桜魔ヶ刻 12

068

 祓の小刀が飛んでくるのを、朱莉は霊符と身体能力全てを使って躱した。手数の多い相手は面倒だ。
「まぁ、手数には私も自信がありますけどね……!」
 この日のために作りためておいた霊符を出し惜しみなしに投入する。
 祓は目前で爆発した霊符から礫が飛んできたのを見て取り、手にしていた小刀で危うく叩き落した。
 その隙に朱莉が近接の間合いまで走り込んでいる。懐剣を抜いて斬りかかるが、これは呆気なく祓に捌かれ再び距離をとった。
「やっぱり近距離は向きませんわね」
 中距離戦はどちらに分があるとも言えないが、近接戦闘はやはり祓の方が強い。
 ただし朱莉にはまだまだ切り札があって、魅了者として影の中に棲まわせている配下の桜魔たちの能力を借りれば、更に手数を増やすことができる。
『朱莉様、私は出なくともよろしいのですか?』
「もう少し待って紅雅……まだ様子見の段階なの」
 危なくなったらすぐに呼ぶからと、一の配下に言い聞かせる。
 朱莉はまだ迷っていた。このまま祓を殺してしまっても良いものか。
 勿論、どうしても勝てないようなら殺してしまうしかない。祓に鵠と蚕月の戦いの邪魔をさせるわけにはいかない。
 だが今のところ、彼と自分の力は拮抗している。
 朱莉にはある考えがあった。一か八かの博打だが、上手く行けば祓を正気に戻せるかもしれない。
 だが、その手をそもそも使う意味があるのかと、冷静で冷徹なもう一人の自分が疑問を投げかける。
 祓も桜魔王の一味。このまま洗脳状態で死ぬことになったところで、誰も困りはしない。むしろ彼が桜魔としてしてきただろうことを考えれば、人類のためにその方が良いのではないか。
 投げ付けられた小刀を躱し、爆炎の目晦ましをかけながら思考を巡らせる。
 炎と煙を切り裂いて飛び込んできた祓の目の前で発動するよう、もう一枚霊符を仕込んでおいた。だがこれは彼が咄嗟に妖力で生み出した全方位を覆う結界によって阻まれる。
 仕掛けておいた追撃も、その結界によって防がれた。
 形勢はまた振り出しに戻る。
 祓は確かに桜魔王の側近一味の中では一番弱い。脅威となる程の相手ではない。
 だからと言って、易々と倒せるような相手でもまた、ないのだ。彼を仕留めようとするならば、それなりの時間をかけるか、犠牲を覚悟することになるだろう。
 だが今はどちらも選ぶ訳にはいかない。桜魔王を相手取る鵠に数の優位をもたらすためには、できる限り傷を負わずにこの場を切り抜ける道が必要だ。
「やはり……殺すしかなさそうですわね」
 人に近い姿をした桜魔を殺すのはやはり、手にかけるこちらとしても心が痛む。だからと言って、このまま桜魔に大陸を蹂躙させてやるわけにはいかないのだ。
 覚悟を決め、朱莉が祓を殺す奥の手を用意したその時だった。
「!」
 彼らから離れた場所で、大きな妖力の爆発が起こった。

 ◆◆◆◆◆

 神刃と夬も接戦を続けていた。ここ数か月の経験で急激に成長した神刃の能力は、いまや夬を圧倒とは言わないまでも、確実に足止めするぐらいにはなっている。
「やれやれ……華節の件で顔を合わせた時にはまだまだひよこだったはずなのに」
 神刃は元々それなりの退魔師として鍛えてはいたが、それでも桜魔王の側近級と戦えるような人材ではなかった。急激な成長は、鵠の、朱莉の、そして桃浪や――蚕のおかげだ。
 その蚕を、蚕月を彼らは倒さねばならない。
 納得の行く決着をつけるためにも、ここで夬を足止めし――逆に足止めされるわけには行かないのだ。
 とは言うものの、神刃自身はいまだこの状況を打開する策を見いだせないでいた。
 夬は載陽の弟子の一人である。剣の腕はもちろん、朱莉の霊符と似た呪符を使った撹乱にも慣れている手練れだ。
 歴戦の猛者たちに比べればまだまだ未熟と言われる神刃では、一人ではなかなか崩しにくい相手だった。
 剣戟の音が止み、夬が一旦後方に跳んで距離をとる。
 放たれた呪符を、神刃は素早く持ちかえた弓で射落とした。
 案の定地面に縫い付けられた札が小さな爆発を無数に連鎖させる。こんなもの小太刀で斬りおとしたらひとたまりもない。
 弓に持ち替えた隙を狙って夬が飛び込んでくる。
 神刃は無理に小太刀を抜き直さず、夬の斬撃を短弓で受け止めた。
「!」
 刃が食い込んだ瞬間に霊力で強化し、夬の得物を絡め取る。
「ちっ!」
 今だ! と相手の剣ごと自分の弓を投げ捨てて小太刀で迫るが、さすがに桜魔王の側近はそう簡単に首を獲らせてはくれない。
 夬は咄嗟に自分も被害を受ける覚悟で呪符を破裂させ、神刃が爆発に怯んだ隙に再び距離をとった。
「やってくれるじゃないですか……」
 夬の表情が厳しくなる。得物を失って追い込まれた男はいよいよ本気を見せるのかと、神刃は警戒した。
 しかしその時、戦う二人の気を逸らすような大きな爆発が起こり、妖力が一気に膨れ上がって――消えた。
「夢見?!」
 夬が仲間の名を叫ぶ。神刃も。
「桃浪……?!」

 ◆◆◆◆◆

「う、ふふふ。うふふふふふふ」
 夢見は笑う。最期のその瞬間まで。
「やっぱ強いなぁ、桃浪……」
「ああ。お前さんも強かったぜ、夢見」
 桃浪も笑みを浮かべた。だがその口元は、すぐにせり上げてきた血の塊に濡れて赤く染まる。
「が、がはっ……!」
 夢見の曲刀の片方が桃浪の片腕を貫いて動きを制限し、もう片手の刃が今まさに彼の首を掻き切ろうとした瞬間のことだった。
 かつてなく接近したこの距離と、両腕を広げて大きく隙を見せた夢見の行動。桃浪は自らが攻撃を回避することよりも、迷わず自分の一撃を相手に食らわせることを優先した。
 桃浪の刀が夢見の心臓に深く差し込まれると同時に、それを察した夢見も首より心臓に狙いを切り替える。
 この距離で真正面から刺し合えばお互いの攻撃は外れない。――外せない。
 どちらの刃も見事相手に届き、急所を貫いた。
 後から後から流れ落ちる血があっという間に桜の花弁へと変わり、ひらひらと風に吹き流されていく。
 いくら桜魔が人間より余程頑強な肉体をしていると言っても、これは致死への一撃だと夢見も桃浪も理解していた。
「あーあ、ここまで勝ち続けて来たのに……」
 夢見の残念そうな、けれどどこかほっとしたような声に桃浪も頷く。
「悔しいなぁ。でも、楽しかったよぉ、桃浪……」
「俺もだぜ、夢見……」
 本当は。
 桃浪は華節の仇をとるために、桜魔王・朔を殺して復讐するつもりだった。
 けれどそのためには、桜魔王だけではなく彼の側近連中も片付ける必要がある。さすがに一人では無理だと理解していた桃浪は、そのために利用するつもりで鵠たち退魔師と手を組んだ。
 けれど鵠と、神刃と、朱莉と、蚕と、他の面々と――同じ時を過ごすうちにいつの間にか、復讐よりも彼らと同じく「桜魔王を倒す」ことが目的になってしまったのだ。
 ここ数か月、自分と拮抗する能力を持つ夢見と剣を合わせる度に、桃浪の中で以前抱いた復讐心からの目的よりも、一行の中で自分が果たすべき役目を強く意識するようになっていった。
 夢見の変則的な戦い方は、恐らく自分か蚕のような特別な桜魔以外は抑えきれまい。だから何としてでも、この女だけは自分が倒す必要がある。
 桃浪はそう考えた。そうすれば鵠が桜魔王にトドメを刺す。そこまで考えて気づいた。
 手段が目的にとって代わっている。
 そんな自分を愚かだとは思うが、それを否定するほど真剣に生きてきたわけではない。
 桜魔王に対して今まで程の憎しみをいつの間にか抱いていない自分に気づいた。けれど彼を倒さなければいけないという想いはむしろ増して行った。
 鵠が、神刃が、真剣に桜魔王を倒し、この時代の終わりを願っているから、少しくらい協力してやろうと――。
 桃浪の復讐は、もしかしたらその時すでに終わっていたのかもしれない。
 仇を殺したところで結局死者は帰って来ないのだ。復讐もただ桃浪自身が己を憎しみから救い上げるための手段でしかなかった。でもそれはもう、必要ない。
 癒されていた。誰かと共に生きていた日々に。救われていた。もう魂はとっくに。
 総てを滅ぼすために生まれると言う桜魔としては、あまりにらしくない話だ。その時点で、桃浪の桜魔としての生は終わってもよかった。
 だが、願わくは、自分にその救いを示してくれた奴らに、ほんの少しでも自分の力を遺してやりたい。
 それが、桃浪以外には抑えきれないであろう夢見を確実に殺すことだった。
「ねぇ、桃浪?」
「なんだい、夢見」
 お互いが殺す者であり殺される者、死に向かう桜魔の男女は血を流しながら向きあって最期の会話を交わす。
「あなたは、幸せ?」
「ああ、最高にな!」
 そして彼らの姿はほぼ同時に糸が解けるようにその場から消え、無数の桜の花弁と化した――。