始めた道を止めることはできない。
 すでに勇者の存在は、多くの民衆に影響を与えているのだ。
 ここで鵠たちが退けば、今度こそ大陸の希望が潰えてしまう。そうなればいくら朱櫻国王や退魔師協会が鼓舞したところで、人心が安らかになることなく人類は滅びてしまうだろう。
 それを防ぐためには、鵠が蚕月と戦い――。
 今度こそ、勇者と桜魔王の戦いを終わらせるしかない。
「……神刃」
 その日の戦闘と救助作業が終わって王宮に戻ってきた後。
 鵠はこの状況においてまだ彼を見放さずにいてくれる仲間たちの名を呼んだ。
 いや、見放すも何もない。桜魔王を倒す勇者はここにいる全員だ。鵠一人で戦っていたわけではない。
「朱莉、桃浪」
 そして蚕。かつて共に戦った彼自身の存在も、鵠たちにとっては間違いなくこの日のための支えだった。
「まだやれるな」
「はい!」
「当然」
「やれます。少し回復すれば、すぐに戦えるようになります」
 力強い返事に笑みを浮かべる。
「出立は明後日だ。一日体を休めて、決戦に備えるぞ」
 もう迷わない。迷っている隙なんてない。
 今度こそ倒すのだ。桜魔王を。
 勇者である自分を待つ、蚕月と言う名の桜魔王を。