推定有罪

7.囚われの姫のように

 いくら大地の神を崇めている牧歌的な国家とはいえ、完全に権力争いや血なまぐさい闘争から無縁ではない。否、むしろディオー神の加護による豊かな恵み深い国だからこそ、そこに付随する人の欲も大きくなると言えようか。
 その日ティーグは、同僚である聖騎士の男たちをかき分けてくる一人の小柄な騎士の姿を見て目を丸くした。
「ラーラ殿」
「ハルディード伯! 神子を見かけませんでしたか?!」
 豊穣の巫覡に最も近く在る護衛騎士。ラーラの開口一番のその言葉に、ティーグは驚きに目を瞠った。動揺を見せたのは一瞬のことで、すぐに眼差しを険しくする。
「神殿にいらっしゃらないのですか?」
「ええ。毎年この日は儀式の前に潔斎を行っているはずなのに、どこにも姿が見当たらないんです!」
 褐色の肌に焦りを浮かべるラーラを見てティーグはすぐに行動を開始した。情報が大きくなりすぎないように、信頼できる部下と上司にだけその報告をし、ルゥを探す。
「お昼頃にシャニィディル殿下の使者だという方が神子様に謁見を申し込んでいましたよ」
 使用人たちへの聞き込みにより、ラーラとティーグは祭祀の準備で忙しいシャニィディルのもとへと向かった。しかし一筋の期待も虚しく、シャニィディルのもとにもルゥはいなかった。
「ちょっと待て! 私はそんな命令出した覚えはない!」
 それどころか、肝心の王子はルゥを呼びにやってはいないという。
「誰かが殿下の名をかたり、神子をおびき出したということですね」
「ちょっと! シャニィ様の日頃の行いが悪いから、そんなことをしてもおかしくないと思われているんですよ!」
「私のせいかい!」
 ラーラが王子の首ねっこを掴んで揺さぶるが、冗談を言っている場合ではない。
 否、冗談どころか、このままルゥが見つからなければ、今回の出来事の全ての責任は当然シャニィディルへと降りかかってくる。
「この状況を作った時点で犯人が誰かはわかっているのだがな」
 シャニィは渋い顔をした。彼を敵視し、彼を貶めて得をする人物となれば少なくはないが、その中でこうした行動に出そうな人物というのは限られている。
 豊穣の巫覡の立場は、このタルティアン王国では王族にも匹敵する重要な存在だ。
「まずはルゥの身の安全を確保するのが先決だ。ラーラ、ハルディード、頼んだぞ」

 ◆◆◆◆◆

 祭祀服のまま神殿から連れ攫われた豊穣の巫覡ことルゥは、手足を縛られ猿轡を噛まされて粗末な小屋の中に閉じ込められていた。
(くそっ……はずれない……)
 手首を戒める縄を外そうと先程から努力しているルゥだったが、一向に報われる気配はない。下町育ちの少年は見た目通りの聖少女ではないので誘拐犯の思惑よりは器用だが、後ろ手に手首を縛りつける縄を自力で解くまでにはいたらなかった。
 大きな動きをすることができないのも理由の一つだったかもしれない。ルゥは一人きりで小屋の中に閉じ込められているわけではなかった。同じ室内に見張りの男が二人いるのだ。
「へぇ、これが聖女様かぁ」
 性別を公言してはいないが、ルゥはその見た目のために完全に女だと思われている。目の前の男たちもそう考えているようだった。
 ルゥは男たちのこの勘違いを利用して何とかうまく抜け出せないだろうかと考えをめぐらせる。だがそもそも、自分にはこんなところに拉致されてくる覚えがないのだ。相手の目的がわからないことには動きようがない。
 そもそも、舌先三寸で相手を出し抜こうにも彼の口にはこれまたぎっちりと猿轡が噛まされているのだ。下手な動きをすれば……と月並みな台詞で脅されても、下手な動きを見せようもなかった。
「確かに見た目は可愛いが、まだ子どもだろ。こんなのを嫁にしようってのも物好きだよな」
「あの方御自身が子どもなんだからちょうどいいんだろうよ」
 あの方?
 子ども? 嫁?
 ルゥをこの状況で恐怖に震えるしかない繊細な少女だと思いこんで油断している男たちの会話に聞き耳を立てる。せめて相手の正体が、その目的がわかればここから逃げ出す機会がやってくるに違いない。
「だがよ、本当に大丈夫なのか? 大地の巫女姫を式典の最中に攫ってくるなんて」
「なぁに、天界のお歴々は、地上のことなんて見向きもしないものさ。天上の神より地上の権力者さ」
 彼らはシャニィディルの使いだと言ってルゥを神殿からおびき出した。少し歩いたところで流石におかしいと思い始めたのだが、それを口にするよりも早く、物陰に連れ込まれたところで昏倒させられたのだ。
 神子とはいっても、しょせんはただの人間。指の一振りで世界を変えるような力を持っているわけでもない。
 けれどこの国において、豊穣の巫覡と言う存在には価値がある。その地位に付随する価値自体が、ただの平民の少年であるルゥそのものにも価値があるように見せかけている。
「しかし、まだガキとはいえ顔は本当に可愛いよなぁ」
「胸ないけどな」
 あってたまるか、とルゥは内心で突っ込んだ。
「確か巫覡の資格を失わせるには、ヤっちまうのが一番なんだろ?」
「おいおい、どうする気だよ」
「ただ見張るだけなんて退屈だろ? ここに入ってこれる奴もいないだろうし。それにこれは雇い主へのご協力って奴だよ」
 男の一人が立ち上がり、ルゥに近づいてくる。縛られた身でもがくが、すぐに背を壁際に追い詰められて逃げることができない。
「そんな怯えた顔するなって。可愛がってやるからよ」
 言っていることとやっていることがまったく一致しない手つきで、男はルゥの頬を武骨な手で撫でる。もう片手が腰を抱いて尻をまさぐったところで、いよいよ全身に鳥肌が立った。
「んんーっ!」
「暴れるなって言ってんだろ! お嬢ちゃん、大人しくしてればやさしくしてやるよ。どうせあんたの身の上は、俺たちの雇い主が保証してくれるさ。ただ、お前はここで巫覡の資格を失うだけだ」
 ふざけんな! と言いたいが猿轡のせいで声が出ない。
 命の危険とは別の恐怖に、ルゥの体がカタカタと震えだす。脳裏を長身の騎士の姿と、銀髪の王子の顔がよぎった。
 巫覡でなくなるというのは、もう彼らに会えなくなるということ。
(そんなの、嫌だ――!)
 貞操の危機以上に、それが辛い。誤解と嘘で作り上げた砂の城が崩れるのをこの目にするのが。
 例え罪だとしても、いつか破れる夢だとしても、まだ彼らと一緒にいたい。
「悪く思うなよ」
 男の手が、祭事の衣装の胸元に伸びる。そして――。