推定有罪

8.反旗

「――そう思うなら、はじめからこのような狼藉を控えるがいい」
 男たちがその言葉を理解できたかどうかは定かではない。
 彼らが反応したその次の瞬間には、二人の誘拐犯の姿は小屋の床に叩きつけられていたからだ。大剣の腹で文字通り男を叩き伏せたのがティーグ。細剣で相手を一度翻弄してから変則的な蹴りを顎の下にお見舞いして昏倒させたのがラーラだ。
「ティーグ様! ラーラ!」
 護衛騎士であるラーラの手によって猿轡を外され、ルゥは歓喜の表情をティーグに向けた。先程は二人の男を本当に殺しかねない殺気を放っていたティーグも、ようやく笑顔を見せる。
「御無事で良かった……!」
 感極まって抱きついて来るティーグの腕の中で至福を味わうルゥだったが、ラーラの真剣な声に現実へと引き戻された。
「無事を喜ぶのは後回しにしてくれ。ルゥ、大変なんだ。今すぐお前が戻らないと、シャニィ様が……!」
「殿下は式典の最中に狼藉者に巫覡を攫われた罪で糾弾されているのです!」
 ハッと我に帰ったティーグも今王城で起きていることを告げてくる。聞かされた内容にルゥは仰天し、そしてようやく合点がいった。「子ども」、「嫁」、「地上の権力者」にして、第一王子シャニィディルを貶めようとする者。
「敵はクラカディル王子だな」
「だろうね。奴らの本当の狙いはお前じゃなく、殿下だ」
 気絶させられてこの場に無理矢理連れて来られたルゥが現在地を訪ねると、そもそもこの場所は王族でもなければ入れない特別な狩猟区らしい。
「先代神子様のお力を借りたんだ。あの方はお前を気に入っているから」
 先代神子は現在この国で最強の聖職者だ。現巫覡はルゥだが、力は発展途上の彼よりも先代の方が強い。
 クラカディルは式典の最中に神子を攫われた責を兄に求め、王位継承権の放棄を要求しているという。捜索隊は第二王子の名によって出され、そもそもシャニィディルはルゥを捜すことを許されなかった。
 ルゥがこんなにも簡単に攫われたのは、彼を誘拐した男たちがシャニィディルからの使者を名乗ったからだ。クラカディルはそのこともあってシャニィディルを責めているという。
 巫覡は純潔を守らねばならない。だが平素からその美しさを称えられる巫女姫が何者かに攫われたとなれば、例え実際には何もなかったとしてもあることないこと風評が出回るだろう。
 クラカディルの貶めようとする相手はもちろん兄王子であるシャニィディルだろうが、彼はルゥに対しても恨みと打算がないわけではない。神殿はこの大地神の加護を受ける国において、王家から独立するもう一つの権力機関だ。その頂点に立つ豊穣の巫覡は、実質的に国を動かす権力があるわけではないが、人々の心をまとめる象徴としては絶大な効果を持つ。
 クラカディルは、巫覡たるルゥを自陣営に引き込むことを狙っているのだろう。彼はルゥの名にわざと悪評をつけることで、まずはシャニィディルからルゥを引き離そうとした。そしてルゥを手下に攫わせることで、弱味を握ろうとした。彼が豊穣の巫覡を妻に迎えれば、王家の権力に加えて神殿の威光まで手にすることになるからだ。
 これらは全て推測だが、外れてはいない。確かにクラカディルの思惑はそういうものだと、事件の詳細を突き合わせて三人はようやくわかった。
 彼らがこれまでクラカディルの思惑に気づかなかったのは、クラカディルの計画に大きな落とし穴があったからだ。そしてその大前提である落とし穴故に、ルゥがクラカディルに狙われるなどとは、攫われたルゥ自身もラーラもまったく気づかなかった。
 ――何せルゥは、世間一般で思われているような「巫女姫」ではなく、巫覡ではあるがまぎれもない少年であるのだから。
 深く考えると脱力してしまいそうな事実を前に、巫覡はその護衛騎士と溜息をつく。
「はぁ……」
「どうしました? お二方。早く行きましょう」
「そ、そうですね」
 一人事情を知らぬティーグが促した。彼はルゥを少女だと思って告白したくらいだから、クラカディルのこの計画に対して忌々しいという感情以外は持ちようがないのだ。
「行くぞ、ルゥ」
「うん」
 ラーラが少女騎士用の短いマントを颯爽と翻して立ち上がり、縛られていたせいでまだ足元の覚束ないルゥを支えた。ティーグほど鈍感でもなければ普通に少女とわかるラーラにあっさりとエスコートされる少年巫覡。二人は、自分たちのそんな様子こそがルゥの性別を世間に違和感なく勘違いさせている第一要因なのだとは気づいていない。
 本来ならばその役目は一応恋人ということになっているティーグが相手のはずだという突っ込みも存在しなかった。ついでに言うなら馬に乗る時も、ラーラとルゥ二人分の方がティーグ一人より軽いという事情のため、少年少女が相乗りしてティーグは一人で騎乗することになった。
 幸いなのは三人が三人とも一刻も早くシャニィディルを救うことに必死だったため、それらの傍から見れば一言申したくなるような状況を気に留めていなかったということだろう。
 ルゥは手綱を握るラーラの腰にしがみつきながら、隣をもう一頭の馬で並走するティーグを見つめた。その瞳に一瞬、寂しげな感情が過る。
 ルゥはこれから自分がなすことを間違えたくはなかった。だがそれは、一つの別れを意味する。そして一つの裏切りを。もしかしたら恨まれるかもしれない、だがここで明かさずともいずれその時はやってきたはずなのだ。遅かれ早かれ。
「見えたぞ! 王城だ!」

 ◆◆◆◆◆

「それで、一体どうやってこの責任をとっていただきましょうか。兄上」
「……」
 タルティアンで一年に一度の豊穣を願う祭りの最中だった。豊穣の巫覡であるルゥが、突如として式典会場から姿を消したのは。
 王都では民を招いての盛大な式典が行われ、この後に宴が開かれるという矢先だった。ルゥが二人の男と話しているのを目撃した使用人の一人が言うには、彼らはシャニィディルの使者を名乗っていたという。
 もちろんシャニィにはまったく心当たりのないことだ。確かに彼は世継ぎの王子として今回の式典・儀式の責任者ではあるが、だからこそ祭祀を務める豊穣の巫覡ルゥを害するような使者を派遣するわけがない。
 ルゥとシャニィが友人同士である。これは知っている者は知っている事柄だが、だから絶対にシャニィディルがルゥを害さないとは言い切れないとするのが国の判断というものだった。人は明るい感情よりも鬱屈した思いの方に共感しやすい。王家の者でありながら聖色を持たぬ王子が自分の得られない大地神の加護を受けている巫覡を妬んでいたという噂でも流せば、巫覡と王子の不仲説は世間にあっという間に広がるだろう。
 これはシャニィディルを敵視する一派の策略だろうと、彼自身すでにわかっていた。だが銀髪という事情により貴族たちの覚えがめでたくはないシャニィディル王子は、弟のクラカディル第二王子よりも不利な立場にいた。大地の神子を失うかもしれないことにより、国民たちの感情にも不安が生じていた。
 式典はまだ終わってはいない。肝心の巫覡が行方不明になったためにそもそも開会していないのだ。集まった王都の民の中にはすでに家に戻った者もいるが、多くの者は巫覡の身とこの国の行く末を心配してまだ会場である王城前に残っていた。
(ルゥ……お前、無事なのか……)
 シャニィディルはルゥの身を案じている。大地神の加護を受けるこの国にとって、豊穣をもたらす巫覡はどれほど貴重な存在か。彼を失うことの意味をクラカディルはわかっていないのだ。弟の浅慮な計略によってルゥが酷い目に遭うのではないかと、シャニィとしては気が気ではない。
 だが、彼自身がルゥを捜しに行くことはできない。証拠を隠滅する気かと、これ以上何かしでかさないように――もともと何もやってはいないのだが――彼は式典会場にその身を留め置かれることによって見張られていた。
「責任。確かに私には罪がある。王家として何より守るべき豊穣の巫覡を守れなかったという。ならばクラカディル王子、貴殿はこの第一王子シャニィディルに何を要求する?」
「継承権の放棄を」
 顔色を変えず、弟王子は言い放った。
「兄上。この国にとって決して失われてはならぬはずの神子を守りきることのできなかったあなたに、タルティアンの王となる資格はない」
 それはきっと、クラカディルが兄であるシャニィディルにずっと前から言いたかったことなのだろう。聖色を持たぬ第一王子である彼より、自分の方が王位に相応しいと。
「――だが、謀略によって兄王子を陥れんとした王子にも王となる資格はないだろう」
 その場に聞こえて来た声は、これまで彼らの聞いたことのない声だった。否、正確にはいつも聞いている声なのだが、雰囲気と高さが違うためにそうは認識できていないだけだ。それがわかったのはただ一人。
「ルゥ!」
 シャニィディルは護衛騎士と聖騎士を伴ってその場にやってきた巫覡の姿に声を上げた。