6.小さな幸福
知人の奇行には慣れている。
例えば女顔の少年神子だとか、彼に恋するクソ真面目先輩騎士だとか、城の厨房に入り浸る第一王子だとか、そういう連中を常日頃から見ているからだ。
「ラーラ!」
「ん?」
なので、仕えるべき主君にして友人の神子が突然自室に飛び込んできたときも、聖騎士ラーラは慌てず騒がず冷静になって突っ込んだ。
「お前の服貸して!」
「なんで?」
◆◆◆◆◆
「お祭りに行きたい? 私と?」
「そうです。ルゥ様がお忙しいのはわかっていますが」
ルゥがラーラの部屋に飛び込む直前、彼はティーグと話をしていた。
「一日目と二日目は時間があるので大丈夫です。でも、どうして突然……」
「あなたと一緒に行きたかったんです」
ティーグの言葉に、ルゥはほんのりと頬を赤く染めた。
「お嫌ですか?」
「とんでもない! とても……とても、嬉しいです」
ルゥ自身は無自覚だが、可憐な表情で伏し目がちに笑顔を見せる彼の神子姿は正しく男殺しだった。
聖地祭は三日かけて行われる。そのうち一日目、二日目は今年の収穫を持ち寄った無礼講のお祭り騒ぎが続き、最終日の昼に来年の豊作を祈願する儀式があるのだ。
城下街でも大地神への供物である色とりどりの花で町中を飾り、国中から商人や観光客が訪れて露店を開く。タルティアン最大の祭りであり、大人から子どもまで老若男女楽しめる催し物が次から次へと開かれる。
「先日はその……失礼なことを言ってしまいましたから」
自分と付き合っているのに王子の妃になれとルゥに言ったことを後悔しているらしいティーグは、胸に手を当てながら告げた。
「それに……聖地祭の花の日は、こ、恋人たちの日とも言われているとか……」
そうだ。祭りには付き物の恋人同士の企画もまた、聖地祭の楽しみとされていた。これまでルゥはその辺りの話題には無関係だったが、今年は違うのだ。
――そしてルゥは彼女の服を借りるために、ラーラの部屋を訪れる。
「それで服貸して、なわけね」
「さすがにいつもの神子装束で行くわけにはいかないし、一応お忍びだから」
そしてもちろん、ルゥを少女だと信じているティーグの前で下町の子どもの格好で通すわけにもいかない。
「別に、いいけどな。お前がどうしてもそうしたいっていうならさ」
さして体型の違わない二人なので、性別の差さえ気にしなければこうして服の貸し借りもできる。さすがにいつもの格好だと男だと一発でバレるので、ルゥはラーラの服を借りることにしたのだ。もっともそのラーラ自身非番の日は少年のような格好ばかりしているのだが、それでもルゥの平服よりはずっと可愛らしい服を持っている。
藁色の髪を引き立てる薄紅の上着を選びながら、彼はふと我に帰って呟いた。
「よく考えたら、これって完全に女装だよな」
「良く考えなくても完璧に女装だ」
ルゥの腰を留める帯を締めながら、ラーラは溜息で応えたという。
◆◆◆◆◆
聖地祭当日、精一杯着飾って現れたルゥに、先に待ち合わせ場所に来て待っていたティーグは微塵の疲れも見せずに笑顔を向けた。貴族である彼は服に困るはずもなく、華美でこそないが上質な衣装を身に着けている。
背筋がぴしりと伸びた立ち姿にルゥは思わず見惚れそうになりながらも、何とか足を進めて辿り着いた。ラーラの服を借りて少女の姿をしたルゥはさすがに神殿の関係者には神子が出かけると知られてしまっているが、一歩街に出てしまえば神子の顔をそれほど詳しく知る人間はいない。
「ティーグ様」
祭祀長にはお忍びの許可をもらい、ティーグはその護衛という形になっている。
騎士はすっと、ルゥに手を差し出した。
「行きましょう」
「……はい!」
掌を向けて差し出された手にルゥが自らの手を重ねる。見る者が見れば、まるきり姫君とそれを護衛する騎士だ。
祭りの間はどんな場所でも無礼講が叫ばれ、酒や軽食を無料で振る舞っている屋台なども多い。人込みの熱気に押されながらも、二人で手を繋いで街を歩く。
「ルゥ様は、この祭りは初めてですか?」
「いいえ。以前は勤めていた店の下働きとしてですが、参加していました。けれどこうして誰かと一緒に見物をするなんて初めてです」
下町の少年時代のルゥは、人々の間でいつも忙しく立ち働きながら祭りに訪れる人々を見ていた。ずっとそういうものだと思っていたのに今回は自分がその立場になって祭りを楽しんでいるのだから、人生とはわからないものである。
露店や屋台をひやかしながら大通りを歩いてきた二人は、いつの間にか川沿いの人気の少ない道に出た。小休止のつもりで橋の欄干にもたれて水面を見下ろすと、ちょうど色とりどりの花々が水面を流れていくところだった。
大地の加護を持ち、恵み豊かな美しい国タルティアン。その国に生きる幸福をルゥは実感する。
「あなたと今日、ここに来られて良かった」
「ルゥ様……」
思わずもらした言葉に、ティーグが感激したように声を震わせた。そして彼は笑顔を浮かべると、こう続けた。
「来年もまた、二人で一緒にお祭りを見ましょう。二人で道を歩いて、この川辺から水の上を流れる花筏を眺めましょう」
「――……はい」
ティーグの言葉に思わず唇を開きかけたルゥは、結局彼の言葉に頷くに留めた。
来年の今頃、自分がどうなっているのかルゥにもわからない。
今はまだ声変わりも来ていないが、来年十四歳ともなればさすがにそろそろ身体的な変化が訪れるころだろう。背が伸びるだけならまだしも、いきなりごつくなったりしたらどうしようと、複雑な心境になる。
男らしくなるのが嫌なわけではない。けれどルゥのことを少女だと信じているティーグに本当は男だと気づかれたら、もう彼と一緒にいることはできない。
隣で花の浮かぶ水面を見つめている青年の顔をルゥはそっと見上げる。
愛されたかった。この人に愛されたかった。
だから、嘘をついた。
いずれ確実に明らかになる嘘を。
もっと上手く立ち回れれば良かったのだろうけれど、ルゥにはこのような生き方しかできない。それでもただ愛されたくて、小さな、けれど確かな罪を犯した。
どうしても諦めきれなくて、それが罪だとわかっていても手を伸ばした。
豊穣の神子を可憐な少女だと信じきっているティーグに、本当は粗野な下町育ちの少年だなどと知られて軽蔑されたくなかったのだ。年齢や身分の壁ならいつか壊れる時がきても美しい思い出で済むかもしれないが、この国では男色は歓迎されない。ティーグの経歴にも彼の心証にも、傷をつけるわけにはいかなかった。
「ルゥ様? どうかしましたか?」
「いいえ、なんでも」
たぶんきっと、これは罪。
だからいつか、裁きの日は訪れる。何かがあるのは今ではなくこれから。でもその日までは。
「幸せだな、って思っただけです」
このささやかな幸福を享受してもいいだろうかと、ルゥは切ない微笑みを浮かべた。