Pinky Promise 005

第1章 月夜の時盗人

1.白兎との邂逅 005

「――で、こういうことに」
「何やっとんだ、馬鹿者」
 アリストが一通り事情を説明し終えると、ヴァイスはこれでもかと呆れた眼差しを向けた。
「まったく、運が悪いというか、悪運が強いと言うべきか」
「知らねーよこんちくしょう。こんな姿じゃ、姉さんのところに帰れねー」
「は! 貴様がダイナのもとに戻れないということは、今こそ私が彼女を口説くチャンスということに……!」
「ぶっ飛ばすぞテメー!!」
 元々世界に数人といない魔導学者という非常識ライフを送るヴァイスに現状をとりあえず呑みこんでもらったはいいが、アリストとして彼を頼りにするのは非常に不安だった。
「くそ……! よりによって俺の近くで魔導の知識がある人間がどうしてお前だけなんだ……!」
「ふふん。この私の有能さに感謝してひれ伏し奉れ」
「まぁ、姉さんとかダチとか他の巻き込みたくない人間を関わらせるぐらいならお前を盾にした方がいいけど」
「なんだとこのクソガキ」
 灯台下暗し。ここはアリストの家の隣だ。
 つまり、隣人ヴァイス=ルイツァーリの家である。
 幼児の姿でダイナに直接引き合わせるわけには行かないからと、ヴァイスはアリストをひとまず自分の家に匿った。赤騎士と呼ばれた男が彼を知っていたことを考えると追手が来ないか不安になるのだが、ヴァイスは気楽な態度を崩さない。
 今の時点で奴らが直接自分に手出しをすることは考えにくい。
 そう言って。
「それで、どうするんだ?」
 アリストの説明は終わったが、色々と何か知っていそうなヴァイスからの説明はまだ受けていない。しかしヴァイスはそのネタを話すでもなく、アリストに問いかけてきた。
「どうするって……」
 濡れた服を着替え、軽く食事し、改めてヴァイスに事情を説明し終えたアリストは疲れた体をソファにもたれさせながら鸚鵡返しに言った。
 子どもになってしまった体は疲れ切っている。だが頭は今日会った色々なことで興奮状態だ。こんな調子ではすっきり眠れるはずもない。
 そして何より、この件が解決しなければアリストは隣に――ダイナの待つ家に帰ることはできない。
 一応今はヴァイスがアリスト発見の報と適当な理由を述べて連絡をしてくれたが、いつまでもそれで誤魔化せはしないだろう。
「今の時点で、お前にはいくつかの選択肢がある。だが、これから私がする話を聞いてしまえば一つしか残らない」
「……」
 ヴァイスが何も話さないのは、別にアリストにここぞと意地悪を仕掛けているわけではなく、明確な理由があってのことらしい。
「一番無難なのは、このまま何も聞かずに特殊な犯罪の被害者として、事情を話して専門機関に保護されることだな。警察に駆け込むのはオススメしない。その姿にされてすぐ交番などに向かわなかったのは正解だ」
「……他の選択肢は?」
「信頼できる遠縁の人間、特にこの帝都以外に住んでいる人間がいるならそちらに匿ってもらうという手もあるが、お前は確か天涯孤独だろう?」
「姉さんのことを考えなければね」
 アリストの両親はすでに亡くなっている。その親戚は存在すら知らない。
 家族は姉のダイナだけだ。
「そして最もオススメしない手だが、私の力を借りずに自分でどこかの調査機関、探偵や何かに依頼をする」
「この子どもの体で?」
「だから言っただろうが、オススメはしないと」
「――もったいぶった言い回しはやめろ、ヴァイス」
 アリストは静かに覚悟を決め、逆にヴァイスへと問いかけた。
「お前の言いたい『オススメ』とやらは何だ」
 ヴァイスの『オススメ』。彼が知るアリスト=レーヌという人物ならば間違いなくこうするであろうという最後の選択肢。
「それは、お前が私と共闘し、自分で奴らを追い詰め元に戻る方法を模索することだ。私はそんな危険の矢面に立つ気はないが、必要ならいくつかツテを使ってフォローしてやる」
 最後の魔導師。魔導学という学会自体が一部の人間にはオカルトじみた眉唾物だと煙たがられている以上権威があるのかどうかわからないが、それでもヴァイスはその道の第一人者だ。
「私なら知り合いに帝都一と名高い探偵もいるしな。奴もお前と同じものを追っているから、事情を話せば喜んで協力する……いや、自らの調査にお前を協力させるだろう」
「探偵が知り合いにいる……? だからお前は詳しい事情を知っているのか?」
「そうではない。話が長くなるからそれは今度にしろ。聞く気があるなら後で探偵当人を交えて話してやる」
 よくわからない男だ。アリストは思った。
 ヴァイスという男はアリストの姉であるダイナに惚れ込んでいて、少しでも彼女の近くにいるためにわざわざマンションの隣室に越してきたぐらいである。その行動を指してアリストはストーカー呼ばわりしているが、近所付き合いに関しては一応常識の範囲内だ。
 講師としての彼も知っている。ダイナのように担任を持ち毎日HRを行う「教師」と違って、ヴァイスは選択制の講義を幾つか担当するだけで学院の運営自体には関わらない「講師」だ。
 一応ジグラード学院内に彼の研究室もあるはずだが、ヴァイスの場合そこはあまり活用せず、講義以外の空いた時間は街で何か別の仕事をしているらしい。
 アリストは選択授業の関係上彼の講義を受ける時間が多いので中等部以降それなりの時間を共に過ごしている気がするが、それでもヴァイス個人のことは何一つとして知りはしない。
 せいぜいダイナへの猛アタックから、独身で独り暮らしだということが判明しているくらいだ。
 探偵を知り合いに持ち、怪しげなコードネームで呼ばれる暗殺者と顔見知りの魔導学講師。ここにきてこの隣人が、酷く胡散臭く見えてきた。
 だが今アリストの陥っている状況の突拍子もなさから言えば、そのくらい胡散臭い男でなければ協力はできないのかもしれない。
 そしてヴァイスの予想通り――アリストはやられっ放しで尻尾を巻いて逃げるような性格ではない。
「せいぜい俺様をフォローしろ」
「偉そうに。匿ってやる私をもっとありがたがれ」
 返事を予想していたのだろう、アリストの生意気な言葉にヴァイスもいつもの尊大な笑みを浮かべる。
 先程赤騎士から助けたことより、これからの協力について感謝しろというヴァイスの言葉は、アリストがやろうとしているのが随分と大変なことであると意味している。
 それでもひとまずは、不運な少年と怪しげな隣人の共同戦線がここに張られたようだった。

 ◆◆◆◆◆

「単刀直入に言うと、お前をその姿にしたのは“睡蓮教団”という連中だ」
「はぁ?!」
 追うべき相手の影も形もわからない状態だというのにいきなり組織名を告げられて、アリストはもう何度目かの驚きの声をあげた。
「なんでそんなこと知ってる」
「単純な話だ。お前とはアプローチが違うが、私も以前奴らに接触されたことがある。その時に一部の目的と一部の構成員を知っただけのこと」
「その構成員ってのが……“赤騎士”って呼ばれてたあの男?」
「そうだ、それとお前に術をかけた“白兎”な」
 何の因果か、ヴァイスはよりにもよってアリストに因縁をつけてきた二人を二人とも知っていたらしい。
「“赤騎士”“白兎”というのはコードネームだ。組織の統率者は確か“赤の王”。その人物には私も会ったことはない」
「そいつを見つけ出せば、俺は元の姿に戻れるのか?」
「お前がそれで元の姿に戻れるかどうかはわからない――“禁呪”の定義を知っているか?」
突然の質問に、アリストは授業で習ったことを思い出してすらすらと答えた。
「“禁呪”とは、その名通り禁じられた魔術。世に出してはならぬ呪い。大規模な自然災害を引き起こしたり人間の命を無造作無作為に奪い証拠を残すこともないような――過去に凶悪犯罪に用いられた故に術式を封じられた魔術。また――」
「また、三次以上の次元に関する事象を操る呪文のこと」
 アリストの説明の後をヴァイスが引き取る。
「三次以上の次元ってことは……もしかして……」
「そうだ。お前にかけられた術は『時間を奪う』ものだと白兎が言っていたのだろう。時間は四次元。そこに介入する魔術を生み出すことなど人間業とは思えないぞ。この禁呪の開発者は化け物だな」
 世に出してはならぬと禁じられている呪文だから禁呪。その中には、人間の能力的に不可能だと言われる呪も含まれている。
 ならばそのような禁呪は一体誰が作ったというのか。神か? 悪魔か?
「――“チェシャ猫”」
「なんだって?」
 古来より残る禁呪に関しては知らないが、少なくともアリストにかけられた術はこの現代に開発者がいると判明している。
「あいつら、俺にかけた術の開発者は“チェシャ猫”だって言っていた」
 ヴァイスが目を丸くする。何事か考え込むように顎に指をあてて呟いた。
「それも『不思議の国のアリス』由来のコードネームだな。教団の中の開発部門所属の研究者と言ったところか」
「……なぁ、さっきから気になっていたんだが、その『不思議の国のアリス』由来のコードネームってのは何なんだ? まさか教団の人間ってのは、どいつもこいつもそんなコードネームを名乗ってるってわけか?」
 考え込むヴァイスには悪いが、アリストは今更だが気になっていたことを尋ねた。どうもこれら『不思議の国のアリス』という古典文学に関連した名称の意味を押さえておかないと、これからの意志疎通に齟齬が出る気がする。
 あの兎のような白髪の少年が、本当に“白兎”と呼ばれていたのには驚いた。時計兎とも呼ばれる、不思議の国へ少女を導いた切欠となるキャラクター。
「そんなわけないだろう。だとしたら私も奴らの一員になってしまうではないか。ま、奴らの事情の一部を知ってしまった人間がその存在を示す符丁として使われるのは確かだが」
 やたらと事情通な胡散臭い隣人の言葉に、アリストはますます頭上に疑問符を浮かべる。
「睡蓮教団内にもコードネームを持たない人間はいる。教団以外の人間でも、私のように呼び名をつけられて目の仇にされている人間や、教団に喧嘩を売るために自ら名乗る人間もいる」
 そういえばヴァイスは、“白騎士”などと呼ばれていた。
 彼らにとってコードネームとは、単に組織内の序列を現したり部隊分けをするための符丁ではないらしい。
 では、その基準はなんだ?
「もともと睡蓮教団というのは、とある目的のために存在していた宗教団体なんだ。今じゃすっかりカルト化しているようだが」
「……とある目的?」
「ある神を崇めていた。だがその神は邪神と呼ばれる神でな。しかも死んだというか封印されたというか……そういう状態にされてしまっている。大雑把に言えば、その神を崇めている人間は全て睡蓮教団だが、コードネームを名乗り色々とヤバイことをしているのはその中でも上層部。わかるか?」
「怪しげな新興宗教にお布施する末端信者と、その金を出させるために詐欺を働いている教祖や幹部みたいなものか?」
「似たようなものだ。まぁ、睡蓮教自体は新興宗教どころか、この世界が始まるより前から存在するとすら言われている古い組織だが」
 ヴァイスが冷めた珈琲に手をつけるのを見て、アリストも自分の分のカップを持ち上げた。喉の渇きすら気にも留めず、もう随分長いこと話し込んでいたようだ。
「お前は何故そんなことを知って――ああ、これもそのうち探偵とやらを交えて話してくれるんだったか」
「そうだ。今ここで話すとたぶんややこしくなるぞ。というかお前がキレる」
「……何やったんだお前」
 これだけ色々としてもらっておいてなんだが、やはりヴァイスはここぞというところで信頼できない気がする。
「説明してやってもいいが、話が長くなりすぎるからな。それに私の口よりは、お前と似たような境遇にある人物から聞く方がいいだろう」
 その言い分にアリストはぴんと来た。予感を確信に変えるために問いかける。
「もしかしてその探偵ってのが、俺と似たような境遇なのか?」
「そうだ。奴は睡蓮教団を追っている。だからお前のことを知れば相応のリアクションがあるだろう」
「とりあえず巷でカルト集団として有名な睡蓮教が、俺が知っている以上にヤバイ組織だってことしかわからねぇ」
「それで十分だ。あとは……そうだな。奴の他にもう一人いたか」
 不意に何かを思い出した様子で、ヴァイスは残りの珈琲を飲み干すとこう言った。
「明日は学院の方に行くぞ、アリスト」
「学校に? なんで?」
 今のアリストは三日後に始業式を迎えるはずだった高等部二年生の姿ではない。どこからどう見ても小等部低学年の児童だ。まさかアリスト=レーヌとして学内で行動できるわけはない。
「学院内にこの手のことに詳しい奴がいるんだ。お前が今後どうするにしても、まずは奴と繋ぎをとっておくに越したことはないだろう」
「……うちの学院の講師って」
 知っちゃいたけど何でもアリだな、と。最愛の姉のことを棚上げにしてアリストはがっくりと項垂れた。

PREV 作品目次  |  NEXT