桜魔ヶ刻 12

069

 戦いは激化する。
「急ごう」
「ええ」

 ◆◆◆◆◆

 神刃の叫びが空気を切り裂く。
「桃浪!」
 二人の桜魔が相討ちした。
 一人は夢見、一人は桃浪。二人とも桜魔ではあるが、桜魔王の側近と退魔師の仲間として、立場を違えて争いあっていた。
 これまでにも変則的な戦い方をする夢見の相手は桃浪にしかできないだろうと、鵠たち一行は夢見の相手を彼に任せ切っていた。
「夢見……」
 夬も動揺している。桜魔側退魔師側問わず、他の面々も皆。反応を見せないのはいまだ操られたままの祓ぐらいだ。
「夢見が逝ったか」
「お前でもあいつの死を悼むのか?」
「いや、夢見は最期まで強く面白い敵と戦えて幸福だったろう。それに桃浪が夢見を倒すことは知っていた」
 知っていたとは妙な口ぶりだ。今は敵同士だが、かつては仲間でもあった蚕こと蚕月の言葉は意味深である。
「あちらばかり気にしている場合ではないぞ。決着がついたときにこの場所に立っていないかもしれないのは、お前も同じだ」
「そうだな」
 嘆くのも勝手に死にやがってと怒るのも、全てはこの戦いが終わってからだ。鵠はすぐに意識を切り替える。
 朱莉の方も動揺はしたようだが、彼女はなまじ相手の祓が洗脳状態で周囲の状況を意に介さないために一瞬も気を抜けない。
 そして神刃は。
「お仲間が消えたようですけど?」
「それは、そちらも同じですね」
 精神的に揺さぶりをかけようとする夬に、内心の動揺を押し隠しながら必死で対抗していた。
「おやおや、泣いて悲しまないのですか? 彼は桜魔、あなたにとっては所詮、仲間でもなんでもなかったということですか」
「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ。あなたこそ夢見の死を悼まなくていいんですか? 桜魔同士なのに」
 皮肉に皮肉で返しながら、神刃は桃浪のことを思う。
 辻斬りなどを行って、多くの人々に危害を加えた桃浪は神刃にとって最も信用のおけない男だった。
 だが神刃が皆の足を引っ張ったと落ち込んでいる時にはいつもの底を見せない笑みを浮かべ、からかい交じりに励ましてくれた。鍛錬だってそうだ、容赦なく弱点を突いてくる桃浪がいたからこそ、神刃はここまで強くなれたという面がある。
「随分と冷静なことだ」
 夬が言う。冷静? 誰が? 自分が?
 腕は勝手に剣を振り夬の呪符を弾く。体は叩き込まれた動きを繰り返し、相手の一挙手一投足に目を走らせながら隙を狙っている。
 けれどその一方で、頭の奥が酷く冷えていた。
 見知った顔が無数の桜の花弁となって風に流され消えて行った、一瞬の光景が脳裏に焼き付いてる。
 桜魔は死しても遺体を残すことはない。彼らは所詮妖だから、死ねばそのまま瘴気が散ってこの世界に還るだけ。
 何も、何も伝えられなかった。
 確かに忌み嫌って憎んで敵視して、それでも心のどこかで感謝をしていたこと。彼が仲間として神刃たちのもとにいてくれたことに対して。何も……!
 そしてもう会えない。二度と会うことはない。
 こんなにもあっさりと死は人を別つ。今こそ桃浪に言ってやりたい。
「だから、嫌いなんだ。桜魔なんて……!」
 人の心にずかずかと入り込んでいつの間にか居場所を作ったくせに、消える時はこんなにあっさりと消えるなんて。
 死んでしまえば全て終わりなのに、彼は殺す。自分自身でさえも。
 だから、嫌いだ。これからも。
 たぶん、神刃にとって、永遠に忘れられない存在になる。
「馬鹿野郎……!」
 平気な顔をしながらも向こうもやはりきついのか、夬の攻撃はどこか精彩を欠いて来ている。
 彼にとっても夢見の死は予想外だったのだろう。これまで桃浪と夢見の力は拮抗していて、そう簡単に決着がつくと思っていなかったのはどうやら桜魔側も同じらしい。
 相討ちだなんて、そんな最期の最期まで拮抗しなくてもいいのに。
「寂しがる必要はありません。あなたもすぐにお仲間の下に送って差し上げますので」
「それはこっちの台詞です」
 神刃は再び刃を振るった。

 ◆◆◆◆◆

「桃浪……そんな!」
 朱莉もその光景を目にした。夢見と相討ちになった桃浪が桜の花へ変じゆく様を。
 それは桜魔にとって絶対的な死。
 野放しにできない夢見という敵を確実に倒すために、彼は自らの命を懸けてその戦力を削ったのだ。
 おかげで少なくとも朱莉たちは、以前鵠さえも苦い顔をさせた夢見の横槍をもう警戒する必要はない。
 彼の覚悟はよく伝わってきた。それと同時に、まったく最期まで勝手だと思う。
「……なら、私も覚悟を決めましょうか」
 敵と刺し違えた桃浪の覚悟に触発されて、朱莉は腹を括る。
 ただし彼女の覚悟は、桃浪のそれとは重ならない。
「桜人となっても、私は退魔師。だからあなたとは違う道を行きます。殺して、死んで、それで全てを終わりにするなんて道は選べない」
 それは人であることを捨てた朱莉に残された、最後の矜持だった。退魔師としてこれまで何百という桜魔を屠っては来たけれど、決して殺すことが望みだったわけではない。
 目の前の桜魔はまだ若い少年。その手がまさか真っ白とも思わないが、桃浪と比べればまだやり直せるはずだ――生きているのだから。
 このまま死なせはしない。
「祓!」
 朱莉はこれまで手にしていた武器を捨て、新しい霊符を取り出す。
 それは相手を攻撃するのではなく、身体を拘束するものだ。突然動きの拍子を変えた朱莉についていけず、祓はあっさりとその拘束に引っかかった。
 今の祓は洗脳状態で敵意や害意に敏感な分、それ以外の反応が時折遅れることがある。今だって夢見の死に無関心に攻撃を仕掛けて来ていた。朱莉はそこを衝いたのだ。
 ここからが勝負だ。
「自我を封じられた哀れなる桜魔よ! この私に――嶺朱莉に従いなさい!」
「なっ……ぁあああああ!!」
 朱莉の魅了者としての支配力に中てられて、祓が頭を抱えて苦しみだす。
 彼を中心に燃えて溶け落ちた霊符はそのまま光の輪となって、祓を朱莉の魅了の力の中に閉じ込める。
「くっ……」
 洗脳の影響も大きいが、元より祓程の高位桜魔を屈服させ支配下に置くのは朱莉自身にも負担がかかる技だ。
 桜魔は魅了者の支配力に、全力で抗ってくる。今の祓も同じ、呪符で張った結界を内側から破壊しようと足掻いている。
 下位や中位の弱い桜魔なら問題はない。相手の妖力を朱莉の霊力が上回れば、力の強さに比べて余程術者の隙を突くのが上手い手練れでもない限り、魅了者である朱莉が支配することができる。
 しかし高位桜魔ともなれば、妖力はもちろん肉体の頑強さや特殊な能力まで備えている。朱莉が無傷の祓を捕縛するのはほとんど不可能だ。
 抗う意志の強い桜魔は、通常ある程度戦って力を削いだところで屈服させるのだ。紅雅を手に入れたのがこのやり方で、いまだ朱莉の配下には中位桜魔である紅雅以上の力を持つ者はいない。
 祓の強さは紅雅とも比べ物にならない。まだ年若いとはいえ、彼はれっきとした高位桜魔だ。
 それでも朱莉は一か八かの方法に賭けた。
 朱莉が祓に与えた傷はそれ程でなくとも、今の彼は洗脳によって精神を封じられている。能力的には強化されていても、外部から働きかける力に対し耐性は減っているはずだ。
 そして上手く行けば、朱莉自身を新たな支配者として蚕月の支配の上に置くことで、祓の自我を取り戻すことができるかもしれない。
 それは逆に戦況を不利にさせる可能性もあったが、やらねばならないと思った。
 師としての載陽を慕い、主君である朔に忠誠を誓い――それこそが祓の意志なのだから。
 心を喪って動かされる人形を殺すためにここに来たのではない。桜魔と同じ生き方はできない。
「ああああああぁッ!」
「我に……従えぇ!!」
 絶叫と共に力を収束させる。先に彼の精神を縛っていた蚕月の針を朱莉の霊力が壊していく。
「う……」
 光の輪が消え、朱莉と祓の一つの戦いが終了した。
 鬼が出るか、蛇が出るか――。
「僕は……一体……?」
 正気を取り戻した祓の瞳が、存在として自分の主と刻まれた朱莉の前で、呆然と見開かれる。
 魅了者の支配は成功した。