推定有罪

1.巫覡と騎士

 かつて創造神により創られ、今はかの神の目覚めを待つ世界――。
 世界の東側では魔術の影響力が強く、一方、西側では古き創世の神々を敬い、もてはやす。
 西に分類される三大陸のうちの一つ、青の大陸には、タルティアンと言う名の王国があった。大地神ディオーを崇め、その加護によって生きる国だ。
 タルティアンだけでなく、青の大陸の国家は世界のどこよりも古の神々を崇める傾向が強い。特に農業に縁深い大地の神や緑の神は人気だ。しかしタルティアンほどに大地神ディオーを敬い奉り、その加護を受ける国は存在しない。
 タルティアン王国には、大地神の声を聞くと呼ばれる、豊穣の巫覡がいるからだ。

 ◆◆◆◆◆

 金でも銅でもないけれどそのどちらにも劣らぬ穏やかな藁色の髪に、榛色と呼ばれる淡い茶色の瞳。肌の色は白く、未発達な手足は細く、声変わり前の声は高い。
 今年で十三歳になる少年、ルゥ。彼は三年前に、このタルティアン王国の大地の神子と呼ばれる豊穣の巫覡として選ばれた。両親を亡くしてから下町で育てられてきた粗野な少年が巫覡として選ばれるのは、実は異例でもなんでもない。大地の神子は血統や地位や権力ではなく、完全に資質のみでもって選ばれる。神託、つまりは神の言葉によって選ばれるのだ。
 それまで天涯孤独の身でありながら、気のいい街の連中の厚意によって生かされてきたルゥは、一も二もなく巫覡となることに頷いた。巫覡となって神殿に仕えれば、神への貢物という名目で届けられた物資の中から、下町の少年にとっては充分に莫大な報酬が与えられるからだ。ある一定以上の立場にいる者にとっては、宗教とは非常に儲かる商売なのである。
 それまで手に取ったこともない聖典に触れさせられ、代替わりを間近に控えた老巫女に修業をつけられること二年、一年ほど前から、ルゥは名実共にタルティアンで最も高貴な大地の神子としての務めを果たしている。下町育ちの子どもに高貴もへったくれもないが、先代巫女の威光もあり、現在ではルゥもこの国最高位の神職者として立派に務めあげていた。
 大地の神子は、大地の神の声を聞く。
 ルゥの役目は、神殿の聖域にて、大地神ディオーの神託を聞くことである。その内容は占いに近く、神の示した道筋を読みとって人々に伝えるという、重要な役目だ。タルティアンの農業や災害対策は少なからずこの豊穣の巫覡の神託によって左右されていて、神子の責任は重大である。
 タルティアンでは豊穣の巫覡は、あるいは王族よりも尊く神聖とされていて、その民衆への影響力は絶大だった。貴族階級にはそれを快く思わない者ももちろんいるが、かつて一人の王が巫覡を蔑ろにしたためにその王の在位中は大地神の加護に見放されたという逸話があり、表だって巫覡を排することはできない。
 歴代の巫覡自身、国の行く末には深く関わることは選ばなかった。農作や地震など大地の神が関わる事柄に関してこそ王への進言も躊躇わぬ巫覡は、しかしそれ以外で国の政治、経済に触れようとはしない。
 信仰的にはそれほど強権的な教団などが存在するわけではないが、大地の国タルティアンそのものが大地神の信仰国という形になる。すなわち、豊穣の巫覡も民衆の信仰の対象でもあるのだ。
 そんな風にことタルティアンではとかく位の高い聖者である豊穣の巫覡。しかし当代神子のルゥは、一度聖域を後にして巫覡としての務めを果たせば、彼自身はどこにでもいるような平凡な少年でしかなかった。

 ◆◆◆◆◆

「どうしたんだよ。この世の不幸を一身に背負ったような顔をして」
「……俺、そんな顔してる? ラーラ」
「してる。すんげーしてる」
 その言葉に、ルゥははぁあ、と深く溜息ついた。まだ十三歳の少年の全身から、やるせなさというどうにもならない感情が溢れだしているようだ。
 金でも銅でもない藁色の髪に、榛の瞳。目は大きくくりくりとしていて、肌は白い。ふわふわとした癖のある長い髪を荷づくり用の紐で無造作にくくって真昼の食堂で黄昏ていたこの少年こそが、タルティアンの大地の神子にして当代豊穣の巫覡、ルゥである。
 黙っていれば、素朴な顔立ちの中に愛らしさがあると言える容貌なのに、色褪せたシャツに擦りきれたベスト、膝小僧の覗く長さのこれまた擦りきれたズボンなどをはき、長い髪をその辺りにあるものでくくってしまう適当さがいささか残念な少年である。彼自身は自らの容貌などどうでもいいらしく、巫覡としての務めを要請される時以外は、まるきり下町の小僧の格好をしていた。
 一方、彼の目の前に昼食の餡かけ麺の皿が乗った盆を置いて座った少女の名はラーラ。淡い緑に美しく染められた装飾的な皮鎧を身に付けた彼女は、豊穣の巫覡の護衛騎士である。
 今現在下町の小僧にしか見えないが、このルゥ少年は、タルティアンで最も位が高いとされる聖職者、豊穣の巫覡。彼の護衛には王国から募り王家が派遣する聖騎士団と、神殿側が用意する従者を兼ねた騎士がいる。ラーラは後者にあたり、国王よりも、大神殿の神殿長よりも、誰よりも豊穣の巫覡の言葉を優先させる騎士として、ルゥが巫覡の立場を引き受けて以来、ずっと傍にいてくれる気の置けない友人だ。
 ルゥは十三歳、ラーラは十四歳。ラーラはこの年齢にしては優秀で、生半な武人程度では相手にもならないような凄腕の剣士だった。
 性別の違いもさして気にせず、二人は良好な友人関係を築き上げていた。ルゥにとっては他でもない彼女こそが、誰よりも本音を話せる相手だ。
 そう、例えば、恋の話とか。
「ハルディード様と上手くいったんだろ? なのになんでそんな暗い顔してんだよ?」
 己を護衛する騎士、それも同性相手に懸想している。そんなルゥの秘密を打ち明けられたのは、このラーラだけだ。彼女はルゥの想いをすでに知っていて、また彼の想い人がついに巫覡に告白したという噂を聞いていた。だから今頃ルゥが有頂天になっていると思ったのに、食堂で暗い顔をする護衛対象もとい友人の姿を見つけて声をかけたというわけだ。
「それがさ……ティーグ様さ……俺のこと、女の子だと思ってたんだ……」
「……あぁん?」
 凶悪な目つきでラーラが眉を上げて聞き返す。
「で? 言ったのかよ、男だって」
「言ってない……」
「ちょっと待て、付き合うことになったんだろ?」
「そう」
「……ハルディード伯は、お前を女だと勘違いしたまま?」
「そう、いう、ことに、なる」
 ラーラが瞳を閉じ、難しい顔で沈黙する。
 そして次に彼女が吐き出した溜息は、先程ルゥがついた溜息とよく似ていた。

 ◆◆◆◆◆

 タルティアンにはありふれてはいるが縁起の良いとされる褐色の髪に、大地の聖色と言われる緑の瞳。
 中肉中背だが均整のとれた体つきと顔つきで、はっと人目を引く青年聖騎士。
 ルゥの想い人は、ティーグ=ハルディードと言う名の青年だった。彼は王国が募り、神殿に派遣した聖騎士団員の一人で、伯爵の位を持つ貴族でもある。
 二十五歳という若さで聖騎士団の副団長を務め、爵位を持つ美形とくれば、淑女たちの熱い眼差しを惹きつけてやまない。そもそも聖騎士とは神官の位と騎士としての実力を併せ持たねばならず、何より誠実さと高潔さが求められるということで、聖騎士の称号を持っているだけで国中の女性たちの憧れとなる。
 そんなティーグが、二十五年の人生で初めて愛を告白した相手は、自分より十二歳年下の聖なる存在だった。
 大地の神子として神託により見出される豊穣の巫覡、ルゥ。
 ただし――。

 ◆◆◆◆◆

「ただし、その巫覡は男である。……残念な男だな。ハルディード伯」
「ティーグ様を悪く言うなよ」
 ラーラの物言いに拗ねたように口を尖らせて頬を染めるルゥは、顔だけ見ればまるで少女のようだった。タルティアンでは男色は、あまり良い顔をされるものではない。とはいえ贅の限りを尽くす支配者階級において女に飽きた者が見目麗しい少年や青年を相手にさせるなどよく聞く話だし、ルゥのこの容姿と、底抜けに明るい性格があれば真面目な聖騎士も落ちるかもしれないとラーラでさえ思っていた。
 ところがいざティーグ=ハルディードが豊穣の巫覡に告白したという噂を聞けば、かの騎士は神子の性別を勘違いしていたと。しかもルゥがそれを訂正しなかったことを考えると、笑うに笑えない状況だ。
「なぁ、いいのかよ? 本当にそれで。嘘ついて付き合ったりして、ばれたら普通に悪いことするより面倒なことにならないか?」
「それは、俺も考えたけど……」
 いつもはきはきとしゃべるルゥが、ことこの話題に関しては口が重いというか、喋りが鈍くなる。
 さりげなく二皿目の餡かけ麺に手をつけながら、ラーラは巫覡と護衛騎士という立場を越えて友情を育んだ親友に最後の確認をとる。
「そんなに、好きなのか?」
「――うん」
「悪いがあたしにはさっぱりわからねぇ。ティーグ様は悪い奴じゃないとは思うが、お前が性別を越えて好きになるほどいい男だとも思えねぇんだよな」
 重要なことを口にしながら、ラーラは同時に麺を啜っていた。食べながら喋るという、行儀の悪さ以前に不可能なことをしている気がするのだが、そのおかげで声は他の食堂の者たちには聞こえていない。
 豪奢な衣装で着飾って性別を感じさせない神秘的な巫覡と、下町育ち丸だしのこの少年が同一人物であると知っている人間は王国中でもそう多くはない。城と同じように神殿で働く人間も多いので食堂に下町の子ども一人くらいが混ざっていても、そうそう気づかれないのだ。
 ルゥは時に神秘的とも言われる藁色の髪に榛の瞳だが、言ってしまえば黄色っぽい茶髪、もしくは茶っぽい金髪に茶色の瞳というどちらかといえば地味系の色彩を持つ少年だ。タルティアン人は淡い茶系の髪と瞳の人間が多い。そんな彼は衣装を着替えれば、巫覡からどこにでもいる下働きの少年に早変わりできる。
 巫覡に神秘性を求める人間ほど、神子のルゥと下町の少年ルゥとの関連性を見出すことは難しいらしい。
「ああ、ここにいたか。ラーラ殿」
 餡かけ麺を啜るラーラの背後から、一人の青年が声をかけた。
「何か用ですか」
「午後の訓練のことでお話がありますので、食事が終わったら鶸の間にお出で下さい」
「わかりました。ハルディード伯爵さま」
「どうぞティーグとお呼びください」
 ティーグは笑顔で言った。ちなみに彼はルゥのことは、最初に会話を中断することを詫びるように笑顔を向けたきり見向きもしない。今の彼が少年の姿をしているので、豊穣の巫覡と同一人物であると気づいていないのだ。
「ラーラ殿は我らの神子の一の護衛騎士殿ですから。国中探しても、あなたほど“男前”な方はいませんよ」
「……そりゃどーも」
 ティーグとラーラは仲が悪いというわけではなく、特にティーグは平民相手でも優しい貴族だと評判だ。だからこの台詞も、何も嫌味として彼の口から飛び出したわけではない。
 単に彼は、ラーラが女性だと気づいていないだけだ。
 爽やかすぎる笑顔と共にティーグが立ち去ってから一つ溜息をつき、ラーラは目の前のやりとりを見守っていたルゥへと視線を向けて再び尋ねる。
「なぁ、本当にあれでいいのか?」
「……うん」
 恋する少年は、ちょっと躊躇いつつも頷いた。