花は毒姫 04

epilogue 花は毒姫

 誰からも愛されていた第一王子の葬儀が終わり、国中が喪に服していた期間が明けると、日常が戻ってくる。
 ゼノにとっての重苦しい日常はいずれ国王になるという現実……よりも更に身近な、次の家庭教師問題であった。
「そういや兄貴の頼みだからって理由で免除されてた勉強の遅れがえらいことに……ははは。三十二人目の家庭教師はどんな奴だろうなぁ……」
「ゼノ殿下、遠い目をなさらないでください。そりゃあ三十一人目の先生がたった三日で音を上げたのは私たちもびっくりでしたが、あれはゼノ様だけのせいではありませんし」
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ。とは言っても俺の生徒をクビになった記録は今も絶好調に最新情報を更新続けているようじゃないか……」
「はぁ。どこかにいい先生がいませんかねぇ……」
 今話をしているのは、先日まで兄王子アルファルドの侍女をしていた娘だ。シャウラの前に土下座をしてあの時《秘蹟》を請うた本人である。
 アルファルドは身近な者たちから慕われていた。彼を偲び多くの者たちが暇を取り故郷に帰ると言う中、彼女を含め数名の者たちがそれまで侍女・侍従の数すら王族平均より格段に少なかったゼノの側近として残ることになった。
 彼ら彼女らは特にアルファルドから言い含められていたわけではなく、生前の彼の行動を見ていて、そうした方がアルファルドが喜ぶだろう行動をとっただけらしい。城でも騒ぎを起こしまくって侍女の成り手が見つからなかったゼノにとってはとてもありがたいことである。
 兄は本当にたくさんのものをゼノに残してくれた。誰もがゼノに次の王は務まらないと考える中、誰よりもゼノを心配し、そして信じていたのがアルファルドだった。
 本人は深い意図はないなどと言っていたが、ゼノにシャウラを説得させるために普段はしないような色々な行動をとらせたのは、やはり彼の心遣いだったのだろう。あの一件でこれまで話したこともなかったような面々の中に知り合いや友人ができ、これからこの国唯一の王子として戦って行かなければいかないゼノの力となってくれている。
 兄がそうやって与えてくれたものを受け取ったのだから、ゼノはその願いどおりに立派な王にならねばならない。
 ……そのためには、まず立派な王になるために自分を教育してくれる家庭教師の存在が必要不可欠なのだが。
「ふ……三十二人目か。今度こそ、今度こそは……」
「三十一人に見捨てられている時点で十分酷いわよ」
 ざっくりとした遠慮のない物言いに、ゼノは思わずその場でひっくり返る。今のは侍女の声ではない。
 ぎょっとしてそれまで何の気配もなかった背後を振り返った。
「まだまだ甘いわね。王城の中だからって油断していちゃ駄目よ」
「いや、普通の人間はそんな綺麗に気配を消して王族の背後に立たないだろ。――というかシャウラ! なんであんたがここにいるんだ?」
 この一月ほどで見慣れてしまった女がどこか意地の悪い笑顔と共に立っている。ご丁寧にその背後には従者のようにエルナトまで従えて。
「その質問に早速答えてあげるから心して聞きなさい、乗馬もできない王子様」
「おい、その物言いはかつてないほど悪意を感じるぞ」
「何を仰る。これは純然たる厚意です。何故なら――私があなたの三十二人目の家庭教師だからよ」
「は」
 ぽかんと間抜け面を晒して絶句したゼノの頭にその言葉の意味が染み込むまで、実に数十秒を要した。
「あんたが俺の家庭教師ぃ?!」
 驚きのあまり声がひっくり返る。よく見ればシャウラは手ぶらだが、その背後のエルナトが重そうな鞄を片手で下げていた。
「な、なんであんたが……」
「あら、知らないの? 私はこれでも基本的な教養はあるし、王城暮らしをしていた頃に立ち居振る舞いの作法も学んでいるわ。高等教育の全ては無理でも、あなたのように外部からやってきた王族貴族の教師が勤まる最低限の能力は持ち合わせているのよ」
「庶民じゃなかったのか?!」
「庶民よ。ただし、ナヴィガトリア国的には。それでも特殊民族、《霊薬の民(イクシール)》の最後の一人として、何かあった時に迅速に対応するためにいつでも私に貴族としての立場をくださる準備を国王陛下がしてくださっていたわ」
 それに城下で暮らしていた時も昔施療院の患者として交流を持っていた貴族の幾人かとは連絡をとりあっていて、下級貴族程度の嗜みは押さえているのよ、と。
「……あんたに不可能はないのか?」
「あなたが不器用すぎるのよ」
 そう言えばシャウラはゼノが王族であると名乗った時も、第一王子であるアルファルドと再会した時もまったく物怖じしていなかった。国王陛下と面識があるうえに、施療院の元患者たちである貴族青年数名には今も崇拝されている。
 第二王子で次期国王であるゼノを平然と呼び捨てし、レグルスと恋人関係とまで噂されていた女だ。そんな人物が平凡な一般市民である方がおかしいと言えばおかしい。セイリオスに挨拶をした時も、王城内で見せた振る舞いも、そういえばきちんとした貴族のものだったような……。
 ゼノは頭を抱える。
「それにアルにあなたのことを頼まれちゃったからね。本当なら王子様の御依頼なんて知ったこっちゃないけど、可愛い『弟』の頼みは断れないから」
「前々から不思議に思っていたんだが、あんた実はけっこう偉いのか?」
「陛下と単独で謁見できるくらいはね。というかあなたを平然と呼び捨てしている時点で気づいても良いと思うのだけど」
 ゼノ自身もともと山育ちなので、細かい礼儀作法や宮中のしきたりに疎いのだ。自分が王族としての威厳とは無縁だということも自覚している。だからこれまでシャウラの態度にも疑問を持っていなかったのだが、彼女が自分の家庭教師になるとなれば別である。
 これまでの「先生」は誰もが○○の△△でと仰々しい肩書や功績を持ち、大貴族の嫡子を教育したり自分も爵位持ちの貴族だったりしたのだ。そこに平然と並ぶことのできるシャウラは、やはり只者ではないのか?
「それに私はあなた以外でこの国唯一の特殊民族。確かにあなたを教育するのに、私以上の適任者はいないでしょうね」
 城下で着ていた作業着とは段違いに質のいいドレスを持前の美貌で当然のように着こなしたシャウラはころころと笑う。
「と、いうわけでこれからは私のことを師として敬いなさい」
「うへぇ……」
「返事は『はい』でしょ」
「はい、先生」
「よろしい」
 項垂れるゼノの前で、シャウラが金の瞳をスッと細める。
「――ところで、一つ確認しておきたいことがあるのだけど」
「なんだ?」
 ここまで驚きの展開を用意した張本人から確認などと言われ、ゼノは心当たりがなくて面食らった。

 ◆◆◆◆◆

 数日前。
 虫が喰ってないことに安心して引っ張り出した懐かしいドレスを少々手直しして着込み、シャウラは国王陛下に謁見していた。
 衣装の手直しには、先日関わりを持った仕立て屋の夫人に世話になっている。さすがにこの短期間で新しいものを仕立て上げるのは難しいが、幸いにも国王陛下は昔から彼女に甘く、突然の謁見にもすぐに応じてくれた。
 アルファルドの葬儀から三日後のことである。そのくらいであれば時間に多少の余裕もできるだろうと彼女だけではなく周囲も予想した時間帯だ。
「お久しぶりでございます、陛下」
「シャウラ=フルムか。本当に久しいな。貴殿はもう二度とこの城に戻ってきてはくれぬかと思っていた」
「戻ってくるつもりはございませんでした」
「レグルスは貴殿をいつか迎えに行くつもりだったようだがな」
 もうこの世にいない男の名を出し、国王シェダルは寂しげに微笑んだ。
 三大公爵家の一角であるサダクビア公爵家が今回の一件で沙汰を受け、ナヴィガトリアは現在水面下では酷い混乱に陥っているという。魔獣騒ぎに関しては、隣国アルフィルクとも交渉せねばならない。
 だがそれらの事情を抜きにしても、レグルスはサダクビア公爵にとっても国王陛下にとっても可愛い甥だ。彼が亡くなったことに関して、双方思うところはあるだろう。
 シャウラは国王陛下に恨まれても仕方ないと考えていた。しかし内心はどうであれ、シェダルはシャウラに対しては十二年前と変わらず、友人の娘に対するように穏やかに親しげに接してくれている。
「それで、今日は何の用だ?」
「陛下に一つお聞きしたいことがあります。《処刑人(ディミオス)》を雇い、ゼノ・アルラーフ殿下に暗殺者を送ったのは陛下ですね?」
 シャウラの背後に控えていたエルナトがハッとした。動揺を滅多に表に出さない彼が呼吸を乱す。それが答のようなものだ。
「何故、そう思う」
「レグルスの行動とは思えません。それに仮にも一国の王子の命を狙う計画にしては杜撰でした。《処刑人(ディミオス)》と言えど、特殊民族でもない人間の暗殺者ただ一人で《鋼竜の民(ラス・アルグル)》を狙うなど返り討ちにしてくれと言うようなもの。背後に何か企みがあるとしか思えません。そして陛下、このようなことを企む方は、御身しか思い浮かびませんでした」
「推測だらけだな。だがシャウラ、その方は我ら一族をよく理解し、その指摘は的を射ている」
「ではやはり……」
 王は明言しなかったが、シャウラにはそれで十分だ。
「陛下が望むのは、強い王ですか。今のゼノではまだ足りぬと仰られるのですね」
「まだも何も、あやつは足りないところだらけだ」
「ええ。そうですね。――でも彼は……彼とアルファルド殿下が、私の一番望んでいた言葉をくれました。この身はお二方のお役に立ちたいと思います。ですから、十二年前戴いた名ばかりの爵位を私が名乗ることをお許しくださいませ」
 王子の家庭教師と名乗るからには、貴族の位の一つも持っていた方がいいだろう。図々しいとも言えるシャウラの要望にも、王は当然のように頷いて応えた。
「――許そう。そして王ではなく、一人の父親として、あの子を頼む」
「――はい」

 ◆◆◆◆◆

「ゼノ。アルは十二年前に弟なんて生まれて来なければいいと愚痴を言っていたわ」
「ああ、そうらしいな。っていうかあんた、それ知ってたんだな」
「ええ。知っていたわ。あなたの話を聞いた時、誰がそうだったのか自分の記憶を探ったもの。あの子は一番印象が強かったわ」
「それでも兄貴のことまったく思い出せなかったのか。思い出せなかったというより、思い当たらなかったというか。兄弟持ちの金髪碧眼であんたが好きってとこまで候補に入れれば、意外と人数絞れる気がするんだが」
「気づかなくて当たり前よ。でもその当たり前は、王の従兄弟公爵の息子が養子になるなんて予想してなかった、ということではないの。ゼノ、アルが十二年前に話していた『今度生まれる弟』があなたということは……」
 ここまで言われてもゼノにはシャウラが何を言いたいのかよくわかっていないらしい。

「ゼノ――あなた、今いくつ?」
「十一歳。ああ、もうすぐ十二歳だけど」

 彼がそう答えた途端、シャウラはいきなり眩暈でも起こしたかのようにふらついた。
「わー! シャウラ様!」
 エルナトが慌てて駆け寄りその身を支える。
「急にどうしたんだよ?!」
「殿下……今度、城中の人間に年齢確認をしてみるといい。シャウラ様が倒れたくなるのもわかる」
「エルナト、お前まで」
 わからないはずだ。わかるはずがない。
 《鋼竜の民》は奥地で暮らしているため人里に姿を現すこと自体が滅多にないと言われている。その子どものことなんてましてや実際に育てたクルシス公爵ですらよくわかっていないくらいだ。
 ゼノの外見年齢は通常の人類の基準で言えば十七、八と言ったところだ。顔立ちと言動が若いのでよく見れば少年だとわかるのだが、初対面の人間がぱっと見で判断すれば十代後半から二十代前半の青年だと思うことだろう。アルファルド王子が二十歳でその弟という前情報があったシャウラでさえ、まさかゼノがそんなに「若い」を通り越して「幼い」とは思ってもみなかった。
 十一歳? 十一歳! 子どもではないか!
「私、そんな年端も行かない子どもにこの一ヶ月翻弄されていたわけ……?」
 十二年前に十二歳で城を出たシャウラは今年二十四歳。
 さすがにゼノが十一歳の子どもだと知っていれば、もう少し態度も違っただろうと思ってしまう年齢差である。
 だがゼノの見た目はやはり、どれほど若く見繕っても十七以下には見えない。今年十四歳くらいだという元暗殺者のエルナトと比べても、ゼノの方が三つ若いどころか三つ年上くらいには見える。実際は逆なのだが。
「なんだよ。あんた俺の年齢知らなかったのか?」
「ええ、そうよ。言葉にすればそれだけのことなんだけどね……」
 授業を始める前から盛大に疲労しているシャウラの様子の意味がわからず、ゼノは首を傾げる。
 やはり特殊民族は一族ごとの特性が大きい。家庭教師が三十人以上辞めたというのも、民族の特性を両者がきっちり把握していなかったという理由が大きいのだろう。
 体液に毒を持つという脅威はあるが身体能力や成長速度はただの人間に近いシャウラは、これは責任重大だと今から頭が痛い。鋼竜という民族の特性を今度、徹底的に調べ上げねばならない。
 まぁ、次期国王をこの年齢から育て上げるのは、やりがいのある仕事ではあるだろうが。
「なんだよ。まだ始まってもないってのに、さっそくあんたも家庭教師が嫌になったっていうのか?」
 ゼノば不安と期待が入り混じった表情でシャウラを見つめる。
 改めて見れば仕草自体は年相応に子供っぽいその様子に、シャウラはくすりと笑って言った。
「まさか」
「ならいいけど」
「それに、私がうんざりして家庭教師をやめたところで、それで簡単にはい終わりとは行かないでしょ。自分で言ったこと忘れたの?」
 不思議そうに顔を上げたゼノに、シャウラは悪戯っぽく笑って告げた。
「――どんな形でも、『ずっと一緒にいてやる』って言ってくれたでしょ?」
 ゼノが頭を机にぶつけるようにして突っ伏した。普段は褐色の肌が今は真っ赤だ。
「そ、それを口に出すのは反則だろ……」

 ――ナヴィガトリア王国は、新しい時代の幕を開ける。

 了.