花は毒姫 02

6.類は友を呼びすぎる

 誰といたって孤独しか感じられないなら、最初から誰にも心を許さなければいい。

 ◆◆◆◆◆

 ゼノはなんだかむしょうに癒しが欲しくなった。だが兄からの依頼を蔑ろにするわけにも行かないし、他に気分転換できるような趣味もない。結局彼の足は城下のシャウラの店へと向いた。
 何故か薔薇狂い公爵セイリオスを伴って。
「ああ! 楽しみですね殿下! かの伝説の美姫、薔薇の魔女シャウラ姫にお会いできるなんて!!」
 癒されない。いや、むしろこちらの精神に疲労を溜める男と自分は何故行動を共にせねばならないのか。ゼノの脳内には疑問符が今も渦巻いているのだが、セイリオスの強引さに押し切られた。
 昨日彼に依頼されたのは、一度シャウラに会わせてほしいと言うことだった。
 元より薔薇のことでシャウラに会ってみたいと言っていたセイリオスだ。魔獣退治の流れで何故改めてその話になるのかゼノにはわからなかったが、何か深い考えがありそうな様子。精神的には疲れるが、この男を伴って城下へとやってきた。
「まぁ……前回のこともあって二人きりだと気まずいし、こいつを上手くダシにして兄貴の話ができれば……」
「ああ、麗しの薔薇の乙女よ! その白き御手が育てる一輪の薔薇の如き――」
「……」
 自分は今日、果たしてシャウラとまともな会話をする隙があるのか。ゼノはやはり不安になった。これまでとはまったく別の意味で。
 そしてその不安は“毒薬屋”の扉を開けた途端に現実となる。
「いらっしゃ――」
 新しい客だと思ったのだろう、笑顔を浮かべかけたシャウラの表情がゼノの姿を認め、一瞬で曇る。
 そうした反応を予想していたものの、実際にそうなると傷ついた。ゼノは唇を噛みしめ、それでも何かを言おうとして――。
「その――」
「初めまして薔薇の魔女、最後の毒の姫君よ! 私はサダルメリク公爵セイリオスと申します! まさか憧れの姫君への拝謁が今生で叶うなんて、光栄過ぎてこの場で死ねそうです!!」
 思い切りセイリオスに邪魔される。
「ええ?」
 シャウラははっきり、訳が分からないという表情になった。先程の戸惑いが吹き飛び、別の戸惑いにとってかわられた。
 視線で「なにこれ?」と訴えてきた彼女に、ゼノも目顔で「俺にもわからん」と返す。
「……殿下」
 陰気。そう評したくなる声が背後から気配すらさせず話しかけてきた。
「お、お前この前の!」
 慌てて振り返ってみれば、そこに立っていたのは先日ゼノの命を狙った“処刑人(ディミオス)”の暗殺者と名乗るあの少年だった。
「今の僕はシャウラ様の下僕、エルナトと申します。どうぞお見知りおきを。ところで我が主に近づくあの男は殺してもいいのですか」
「駄目に決まってんだろ!」
 事態の収拾を図るために、とりあえずゼノはセイリオスの頭をどつきに行った。

 ◆◆◆◆◆

「はっはっは。いや申し訳ありません。感動と興奮のあまり取り乱しまして」
「お前はいつもあんな感じだろ」
 前回の別れが気まずいものだったからと言って、この騒がしさでは気まずくなる暇すらない。この公爵、果たして連れてきて正解だったのかそうではないのか。ゼノはとにもかくにもシャウラにセイリオスを紹介する。
「サダルメリク公爵? 確か五年くらい前に家族を皆殺しにして屋敷の薔薇の下に埋めたという――いえ、なんでもないわ」
 シャウラは戸惑いながらも、昔取った杵柄と言うものであろうか、なんとか優雅な宮廷風の礼をセイリオスに返した。そして先日ゼノの命を狙ったばかりの暗殺者少年を、平然と自らの部下――この店の従業員の一人として紹介する。
 金髪に紫の瞳の少年はエルナトと名乗った。どうやらその名すらも本名ではなくシャウラが与えたものらしいが、三人の間に流れる微妙な空気を薔薇狂い公爵は最初からものともしていない。
「いやぁ、まさかあの毒薔薇を王城に卸している姫君とこうして直接お会いできる日が来るとは夢にも思いませんでしたよ!」
 毒薬の扱いに長けているシャウラは、毒草の栽培にも長けている。その縁で毒を持つ薔薇を育てる彼女にセイリオスは昔から興味を持っていたらしい。崇拝者の眼差しを向けてくる青年公爵の様子にシャウラは狼狽えながらもなんとか無難な態度で対応する。
(丸一日顔を出さなかったと思ったら、いきなりなんなの? こんな人連れてきて)
(それに関しては本当にすまん。だが俺にもこいつを止めるのは無理だった。諦めてくれ)
 礼儀としてお茶を淹れたものの、シャウラはこの状況に納得できていないようだった。ゼノもこれに関しては謝るしかない。
 穏やかな日差しの差し込む午後。薬屋は半分休業しているようなものだった。もっともシャウラの店はほとんど観光客相手の土産屋のような存在で、ここが休みでも本当に困っている人間は別の薬屋へ行くという。
 セイリオスはさすがだった。レグルスほどではないが、薔薇狂いと武人としての凶悪さを除けば貴公子として女性人気の高い美青年である。先日の茶会の時のように薔薇に狂っていない彼は貴族として申し分なく、巧みな話術でシャウラを楽しませている。
 ゼノはなんだか腹が立った。
 自分と顔を合わせている時は常に攻撃的な物言いしかしないシャウラが、セイリオス相手だと大人しい。十二年も前とはいえ王宮暮らしをしていただけあって、シャウラの物腰は非常に上品だ。普段は庶民でも、その気になれば完璧に淑女らしく振る舞えるらしい。
 また、シャウラとセイリオスの二人が並ぶ絵面が腹立たしい。セイリオスは美男だしシャウラも黙っていれば何処かの貴族の姫君らしさというものがあり、二人が並んでいるところは一幅の絵のようで――まるでゼノの入り込めない別の世界のようなのだ。
 ふと視線を感じてエルナトの方を向くと、こちらも女性受けしそうな柔らかい顔立ちの金髪の美少年は、呆れた様子で小さく肩を竦める。これもまた腹立たしい。
 所詮自分は王子様と言えど、山育ちの雑種なのだ。公爵子息のはずなのにまったくそれらしき育ち方はせず、野生児の名を欲しいままにしてきた。実の父を恨むつもりは毛頭ないが、こう言った時には身の置き場がないのは確かだ。
「――いやぁ、それにしても、宮廷ではあなたの行方について知る者はいないとされていましたが、案外近くにいらっしゃったのですね。閣下が探していましたよ」
「閣下ってどの閣下だよ」
 公爵や伯爵など貴族につける敬称は自分のように王族でもない限り全て閣下だ。紛らわしいことを言いだすセイリオスに呆れたようにゼノが問いかけると、彼はなんでもないことのように言った。
「どのも何も、ユミル伯爵閣下に決まっているじゃありませんか」
 シャウラが目を丸くし、ゼノは弾かれたように顔を上げた。
「有名ではありませんか。王位継承権をもお持ちのレグルス=ユミル伯が最後の毒姫を愛しているということは」

 ◆◆◆◆◆

 その部屋からは薬湯のすっとするような苦い香りが漂ってきた。
「おや、珍しい。よりにもよってあなたが僕のところへお出でになるとは」
 レグルスは顔を顰める。それがこの部屋の香りに対してか、投げかけられた部屋の主の台詞に対してかはもはや彼自身にもわからない。
 ナヴィガトリア王国第一王子にして第一王位継承者、アルファルド=リゲル=ナヴィガトリアは死に瀕している。
 今年中ずっとそう言われていたし、去年もそうだった。一昨年もそうであるし、その前の年もそう言われてきた。つまり彼は昔から体が弱いのだ。
 けれど第一王子の寿命が近いと言う話も、今度ばかりは本当に本当らしい。毎年棺桶を作り直されているという噂のアルファルドだが、半年前に倒れて以来その容態は好転することなくじわじわと悪化し続けている。今回は今までと違う。彼の近くにいる者たちにはそれがわかった。
 レグルスは現国王の弟の息子だ。つまりアルファルドにとっては従兄弟にあたる。国王には実子がアルファルドしかおらず、しかも唯一の王子が病弱だということで、永い間この国の誰もが次の玉座はレグルスのものだと思っていた。
 わずか一年前に、他国で暮らしていたクルシス公爵の息子ゼノを国王陛下が第二王子として養子に迎えるまでは。
 ゼノは実父の方針でこの国から離れて育ったので、アルファルドとレグルスは長い間お互いだけが近しい血族の同じような年頃の子ども同士だった。とはいえ、二人の仲は良くない。
 王位を争う相手だからか、それ以外の理由か、アルファルドはどうやら昔からレグルスを敵視していて、決して彼に懐くことはなかった。レグルスの方でも五つも年下の病弱な王子を可愛がる気持ちはもとより憐れむつもりもなかったので、二人は従兄弟同士でありながら他人以上に遠い存在として育った。
「それで、何の御用ですか? レグルスお兄様」
「やめろ。お前に兄などと呼ばれる覚えはない。お前が弟になるならば、あの生意気なゼノも弟扱いということだ。とても耐えられやしない」
「ははは。ユミル伯は何故そこまでゼノを嫌うんですか? あの子は僕よりもよほど可愛げがあるでしょう?」
「随分と性質の悪い冗談だ、王子殿下。あのゼノに可愛げなどあるはずがない」
 アルファルドを殿下と呼びながら、ゼノを呼び捨てるのはもちろんレグルスの嫌味だ。もっとも、その嫌味を聞く相手は今ここにいないが。
「相変わらずゼノとは仲が悪いようですね。王様になれないのが、そんなに悔しかったのですか? 王弟の息子殿」
 先に斬り込んできたのは、アルファルドの方だった。
「……ああ、そうだな。国王にはなりたいとばかり思っていたわけではないが、少なくともお前の先が長くない以上、玉座に座るのは自分だと思い続けてこれまで生きてきた」
「でもレグルス兄上、あなたはそれほど王になること自体に執着しているわけではないでしょう。なのにどうして、そんなにもゼノを嫌うのですか? 僕が生きていたらそうしたように、ゼノの宰相となり彼を支えていけばいいのに」
「自分が死んだ後のことだと思って簡単に言ってくれるな、アルファルド。私は王になるのがお前だと思えばこそ、一臣下として国を支える決意もしよう。だがあのゼノの下風に立つ気はない。奴は王の器ではない」
 レグルスがゼノを認められないのは、ゼノが自分より優れた王になるとは思えないから。
 王の血縁ということであれば、ゼノよりレグルスの方がずっと血が近い。そして才能という意味では、ゼノはレグルスに遠く及ばない。年齢的な問題を差し引いても、レグルスはゼノの年にはすでに有能な貴族としての頭角を現していた。
 血筋的な意味で自分と同じ立場であり、才能と言う点で自分より劣るゼノが玉座に座ることを、レグルスは決して許さない。
「アルファルド。本来であればお前が国王になるのが一番良かった」
「そりゃあそうでしょう。僕以外の人間が王になるからこそ継承権がここまでややこしくなっているのですから。けれど僕は王にはなれません。もうすぐ死にますから」
 自らの死をなんでもないことのようにあっさりと口にし、アルファルドはその言葉の殺伐さとは裏腹に陽だまりのように笑う。
 この年下の従兄弟が何を考えているのかは、レグルスには昔からよくわからなかった。
「そういえば、ゼノを殺そうとしたそうですね?」
「何の話だ。奴自身にもそう疑われたが、私はゼノに暗殺者など差し向けてはいない。あれを追い落とすのに暗殺などと言う手段が必要であるものか。そんなことをしなくても堂々と正面から奪いに行く」
「兄上、あなたは玉座を争う相手がゼノではなく僕だとしたらどうしたのですか? やはり暗殺者でも送りましたか」
 そこでレグルスは少しばかり考えた。
「……そうだな。もしもお前が健康で、私がどうしても王になりたかったという場合――。相手がお前であれば、私は暗殺と言う手段に頼ったかもな」
 実現させる必要もなかった企みを躊躇いなく語りながら、レグルスは溜息をつく。
「アルファルド。お前は血筋も才能も性格も文句はない。得られなかったのは健康だけ。もしもお前が壮健で私と玉座を争うのであれば、お前は殺さなければ排除できないほどの強敵のはずだった」
 だが、実際のアルファルドはそもそも二十年生きられたことが奇跡と言われるほどに病弱だ。
「正直、お前がもっと嫌な王子様であれば良かったと思っているよ。私に軽蔑させるぐらい嫌な奴の後を継ぐ玉座ならいらないと、簡単に放り出してしまえるのに」
「兄上はゼノのことを嫌っているじゃありませんか」
「相手を嫌うのと、相手を軽蔑するのとは話が別だ。私はゼノが嫌いだが、奴の人間性を否定するわけではない」
「やー、兄上は難しいことを仰いますねぇ」
「嘘をつけ。本当は全てわかっているのだろう」
 死にかけの王子様は笑う。
 そう、本当は全部わかっているのだろう。ゼノの苦しみも、レグルスの屈託も。
「だが……アルファルド、何故お前はそうして今でも笑っていられる。私の知る限り、もっと病人は性格が歪むものだぞ」
「そう言えばあなたは福祉の一環で自分が寄付した病院にまで行っているのでしたっけ。……当然でしょう。彼らは持っていたものを喪うのだから。けれど私は最初からこうだった。得ることはあっても、何も失ってはいない。だから歪む必要なんてない」
「ゼノを恨んだり羨んだりしないのか。お前のものであるはずの玉座は、いずれ奴のものになる」
 そこで第一王子は静かな笑みを浮かべた。
「あの子こそ、喪い続けている。あなたにもわかっているでしょう。ゼノは見た目や表面上の振る舞いほどお気楽な身の上ではありませんよ。僕たちにも自分自身にしかわからない苦しみがあるように、彼には彼自身にしかわからない苦しみがある」
「だからあいつをシャウラのもとに行かせたのか」
 同じ特殊民族だから。彼女ならゼノの苦しみをわかってくれると期待して。
「ふふ。ようやく本題に入りましたね。兄上は、本当はそれを聞きにここまで来たのでしょう?」
 確かにレグルスは、もとはアルファルドが指示してゼノをシャウラのもとに行かせたと聞いてここまでやってきた。
「兄上、僕はゼノに自分の初恋の人を探しにいってもらっているだけです」
「嘘をつけ。お前とシャウラに面識はないだろう。あったら私だって気づいているはずだ」
「そりゃ兄上に見つかったらバレちゃうじゃないですか。僕だってその頃は上手く隠れていましたよ」
 幾つもの建前を淡いヴェールのようにまとい、その奥に本音を隠してアルファルドは笑う。王族とはそういうものだ。誰にも本心は見せられない。弱音は吐けない。
 だが、時にたまらなく懺悔がしたくなる時もある。
「あのね兄上、僕は周囲が思っているほどしっかりした人間じゃないんです。皆の言うお優しくて立派な『アルファルド王子様』なんて嘘です。僕は周囲の誰も彼をも恨み、呪って生きてきました」
「とてもそうは見えないが」
「いいえ。本当の僕はとても醜い人間です。けれどある人がそれを指摘して、叱って、それでも僕を愛してくれたから――だから今ではそういう部分を改めることができたんです」
「それが、シャウラだというのか」
 アルファルドは頷きもせず、ただにっこりと淡く微笑む。
「兄上。僕はただ、初恋の人をゼノに探してもらいたかっただけなんです」
 それだけが真実だと言って、アルファルドは笑う。ただ笑う。
「……わかった。そういうことにしておこう。だがアルファルド。私だって彼女を愛している。お前の先が長くないからといって、彼女を譲るような真似はせんぞ」
「当たり前ですよ」
 そして、かつて最も玉座に近いと言われていた王弟の息子と、今もって玉座から最も遠い第一王子の話は終わった。

 ◆◆◆◆◆

「有名じゃありませんか。王位継承権をもお持ちのレグルス=ユミル伯が最後の毒姫を愛しているということは」
 セイリオスは言いたいだけ言うと、用事があると言ってさっさとその場を去った。シャウラに対し次は例の毒薔薇を見せてくれとちゃっかり頼みごとをするのは忘れなかったが。
「あいつ……結局何しに来たんだ?」
「……さぁ。サダルメリク公爵については色々な噂が飛び交っているもの。でもあの人も前公爵の嫡子ではなく養子だったというから、家族殺しの事情も今回貴方に近づいたのも、それが関係あるのかもしれないわね」
「そうなのか」
 シャウラの何気ない一言で、ゼノはまた一つ、他人の複雑な事情の一端を知った。
 エルナトも温室の薔薇の世話をすると言って部屋を辞し、あとにはゼノとシャウラだけが残された。エルナトは毒の扱いにも手慣れた暗殺者であるので、シャウラも特別に毒薔薇の世話を許しているらしい。
 回りくどいことが苦手なゼノは、まずいと思いつつ真正面から問いかけてしまう。
「……レグルスと恋人同士なのか?」
「違うわ」
 思ったよりもはっきりとシャウラは返してきた。
「でも、セイリオスは」
「私が一方的に彼を好きなだけよ」
「……セイリオスは、あいつこそがあんたを愛しているのだと言った」
 城では一種の禁忌とされている事柄だ。
 かつての王城を知っている者は当然のように知っている。だが、シャウラが去ってからの城しか知らない者は、当たり前のように知らない。
 将来を嘱望される『完璧な王子様』であるレグルスが、未来を望めない女であるシャウラに恋をしていることは。
 一年前にナヴィガトリアにやってきたゼノも知らなかった。今回兄王子の依頼でシャウラの周辺を嗅ぎまわって初めて聞いた話だ。
 レグルスはシャウラを愛している。
 そしてシャウラも――彼女も、いまだレグルスを愛している。
「この十二年間、まったく会ってなかったのか?」
「――ええ、そうよ。私一人ではもうどうやっても“霊薬の民”は増やせない。あとはただ私一人がどう生きて死ぬかだけ。だからもう、王族に関わるべきではないと思ったの」
「あんたが十二年前に王宮を離れたのは、レグルスから距離をとるためだったのか?」
「……違うわ」
 その否定の言葉は、ゼノにとっては白々しく聞こえる。自然、口調も責めるようなものとなる。
「なんで、あいつの傍を離れたんだ。好きなら一緒にいれば良かっただろう」
「なんでですって? あなたがそれを言うの? 私は毒花の民で、あの人は王位継承権を持つ王族なのよ? 理由などわかりきっているでしょう」
 毒花の一族はその体液に猛毒を持つが故に、同じ一族の人間としか子孫を増やすことができない。
 それは王族に限らず貴族階級の花嫁となるにはあまりにも不都合な体質だった。ゼノが来るまでこの王国はレグルスが継ぐとすら思われていたのだ。尚更周囲が二人の恋を許すはずがない。
 否、貴族相手でなくとも、シャウラは結婚というものに望みを抱けない。愛する相手の子を望めないということが、最初からわかりきっている。例え庶民相手でも、「子どもが欲しい」と一言言われればそこでどんな関係も終わるしかない。
 だがゼノは――レグルスがいまだ彼女のことを深く想っているのを知っている。
 そして長い睫毛を伏せるシャウラの想いも。
「私は毒姫なのよ。誰とも結婚できない。誰の子も産めない。だから――あの人の隣にはいられない」
「そんなの……」
「あなたにだってわかるでしょう。私たち特殊民族は普通の人間ではない」
「そうだが」
 わかっている。理解している。それでも。
 心は納得できない。別にレグルスとシャウラの恋を応援する気などゼノには欠片もないのに、シャウラが「それ」を理由に全ての恋を諦めることがゼノには許せない。
 王宮付きの医師が言っていた。
 実らぬ恋。想いが叶わないのはレグルスのせいでも、アルファルドのせいでもない。その理由は彼らではなく、毒姫たるシャウラ自身にある。彼女に恋をする男は誰も報われないと。
 最後の毒姫。
 唯一の“霊薬の民”。この世界でただ一人の毒花。そして彼女以降に毒姫が生まれることはない。毒花の民は同族以外の種族と子を成すことができない。
 それはつまり、彼女が死ぬまで独りで生きていくということだ。最後の一人となってしまったシャウラは彼女自身の家族を産むことができず、実をつけぬ花としてただ朽ちていく定め。
「……ゼノ王子。あなたなら……わかるでしょう?」
 わかる。わかりたくはないけれどわかってしまう。
 ゼノも似たようなものだった。彼の場合まったく家族が増やせないわけではないが、少なくともゼノの子を産む女は確実に死ぬのだとわかっている。
 それを知っていて王位につくつもりなのかとレグルスには問われた。ゼノ自身自分をやたらと夜会や家に招待したがる貴族女性には「死ぬ覚悟があるか」とまずは問う。そのような王を戴くことに不安があると、あらゆる貴族は言う。
 ゼノ自身が望まれぬ王だ。わかっている。一族の血の特性を覆すことなどできはしない。
 けれど。それでも。
「だからって、そうしてあんたはいつまでも独りで生きていくのか」
 レグルスを愛しているくせに、恋すればお互い苦しいだけだと、その想いに目を瞑って生きていくのか?
「兄貴はあんたのことが好きだ。初恋はまだ終わってない。ずっとずっと、好きだって」
 血を交えることはできずとも、恋ならばできる。アルファルドはずっと、シャウラのことを愛している。
「あんたはその想いすらも否定するのか?」
 ゼノは今初めて、アルファルドのためだけでなく、シャウラのためにも彼女とアルファルドを会わせたいと思った。
 だが。
「……いや。悪かった」
 だが、それは酷く難しいことなのだ。
 わかっている。ゼノだって自らの未来を思うと気が重い。王になるのであればいつかは必ず妃を迎えて後継者を産んでもらわねばならないが、その相手は確実に死ぬ。
 自らと結ばれれば相手を殺すとわかっているのに、どうして誰かを愛せよう。
 種族こそ違うが、シャウラもゼノも条件は似たようなものだ。種族が違うからこそそうなると言えばいいのか。シャウラもゼノも、相手を殺す側だからお互いに気持ちはわからないでもない。
 わからないのは、別の人間の気持ちだ。
「……なんで、こんな血があるんだろう。なんで俺たちはこういう風に造られたんだろう」
「ゼノ」
「母親の気持ちはなんとなくわかるんだ。自分が死んでも子どもを産みたいって。出産に危険が伴うのは普通の人間でも同じだ。でも親父は、どうして妻が必ず死ぬとわかっていたのに俺を産ませたんだ?」
 義理の父親である国王陛下ではなく、クルシス公爵である実父のことを思い浮かべながらゼノは言った。
 出産が母親の命と引き換えになる話は、鋼竜に限ったことではない。けれど鋼竜の場合、それが賭けではなく確実なものとなる。
 なのになぜ、父親は妻の命と引き換えにしてでもゼノを産むことを許したのか。
「――あなたのお父様は、奥様を本当に愛しておられたのね」
「シャウラ?」
 労わるような囁きはこれまで聞いたことのない不思議な響きを持っていた。
 ゼノは目を丸くする。
 血の宿命などという陳腐な言葉で評される“鋼竜の民”の特質は、ゼノにとって長らく何の意味も意義も見いだせないものだった。望まれぬ王として望まぬ玉座に座るためにでさえ、それは彼にとって足枷にしかならない。
「愛している相手を殺すのは、自分にとって最も辛いことよ。少なくとも私はその重さに耐えきれないからこそ独りを選んだ。けれどあなたのお父様はその重さに耐えてでも、奥様との未来を望んだ」
「未来などない。俺を産んだ母は死んだ」
「あなたがいるじゃない、ゼノ。あなたが生きていることが、御両親の望んだ未来よ。あなたが幸せに生きることが、その幸福を証明することになるのよ」
 ゼノは息を呑む。
 これまでずっと、ゼノは影で可哀想な子扱いされてきた。
 母殺しの“鋼竜の民”に対し、こんな評価をしたのはシャウラが初めてだ。
「私は独りで生きていく。独りで生きていくことしかできないからそうする。“霊薬の民”と“鋼竜の民”は違うわ。同族がこの世界に残っていない以上、私はどうやっても子を成すことができない」
 それは定められたもので、変えることができるはずもない。そういうことを運命というのだとわかっている。
「でもゼノ、あなたは違う。あなたは例え悲しみを伴ってでも、未来を創ることができるでしょう。だから、そうしなさい」
 シャウラの言葉に反論できるだけの材料を、まだ彼女に比べれば幼いとさえいえるゼノは持っていない。
 この日も結局、ゼノはシャウラを説得することができずに帰ることとなった。