桜魔ヶ刻 11

066

 鵠たち一行は、再び“朱の森”へ向かった。
 今度こそ桜魔王と決着をつけるために。
 近づく彼らの気配を、桜魔たちの方も察知していたようだ。
 蚕月は部下三人と共に、わざわざ森の中の開けた場所で待ち構えていた。
 元より不意打ちが通じる相手でもない。鵠たちも、正面から彼らの前に姿を現した。
「来たか」
 にっこりと微笑む。その笑顔は穏やかだ。
 だが彼の手はもはや人や同族の血に濡れすぎている。
 子どもの姿だった頃の蚕の面影と、桜魔王としての蚕月の行動を思い比べて鵠は唇を噛む。
「ああ、来たぜ」
 勇者は魔王と相対する。
「……?」
 しかし桜魔王一行の様子を見た鵠は、祓の様子がおかしいことに気づいて声を上げた。
「おい……そっちの餓鬼はどうした」
 載陽の弟子の一人、祓。彼は見た目で言うなら神刃とあまり年頃の変わらない少年だ。
 中身も見た目通りの年齢らしく、気性も桜魔にしては真っ直ぐで真面目だ。
 師の載陽を慕っており、彼が蚕に殺された後は師の仇である蚕を憎む様子を見せていたのだが……。
「ああ。祓か」
 鵠の問いを受けた蚕――桜魔王蚕月は、事もなげに言う。
「私の言うことをあまり聞いてくれる様子がなくてな。ちょっと大人しくしてもらうようにした」
「なっ……」
 神刃が思わず声を上げる。
 蚕月の言い方はこうだが、実際にはもっとえげつない行為だろう。
 蚕を憎んでいた祓が、載陽を殺し、朔まで手にかけた新たな桜魔王に大人しく従うとは思えない。きっと、相当抵抗したはずだ。
 今の彼の様子は「大人しい」などと言うものではなく、生気も自我も失った、虚ろな人形のようである。蚕月は祓を自分に従順にさせるために、何らかの術で洗脳しているのだ。
 これには鵠や神刃だけでなく、朱莉や桃浪も顔を顰めている。
「まぁ、お前が気にすることではあるまい? 鵠。お前たちは私を殺しに来たのだから」
「……そうだな」
 頷く鵠だが、それで気分の悪さが消えるわけでもない。
 桃浪が静かに問う。
「蚕……お前さん、本当にそこまで変わっちまったのか?」
「さてな……その真実は、お前の目で見極めるべきことではないか?」
「……」
 蚕月は桃浪に向けて微笑む。桃浪はそのまま沈黙した。
「それでもどうしても私の口から聞きたいと言うなら、一つだけ答えよう。――私は、何も変わってなどいない。あの“蚕”も、今の“蚕月”も、多少の記憶や目的のあるなしで行動が変化しただけで、まったく同じ存在だ」
 まったく同じなどとはとても思えない。第一、姿からして彼は十にも満たない子どもから二十歳過ぎの青年へと変化しているではないか。
「本当に……?」
 本当に変わらないのかと、まだ諦めのつかない神刃が尋ねる。
「本当だ」
 その肯定を聞きながら、鵠はかつて蚕の言った言葉を思い出していた。
 ――もしも私が桜魔として、人類にとって有害な存在だと判断したなら。
 ――その時はお前たちの手で、私を殺せばいい。
 あの時、まだ蚕について信用も何もない時期ですら、きっとそうはなるまいと考えていた。実現することを望まなかった悲しい未来がここにある。
「前置きはこのくらいでいいだろう。わざわざこんな場所まで長話をしに来たわけではあるまい」
「ああ」
 どちらにしろ鵠たちはもう後戻りはできない。彼らは倒しに来たのだ。“桜魔王”を。
「今度こそ戦いを終わらせよう――二度目の最終決戦だな」
 何もかもが変わった世界で、この戦いだけが終わらないなんてあんまりじゃないか。
 だから、今度こそ全てを終わらせる。
「……ああ」
 決戦の火蓋は切って落とされた。

 ◆◆◆◆◆

 まず仕掛けたのは桃浪だった。
「よお! 夢見! やろうぜー!」
「やっほー桃浪! 待ってたよぉ!!」
 子ども同士が遊びに誘い誘われるかのような台詞だが、その内実は夢見の体を遠く吹っ飛ばす桃浪の強烈な蹴撃と、それを的確に防御してようやく両腕を広げる夢見の迎撃だ。
 変則的な戦闘をする者同士の戦いは、他の面子の戦いを邪魔しないようにと距離をとる。軽やかな掛け合いの前から、地面に夢見が足を引きずった茶色い土の痕が長く残された。
 他の者たちより更に考えていることが掴めない分、夢見は厄介だ。その狂気の淵に片足を突っ込んだどころか、両足を浅く浸けてはしゃいでいるような夢見の相手は、昔同じように辻斬りをしていた戦闘狂の桃浪にしかできない。
「私たちも行きましょう」
「はい」
 桃浪が夢見を大きく引き離した後、続けて朱莉と神刃が動き出す。
 朱莉は前回と同じく祓を、神刃は前回と敵も味方も大きく様変わりした陣営の影響を受けて夬を相手する。
「まったく……」
 祓を相手取る朱莉は、戦う前からすでに憂鬱な表情を見せていた。
 霊符の大盤振る舞いでじわじわと、彼女もまた他の面々からこの戦闘を遠ざけながら溜息をつく。
「正気を失っている相手を殺すなんて、さすがに気が咎めるのですが……」
 祓とは何度か顔を合わせたが、こんな幽鬼じみた動きをする少年ではなかった。
 朱莉が咄嗟の動きで躱した攻撃の余波が周囲の樹の幹を大きく抉る。
 精神の制御が僅かでも外れた分、行動に迷いがなくなってもしかしたら今の彼の方が以前の祓よりも強いかもしれない。だが、その分祓自身が、危険や後先を顧みない行動で傷ついていく。
 ――彼は、復讐者だった。
 朱莉は復讐を諦めたが、愛しい者を殺されて相手を憎み嘆く気持ちなら知っている。桜魔ながら、祓の憎悪と激情は、全く理解できぬものでもなかった。
 その彼が、今は操り人形として、自分の意志でなく動かされている。
 可哀想と、言ってはなんだが、そう想ってしまうこと自体は彼女にも止められない。
 桜魔など元より憐れな存在だ。わかっている。わかっているのだが……。
「でも、それを理由に手を抜くわけには行きませんものね……」
 一見ただの少年に思えようとも、祓だとて桜魔王の側近として生きていたのは事実。人々を殺す部下の桜魔たちを、何度も襲撃に差し向けた一味の一人だ。
 彼の生ごと、操り人形につけられた糸を断ち切る。それが、今、退魔師としての朱莉の役目。
 無感情に攻撃を仕掛けてくる祓にそっと、囁くように告げる。
「――今、楽にして差し上げますわ」

 ◆◆◆◆◆

 そして、祓と違いまだ正気を保っている夬には、神刃が問いかけていた。
「あなたは朔の部下なんでしょう?! 何故蚕月に従うのです?!」
 呪符の攻撃が途切れた合間に神刃が思わず口にした問いに、夬は誤魔化すでもなく諦観の滲む顔で言った。
「それが私の役目だからですよ」
「早花は朔と消えたのに?」
「……」
 神刃は前回の戦いまで、ずっと早花を抑えることを考え続けて訓練をしていた。だから彼女と常に一緒にいた夬のこともよく覚えている。
 桜魔王・朔の側近であった早花は朔を庇い、朔と共に消えた。
 もう一人の側近であるのに、夬はまだ、ここにいるのかと。
 師を殺し主を手にかけた蚕――蚕月に従うのかと。
「ええ。朔陛下のもとには早花がいる……だから、これでいいのです」
 本来の主を追いかける気力もなく、祓を完全に見捨てることもできず、夢見は何を考えているのかわからない。
 もう夬の本当の仲間も味方もいないのに、ただ機械的に新たな「桜魔王」の傍らでこれまでと同じ役目を果たし続ける。
「私にも“桜魔王の側近”としての矜持があるのですよ。今後の身の振り方はせめて、桜魔王に逆らう邪魔なあなた方退魔師を片づけてから決めることにします」
「……そうですか。ならば、俺はあなたを倒します」
 夬があくまでも鵠の障害となるようなら、それを止めるのは神刃の役目だ。
 そして決着をつけるためには、足を止めるだけでは駄目だ。夬を倒し自分の手を空け、“桜魔王”と戦っている鵠の援護に何としてでも向かうのだ。
「来なさい、退魔師の少年よ。我が名は桜魔王の側近が一人、夬」
 名乗りまでどこか早花と似た夬に、神刃は再び剣を向ける。

 ◆◆◆◆◆

 蚕月と鵠は不敵に笑みながら睨み合う。お互いの中にどうあっても懐かしい面影を見つめながら。
 勇者だけでは物語は始まらない、魔王だけでも物語は成り立たない。揃って初めてお話は動き出すのだ。どちらにせよどちらかの滅びへと向かって。
 どちらかしか存在しない世界は、決められた運命の輪を辿るだけの停滞だ。
 先へ進むためには何かを終わらせなければならない。
「では、我々も始めようか。終わりへと続く演武を」
「そうだな。神々よ御照覧あれ、だ」
 勇者の、そして桜魔王の物語の終わりへと続く、二度目の最終決戦を。