花は毒姫 02

5.変人公爵は薔薇狂い

 それが自分を脅かす存在なら、家族なんていらない。生まれて来なければいいと思っていました。

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 物思いに耽る。それは普段から無駄に活動的なゼノにとっては珍しい光景だ。
 当番制でゼノの面倒を見る侍女たちが、第二王子のただならぬ様子に顔を見合わせてひそひそと囁き交わす。
 おい、悪いものでも食べたんじゃないかってどういうことだ。王子じゃなくたって拾い食いなんかしないっての。
 鋼竜の聴力を持つゼノには内緒話も全部筒抜けだった。だが、怒りに行くような気力も湧きあがらないし、そんなことはそれほど気にならない。
 先程から頭の中をぐるぐると巡るのは、昨日のシャウラとのやり取りだ。
 兄王子の依頼を果たさねばと考えるが、生憎と昨日の今日でシャウラと顔を合わせる気にはなれなかった。向こうだってそうだろうと考えると余計に。
 今頃彼女はどうしているだろうか。昨日までとちがってこの時間も一人ではないかもしれない。短い付き合いではあるが、シャウラの性格ならあの暗殺者を助けはしても、彼が再びゼノの命を狙うかもしれないという不安要素を残したまま平然と逃がしたりはしないように思える。
 “秘蹟”と呼ばれる復活の異能を、この国の王族の命を狙う暗殺者相手にあっさりと許したシャウラ。
 その時のことを思い返すと、胸の内側が焼けつくような痛みに襲われる。
 わかっている、これはつまらない嫉妬だ。
 この一年間、自分なりに努力してはきたものの、ゼノのことを受け入れてくれる人間はあまりにも少なかった。彼をナヴィガトリアに馴染ませるための家庭教師自体が三十人も辞めていくくらいだ。自分のこれまでの生き方は、よほどこの国のやり方とは合わないのだろう。
 ここまで育ててくれた父親の方針が間違っていたとは思わない。
 それでも、どうしても拭えない寂しさが、どうやったって存在するのだ。
 体ではなく心が弱る隙に不意を衝いてやってくる。――鋼竜とまで呼ばれる一族なら、心まで鋼でできていてくれればよかったのに。
 真面目に相手をしてくれる人間自体が少ないゼノにとって、同じ特殊民族であり彼の異質を当然のものとして受け入れてくれるシャウラの存在は、それだけで心地良かった。
 彼女が兄の命を異能で救わないことを責めたが、それは建前だ。ゼノの本音はもっと醜い。
 ただシャウラが、見ず知らずの暗殺者というゼノの敵に対して優しさを見せたことが赦せなかった。それだけだ。兄のことなど、本当は考えていなかった。
 その前にレグルスがシャウラを想っていると知ってしまったことも影響していたのかもしれない。ゼノにとって最大の敵であるレグルス。そのレグルスが差し向けたらしき暗殺者を助けるシャウラ。
 この国に、ゼノの味方はほとんどいない。そしてもうすぐ、父親以外誰もいなくなる。
 国王の養子となる話が出た時、父親はあらかじめ忠告してくれた。
 これまで普通の人間に交じらず、トゥバン帝国ラスタバン領の山奥で“鋼竜の民”らしい奔放な生活を送っていたゼノが急に王族として生きることは、とても辛いことかもしれないと。
 それでも、ゼノは人の世界に出て行きたかった。人の中で生きたかった。
 体が弱いためにほとんど会うこともできなかった親戚であるアルファルドが自分に会いたいと言ってくれたのも大きかった。同じ親戚でもレグルスには出会った当初から毛嫌いされたが、アルファルドはいつだって優しかった。彼の弟になることに異論はなかった。
 何も知らなかった。父親と二人きりで山奥で暮らしているよりも、こんなにも大勢の人間と過ごす王城での暮らしの方がずっと寂しいものだったなんて。
 王の養子となった以上、実父であるクルシス公爵には以前のように頻繁に会えるわけではない。王城内で唯一の味方であるアルファルドは病弱で死期が近い。
 だがゼノが今寂しいのは、それだけが理由ではない。
 それを知っているから――だから、ようやく彼ら以外でまともに相手をしてくれるシャウラが暗殺者を庇ったのに腹が立ったのだ。
 改めて思い返せば思い返すほど酷い理由だ。けれど感情はどうしようもない。
「……しっかりしろ。ゼノ・アルアラーフ」
 自分に言い聞かせてようよう立ち上がる。
「俺には、立ち止まる暇なんてないだろう」
 ――ナヴィガトリアにようこそ、ゼノ。これから僕が君の兄だ。よろしくね。
 どれほど動き出すのが辛くとも、一年前に向けられたあの笑顔のためならば、できることの全てをしなければと思ったのだから。

 ◆◆◆◆◆

 それでも、昨日の今日ですぐにシャウラとは顔を合わせづらかった。なのでゼノは施療院のことを聞くという名目で、貴族主催の茶会に招待されてみた。
 宮廷きっての変わり者であるゼノはこの国にやってきた当初に問題を起こしまくり、今では貴族たちのほとんどから敬遠されている。そんなゼノを平然と招待するその貴族もまた、変わり者であることには間違いない。
 本日の茶会の主催者は、薔薇狂いで有名な変人公爵だった。
 セイリオス=エニフ=サダルメリク。
 王都警備隊の責任者でもあるサダルメリク公爵の趣味は、薔薇の栽培である。屋敷には通常の庭園だけではなく温室があり、国内外の珍しい薔薇を集め育てることが生きがいなのだという。
 ここ数十年戦争のないナヴィガトリアでも、魔獣関連の始末をする王国軍の存在は欠かせない。王国にはゼノの魔獣討伐隊のように様々な役職を含めて多くの軍人が存在する。
 サダルメリク公爵は軍人としては優秀なのだが、薔薇狂いと呼ばれるその性格のせいで貴族たちからは敬遠されていた。
 ゼノも彼の招きに初めて応じてお茶会をこうして訪れたのだが、延々と薔薇に関する講釈を述べる公爵の話を半分以上聞き流していた。周囲で公爵の性格を知らずに招待に応じてしまった数人の青年たちが、すでにうんざりとした顔をしている。
 確かに、この屋敷の庭の至る場所に咲き誇る薔薇は美しい。真紅に純白、黄金に薄紅、橙。小ぶりな野薔薇から鑑賞用の大輪の種まであらゆる花が揃っている。だが、それだけだ。
 花に関することならば女性でも招けばいいと思うのだが、何故か今日の茶会に招待されているのは男性ばかりだ。
 そして不幸にもゼノが目当てをつけていた貴族の青年は、セイリオスの招待を一度は受けたものの、今回は病気で欠席だった。施療院の患者たちの中でも特に病弱だったと聞いていたとおりらしい。
「殿下、この花などどうですか?」
「あ、ああ?」
 すっかり話を聞き流していたゼノは、突然呼ばれて思わず間抜け顔を晒してしまった。有力貴族とのつながりを作りたい青年たちは、今日の茶会にほとんど意義を見いだせずすでに肩を落としている。
 主催者であるサダルメリク公爵セイリオス自身は周囲の反応もなんのその、気の向くまま招待客それぞれに話しかけているようだ。彼が話を向けるタイミングや、一人の人間と長々話し込まずにそれぞれから話題を引き出そうとする様子を見ている限りそれなりに有能なのだと感じられるが、いかんせん話題が薔薇のことばかりなので、招待客たちも話しづらい様子。
 セイリオスは蒼い髪に橙色の瞳を持つ青年だ。武人として鍛え上げられた体つきをしているが、その容貌は甘く不思議な色香が滲み出ている。
 招待客が女性だったら彼の恐ろしげな噂に怯えつつもその魅力的な容姿に現を抜かすことができるだろうが、残念ながら今回の参加者のほとんどは男である。男の美貌など目にしたところで嬉しくもなんともない。
「ああ――そう言えばこの花、なんか俺の知っているのとは違うようなんだが……」
 花瓶ごと差し出された切り花を目にして、ゼノは先日シャウラの温室で見た薔薇の様子を思い返した。
 公爵の差し出した薔薇はシャウラが育てていたものとよく似ているのだが、若干様子が違う。色合いがシャウラの育てていたものの方が美しいようだ。
 それを正直に告げると、セイリオスが目の色を変えた。
「ですがこれは大陸中を探してもほとんど育てる職人のいない貴重な原種で……待ってくださいゼノ殿下! 殿下はその花を一体どこでご覧になられたのですか?!」
「どこってその……城下に住む毒花の民が育てていて――」
「毒花の姫がですか?!」
 勢い込むあまりにゼノの両手をぎゅっと握りしめるセイリオスの行動に口を挟む隙もない。周囲の青年たちも皆ぎょっとして目を剥いているが、肝心の薔薇狂い公爵はなんのその。
「毒花の民と言えば“霊薬の民”最後の一人である姫君のことですよね?! その姿は黎明の薔薇の如しと謳われる妙なる美しさとその身に強大な毒を持ち、屍の山を築きながらも彼女に焦がれ跪いて愛を乞う男が絶えないと言う薔薇の魔女――」
 ……誰のことだ?
 ゼノは本気で話の行方がわからなくなったが、セイリオスは気にしていないようだ。
「会わせてください! ぜひわたくしめをその姫君に紹介してください殿下――!!」
「ちょ、待っ、落ち着け!」
「公爵閣下! 王子殿下に対して無礼が過ぎますぞ!」
「ゼノ殿下、なにとぞ私を薔薇の魔女殿に会わせて――」
「会わせる! 会わせるからとにかく落ち着けって!」
 薔薇狂い公爵主催で奇行の第二王子参加のお茶会は、当初の予想とはまた別の意味で波乱の展開となった。

 ◆◆◆◆◆

 もっと二人きりで親密な話をしたいというセイリオスの誘いに乗り、ゼノは怯える小動物のようにびくつきながらもサダルメリク公爵の屋敷内の応接間に招かれた。
 最強を謳う鋼竜をここまで怯えさせる人間もそういない。庭で開かれたお茶会が収集つかないまま混沌に陥ったので仕方なく誘いに乗ったが、その時の彼らの様子をひそひそと小声で何事か噂しあいながら見つめていた他の貴族たちの存在を考えると、次に公の場に顔を出すのが怖すぎる。
 屋敷の中は美しかった。ゼノの乏しい語彙ではそう直截的に表現するのが精一杯だが、公爵ご自慢の薔薇がいたるところに飾られ、簡素ながらもさりげなく薔薇にちなんだモチーフの調度が置かれた室内はこんな状況でもなければ居心地が良さそうだ。
「やぁやぁ第二王子殿下、無理を言ってすみませんね」
 他の招待客を帰し、使用人たちの存在を除けばほとんどゼノとセイリオスの二人きりとなった屋敷の中で、ゼノは自分と匹敵するくらい奇行で知られる公爵と一対一で対面する。
 否、一対一ではない。
「ん? あんた、どこかで――」
「気がつかれましたか。先日はどうもありがとうございました。ゼノ殿下」
 セイリオスの傍らにまるで執事か秘書のように控えていた青年の姿にどこか見覚えがある。こうした貴族の従者的な服装で優しく微笑むのではなく、もっとかっちりとして張り詰めた様子の――。
「あ! 王都警備隊の人か」
「はい。城下の事件では毒姫様と殿下に、大変お世話になりました」
 王都を囲む城壁の南門、エニフの丘の裾野に広がるアルバリの森から魔獣が現れたと言う報告を受けた際に、現場にいた警備兵の一人だ。
「なんであんたがここにいるんだ?」
「幸いにも我が部下が殿下の覚えが目出度いとわかったところで、そろそろ本題に入りましょうか、ゼノ・アルアラーフ魔獣討伐隊隊長閣下」
 役職名で呼ばれ、ようやくゼノはセイリオスがこの話をするために自分を呼んだのだと理解した。
「あんた……気楽な茶会ってのは俺を呼び出すための口実だったわけか」
「それも嘘ではありませんよ。殿下が毒姫と面識があるなどと、先程彼に聞いて初めて知ったくらいですし。あ、この話が終わったらぜひとも私を毒姫様に会わせてくださいね」
「お、おう」
 淀みないセイリオスの口調に押されつつゼノは頷いた。この薔薇狂い公爵の話しぶりにはどこで異論を挟めばいいのかわからない妙な力がある。
「ただ、それがなくとも一度あなたとはお話させていただきたいとは思っておりました。近頃王都に頻繁に現れる魔獣の対処について」
 王都警備を担うサダルメリク公爵ことセイリオスがスッと橙色の瞳を細めた。暖かに感じる色のはずなのに、彼の眼は不思議と冷たい印象を与える。
「殿下、国内全土に渡って魔獣の討伐を任されている御身に、私は聞きたいことがあるのです。協力してくださいますか」
 セイリオスの何気なさを装った問いに、ゼノはあっさり当然のように頷いた。
「まぁ俺にできることなら。だって、この流れだと王都警備に関する話なんだろ? 協力しないわけがない」
 薔薇狂いと呼ばれる変人公爵は、意外そうに目を瞠る。
「あなたは宮廷の雀共が言うほど、愚かでも非常識な人間でもないようだ。助かりますよ、殿下。我々王都警備が知りたいのは、魔獣に関する情報です」
「魔獣に関する……? 最近は大規模な討伐予定は入っていないんだが」
「いえ、そういうことではありません。我々は、魔獣と最も近くでよく戦うことのある殿下に、他の地域に出没する魔獣と王都に出現する魔獣の違いについて聞きたいのです」
「は?」
「公爵、殿下は先日もほとんどの魔獣をほぼ一撃で仕留めていました。事情を説明してもっと焦点を絞った質問でないと、違和感があってもそれに気づくのは難しいかもしれませんよ」
「そうか。ではこの質問の意図をお話ししよう」
 警備兵の添えた言葉に促され、セイリオスは説明をすると言いながら、更に質問を重ねた。
「この前の襲撃、殿下は何かおかしいと思わなかったか?」
「は? おかしいも何も、王都が魔物に襲撃されるなんておかしいなって」
「そう、それだ。あの時、魔物はどこから現れたと殿下は聞いた?」
「アルバリの森、南門の内側にあるエニフの丘の裾野にある森からだろ」
 言いながらゼノは、自分の言葉に何か妙なものを感じた。
「そうです。つまり、あそこはギリギリ城壁の中、王都内に含まれる。それは何を意味すると思う?」
「何って――」
 そこでようやく、先程の妙な感覚の正体に気づく。それこそがセイリオスが説明したいことでもあるのだろう。
「どうして王都内に魔獣がいるんだ? いくらアルバリの森とはいえ、城壁内にある以上その面積は外の森とは比べものにならない。これまで見つからなかったなんておかしいだろう? 城壁を飛び越える飛行型の魔獣でもない限り、門の内側に入れるはずがないのに」
「その通りです、殿下」
 エニフの丘はもともと、セイリオスの二番目の名にも含まれる通りサダルメリク領のものだったという。王都警備を担うセイリオス自身の領地サダルメリク領は、王都のすぐ隣だ。それが数十年前に王都を国の発展に伴い拡大する計画に従って、サダルメリク領の一部であったエニフの丘とアルバリの森の外側に城壁を廻らせて王都アルルカ領となった。
 アルバリの森は王都の内部にあたる。そこそこの広さはあるが、それ故に王都の住人が魔獣の被害に遭わぬよう、国は大々的な調査をしたはずだった。
「完全にいないとは断言できませんがね。魔獣に関しては以前より研究が進んだとはいえ、まだまだわかっていない部分も大きい。だが――これまで魔獣の存在が確認されていない森に、突如魔獣たちが棲みついた。そんなことがあるものだろうか」
「王都は城壁に囲まれている。あの魔獣は狼型だ。とても城壁を飛び越えられるようには見えなかったし、翼を隠しているような感じもしなかった」
 ゼノは先日街中に入られる前に全て殺した魔物の特徴を思い出しながら言った。
「もしも翼があったなら、ゼノ殿下に全滅させられる前に何匹かは逃げたと思いますよ。いくら人を襲うのが本能の生き物だとはいえ、逃げられる場面でなおも襲い掛かってくる必要はありません」
「だよな……」
 考え込むゼノに、セイリオスが人の悪い笑みを浮かべながら告げる。
「こう考えてみてはどうだろうか、殿下。森としては小さなアルバリにあれだけの魔獣が何十年も潜むのは難しい。けれどあの森の広さは――誰かがこの国に連れ込んだ魔獣を隠すのには最適だと思わないか?」
「あんたたちはそう考えているんだな! この国に魔獣を連れ込んだ奴がいると!」
 よりにもよって国の中枢部、王城があり王のおわすこの王都に魔獣を連れ込み、城下を襲わせた人間がいる。
 それは恐ろしい考えだった。そもそも王都警備隊長であるサダルメリク公爵の目を盗み魔獣を連れ込めるとなれば、それは相当の権力者に限られるではないか。
「そういうことだ。調査によって、相手もある程度目星はついている。残念ながら警備隊も一枚岩ではなく、私が敵に回しても逆らえない相手はいるからな。そして正直、その相手というのが、私一人の力では証拠のないうちから告発するのは難しい相手でね」
 できるものなら完全な証拠など揃えずとも早々にひっ捕らえると宣言したも同然の内容だ。それはそれで問題なのだが、ゼノはそれ以上にセイリオスがそこまで警戒する相手というのが気になった。
「サダルメリク家は、たしかこの国では相当偉い家柄だったって聞いた気がするんだけど」
「三大公爵を担う一家ですよ。ま、私がちょっと無茶をしたので現在サダルメリク家は他の二家よりも格下に見られがちではありますが。相手が三大公爵ではなくただの公爵程度であれば、私の力でもやりようによっては黙らせることができるのですが」
「そ、そんなに偉かったのか?」
「だから厄介な相手だと言ったでしょう」
「いやむしろあんたが」
「私にも反第二王子派に回ったほしいようですね。殿下」
「嘘、嘘、冗談。というか単純に俺の勉強不足だ。三大公爵家ってのがあるとは聞いていたけど、そこまで偉いとは知らなかったんだよ」
「いくら外国育ちの王子とはいえそんなことは真っ先に教えられるでしょうに。ああ、そういえば殿下は家庭教師三十人に――ああいえ、やめましょう。人には誰しも触れられたくない傷がある」
 今度は怖い顔をしたゼノに対し、セイリオスが折れた。清々しい顔つきで明後日の方向を見つめる。
「そうそう、そういうことだ」
「私にもいろいろありますしね。殿下も何故私がこの家の家督を継いでいるとか聞いてはいけませんよ。そんなことしたら、いくら世継ぎの王子様でも両親や兄と同じくうちの薔薇の肥料にしますからね」
「ああ、うん。聞かな――え? ちょ、待っ、何か今凄いこと言わなかったか?」
「殿下。聞かないお約束です」
「……そうだったな。あんたも聞くなよ」
「薔薇に誓いましょう」
 常人にとってはともかく、この変人公爵が彼の愛する薔薇に誓うというなら相当だろう。
 セイリオスは人格的になかなか問題のある人物と言われてはいるが、王都警備に関するこの熱意を考えればそう悪い人間とも言い切れないはずだ。……たぶん。
「まぁそれはともかく」
 勢いよく脱線した話を本来の方向に戻すべく、セイリオスが閑話休題を口にする。
「怪しい相手の目星はついているものの、私一人の力ではその相手を告発することが難しい。そのために、殿下のお力を是非ともお借りしたいのです。あなただって、いざ玉座に着こうとしたら王冠どころかそもそも国がないような状態は困るでしょう」
「なんかそう聞くと物凄く大きな問題すぎて俺の手に負えるのかって気がするんだが。あとその言い方は協力を要請するというよりむしろ脅迫に聞こえる」
「負える負えないは関係ありません。次の王はあなたなのですから、いざ破滅するときもきちんと玉座の上で死んでください」
「なんかものすごく無茶なことを言われているように聞こえる」
「私の言うことが無茶かどうかは――殿下、あなた次第ですよ。王になって無茶をすることと、王になるという責務そのものから逃げることは似ているようでまったく違います。あなたは今は当然力不足だとしても、養子の話が来たときにわざわざこの見知らぬ故郷の王となることを自分の意志で受け入れたのでしょう」
 セイリオスは清々しいまでに歯に衣を着せない。だが、それ故に真っ直ぐゼノの心に届く。
 そうだ。自分は――望んでとは言えないまでも、自分の意志でこの国にやってきたのだ。
「もちろん私はナヴィガトリアの民として、次期国王の補佐を全力でさせていただきます」
 そう言うとセイリオスはにっこりと笑う。その笑顔は、これまで一度も彼の印象と重ならなかったアルファルドの笑顔とどこか似ているように思えた。
「ああ。そうだな。俺があんたに協力するんじゃない。俺が王子として今いるこの国のために――セイリオス=サダルメリク公爵。あんたの力を貸してくれ」
「御意――そこで殿下、ものは相談なのですが」
 返事の後に話題を切り出すのが速すぎないか? そうは思ったものの、ゼノにとっても王都の治安問題は重要だ。大人しくセイリオスの言葉に耳を傾ける。
 だが、彼が事件解決の一手として提案したのは、この場ではまったく脈絡もなく思える行為だった。
「は? 確かに紹介するとは言ったけど……それが何の役に立つんだ?」
「いいからいいから。しばらく私の言うとおりにしてみてくださいよ」
 セイリオスは最初の印象通り、人の悪い笑みを浮かべた。

 ◆◆◆◆◆

「やぁ、ゼノ。聞いたよ。サダルメリク公爵に迫られたって本当かい?」
「違う!」
「あの薔薇狂いの公爵が、まるで薔薇への愛を語る時のように君に長々と意味不明な詩を歌っていたと」
「ところどころ合ってるけど全体的に何もかも違うからな!」