推定有罪

3.忌まわれし王子

「ふぅん。それでここ最近、幸せそうだけど元気がなかったんだ」
「シャニィ、なんだよ。それ」
「君のことだ、ルゥ。ハルディード伯のことで悩んでたんだろ? 笑顔がどっか寂しそうな感じだったよ」
 ルゥが今言葉をかわしている相手は、この国の王子だ。
 シャニィディル=フューナス=タルティアン。通称シャニィ。とは言ってもそう呼ぶのは、顔なじみのルゥとラーラくらいのものだが。
 シャニィディルはこのタルティアン王国の第一王位継承者、すなち世継ぎの王子というやつだ。彼はまず王家の関わる儀式のもろもろの際に巫覡姿のルゥを知り、その後下町の少年らしい彼の正体を知って大笑いしたうちの一人である。
 タルティアンはそれなりの国土、国力を持つ大国だ。小国がひしめきあう東大陸と違い、西大陸の国はそういった大きな国が多い。その大きな国の第一王子が国に繁栄をもたらす巫覡と一緒に今どこにいるのかというと、実に城の台所である。
 正確には食堂の隅の厨房よりの場所で、料理人たちの仕事である野菜の皮むきを手伝っているところだった。シャニィディルの奇行にはもっぱら城の人間たちも慣れっこで、今では当たり前のように芋の籠と包丁を渡してくれる始末である。更に言えば、王子であるシャニィはまだしも、ルゥにいたっては彼こそが豊穣の巫覡であるという事実自体をこの城では知る者が少ない。使用人用の台所にいる連中は、ルゥのことを王子が下町で見つけた友人か何かだと思っている。もちろんルゥは今、巫覡姿ではなく長い髪を荷作り紐でくくったような男の格好だ。
 可憐な美少女巫女と目されるルゥの正体がガサツな下町の少年であることも、シャニィディルの気にいったところだった。気取らないルゥの態度は、とある複雑な事情を抱えているシャニィにとっては居心地が良い。
 シャニィディル=タルティアン王子。
 彼は今年十四歳で、ルゥよりは一つ年上だ。顔立ちは悪くはなく、むしろ美形と言ってよい。だが彼には一つ、その立場を不安定にする欠点があった。
 銀色の髪。
 大地神の国であるタルティアンの王族は、常に大地の聖色である金髪か茶髪、そして緑の瞳を持って生まれてくる。だがシャニィディルは銀髪に青い瞳で、この法則に当てはまらない。そのために大地神ディオーの加護を受けられないのではないかと、国の権力者たちにはその力を危ぶまれているのである。
 彼の立場を不安定にする要因に、彼には他にも男の兄弟がいるということがあった。豊穣の国の王族は子宝にも恵まれていて、王子はシャニィを除いても充分にいるのだ。だからこそわざわざ銀髪の王子なぞを第一王位継承者の地位に据えておかなくてもいいのではないかと、シャニィを支持しない一派は言うのである。
 ルゥはそれらシャニィの事情を友人として心配していた。
 シャニィからすれば性別を誤解させたまま十二歳年上の男と付き合ったりしてしまうこの巫覡の方がよほど心配だったりするのだが、そこのところはお互いに自分のことは大丈夫だと根拠もなく思っているものである。
「ハルディードは有望株だからね。御婦人方の期待度も高いよ?」
「だからって俺は……」
 肝心なところで口ごもってしまうルゥである。ラーラと同じくルゥにとって気の置けない友人であるシャニィは、茶化すだけではなくルゥのことを真剣に案じて話をする。
「それにどちらにしろ、巫覡は身体的な交渉を交わすことはできない。――わかってるんだろ?」
 ルゥとティーグにとって、問題は一つではない。ルゥが自分のことをティーグに少女と思わせていることもそうだが、その事実があろうとなかろうと彼ら二人が決して本当の意味で結ばれることはないのだ。
「……いいんだ。俺は、ティーグ様の傍にいられるだけで幸せなんだから」
「君がそれでいいならいいけどさぁ」
 あまり良くはなさそうな口調でシャニィが言う。
「人の気持ちなんて変わるし、同じ相手と何十年も付き合うとは限らないもんね」
「なんだよ。人を飽きっぽい浮気性みたいに」
「人間は誰でも飽きっぽい浮気性さ。男なんて特にね。女房と畳は新しい方がいいっていうくらいだし」
 王子とも思えぬ器用さで芋の皮をくるくると剥きながら言うシャニィに、ルゥは何か反論してやろうと言葉を探した。だが結局その努力が報われる前に、食堂の入口に見慣れた顔を見つけることとなる。
「……クラカディル」
「おやおや、これは兄上。御機嫌麗しゅう。第一王子ともあろう方が、こんなところで何をなさっているのですか?」
 年はルゥと同じく十三歳で、髪の色は金、瞳は緑。それ以外の顔だちはシャニィディルによく似た少年が、シャニィとルゥ、二人の前に立つ。
 彼の名はクラカディル=フューナス=タルティアン。シャニィディルと同母の王子で、第二王位継承者。つまりシャニィのすぐ下の実の弟なのだが、彼は兄と違って大地の聖色と呼ばれる金髪も緑の瞳も持っている。
 そしてクラカディル第二王子は、シャニィディル第一王子を良く思ってはいない。聖色を持たぬ兄よりも、自分の方がタルティアンの玉座に相応しいと考えているのだ。
「芋の皮剥きだよ。君もやるかい? クラカディル」
「皮剥き? 高貴な身にしては随分手慣れた様子だ。それではまるで、生まれながらの料理人のようですよ。兄上」
「お褒めに預かり光栄だね、我が弟よ」
 クラカディル王子の嫌味を、シャニィはさらりと受け流す。彼らの確執を知らぬ者はいない王宮の中だ。食堂の中に無言の緊張が走った。
 それはシャニィの隣にいるルゥも例外ではない。むしろシャニィの隣にいるからこそ、一緒にクラカディルの標的にされて大変だ。
「兄上の交友関係は随分広いようですね。そんな下賤の子どもとも知り合いとは」
「おや、彼はこう見えてこの国でも有数の高貴な身の上だよ。私なんか及びもつかないくらい」
 豊穣の巫覡はタルティアンでは国王に等しく神聖な存在なのでシャニィの言うことはある意味では間違ってはいない。だが神秘的な神子の姿と目の前のどう見ても下町育ちの子どもとの姿が一致しないクラカディルは鼻を鳴らした。
 巫覡姿では神秘的と言われる麦の穂色の長い髪も、この姿では長くて鬱陶しいだけの褪せた金髪にしか見えない。
「羨ましい限りですよ。私はどうしても奥手で、貴族の中以外に交友関係がありませんからね」
「それはいけないなぁ。弟よ、君はもっと世間を知る必要があると思うよ」
「……貴重な御意見をありがとうございます、兄上。ところで、その兄上の広い交友関係に関してなのですが」
 クラカディルはここからが本題だという雰囲気で口を開いた。
「豊穣の神子殿がハルディード伯とお付き合いをしているという噂は本当でしょうか」
 ルゥはあやうく芋と一緒に指を斬り落とすところだった。
 一体何故、ルゥ自身とはほとんど面識もないこの王子がそんなことを知っているのか。
「どこからそんな噂を聞きつけたんだい?」
「聖騎士団員が騒いでいたのですよ。どうやら歩く規律たるハルディード伯爵にも、ようやく春が来たらしい、とね。それが清純を絵にしたかのような巫女姫相手だというので、幾人もの御婦人方が涙を飲んでいるようです」
「…………へー、それはそれは……すごいことになってるね…………」
 別に巫覡の恋愛が禁止されているわけではない。もちろん性交は禁止だが、相手がティーグだけに彼が戒律を犯すとは誰ひとり考えていないところはさすがである。しかし、こうして一日で城中に話が知れ渡るのは迂闊すぎだ。
 貴族と巫覡の恋愛ということで周囲が沸き立っているのだろうか。聖騎士と巫覡だから、その愛はやはり騎士が貴婦人に捧げる精神的な愛情と忠誠のやりとりだと思われているのだろう。
 ルゥがその話を広めていないのだから、出所はティーグということなのだろうか。
「ところで、この噂は本当なのですか? 兄上」
「何故それを僕に聞く? 直接伯爵か、巫覡殿にお尋ねすればいいじゃないか」
「高貴なる身分の方に下世話なことを尋ねるのは気が引けますし、多忙な聖騎士の手を煩わせる、それもあのハルディード伯の時間を割かせてまで尋ねるほどの話題ではありませんから」
「そのわりには興味があるようだね。どうした、クラカディル。君は巫覡殿のことが好きなのか?」
「まさか」
 クラカディルは再び鼻で笑って話題を終えた。
「ただ――そうですね。兄上の仰った通り、興味があるだけですよ」
「そう」
 兄弟の視線が交錯する。シャニィディルの青い瞳と、クラカディルの緑の瞳が火花を散らして睨みあう。二人はしばし相手の眼差しの奥にあるものを探り合うようなやりとりを続けていたが、いつまでもそうするのは時間の無駄とばかりにクラカディルがふいに視線を逸らした。
「それでは、兄上。また今度」
 そうして陰湿な爬虫類にも似た弟王子が立ち去ると、ようやく食堂の中に穏やかな空気が戻った。
「はぁ……」
「すまなかったね、ルゥ。君に対してまで余計なことを言わせた」
「気にすんなって。あんくらい言われ慣れてるよ」
 高貴なる方々は下々のことなんてまるでわかりゃしねぇ、とルゥはからからと笑った。そう言う意味では確かにお前は王族失格かもな、とシャニィの背を元気づけるように軽く叩く。
「お前は大丈夫だよ、シャニィ。自分で下の方下の方に降りて来てるんだから、いつか転ぶ日が来ても傷はきっと浅くて済む。あっちの王子が落ちる時は高いところから取り返しのつかない深さまで落っこちることになるんだろうけど、お前はきっと、ちょっとの痛みで立ち上がれるよ」
 ルゥはルゥで、この気さくな第一王子を気にいっていた。友人だから気にいっているのではなく、そもそも気にいったから友人になったのだ。もしもシャニィがクラカディルのような性格だったら、いくら神殿で下手に出られても豊穣の巫覡は彼の手を取ろうとは思わなかったに違いない。だからルゥとしては、このまま幾ばくかの困難があっても、シャニィディルが無事に王位につくのを願うばかりだ。
「だといいんだけどね」
 ルゥの物言いがわからないわけではなかったが、シャニィディルは悲観的に溜息をついた。
「最近私の対立派閥がやけに活発になってきてね。一体何があったんだろうな」
「お前を追い落とす機会を虎視眈眈と狙ってるって?」
「どうもそうらしい」
 ルゥはシャニィディルを元気づけるために言葉をかけた。
「平気だって、シャニィ。聖色を持ってなくたって、お前にはディオー様の加護があるんだって、俺が保証してやるよ!」
「へぇ、君が?」
「そう。この、偉大なる下町育ちの男、ルゥ様がだ!」
 巫覡としてだけではなく、友人としての意味もこめてルゥはそう告げた。彼が笑顔で言い放つと、話を傍で聞いていた食堂の人間たちも便乗した。
「だったら俺らも保証しますぜ、シャニィディル王子様。クラカディル王子様より、シャニィ様の方がきっと立派な王様になるってさ」
「タルティアンの王子様に、大地神の加護がないわけありませんて」
 使用人用の食堂に入り浸る困った王子ではあるが、これがシャニィディルが国の者に慕われている証拠だった。
「ありがとうみんな。あなた方にそう言ってもらえることは、どんな貴族にそう言われるより嬉しいよ」
 何かの思惑や打算の末ではなく、純粋な気持ちから言っているのがわかるからだ。シャニィはようやく笑顔を浮かべた。それを見てルゥもまた調子を取り戻す。
「じゃ、さっさとこの芋剥いちまうか」
「そうだね」
 この食堂のように、タルティアンが常に笑い声の絶えない暖かい国であることを、ルゥとシャニィはそれぞれ祈っていた。